第四章  想いことのは


戻る 目次 進む


 ――はい?
「この島で不思議なのは、他の羽衣伝説にある『隠し場所』がないんです」
 隠し場所が……ない?
「それって、言い伝わってないってことですか? 普通はあるんですか?」
「大体ありますね。天井の梁や箪笥、松の根元……場所は様々ですが、あることが普通です。天女は大体子どもを成しますね。その子どもたちが、羽衣発見の鍵を握っていることが大多数です。まだ赤子の子どもがよく泣くが、松の近くに連れて行くといつも不思議に泣き止むから、そこを掘ってみたら羽衣があったとか、男のいないときにふと天井を見上げると羽衣があるのを見つけたとか。あるいは男自身が、子どもが出来たからもう帰ることはないだろうとばらすケースもあります。どっちにしろ、隠し場所はたいてい明記されています。中には子守唄の形式で残っているところもあるくらいですよ」
「天女の羽衣の隠し場所が、ですか」
「そうです」頷く大島さんの影を見下ろして、あたしは少し考え込んだ。
 普通はある。けどこの島には伝わっていない。そのパターンって、何かに似ている気がする。
「似てますよね」
 大島さんの呟きに顔を上げる。
「似てるんです。このパターン。瀬戸のみが口碑として残していた『後日談』と」
 ――そうだ。それだ。後日談……確か夕顔の話。あれと似ているんだ。
「あの、それを大島さんはどう考えてます?」
「憶測ですが。単純に考えて、あまつ三家にはそれぞれ、伝説にまつわる『何か』が口碑か何かの形で残っている。そう考えるのが妥当でしょうね」
「うちとか、青ちゃん……都築家とかにも、あるかもしれないってことですよね?」
「そうですね。それに少し不思議なんです。羽衣の隠し場所なんですが、単純に言い伝わっていない、というより……どうも、わざと伝承を残さなかった、ような雰囲気があるんですね。言い換えれば隠蔽、でしょうか」
 隠蔽――?
 唐突といえば唐突な単語にあたしは思わず目を瞬かせた。
「どうしてそう思うんですか?」
「上手く言えないんですが……口碑として残っているもの、記述されている文献、どれを見ても妙に不自然にそこを飛ばしているんです。子どもたちは父親が隠していた羽衣を持って――といきなり飛んでしまう。普通、子どもが天女に伝えるにしても、それのきっかけはあります。子どもが羽衣を見つけるくだりは残っている。けど、嵯孤島の伝説には残っていない。不思議だと思いませんか?」
 思う、気がする。ただそれって、他の伝説を……それもたぶん、それなりに詳しく知らないと飛ばしちゃう部分でもある気がする。大島さんが気付いたのは、大島さんだからこそ、なのかも知れない。
「だから、隠してるって思うんですか?」
「なんとなく、ですけどね。曖昧にしか思ってなかったですけど、後日談を瀬戸だけが口碑として残していることを考えれば、決してありえないことだとは思いません」
 大島さんは頷いて、流れ出た汗を拭った。それから、火照った顔で笑う。
「だからもし隠しているとすれば、羽衣があった場所を知っている可能性があるのは、あまつ三家でしょうね」
 ――そうなる、はずだ。
 瀬戸の『後日談』の口碑と天人松。だとすれば、都築か高槻が、羽衣の隠し場所を知っている可能性は、ある。そこに羽衣がいる可能性だって、ゼロじゃない。
 あたしは大きく息を吸って、大島さんに頭を下げた。
「ありがとうございました! またちょっと調べてみますっ」
「あ、はい。何か判ったら、僕にも教えてください」
 にこりと笑って、大島さんは家へ歩き出した。慌てて隣に並びながら、あたしは大島さんに問いかけた。
「あの。大島さんは、天女って信じてますか? 羽衣って、何だと思いますか?」
 あたしの問いかけに、大島さんは微かに笑った。
「僕は、羽衣というのは翼だと思ってます」
 翼――?
 きょとんとするあたしに、大島さんはゆっくりゆっくり、言葉を続けた。
「三保の松原に伝わるケースとかでも有名ですが、天女とは多く白鳥と同一視されています。世にも美しい白鳥が降り立ったのを見て、その場所に主人公が近づく。すると白鳥が降り立った場所にはこれまた美しい女たちがいた、と。だからこそ白鳥処女説話、と呼ばれたりする。だから、羽衣というのは、羽――つまり白鳥の翼だというのが一般的です」
 白鳥の羽。そっか、羽衣は、はねころも、だ。そう考えるのが普通だ。だからこそ、それを失くした天女は飛べなくなる。
 ――あ、もしかして。
 ふと思いついて、あたしはそっと唇を押さえた。
 白鳥の羽は、白鳥にとってはなくてはならないものだ。全ての伝説がそうだとは言わないけど、ここに伝わるものだけで考えるなら、天女にとってなくてはならない衣を、白鳥の羽と比喩したのかもしれない。それだったら、羽衣の言っていた『天女とある意味では同一の存在』って言葉も納得が行く。
「それから」大島さんは微笑んだまま、そっと唇に指を当てた。
「学者としては、あんまり大声で言えませんけど」よく通る、低い声で続ける。
「天女は、いたらロマンチックだなぁとは思います」
 いたずらっぽく笑う大島さんに、あたしも自然と微笑んでいた。
「きっと、います」



「あまつ三家に伝わるもの?」
 電話へ向かう大島さんと別れて、再び踏み込んだばぁばの部屋。あたしのいきなりの質問に、ばぁばは二度三度と瞬きしてから、ぼんやり復唱した。
「うん。なんかない? 口碑とか、守ってきた場所とか。じぃじから聞いたりしてない?」
 青ちゃんちに行くといってすぐ帰ってきたあたしに、けれどばぁばは何も言わずに首を傾げた。それから畳んでいた洗濯物をいったん置いて、ゆっくり言葉を選ぶように続けた。
「確かにツクヨ関連のものを、あまつ三家は受け継いできたって話は聞いたことがあるけど」
「ホントっ!?」
「嘘ついてどうすんだい。ただねぇ、今はもう判らないらしいよ」
 ばぁばの言葉に、あたしは勢いをそがれてぽかんと口を開けてしまった。
「判んないって、なんで? じぃじが本筋だよね? 受け継いでないの?」
「しぃちゃんのお父さん……つまりあんたにとっての曾爺さんはねぇ、海で死んじゃったんだよ。まだまだ若い頃だったらしい。だからだろうね、しぃちゃんに伝えるべきことも言わないまま死んじまったのかもしれない。だからうちには、何がそうなのかは伝わっていない。あまつ三家にはそれぞれ天女にまつわるものが、別々に伝わっている――そういう伝承はあるんだよ。瀬戸も都築も伝えているものがあるかもしれない。けどうちは――高槻は――ばぁばらの代まで伝わってきていないんだ」
 ばぁばの苦笑に、あたしは立ち尽くすしかなかった。
 けど、あからさまに落胆を見せるわけにはいかず、ばぁばにはありがとうと礼を言ってもう一度家を出た。陽は高い。吹き出す汗を拭って、あたしははぁと息を吐いた。ほぼ真下に出ている自分の影を軽く蹴る。
 何にも、判んない。
 羽衣の居場所を知っている可能性があるのは、あまつ三家。でもうちには伝わってなくて。
 あんまりに進まない状況に、自然と唇が突き出てしまう。目の前の古い一軒家――瀬戸の家を睨み上げて、軽くうめきが漏れた。
「その三家のうち一方が行方不明で、もう一方とは絶賛喧嘩中なんだってば……」
 一体あたしにどうしろと言うのだ。
 あたしが今出来ることは青ちゃんと羽衣を探すことだ。でもこの島、狭いくせに山やら森やら色々あって、ひと一人、布一枚探すのも容易じゃない。大体青ちゃんのことなら、基か若菜ちゃんのほうが詳しいに決まってる。だったら、やっぱり羽衣から探そう。二人が一緒かどうかも定かじゃないけど、一緒だとすればあまつ三家にも羽衣にも関係のある場所――天人伝説が残る場所が一番可能性としては高そうだ。
「よし」
 諦めてどうにかなるものじゃない。あたしは一度呟いて、嵯孤島を走り出した。
 天人松のある嵯孤島海岸。蕗山――は大人たちが探していたから任せるとして、イサゴの家跡がある蕗林の中。真夏の炎天下でそれだけダッシュで周ると汗も吹き出してきた。弾んだ息を整えながら、あたしは家跡の岩に手をついて大きく息を吐いた。
「……見つかんない」
 天人松の上にも、この岩にも、羽衣はいなかったし、もちろん青ちゃんもいなかった。手がかりがゼロだ。せめて。せめてうちに何か伝わってたらそこに行ってみることも出来たのに。
 悔しかった。あたし、青ちゃんのことはよく知らない。でも楽しい人だなって思った。羽衣に至っては、正直よく知ってるつもりになっていた。羽衣自身が覚えてないことはともかくとして、羽衣の性格とか考えとか読める気になっていた。だって出逢ってからずっと一緒にいた。肩の上に乗っかって、羽衣は笑ったり拗ねたり皮肉言ったりしてて、それが当たり前みたいになってたから。それなのに。あたし、青ちゃんも羽衣も見つけられない。大体、天女のことだってあたしから手伝おうかなんて言ったのに、何にも出来てないじゃない。ぽつぽつ知識は手に入れたけど、あたしがじゃなくて大島さんの持ってた知識を聞いただけで、羽衣のために何にも出来てないじゃない。
 友だちだって、思ってるのに。あたし、何にも出来ない。
 自分の不甲斐なさが悔しくて、大きな岩にぐっと爪を立てたままあたしはその場にしゃがみ込んでしまった。
 何か、ちょっとでもいいから。羽衣と青ちゃんの手がかり、知ることが出来たらいいのに。
 思いっきり唇を噛んで、必死に泣きそうな自分を誤魔化していたとき、だった。
 腕を――引かれた。
 いきなりすぎて何がなにやら判らないまま振り返ったら、見慣れた顔が飛び込んできた。
「もと……い」
 苦りきった顔でこっちを見下ろしていたのは、基だった。
「おま……えなぁ」
 苦りきった顔のまま、基がその場にずるっと座り込んだ。あたしの腕は掴んだままで、大きく息を吐く。それからぎっと顔を上げて、怒鳴るような早口で捲くし立ててきた。
「そんな顔でひとりで蹲るくらいなら、俺に怒鳴るなり喚くなりしろよ!」
「え……」
「二人のこと心配なのはお前だけじゃないんだから、何でもかんでも自分の中で溜め込んでないで人に頼るとか吐き出すとかしろ!」
「そん……なの」ほとんど意識しないうちに、あたしの唇は震えた言葉をつむいでいた。
「そんなの、無理だよ」
「何がっ」
「だって!」叫んで。あたしはぐっとこみ上げてくる熱を飲み込んで俯いた。
「だってあたし……この島でたぶん、一番頼れんの、基だもん」
 じぃじでもばぁばでも、大島さんでもなくて、羽衣のことを含めて本当に頼りにしてるのは基のことだと思う。じゃなきゃ、喧嘩したからってここまで落ち込んだりしない。
「それなのに喧嘩しちゃってるし、昨日から基、なんか怒ってるし」
 そんな状態で、誰に頼ればいいって言うの。ひとりで抱え込む以外にどうすればいいのかなんて、あたしに判るはずないじゃない。判ってたらもっと上手いこと生きてきてるよ。
 言いたいことはいっぱいあったけど、それ以上言葉に出来なくて俯いて黙ってしまった。割れるようなセミの声が沈黙を埋めていく。
 少しして、盛大なため息が頭の上から降ってきた。
「……違う」
 基の低い声に、そっと顔を上げる。
 びっくりした。怒ってるのか何なのか、基は耳まで真っ赤にしてて、これ以上は刻めませんってくらい眉間に皺を寄せていたから。それなのに違うって、何がなにやら判らない。
「基……?」
「悪かった。違う、あれ、怒ってたんじゃない」
 そこまで呻くように呟くと、片手で顔を覆って基は黙り込んでしまった。どっか痛くなったのかな、とでも思えてしまう急な沈黙に、不安になって覗き込んだ。
「あの。基?」
 指の間から、基がこっちを見据えてくる。深い色をした目に一瞬ドキッとしてしまった。それからまた、はぁっと息を吐いて、顔を覆っていた手でぐっと髪を後ろに上げる。
 そしてやっぱり怒ってるような顔のまま、基はこう言った。
「嫉妬」
 ――え?
 唐突な言葉にぽかんと見上げるしか出来なかった。意味が……判らない。
「だから……、せっかく二人だったのにいきなり青太のことに話移るし……ってああもうっ」
 早口でぶつぶつ呟いたあと、顔を真っ赤にした基が勢いよく立ち上がってあたしの手を引いた。つんのめるように一緒に立ち上がって、あたしはまだ混乱する頭のまま基を見上げるしか出来なかった。基は背中を向けていて、でも後ろからでも耳が赤いのが判る。
 しっと……って、嫉妬――?
 ようやく意味が取れて、あたしの顔も熱くなった。手が……熱い。でもその手は離されないまま、基は歩き出していく。
「あの、もとい、どこ行くの?」
「海。の前に家。水着着てくる」
「へ?」
 首を傾げると、基はほんの少しだけ振り返ってきた。少し見えた顔が、微笑っていた。
「心当たりがひとつ見つかった。青太ん家で聞き出してきた場所があるんだ。行くだろ?」
「――うんっ」
 慌てて大きく頷いた。そんなのがあるならもちろん、行く。ついていきながら、あたしははたと気付いて声を上げた。
「あっ、基。若菜ちゃんは?」
「え? さっきまで一緒だったが」
 言われて気付いたのか、基が足を止めた。と、同時に、傍の樹の陰から、ひょこっと顔が覗いた。若菜ちゃんだ。小さく笑ってる。
「仲直り、した?」
 ……隠れて、見守ってたってことだろうか。思わず基と顔を見合わせて苦笑した。心配かけて、見守られて、誰かに助けてもらって。恥ずかしい。そう思うけどなんだか少しほっとして。
 二人手を繋いだまま、あたしたちは小さく頷いた。若菜ちゃんはほっとしたように笑った。


戻る 目次 進む