第一章『はじまりのカギ』


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 押入れは二段式で、上にはふとんが入っていた。下には、冬服とかそういうものが隅によせてある。で、それがなんで隅に寄せてあるか――は一発で判った。
「……男子ってバカ……」
 久野のつめたい呟きが聞こえたけど、ぼくはおもわずにやりと笑っていた。こーすけも同じ、にやり笑いを返してくる。
「面白ぇやろ、ひろと」
「だね」
「かぁっこいー! ひみつきちー!」
 そうなんだ。押入れの一段目は、こーすけが手をつけたらしくって、ひみつ基地みたいになっていた。
 コンセントを引っ張ってきた、ライトスタンド。壁には世界地図がはってあって、ダンボールで作った本棚にはマンガが一杯つまってた。大きい画用紙とスケッチブック、たくさんの色のマーカーペン。バスケットボールとサッカーボール、それからローラー・ブレードとローラー・シューズ。おもちゃのトランシーバー、スーパーウォーターガン(水鉄砲のすごい奴)。BB銃(BB弾が打てる奴。学校では禁止されてる)とおもちゃの剣。懐中電灯に筆記用具、何のためにあるのかは知らないけど、方位磁石まであった。他にもいろいろ、おもちゃが箱に押し込められている。新しいゲームのポスターもはってある。これ、買う予定なのかな。だったら、今度借りようっと。
「たける、ひろと。とりあえずこっち入れや。ここやったら、おかん来ても、ちょっと時間かせげるから、見られへん」
「うん」
 ぼくはたけるの手を引いて、押入れの中に入った。狭いけど、まぁ、三人なら入れなくはない。たけるは小さいしね。
 こーすけも続いて入ってきて、ライトスタンドをつけた。
 どーでもいいけど、すっごく蒸し暑い。あんまり長くいたら、ぼくの蒸し焼きができるかもしれない。
「……バカ。ほんとバカ」
「バカバカひどいわ、亜矢子ちゃん! こーすけくん、傷ついちゃうっ」
「……埋めて欲しい?」
「ごめんなさいもうしません」
 冷たい久野の態度に、こーすけが謝ってから肩をすくめた。
「とりあえず、おかんきたら教えて」
「判ったわよ」
 むすっとしながら、久野はふすまの外から顔だけをつっこんできた。
 薄暗い、蒸し暑い、息苦しい、けどなんだかわくわくする空間で、こーすけがたけるに言った。
「たける、鍵見せてぇや」
「うん」
 たけるは素直に頷いて、右手に握っていた鍵を見せた。
 うわ……汗だらけ。
 ぎゅうっと強くにぎったままだったせいか、たけるの右てのひらには、汗がびっしょりだった。金色の鍵は、その中でもきれいに見える。
「これか、見つけた鍵って」
「そ。体育館の鍵みたいでしょ」
 ぼくは言いながら、そばにあった懐中電灯をつけた。ライトスタンドだけじゃ、ちょっと見えづらかったからだ。こーすけは「サンキュ」と小さくつぶやいて、鍵をまじまじと見つめてる。手で口を覆いながら「ふぅん」と小さく声をあげる。
「ほんまや。細長いねんな」
「きれいね」
 久野も、感心したみたいにそう呟く。
「バカにしてたくせに」
 ぼくがぼそっと呟いたら、久野はメガネのフレームに手をそえながら、
「別に鍵をバカにしてたわけじゃないわよ。男子をバカにしてたの」
「一緒だろ」
「違うわよ。っていうか、なんでそんなケンカ腰なのよ」
「どっちがだよ」
 むすっとして、お互い睨みあう。こーすけが苦笑して、ぼくの頭を引っつかんだ。
「ケンカすんなや、人ん家で」
「悪かったよ」
 ぼくがあやまるうちに、久野はそっぽを向いて、ぼくらがいる押入れに背を向けた。そのまま、硬くなっている。こっちを絶対向かない、って言う意思表示かもしれない。知ったことか。
「それで? この鍵を狙ってマフィアだか海賊だかが追いかけてきたってことか」
「そうなるね」
 こーすけはうーんとうなって、
「ただの鍵やんな。別にめちゃ高そうとか言うんでもないし。つか、鍵が目的ってのは絶対なん?」
「それは確か。一回だけしゃべったのが、鍵を渡してもらおうか、だったからね」
「なるほどな」
「たから箱のカギなんだよ!」
 たけるが必死で両手を振り回している。信じすぎだ。信じすぎだよ、たける。
 べしっ、と久野の手が、後ろ向きのままこーすけを殴る。
「いった、何すんねんお前」
 久野は答えない。やなやつだ。
「……っとに。まぁええわ。それで、なんやろな。これ」
「さぁ」
「たーかーらーばーこー!」
「ええから、そっから発想はなれろや、たける」
 腕を振り回すたけるの頭をこーすけが叩いた。。それを見て、ぼくは一瞬動きを止めた。
「……あるいは、たけるのセンもあるかもだよ、こーすけ」
「はあ? なんでやねん」
 べし、と久野の手が再度こーすけを殴った。けど、久野は相変わらずこっちに背中を向けたままだ。
 やなやつ。
「だからさ。鍵だよ、これ」
「見りゃわかるわい」
「だから。鍵なら――鍵穴があるはずじゃん。対となるね」
 ぼくの言葉に、こーすけは目を丸くして、それからそのままにやりと笑った。
「なるほどな。お前、頭ええやん」
「こーすけよりかはね」
「ひどいっ。そんなこと言うのっ?」
 またバカな事をしようとして両手を頬に当てたこーすけの頭をバシッ、と再度、久野の手が殴る。今度は強く殴られたみたいで、こーすけが痛そうに顔をしかめた。
「いったぁ、何すんねんな、亜矢子! さっきから人のことバシバシバシバシ殴りよって!」
 久野は答えない。そのかわり、バシバシバシバシバシ、と連打でこーすけを殴ってる。
「いたッ、痛いっちゅーねん! 亜矢子!」
 こーすけがたまらなくなったみたいで、叫んで押入れから抜け出した。ぼくとたけるも続いて――
 それから、すぐ、久野がこーすけを殴りまくってた理由が判った。
 ベランダに続く、ガラス戸。
 久野の視線は固まったまま、そっちに向けられていて。こーすけの視線も、同じところに向けられていて。ぼくとたけるの視線も、やっぱり同じところで。
 ガラス戸の向こうには――

 海賊が三人、へばりついていた。

 すう……っと誰かが息をすう音が、合図だった。
 ぼくらはそろって、四人でハモりながら――叫んだ。
『うわああああああ!?』
 一番最初に我に返ったのはこーすけだった。こーすけは叫びながら、カーテンをしゃっと閉めて、海賊たちの姿を隠す。久野とたけるはそろってわーきゃーわめきたてて、バタバタとおばさんがあわてて走りこんでくる音がした。
 まずい!
 ぼくはとっさに久野とたけるの口をふさいで、こーすけに目配せした。こーすけはすぐぼくの考えを読み取ってくれて(やっぱり、こーすけはこういうところでやりやすい)、ふすまが向こうから開くより早く、先にあけた。
 おばさんはビックリしたみたいに立ち止まっていた。ふすまを開ける寸前だったみたいだ。
「ごめん母ちゃん、うるそーして! ゲームやってたんやけど、亜矢子がセーブする前に消しよったから、ちょっとケンカしとってん! それだけ!」
「……っとに、なにかとおもったやないの! ケンカせんと仲良うせえ!」
「わぁっとる、ごめん!」
 そう言って、こーすけはぴしゃりとふすまを閉めた。「もうー」とかいいながら、それでも遠ざかっていくおばさんの足音。完全に足音が聞こえなくなってから、ぼくはそうっとたけると久野の口から手をはなした。
 久野もたけるも、そろってがたがた震えている。あたりまえだ。ぼくもそうだ。足がふらふらしそう。
 ガチャ! ガチャガチャガチャ!
「ひっ」
 悲鳴を飲み込んだみたいな音を、久野がもらした。
 ベランダの戸が、大きくなって軋んだ。海賊たちが、戸をあけようと――もしかしたら、壊そうとかもしれない――しているんだ。
 がちがちに固まったまま、鍵を握り締めているたけるの左手を握ってやる。
「おいひろと。お前が言うてたんって、あれか」
「そうだよ。どうみてもそうでしょ。あんなのがそこら中にいたら、すげえやだ」
「まぁ、そりゃそうやけど」
 久野が震えながらへたり込んで、ぼくらを見上げる。
「どどど、どうすんのよ! どうするのよ! け、警察に連絡……!」
「今からしたって、割と無意味っちゅーか手遅れっちゅーか……」
「こーすけのバカあ!」
 さっきよりは少し控えめに(たぶん、久野もおばさん巻き込んだらやばいと判ったからだろうけど)叫んだ。
 ガチャガチャの音が、しまいにはドンドン、に変わって来た。まずい。本格的に、ガラスを割って入ってくるつもりかもしれない。
「どうする、ひろと?」
「……逃げるしか、ないんじゃない? あ。こーすけ、足のサイズ同じだったよね、ぼくと」
「あ? ブレード?」
「うん、貸して」
 さっき、押入れのひみつ基地にローラー・ブレードがあったのはちゃんと確認している。それで走れば、逃げ切れないこともないはずだ。こーすけはマウンテン・バイクがある。ただ、問題は久野とたけるだ。
 こーすけもそれが判ったんだろう、考えるようにまゆげを上げた。口を手で覆って、似合わない真面目な顔をする。
「賭けるか。あいつらが鍵を狙てるんやったら、オレとお前で鍵を持ってるってことを見せて、逃げたら、オレらだけ追いかけてくるかもしれん」
 ドン、ドンドン!
「――あいつらに脳みそがあったら、たけると久野を人質にする、って考えも、出て来ない?」
 ドンドンドン! ――ドンッ!
「……出て来るな。くそ、どないすりゃええねん」
 そのときだった。
「ひろと……」
 弱い音で、呆然とたけるがぼくを呼んだ。すぐに繋がった手をバタバタ振り回す。
「ひろと、ひろと、ひろとぉ!」
「なんだよ!」
「これ、これ何なの!?」
 また、たけるの「なの?」か――と思ったんだけど、それは一瞬だった。
 たけるが握っていた金色の鍵。それが、たけるのこぶしの中で――光っていた。
 最初は弱く、見つめているうちに、光はどんどん強くなる。ぼくらは一瞬、息をするのも忘れたみたいにたけるの右手を見つめていた。
 そして――
 光が、はじける。

「っ!」
 反射的にきつくまぶたを閉じたけれど、そのまぶたの裏側まで焼き尽くしそうな、太陽みたいな熱い光。
 ぎゅっとぼくの腕をつかんだのは、久野か。たけると繋がっていた右手も、ぎゅうっと強く握られる。
 眩しさは一瞬だった。
 眩しさが溶けてから、くらくらしながら目を開ける。目のまわりにちかちかしたいろんな色の光が飛び交っているみたいに見えた。頭が痛い。
真っ白だった世界が、だんだん視力とともに景色を取り戻し始める。
 
 そして、ぼくらは、彼女と出逢った。


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