第三章『夏休み』
1
「それじゃあキィが姿を現せることができるのは、四十分前後だってことね?」
角野図書館の、すみっこの一角。普段ぼくらが入ることは絶対といっていいほどにない一番奥。分厚い横文字の本とかがいっぱいある、かび臭ささえ漂ってきそうな場所に、ぼくらは陣取っていた。
古い大きな木のテーブルと、イス。普段ぼくらが出入りする場所……児童図書とかある辺りと同じテーブルだけど、あそこのテーブルにある落書きと違って、なんか頭よさそうなアルファベットの落書きがあったりして、やっぱり違うんだなぁと思う。天井の照明とかも、棚が高いせいか少し薄暗く思えて、ほこりが舞っているのが目で見える。いつもの場所じゃなくて、わざわざこんな一番奥に来たのは、ここなら来る人が少ないからだ。現に今も、ぼくたち以外には誰もいない。
四人がけのテーブルの真ん中に、金色の鍵を置いて、ぼくとたけるとこーすけと久野は、頭を突き合わせて小声でぼそぼそしゃべりあっていた。
そう。あなた達の時間感覚で言えばそれが限度
キィは――びっくりしたことに、どうやら鍵のままでも言葉を交わすことは可能みたいだった。
というのも、あの後ぼくらが船のあった場所に戻ったときに話し始めたから判ったのだけれど。確かにキィは映像を消去する、と言っていただけだし、会話することが出来ないといったわけじゃなかったんだけど、ぼくらは思いっきりカン違いしていたもんだからけっこうビビッた。
――あの場所に、船はなかった。
ただ地面に、久野のジュニア星座早見表が転がっていただけで、他には何もなかったんだ。
キィはその光景を見たとたん、鍵のまま話しはじめた。
一時的にではあるが、あれは現れることがなくなるだろう
――ってね。
ぼくらは思わずその場でキィの話に耳を傾けそうになったのだけれど、その頃になって消防車の音とかが向かってきているのが判って、あわてて逃げたんだ。たぶん、キィが現れた結果の光を、誰かが事故か火事かと誤解して通報したんだろうけれど。
だからぼくらは朝九時にここ、角野図書館前で集合とだけ決めて、ばらばらに家に帰った。
で、今こうやって――主に久野が――キィを質問攻めにしているってわけだ。
久野の質問攻めによって判ったことが、いくつか。
あの〈船〉は確かにキィの本体が搭載されているはずのものだということ。あの小ささは、生体素材――とか何とか言ってたけど、それが何なのかはよく判んないのでスルーした――の一時的な機能縮小における副作用……とかで、本来はもっとでっかいんだ、ということ。
あの場所に〈船〉がなかったのは、〈船〉自体が自分で故障を直すために余計な負担がかからない宇宙空間へ移動したからだろう、ということ。
ということは、ようするにキィは宇宙人だってことだ。……まぁ、あれだけ色々見せられた後だし、ぼくらはあんまり驚かなかった。驚くタイミングを逃しちゃった、って言うのもあるけれどね。
キィの話によると、やっぱり地球は〈船〉にとってもキィにとっても多少の負担があるものなんだって。空気中の成分とか、重力とか、そういうものが普段(宇宙にいるとき)と違うから。だから、故障した〈船〉は宇宙へいってるらしい。
で、その〈船〉が空の上にいる間は、例のマフィアだか海賊だか、どろどろ〈コースケ〉だかはこっちに来ることがないらしい。だから、たぶん大丈夫だろうってこと。
それから、キィのこと。連続して姿を保っていられるのは、四十分前後。それを過ぎると、いったん充填のために少なくとも五時間は必要だということ。鍵は、外部投射映像を出すこともできる、キィの核みたいなものだってこと。あの海賊たちにやった魔法みたいなのは、あいつらだけに効くもので、地球上にかかわろうとする能力を、いったんぶち切っちゃうんだって。
それだけの話を聞き終えて、ぼくらはいっせいに大きくため息をついた。
「亜矢子、もうやめようや。そのうちオレ、頭から煙ふくで」
「たける、わけわかんない……」
こーすけとたけるが一番ぐったりしてテーブルに倒れ伏せている。ぼくもまぁ、似たようなもん。
久野だけが難しい顔でぶつぶつ呟いているけど、正直、ぼくはこれ以上聞きたくない。話、難しすぎるんだもん。まとめて聞くには脳みそが沸騰しすぎる。ゆっくり、ちょっとずつでいい。聞きたいのは、聞きたいけどさ。
久野はぱっとイスから立ち上がる。
「ねぇ、キィ。あなた、宇宙人なのよね?」
立ち上がりながら訊ねた久野の言葉に、鍵のままのキィは一瞬沈黙した。久野はどうやら、まだ続けるらしい。
地球外知性体をそう称するなら、そうなる。ただし、わたしは人ではないけれど
「判った、ちょっと待ってて」
そういって歩き出した久野に、こーすけがへろへろの声をかける。
「亜矢子ぉ、こーすけくんこれ以上続けられたら自然発火しちゃうー……」
「あとちょっと!」
こーすけの言葉はあっさり斬り捨てられた。ぼくらが三人で待っていると、しばらくして久野が大量に本を抱えて戻ってきた。
うげっとなってるぼくらをよそに、久野は鍵の横にそれを置いた。
『図解 宇宙の神秘』『知りたい科学 宇宙ってどうなっているの?』『UFO・UMAの謎を追え』『宇宙の惑星』などなど……
久野が持ってきた本の表紙は、うさんくさいのから真面目そうなのから色々だったけれど、どれもこれも共通してきれいな宇宙の写真が入っているものだった。
「ねぇ、キィ。あなたの搭載されていた船って、こういう宇宙空間にいたのよね?」
うん
キィの言葉に、久野は軽く頷いた。
「そして、あなたは船にいる。――ってことはよ。その船を作った誰かは、どこかの惑星にいるってことよね?」
久野の言葉に、ぼくとこーすけは顔を見合わせた。たけるはよく判らないみたいで、きょとんとしている。
「そっか、そうやんな! どっかの惑星に、船作ったやつらがおるわけや。いくらなんでも船が勝手に出来るわけでもないやろ。さっすが亜矢子ちゃーん、かっしこーいっ」
「……だから、黙れ? まぁ、どこかにその星があるんだと思う。たぶん太陽系以外だよね。さすがに、船の中で勝手に生命誕生はないだろうし、久野の言うので、あってると思うけど。――キィ?」
ぼくらは口々に言いあってから、本当はどうなのかをキィに訊ねるために呼びかけた。ところが、鍵は動きを見せないでじっとそこにあるだけだった。
しばらく待ってみても、何も反応しない。ぼくらは顔を見合わせて、目を瞬かせた。久野が、恐る恐るといったようにもう一度キィに呼びかけてみる。
「キィ?」
――返答可能
唐突に、キィは答えた。そのまま、どこか平坦な口調で続ける。
ただ……返答を拒否したい
その言葉に、ぼくらはビックリして目を丸くした。
「……答えたくないって、こと?」
うん
キィが、頷いた。ぼくらはますます訳が判らなくなって、顔を見合わせる。するとキィは、ぼくらの様子を察したように言葉をかけてきた。
申し訳ない
「い、いや。いいんだけど……」
ぼくはあわててパタパタ手を振った。
「キィ、言いたくないことなの?」
たけるが、鍵に向かって問い掛ける。キィはまたうん≠ニ頷いた。
こーすけは、ぽりぽりと頭をかいて、
「そっか。言いたないんやったら、しゃあないわな」
「……無理に聞き出すのも、あれだしね」
ぼくも、こーすけに同意した。久野も横で困った顔をしながらも同意している。
ただ……ちょっとだけ驚いたんだ。
キィは知ってることなら教えてくれるもんだと思ってたから。
でも、当然といえば当然だ。キィはキィで、ちゃんと感情も何もあるんだから、言いたくないことがあっても、当然のこと。どっちかというと、ビックリしたぼくらのほうがおかしい話だ。
「ごめん、キィ」
ううん
謝ったぼくに、キィがそう言って、少しだけ静かになる。
何か……ちょっとだけ、キィに悪い気持ち。ぼく、キィの感情とかそういうの、無視してたみたいだ。それは久野も同じように感じたらしく、またキィを質問攻めにしようとはしなかった。ちょっと複雑な顔で、黙り込んでいる。こーすけも考え込むように手で口を覆っているし、たけるも似たようなもんだ。
……どうかした?
キィが静かになったぼくらに、そう問いかけて来た。ぼくらは一瞬はっとして、自然と下を向いていた顔を上げる。四人で顔を見合わせて、苦笑いをした。
「なんでもないの。ごめんね、キィ」
久野は持ってきた本をかき集めた。ぼくらもイスから立ち上がる。鍵はぼくが持った。
「ほんじゃ、今日はこの後どないする?」
こーすけがそういいながら伸びをした。返却図書のカートに久野が本を戻すのを見てから、図書館の窓から外を見る。
真っ青な空と、白い雲が気持ちよさそうだ。太陽はそろそろ、一日で一番元気になる時間。
ぼくらは自然と答えは決まったぞと顔を見合わせて、にやっと笑った。もちろん、遊びに行こう、だ。
図書館から出るとすぐ、カンカンの真夏の太陽が腕や足や顔を焼く。汗がぶわっと吹きだした。これで、何するか決まった。
こーすけは青い空にぐっとこぶしを突き上げて叫んだ。
「じゃ、いったん家帰って昼ごはん食べたら、水着着てキリン公園集合ー! 海行くでー!」
『おー!』
こうして、ぼくらとキィとの夏休みは始まった。
地元民しかこない海岸の中でも、さらに人気の少ない海岸の端。もともとはぼくとこーすけの遊び場だったそこに、久野とたけるとキィを連れて行く。
満ち潮になるとその場所はなくなってしまうのだけれど、引き潮の今はちょうどいい具合に遠浅の海。ざんざん打ち寄せる白い波しぶきをけり上げながら、みんなで遊ぶ。
キィにも姿を現してもらってね。
いちご模様の水着を来た久野もメガネを取って、一緒に遊ぶ。ぼくとこーすけはゴーグルをつけて、どっちが長くもぐっていられるかの素もぐり競争をした。
「いっせーのー、せ!」
バシャン!
こーすけと同時に海にもぐる。きらきらした光の網が、頭の上、水面で太陽をおどらせている。
冷たい海水の中、息を止めていると、隣から肩をとんとんと叩かれる。
……?
振り返ってみて――ぼくは思いっきり息を吹きだしてしまった。
こーすけがブタ鼻に白目というすっげーアホ面をしていたんだ。
「ぶはっ……!」
ひろと、五秒三二。こーすけ、六秒五。こーすけの勝ち
酸素が一気になくなって、ごぼごぼっと白い息を吐き出しながら海面に顔を出したぼくに、キィが静かに告げてくる。こーすけはぼくより少し遅れて、海面に顔を出した。
潮っ辛い水を咳と一緒に吐き出しながら、隣に上がってきたこーすけに水中でケリをかましてやる。
「げほっ……てっめ、こーすけ! 反則だぞ!」
「ルールなんか決めてへんやん。オレなんもしてへんもーん」
へらへらっと笑うこーすけにつられるように、そばに立っていた久野と浮き輪で浮いていたたけるも笑ってる。けらけらと、大きな声で。
……なんだ。久野もこういう笑い方、出来るんだ。いつもつんけんして、やな奴だと思ってたけど。
「……どーかした?」
ぼくの視線に気付いた久野が、笑顔のままで聞いてくる。いつもの、メガネの奥からじゃない、何にも覆われてないそのままの茶色い瞳と、日に焼けてるくせに、ぼくらよりは白い顔で。
「……なんでもない」
水着姿の久野からあわてて視線を外す。と、隣に立っていたこーすけが、ぼくの耳にささやいてきた。
「いやん。ひろとくんたらえっちぃー」
「!」
がんっ! と反射的にこーすけの腹に全力でケリをお見舞いしていた。
「げはっ!?」
後ろにバシャンとしぶきを上げて倒れるこーすけに、久野とたけるが目を丸くする。
起き上がったこーすけは、それでもニヤニヤ笑いをやめようとしない。久野には聞こえないように、小さな声で言ってくる。
「おっぱい星人ー。こーふんして、ち――」
「死ね! いーからおまえは一回死ね!」
こーすけの頭をつかんで、海面に押し付けた。このやろう、一回死んで来い!
がぼごば水を吐き出しながらばちゃばちゃしているこーすけを見て、その頭を押し付けているぼくに久野があわてて止めてくる。
「ちょ、ちょっと片瀬、やりすぎやりすぎやりすぎ!」
う。
久野の冷たい手が、腕にさわってきて水がしたたった。一瞬こーすけの頭から手をはなした隙に、こーすけは顔を出して思いっきり息をすっていた。
「ひろとやりすぎや、ほんま死ぬやん!」
「るっさい! 自業自得だ、ボケ!」
水につかっているキィは相変わらず無表情に、ぼくらに聞いてきた。
一回死ね、とひろとは言ったが、あなたたち人間は二度生きることが可能な生命種なの?
『……』
あまりに素直なキィの言葉に、ぼくらは水でびしゃびしゃになりながら顔を見合わせて、一瞬言葉を失って。
それから、太陽に届くぐらい大きな声で笑った。
沿岸沿いの道のはずれに、大きなひまわり畑がある。鮮やかな黄色の、大きな花が太陽に向かって首を伸ばしている。
そのひまわり畑の中に入って、ぼくらはそれぞれスーパーウォーターガンをかまえていた。
「っていうか、ね。このチーム分けにはあたしはどうかと思うんだけど」
Tシャツとハーフパンツ姿の久野が、むすっとした表情でぼくらを見る。ぼくとこーすけは顔を見合わせて、肩をすくめた。
「亜矢子ちゃんわがままー。正当なグッパの結果なのに、こーすけくん、泣いちゃう!」
「ああ、こーすけうざい! だいたいグッパだからって、こーすけと片瀬がペアで、あたしとたけるくんがペアじゃ、どう考えたってあたしたちが負けるに決まってるじゃない!」
パー組み久野の主張に、パー組みたけるがきょとんと顔を上げた。二丁拳銃よろしく、両手にもっている水鉄砲を見せて、得意そうな声をあげる。
「たける、負けないよ? がんばるもん!」
「判ってる、でも無理!」
久野はあっさりたけるに言うと、ぼくらにグッパのやり直しを要求してくる。
「っていうかさ。それなら――」
ぼくはTシャツのえりから鍵を引っ張り出した。鍵にひもを通して、首から下げるようにしたんだ。
「キィ」
ぼくが呼びかけると、ひまわり畑は一瞬真っ白な光に覆われる。光と眩しさが青空に溶けたときには、真っ白な姿のキィがそこに立っていた。真夏の太陽の下でも、汗とかは一切かいてない。眩しいほど白い体は、太陽に反射しそうなくらいだ。
「ぼくとこーすけがペア。で、そっちは久野とたける、それからキィがチームでどう? 二対三」
わたしが亜矢子たちのチームに入ればいいの?
「そ」
久野はしぶしぶといった顔でオーケイして、自分のスーパーウォーターガンをキィに手渡した。久野自身は、たけるの水鉄砲をひとつ借りる。
真夏のひまわり畑での、水鉄砲合戦スタートだ。
青空がひまわりの間から覗く細いあぜ道を、こーすけとぼくは走り出す。
ひまわりを盾にして、スーパーウォーターガンを撃ちまくる。勢い良く飛び出した水が、久野に直撃して、久野が声を上げた。
「一点先取!」
「このっ!」
飛び出してきた久野が、水鉄砲を撃ちまくる。ぼくとこーすけはしゃがんだり、ひまわりを盾にしたりしてその攻撃をかわした。
「へっへー。あたりませんよー、ひ・さ・の・さーん」
「ムカツク! キィ、やっちゃって!」
了解
久野の言葉に、キィはひまわりの間から姿を出す。チャンス!
「ひろと、やっちまえ!」
「おう!」
こーすけに言われるまでもない。がしゃがしゃっとスーパーウォーターガンのポンプを動かして、キィに照準を合わせた。
ところが。
照準設定完了。誤差〇・二。許容範囲内。標的・ひろと。発射
バシュン!
キィの撃った水は、ぼくの顔面にきれいにぶちあたった。
「ぶっ!?」
「きゃーっ、キィ、すごい! も一発!」
第二派、発射
バシュン!
久野のうれしそうな声とともに、ぼくの顔面にまた水がぶちあたる。
「もっと!」
発射
ビシャン!
「もっと!」
発射
バシャン!
「キィ、ずっとやっちゃえー!」
――結局。
ぼくがキィからの一方的な攻撃から解放されたのは、たま切れならぬ、スーパーウォーターガンの水切れになったころだった。
このスーパーウォーターガン、ポンプにはかなりの量の水が入っているわけで。しかもスーパーとかつくもんだから、ポンプは二つついてるわけで。つまり、キィの攻撃がおわった時には、ぼくは全身びしょぬれだった。いやもう、きっぱりありえないほどに。
パンツもくつの中もびしょびしょで、むすっとした表情で立ちつくすぼくをみて、久野とたける、あろうことか同じチームのこーすけも爆笑していやがる。
「なんか……すっげぇ納得いかない……」
見ると、辺りのひまわりにもしぶきが飛んでいて、太陽に反射してきらきらしている。
こーすけがまだ笑いながら、ぴゅうっとスーパーウォーターガンの水を飛ばした。太陽に反射して、虹が見える。
任務終了。ゲーム・セット。わたしたちのチームの勝利
虹の中で、淡々とした口調でそうつげたキィは、涼しい顔だ。もうそりゃ、あたりまえですよってな顔で。
ぼくは思いっきり肺に空気をためて、大声で叫んだ。
「反則だああー!」