第五章『〈マザー〉』


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 ――ひとつとなることを。

 あの映像の人たちが言っていた呪文みたいな声が聞こえた気がした。それは、このことだったんだ。十二人は消えてなくなって、だけど〈マザー〉となって、ひとつになった。
 それは……それは、どんな気持ちなんだろう?
 ぼくはふとそんなことを思って、となりのこーすけを見た。久野を見た。たけるを見た。
 ぼくらは別々だ。別々の人間だ。だから、好きとか嫌いとか、考えるんだと思う。ぼく自身が、もしいなくなって、こーすけや久野、たけると溶けあったとしたら――?
 ぞくっと、背中が寒くなった。
 判らない。判らないけれど、でも――怖く、思った。
 だって、それはぼくはいなくなるって事だ。こーすけも久野も、たけるも、消えてなくなるって事だ。それは、死ぬことと一体、どれくらいの違いがあるというんだろう?
 でも、あのひとたちはそれを選んだんだ。
「どうして……十二人はそれを選んだの?」
 ぼくはキィを見つめて問い掛けた。キィは静かにぼくを見返してきた。
 角野の太陽が、キィを照らしている。
そうすることが、その惑星の最後の術だったから。それが『母なる計画』だったから
「母なる計画って、一体何なの?」
 続けざまの質問を、キィは静かに受け止めてくれた。
この計画の目的は、ひとつ。〈船〉はひとつの『種子』を抱えていたの
「種子?」
凍結された知的生命種の種子。それを解凍して、生き延びることが出来る環境の惑星を見つけることが『母なる計画』の最終目的
 その言葉に、ぼくらは息を呑み込んだ。
「この〈船〉の中に……その生命種の種子が、あるの?」
そう。そのためにこの〈船〉は永久に等しい時間、宇宙を彷徨いながら航海した。知的生命種が存在する惑星を探して。いくつもの銀河を渡った。いくつかの惑星が〈マザー〉の目にとまった。気の遠くなるほど長い時間の果てにいくつか、候補となる星を見つけたの
 キィはそういって、白い壁を――〈マザー〉をみた。
そして〈マザー〉はその度に、新しいプログラムを生み出した。それが〈チルドレン〉
「……キィたち、だね?」
そう。わたしたちが、その〈チルドレン〉。〈チルドレン〉はここから出ることが出来ない〈マザー〉の代わりにその惑星を調査するための端末だった。〈チルドレン〉は外的要素を持たない。その惑星に降り立ってから初めて、外的要素が必要なら組み上げることが出来る特殊プログラム。だから、ひとつの惑星を調査すれば、そこで消える存在
「あの海賊も、そうなのね?」
 久野の問いかけに、キィは静かな顔で言う。
そう。あの〈チルドレン〉は、プログラム優先順位をたがえすぎたために、消滅したけれど
 それから、ふと言葉を切って、ぼくたちの顔を順番に見た。
そもそも〈チルドレン〉は知性も感情も何もない、ただの調査端末にすぎなかった
「キィはそうじゃない」
 反射的にもらしたぼくの言葉に、キィは少しだけ目を細めるだけだった。答えないで、話を続ける。
いくつもの惑星を調査した。だけど、生命種が技術を有していないところもあったし、環境が適合しない場合もあった。そうしているうちに、ひとつの異変が起きた。〈チルドレン・プログラム〉にバグが生じたの
 キィはそういって、そっと自分の胸に手を当てた。
それが、わたし
 キィの漏らした言葉は、白い空間に冷たく響いた。

それは恐らく〈マザー〉も、最後の十二人も想像していなかったことだろうけれど……ただの調査端末プログラムに過ぎなかった〈チルドレン〉が自我を持ってしまったの
 何も言えないでいたぼくたちを見つめて、それからキィは自分の手のなかの鍵を見つめた。
どういう経緯で、それが起きたのかは解明できていない。ただ……そのバグは、今後〈マザー・プログラム〉にどんな影響を及ぼすか判らない。バグを放っておけば、他のバグに繋がる恐れもある。綻び始めれば、全ては一瞬にして途絶えてしまう恐れがあるものだから
 白い手の中で、金色の鍵は静かに握り締められていた。
自我をもってしまった〈チルドレン・プログラム〉は――わたしは、怖くなったの。目覚めて初めに感じたものは、それだった。途方もないほどの恐怖だった。だから、わたしは逃げた。この鍵とともに。落ちた先がこの惑星――地球だった
 そして、ぼくらと出逢ったんだ――
「鍵は……その鍵は、何やねん……?」
 まゆげを寄せたこーすけに、キィは握り締めていた鍵をそっと外した。白い手のひらの中にある鍵を見下ろしている。
〈マザー〉のバックアップデータ――そして『種子』を保存している場所の、鍵。つまり、『母なる計画』の最重要の鍵
 金色の鍵は、無機質に輝いていた。
それが、この鍵

 永久にも等しい時間、遠い遠い、昔。ここではないどこかの銀河の、どこかの惑星。そこにいた、人間ではない誰か。惑星の最後の十二人。
 彼らがたくした、最後の鍵。
 ぼくらが砂場で見つけた鍵は、文字通り――彼らにとっては、鍵だったんだ。
 たぶん――希望の、最後の鍵。
 何を言えばいいのか判らなくて、ぼくはただキィを見上げた。キィは白い瞳を少しだけ細めた。笑ってるわけじゃないけれど、どこかやさしいそんな表情でぼくを見た。それから、そっとぼくの手のひらに鍵を乗せてくる。
「……」
 静かに、ぼくはその鍵を握った。
 手の中で返ってくる感触は、もう慣れたものだ。夏休み中、ぼくの首元で揺れていた鍵の感触。
 ぼくは唇をなめて、もう一度キィを見上げた。
「地球は――『母なる計画』に、あう星だった?」
 答えたのはキィじゃなかった。
検証中
 静かに響いた〈マザー〉の声に、ぼくは振り向くことはなかった。心の中でぐらぐらしている、よく判らない何かを抑えるのだけで精一杯だった。
いままで見かけた知的生命種が存在する惑星の中では、きわめてかの星に似通っている。光星との距離、重力、惑星の規模、空気中の成分や水――無論全てが希望範疇ではないが、修復可能範囲内だと推測。また、知的生命種が一定レベルの技術を保有していることも候補としてあげるのに有力
「人間が技術を持っていたほうがいいの?」
種子を解凍する程度の技術はあったほうがいい
 淡々とした〈マザー〉に、ぼくはぎゅっとこぶしを握って立ち上がった。振りかえる。
 静かな緑色の光を、ぼくは思いっきり睨みあげた。悔しいけど――そうすることしか、出来ないから。
「だったら――いいじゃんか、もう。バグが起きようがなんだろうが、関係ないだろ。その計画が終わったんだったら、別にわざわざバグを修復してどうのなんて、いらないじゃんか! この惑星で決定なら、何よりだ。ここで〈マザー〉が壊れたって問題ないだろ。だったら、キィを消すなんてことしなくていいじゃん。種子とやらを解凍して、生き延びればそれで計画オッケーなんだろ! だったら、それでいいじゃん! キィを消す必要なんてないだろ!」
ひろと
 知らないうちにひっくり返った声で叫んでいたぼくに、キィがそっと呟いてきた。
〈マザー〉が消えれば、わたしも消える。わたしは〈マザー〉あってのものだから。そもそも〈チルドレン〉はある意味で〈マザー〉そのものだから
「だったら、このままで問題ないだろ!」
ひろと
 キィは――まるで小さい子に言い聞かせるみたいに、そっとぼくの肩に手を置いた。ぼくを覗き込んでくるキィの白い姿が、ゆらゆらして見える。
『母なる計画』の最終目的は、あたらしいあの星を生み出すこと。言い換えれば、地球をあの星に変えてしまうということ
 白くうすい唇。
 キィの瞳を見つづけることが出来なくて、ぼくは唇だけを見ていた。かすんで見える唇が、静かに言葉を紡ぐ。
『母なる計画』の最終候補としてこの星が決定すれば、地球は地球じゃなくなるということ。あなたたちの地球を――〈マザー〉の持ちこんだ『種子』が支配するということ
 言っている意味が、判らなかった。ただ、限界に来て頬をすべった雫が恥ずかしくて、ぼくは乱暴に手の甲でこすった。みんなに見られたくない。
 キィは少しだけ困ったようにぼくの頬に手を伸ばした。まるで、なぐさめるみたいに。
そうなれば、あなたたちは非常に有力な実験体になる。この惑星にどのように適応しているのか――そういう情報のね。もしそうなれば、あなたたちですら、もう、あなたたちでなくなる
 ぼくが、ぼくでなくなる?
 ――あの、最後の十二人が〈マザー〉となったように?
わたしはそんなのは、耐えられない。あなたたちには、あなたたちとして、この星で――この町で、笑っていて欲しい
 キィはそっと囁いて、ぼくの手の中から鍵を取り出すと、ゆっくり背を向けた。
 止められなかった。頭の中で、キィの言葉がぐるぐるまわっていた。
〈マザー〉
 緑色の文字は、応えない。
この星は『母なる計画』の最終候補地とするには幾つかの問題点を抱えています。まだ『母なる計画』は終わるべきではない。そのためにあなたは消えてはならない。わたしは――〈チルドレン・プログラム〉のバグは修復に反対いたしません
 キィのその言葉に、緑色の文字は一瞬鮮やかに輝いて――
判った
 小さく〈マザー〉が頷いた瞬間、キィの白い姿は一瞬にして消え失せた。


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