第七章『ともだち』


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『種子』を海へ流す――
 それが、キィの告げた賭けの正体だった。
海はその惑星の大いなる母だから――あの惑星の生命体である『種子』も、年月はかかるだろうけれど、地球に則した存在に変化を遂げる可能性があるの
 防波堤を降りて、砂を踏みしめる。
 太陽はいつのまにか落ちて、残り火のような赤い光が紫や紺とグラデーションカラーの空をつくっている。
 その中で、キィは静かに微笑んでいた。
そして『種子』は〈マザー〉そのものでもある。上手くいけば、だけれど。わたしは『種子』と融合して地球に則した存在へ遂げられる可能性がある
 それは、あくまで可能性がある、ってだけで――その可能性はやっぱり限りなく、低いってキィはいった。
 融合できない場合もある。そもそも『種子』が変化できずに死滅する場合もある。どっちも上手くいったとして、そのときにキィ自身が残っているかどうかは判らない。
 やっぱり、分が悪い賭けだ。
 だけど、ゼロじゃない限りやってみなきゃはじまらない。
 今このまま何もしないでキィが消えるのを待っていたら、また逢える確率は本当にゼロになるんだから。
 ゴールは遠い。でも、打ってみなきゃ、入る確率だってない。
 バスケと一緒だ。
「……キィ、またね、だね」
 たけるが、必死に笑いながらそう言った。ばいばいじゃなくて、またね、って。ちびのくせに、カッコいいまねをする。いつもバタバタしている手が、ぎゅっと握られているのが強がっている証拠だ。
 キィが笑って頷いた。
うん。またね、たける
 久野が、触れられないのを判っていながら、そっとキィを抱きしめた。キィも、同じように触れられないまま、抱きしめ返した。
「キィに逢えて、良かった」
わたしも、亜矢子達に逢えて良かった
 こーすけが、口元ににやりとしたいつもの笑みを浮かべていた。だけど、よく見れば眉毛がぴくぴくしているのが判る。それが、こーすけの必死さのあらわれだって気付ける。
「何年たってもええから、絶対逢いに来いや。オレらジジイになってるかも知れんけど、ずっと待ってるから」
うん。必ず――必ず、ね
 ぼくは鍵を握り締めてから、キィと向き直った。
 ――笑おう。
「キィ、これはどうしようか? 一緒に流したほうがいい?」
それはもう、本来の機能を果たさないただの鍵になったから――あなたが持っていて、ひろと
 キィが静かに微笑んだ。
 砂場で見つけた鍵は、ぼくらに宇宙からのともだちを呼んで来てくれたんだ。
いつかまた、逢えるように――お守り、ね
「お守りか」
 くすっとぼくは笑った。お守り。キィの口から出て来る言葉としては、なんだか不思議に思える。
「判った。お守りだね。大切にするよ」
うん
 ぼくはそっと右手を差し出した。触れられない、だけど確かな握手をキィと交わす。
「またね、キィ。ずっと――ずっと、ともだちだからね」
うん
 キィの白い笑顔は、さざなみの中で柔らかく映えた。
またね。わたしの、永遠の、ともだち
 そして、キィの姿は消えて――
 銀色の『種子』は赤く染まった大海原へと、波に流されていった。

 それが、キィとのさよならだった。

 ざざん……
 ざんっ……
 すっかり暗くなった砂浜で、ぼくらは何も言わずにただじっと海を見つめて座っていた。
 細い月が空にかかっている。波が時折月明かりに反射した。
 星が、溢れそうなほどに輝いていた。
「……星って」
 ふいに、久野が小さく呟いた。
「あたしたちが見ている星の明かりって、本当は何万年も昔の光なんだよね」
「うん」
 理科の授業で習ったことがある。ぼくとこーすけの間に座っていた久野は、ぼんやり空を眺めていた。
「もしかしたら、だけど」
 きらきら光る星が、哀しいくらいきれいに見えた。
「――今見てるこの星のどれかが、キィの言っていた星なのかも、知れないね」
 最後の十二人のいた惑星だ。
 それはたぶん、途方もなく低い確率の話。だけど、ぼくらはキィと出逢って、ともだちになれた。
 そう考えたら、別に不思議じゃない。今見ているこの星のどれかが、その惑星の可能性だって、もちろんあるんだ。
 惑星が滅亡する前の、姿かもしれない。
 夏の第三角形を見上げて、ぼくは頷いた。
「そうだね」
 久野の手に、そっとぼくの手を重ねた。反対側の手は、たけると繋がっている。久野の反対の手は、もしかしたらこーすけと繋がってるかもしれない。
 久野は、ぼくらのことをどう思ってるんだろう?
 ふとそんな考えがよぎったけれど――でも、いまはやめた。
 こーすけだって、きっと同じ風に思ってる。
 久野のことは、とりあえずおあずけだ。これからどうなるかは、誰にも判らない。
 またキィと逢える日が来るとして、その時にぼくらはどうなってるだろう?
 判らないけれど――
 だからこそきっと、楽しいんだ。
 遠いいつかに向かって投げた、シュート。
 キィと逢えるというゴールが決まったとき、ぼくらはどうなっているんだろう。
 夏の第三角形も、何も言わずに輝いていた。
 ――ねぇ、キィ。
 いつかまた、絶対、逢えるよね。
 遠い場所からきたともだちに、心の中で呼びかける。

 こうして、ぼくらの夏休みは終わりを告げた。


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