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どうして花穂が死を選んだのか。それを知ることはもう出来ない。
ただ、僕は思うのだ。
花穂は本当に、圭一を愛していたのではないだろうか、と。子供の恋愛ごっこと、人は嘲笑うかもしれない。けれど、確かに僕らはあの日、あの夏、愛し合っていた。時を止めてしまう程に、自らでさえを壊してしまう程に、愛し合っていた。それが、圭一からの一方的な愛だったとは思えない。僕は確かに花穂を愛していた。けれど、それと同じだけは、花穂も僕のことを――圭一のことを――愛していたのではないだろうか。
愛していたから、圭一の望みを叶えたのではないだろうか。
永遠という、死を選択したのではないだろうか。
答えはもう、判らない。永遠に消えない霧の向こうに隠れてしまったから。それでもこの考えが馬鹿げた妄想だとも、思えなかった。
僕は花穂を愛していた。
圭一も花穂を愛していた。
花穂も深く、愛してくれていた。
それが答えで、充分だと、思った。
◆
夏が終わろうとしている頃には、もう夏白雪の花はない。
じいちゃん家で二週間を過ごし、僕が東京へ帰る日がやってきた。
来る時には涼やかだった風も、もう夏の色を濃く携えていて汗ばむほどだ。それでも風の心地良さは、東京の灰色の風とは比べ物にならない。
「じゃあ、気をつけてな。誠一」
「うん。じゃあね、じいちゃん」
さよなら、と言いかけて、僕は門にかけた手を止めた。
「あ。ねえじいちゃん」
振り返る。
青々としたクローバーの葉が、風に揺れているのを視界の隅に収めながら。
「これ、本当に貰っちゃっていいの?」
首から提げた動かない懐中時計を示して見せると、じいちゃんは笑顔のまま頷いた。
「ああ。じいちゃんにはもう、必要ないからな」
「そっか。うん、じゃあ大切にするね」
懐中時計を大切にぶら下げて、僕は頷いた。
「じゃあね、じいちゃん。さようなら」
じいちゃんに手を振って、門を抜けて歩き出す。
時間の止まっていたあの家を出て、歩き出す。
緑豊かな地は、夏の光にとてもきらきらと映えていて、青空の中に浮かぶ雲は楽しそうに寝そべって見えた。
バス停までの道のりを、僕はゆっくりと歩く。
古い田舎の、土の匂いが満ちる穏やかな道。
太陽が音を立てそうなほどに、暑い日だった。
道端に咲くクローバーの中に、僕はこの夏最後の夏白雪を見つけて足を止めた。
白い、ぼんぼりのようなあどけない花。
もうすぐきっと、この白い花は溶けるように枯れるのだろう。雪が夏には溶けて消えるように。
だけどまだ、綺麗に、誇らしげに咲いて、天に首を伸ばしている。
まだ消えないと主張するように。まだ溶けないと主張するように。愛らしい丸い花を、空へと高く掲げている。
その姿は、なんだかとても愛しかった。
「圭ちゃん」
花穂の声がした。
夏白雪の咲くところに花穂がいることを、僕はよく知っている。
だって花穂は永遠を選んだから。夏白雪が咲く限り、僕が君を愛し続けている限り、花穂はすぐ傍にいる。永遠に、居続ける。
「大丈夫だよ、花穂」
僕は微笑んで、左手の薬指に軽く唇を落とした。
花穂のくれた、夏白雪の指輪に。
風が満足そうに笑って過ぎていく。それが花穂の心だと、僕は知っている。
大丈夫だよ、花穂。僕はいなくなるわけじゃない。少しだけ、この土地を離れるだけだ。
だって僕は、君を愛している。
夏白雪が、さらさらと揺れた。
花穂が、楽しそうにそれを見つめている。
僕は花穂に微笑みかけて、それからゆっくりと歩き出した。
心配しないで、花穂。僕は必ず戻ってくる。何故なら、君と約束したからね。ずっと一緒にいると、約束したから。
だから。
風が静かに、僕をからかう様に過ぎて行った。
もう一度、君を迎えに来るよ、花穂。
そう、この季節に。
君の大好きな――
この、夏白雪の咲く頃に。
――了