第一章:Encounter is full of a trap――出逢いの罠


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 ――死んでもらう。
 あまりといえばあまりの言葉に、沈黙がおちた。ややあって、脳内にじんわりとその言葉が染み込んでくる。
「――死んでもらう、ねぇ」
 隣にいたアンジェラが、ショールを正しながら軽い口調で言った。
「おあいにくだけれど、そう言われて『はい判りました』って死ねるほど、甘い人生送ってきてはいないの。私たち」
 ちらりと視線をやると、アンジェラの紫色の双眸は、挑むように少年を見据えていた。腕を組み、続けている。
「それにしても、いきなりよね? 本命さんのご登場はもう少し後でもよかったんじゃないの? ねぇ、ダリードくん?」
 からかうような口調。しかし言われた当のダリード本人は何の感情も表してはいなかった。ただ、澄んだその目でこちらを見つめてきている。
「……あんたが、ダリードね。この間はあんなチンピラ送りつけてくれてどうも。それで?」
 エリスもアンジェラに続いて口を割った。しかし、言葉に手ごたえがないというのは――どうにも気味が悪く思える。
「一体何のつもりなの? 出来ればあんたがあたし達を狙う理由、懇切丁寧にお教えいただきたいのですけどね?」
 例によって例のごとく、相手をなめた言い回しをしてみる。
 視界の端で、広場にいた子供や女性、露天商たちが逃げていくのを確認した。そう――はやく逃げて。危険の警鐘が胸を騒がせている。ほんのりと湿った手のひらを、ズボンでぬぐった。汗をかいている。剣を握りなおし、柄の傷を探して人差し指が動く。――触れた。もう一度しっかりと、握る。
 そんな一連の動作を見届けたかのようなタイミングで、少年は薄く唇を割った。鋭利な声。
「……俺は命令に従うだけだ」
 少年は腰に手を回し、剣を引き抜いた。あまり見慣れない形の片刃の剣。それを掲げ――まるで素振りでもするかのように振り下ろした。
 次の瞬間だった。
 轟音とともに、辺りの空気が一気に熱くなった。ぢり、とエリスの肌が痛む。とっさに閉じたにもかかわらず、まぶたの裏には赤い色がちらついた。
「っ……!」
 アンジェラが押し殺した悲鳴を上げている。慌ててまぶたを押し上げ、アンジェラの姿を確認する。無事だ。
 だが――広場のほうはそうもいかなかったらしい。
 エリスたちの少し先、ダリードと二人の間の地面。整備もされていない土剥き出しの地面。それでも人々に踏み固められ、ある程度は見られるようになっていたはずのそれが、ぐつぐつと――まるで沸騰でもしたかのように赤く煮えていた。
「……! 魔法……!」
 さすがに今度は判った。呪文もなしに、こんな芸当――そうそうできるはずもない。
「やだ……また!? エリス、どうするの! こんな村の中じゃどうしようもないわ!」
 アンジェラが甲高い声をあげた。確かにそのとおりだ。こんな村の中では、アンジェラの法技も、エリスの剣も、思うように使えない。
(どうするっつったって……!)
「やめろ! ダリード!」
 一瞬パニックに陥りかけた意識に、鋭い声が割り込んできた。
 反射的にそちらに目をやる。隣で同じように振り返ったアンジェラが、ひっと息を呑むのがわかった。おそらくは、自分も同じように引きつった表情を浮かべているのだろう。
 広場の入り口から、露店の間を拭って走り寄って来た人物が二人、いた。
 長い黒髪を持った、黄色人種の男。金髪碧眼の白人男。
「……ドゥール、ゲイル!」
 アンジェラが悲鳴を漏らした。
 昨日の二人だ。あの森の中、襲ってきた二人。アンジェラの魔法がなければ、逃げられなかったかもしれない、あの二人が走り寄って来る。
 エリス自身も、血の気がひいていくのを自覚した。冗談じゃない――そんな言葉が、ぐるぐると脳内を回った。冗談じゃない。
(三人まとめてなんて――勝てるわけないじゃん!)
 慌ててアンジェラを引き寄せる。どうしようもない。けれどどうにかしなくては話にもならない。三人ともから距離を取り、アンジェラの細い腕がしっかりと左手の中にあるのを確認して、細く息を吐いた。
(大丈夫。まだ、ここにいるなら、守ってやれる)
 どんな手を使ってでも。内心でそうつけたし、剣を構えた。
「……お前らか」
 そんな状況にもかかわらず、相変わらず起伏のない声がした。ダリードだ。彼はすでにこちらには興味が失せたといわんばかりに、ドゥールとゲイル、二人を見据えていた。その様子に、確信を抱く。知りあいだ。
「……何故だ。何故未だにラボにつく」
(……え?)
 聞き慣れない単語に、エリスは思わず眉根を寄せた。意味が判らない。
 ダリードのその言葉に、エリスは一度アンジェラと目を合わせた。アンジェラも、疑問だけをその瞳に宿している。
「そう……だね」
 ふいに、自嘲的な声がした。苦笑とも取れるような響きを持った、そんな声。声の主は――ゲイルだ。僅かに目を伏せて、笑みを浮かべている。
「おれにも判らない。ただ……度胸がないだけ、かもしれないけれどね」
 ゲイルの隣にいるドゥールの気配が、僅かに揺らいだ。よく判らない何かが、この三人のあいだにはあるらしい。
 と――ふいに、左腕を引っ張られる。アンジェラだ。
 そっと視線をやると、アンジェラが小さく腕を動かした。今のうちに退けばいい――という合図。
 そうだ。理屈はよく判らないが、ともかく今この三人の意識の中に、自分たちは入っていないらしい。この機を逃すことはない。小さく頷き、じりっと後退し始める。
 一歩――二歩、ゆっくりと。距離をとり、背を向ける。一気に走り始めようとして――
「逃げられると思っているのか?」
 冷徹な声。瞬間氷水をかけられたかのように全身が総毛だった。
 ずん、と背中に鈍い衝撃。と同時に、アンジェラの悲鳴が再び上がった。
 そして、顔面に再び衝撃。
 とっさにアンジェラと繋がっていた左手をきつく握ろうとして――気づく。アンジェラの腕は、そこにない。
 いつのまにか離してしまったらしい。内臓が痛むような恐怖があった。背中の痛みはそれの前には霧散してしまう。
 痛みの正体――は、後ろから何らかの攻撃を受けたらしい。弾き飛ばされて、地面に接吻していた。湿った土が唇にくっついて気持ち悪かったが、そんなことはどうでもよかった。あごをすったこと――? それも、どうでもいい。重要なのは今、この手の中に幼なじみの腕がない、それだけだ。
 痛みをごまかし、無理やり起き上がって目を走らせる。
「……アンジェラ!」
 喉の奥でひしゃげた悲鳴。
 居た。
 ほんの少し、エリスよりも左前方にアンジェラが倒れていた。小さな体を縮こまらせて地面に横たわっている。目立った外傷はないようだが、痛みが酷いらしく、動かない。
「アンジェラ!」
 慌てて走り出す。
 ダリード? ドゥール? ゲイル? 知った事ではない。
 とにかく、アンジェラを何とかしないといけない。そう思った。
 しかし――
「……炎よ」

 紅。

 静かな声とともに、一線、赤い炎が伸びた。ダリードだ。
 一直線に走ったそれは、アンジェラに向かい――
(……間に合わない!?)
 腕を伸ばす。だが、ほんの数瞬、炎がアンジェラに届くほうが早いように思えた。

 紅が、迫る。
 アンジェラの紫色の双眸が見開かれる。
 紅が、迫る。迫る。迫る――親友に。

「――アンジェラッ……!!」
 声になったのか、ならなかったのか。それはもう、自分でも判らなかった。
 数瞬の、永遠。
「危ないッ!」
(……え?)
 引きつった声。思わずエリスは自分の喉を抑えていた。その言葉を発するのは、この場においてエリス自身しかいないはずだったからだ。だが、違う。声は男性のものだった。
 目を見張る。
 アンジェラの小さな体を、包み込む人物がいた。――ゲイルだ。
(ゲ、イル――?)
 視界に飛び込んでくる映像が、理解の範疇を超えていた。思わず足が止まる。
 ゲイルはアンジェラの体を包み込み、伸びてくる炎に向かって左手を下ろした。手刀のように。
 そして――それだけであっさりと、炎は掻き消える。
「……いっ、やあ!」
 再度、アンジェラの声。停止しかけていた脳がまた急速に回転をはじめた。エリスは慌てて走り出す。
 アンジェラは、ゲイルの腕の中でもがいていた。当然だろう――自分を狙ってきた人物の腕の中にいる。それはどれほどの恐怖か。しかし、事実が別にある。今ゲイルは――アンジェラを、助けた。
 ようやっとアンジェラの元へ辿り着き、エリスはゲイルからアンジェラを奪い返した。
 理屈も状況も判らない。だが、アンジェラの傍にいるべきなのはこいつではない。自分だ。そう思った。
 左手で、しっかりとアンジェラの体を抱きとめる。柔らかい感触と、アンジェラのつけている甘いコロンの香り。アンジェラがすがりついてくる。
「……エリ、ス」
「平気。大丈夫だから」
 囁く。エリスはゆるりと距離をとり、ゲイルを睨みあげた。
「……どういうことなのか、説明してくれる?」
「――見たままだ」
 困ったような表情を浮かべているゲイルではなく、その隣にいたドゥールが告げてくる。
「物事においての優先事項の問題だ。――今はおまえ達を狙っているのではない。ダリードを止めるのが最優先だ」
 本当に――理解の範疇を超えている。そう思った。すでに頭の中にあふれている情報が、処理しきれない。意味が判らない。
 アンジェラの体をきつく抱きしめる。とにかく、この手の中にある感覚だけは本物だ。
 少年――ダリードが、小さく息を吐いた。
「……茶番には、付き合えない」
 右手を掲げ、今度は呪文を唱えた。アンジェラがとっさに反応したのだろう――唱えさすまいと動く。が、それよりも早く、呪文は完成してしまったようだ。
 ずんっと、沈み込むような気配。地面が揺れた。半ば以上反射的に膝を緩め、衝撃に備える。アンジェラが、震える手で握り締めてきた。
「……おまえ達には、今はこれで充分だ」
 その言葉を最後に、ダリードの姿がぶれた。そして、何もなかったかのように、背後に広場のベンチがたたずんでいる。
「……え?」

 ――消えた。

 そうとしか思えないし、そうでないならなんなのか、エリスには説明する知識もなかった。消えた。そこにいたのに、いない。
 消えたのだ。
 そして――先ほどダリードが熱した地面から、何かがでてきた。

 燃え上がる泥人形というものがいたら、ようするにこんなものなのだろう。
 幼児が泥粘土を適当にこねくり回して、ついでに二、三本、余計に手足や角やらをくっつけた人形。それに油でも塗りたくって炎をつければ、できあがり、だ。最も――人間サイズで、ここまで醜悪なものは幼児には作れないだろうが。
「……どうする?」
 淡白な声がした。ドゥールが、静かに腕を組んでいる。
 つめていた息とともに、エリスは尋ねた。
「……どうするって、何が」
「選択肢があるってことだよ」
 場違いとも思えるのんきな声はゲイルだった。いや、顔はわりとまじめなのだが、声の響きが何処となく間が抜けて聞こえる。
「選択肢? 馬鹿にしているの?」
 腕の中のアンジェラが泥人形を見据えたまま、小さく声をあげた。
「いち。泥人形をぶっ倒す。いち。消えたダリードくんをどーにかしてぶっ倒す。いち。あんたたちをぶっ倒す。いち。とりあえず全部ぶっ倒す」
(うわぁ)
 あいも変わらず、アンジェラの思考回路は単純だった。エリスの張り詰めた表情に苦笑が宿る。
「あ。なるほど」
「納得するなゲイル。――言っておくが。おまえ達にあれは倒せない」
 ぴくり、とまゆが跳ね上がるのを自覚した。ドゥールに向き直る。
「――どういう意味?」
「泥だからな。所詮。斬ったところで致命傷は与えられないだろう。それに、その前に炎がある。剣が歪むのと、剣があいつに届くのと、どっちが早いだろうな?」
 ドゥールの冷めた黒瞳に、睨みつけるような自分の姿が映っている。鼻をくすぐる焦げたいやな臭いを追い払うように吐息を突く。そんなの、やってみないと判らない。
 と、先ほどまで縮こまっていたアンジェラが、エリスの腕から離れて数歩前に歩み出た。泥人形と対峙して、腕まくり――袖はないのだが、まぁそれに似た動作――をする。そのまま、ドゥールのほうには向かないまま言った。
「ちょーっとお兄さん? そのおめめは何処を見ていらっしゃるのかしら? 私を除外しないでくれる?」
「……アンジェラ・ライジネス。おまえの得意法技は土と炎。――同系列の法技で何処までできるつもりだ?」
「……くそむかつくわ」
 アンジェラが似合わないスラングを吐き捨てた。事実らしい。――情報は握られている、ということか。
「……さっきの選択肢に、ひとつ追加してみるのはどうかな」
 ゲイルが、言ってくる。
「おれたちが、あれを倒してやるよ」


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