第二章:Rebellion of Spirit――精霊の反乱


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 さて、どこからつっこむべきか。
 内心浮かんだ言葉はそれだった。それを脳裏で反芻してから、また漏れそうになった溜息を飲み込み、代わりにエリスは唇を開いた。
「……なんて?」
 まぶたが半分落ちかけて、少し薄暗い視界の中で問う。
「あ?」
「名前。何だって?」
 さらりと言ってくれたが、訛りと聞き慣れない響きのせいでよく判らなかったのだ。男はそれを察したのだろう、苦笑の色を深くして、ゆっくりともう一度名乗った。
「――エゼキエル・アハシェロス。エゼキエル――愛称はジーク。そっちのが呼びやすいか?」
「エゼェッ……」
 反復しようとして、力いっぱい舌を噛んでしまった。血の味が滲むほどではないが、ひりひりと痛む舌を口内で転がし、エリスは素直に頷くことにした。
「……大丈夫かい、エリスちゃん?」
「へーき。……ジークって呼ぶ……」
 心配そうに目を瞬いているゲイルに軽く手を振って、エリスはもう一度その男――ジークを見上げた。首が痛むのは無視することにする。
「……ものすんごい聞き慣れない名前なんだけど。どこの人?」
「さあね。男には秘密がイロイロあるもんなのさ、お嬢ちゃん。大人になれば判るさ」
「判りたくないし。――まぁいいや。じゃあ、別の質問。神官っていったわよね? 何の神様に仕えてるわけ?」
 その問いにも、ジークはにやりと太い笑みを浮かべただけだった。答える気はないらしい。アンジェラと顔を見合わせて、肩をすくめる。怪しいというか胡散臭いというか――どうにもつかめないやつだ。
 どちらにせよ、ルナ神教ではないだろう――ルナ神教では、神官は禁酒を命じられているはずである。そんな事を適当に思い出しながら、エリスは再度問いかけの言葉を発した。
「……じゃ、最後の質問。この街の暑さの原因を、貴方が知っているって聞いたんだけど。教えてくれる?」
 その言葉に、ジークの目が見開かれた。ややあって、大雑把な苦笑いを浮かべ、
「ああ。婆さんから聞いて来たのか」
「そう」
「あの婆さんも諦めないねぇ」
「そりゃ、そうでしょう」
 アンジェラが呆れた口調で口をはさむ。悠然と腕を組み、告げる。
「地区長さんでしょう? 当然、理由は知りたいでしょうし、それをするのが地区長としての義務よ。聞き出す権利は持ち合わせているわ。貴方も、それに答える必要性があると私は思う。この地区にいる限りはね。そうでしょう?」
「……や、やけに頭のまわるガキだな」
「誰がガキよ!」
 間髪入れずに叫び返すアンジェラに、ジークはけらけらと大声で笑った。と、言うより――アンジェラを子供扱いするほうが間違っているのだ。エリスは少なくともそう思う。確かに年は十三だが、受けてきた教育と個人のもつ性格のせいで、この辺りの頭と口のまわりの良さは半端じゃない。エリス自身、アンジェラと喧嘩をしてその口のまわりに勝てた覚えがない。
「まぁ、お前さんの言う通りだ。はいはい。判りました。話させて頂きますよ。――が」
「が、なによ」
 アンジェラの拗ねたような目に、ジークはぴっと右手を上げて制した。
(あれ……?)
 その動作に僅かな違和感を覚え、エリスはもう一度ジークを足元から見上げた。黒い飾りのない靴。それだけはまぁある程度神官らしい、白いコートのような服。襟元からは深い紫の服と、木彫りの、手作りらしい十字架のネックレスが覗いている。足と同様、長い手は白いコートの袖口から伸びており――ふと、気づく。右手の、今上げているその手のほうだけ、黒いグローブをはめている。左手は、何もないのだが。
(変なの。どっかの国で流行ってんのかなぁ)
 違和感の正体はそれだったらしい。まぁ、人の趣味にとやかく口を出すつもりもなく、エリスはその考えを追い払った。そうする間に、ジークは悪戯げな笑みを浮かべていた。
 そして、そのワイン色の瞳で一度こちらを見て、低い声で告げてくる。
「――口で言うより、判りやすい方法がある。夜だ。夜になってから、もう一度来い。そうしたら、判るさ」
「……夜?」
「ああ」
 頷くジークに、エリスは背後を振り返った。ゲイルもドゥールも、よく判らないという顔をしている。
 ゲイルが、ぽりぽりと頭をかきながら、言葉を発する。
「……どうして、夜なんだい? 今からじゃ判らないのか?」
「そいつは、夜になってからのお楽しみだ。じゃあ、待ってるからな」
 そう言ったジークの目は、嘘をついている様子もなかった。そのことが、さらに理由を判らなくさせている。ドゥールがそれを察したのだろう、小さな嘆息と共に頷いた。
「……いいだろう」
「よっしゃはい決定。――お嬢ちゃんたちは風呂に入って来いよー。お兄さんが遊んでやるからなー」
(うわぁ)
「……お風呂?」
「さいってー! 駄目よ駄目、プレシアさん! 近づいちゃ駄目!」
 プレシアがきょとんとした声をあげ、アンジェラが非難の声をあげる。その様子にげらげらと豪快にジークが笑い――エリスは胸元のペンダントを弄りながら、さらに深く溜息をついた。
 時を待たないことには、どうしようもないらしい。


「原因は、聞いてこれたかい?」
 メルクーリの第一声に、アンジェラが力いっぱい顔を左右に振った。隣に座っているせいで、髪があたる。唇を突き出したまま、アンジェラが答える。
「夜に来いって言われただけで。訳がわかりません。メルクーリさん、貴方なら、無理やり聞き出すことは可能でしょう?」
「まぁ、不可能ではないがな。そう言ったところで、本当のところが判るわけでもないだろうし、無理強いは意味がないのだよ」
「……でもむかつくもんー!」
 いつものとおり拗ね始めたアンジェラを適当に制して、エリスは背を正した。
 一般の家に比べれば、広いリビング。その中にある、やはりかなり大きいテーブルに、全員がついている。エリスの左右にアンジェラとドゥール。ドゥールの前にはゲイルが、アンジェラの前にはプレシアがそれぞれ座っており、エリスはちょうどメルクーリと向かい合わせの格好だった。
 そのメルクーリは、温和な表情に苦笑の色を滲ませた。
「――それで、なんだが。頼みたいことが、あるんじゃよ」
「頼みたいこと、ですか?」
「ああ」
 なんとなく、想像はついた。だが、確信が持てなかったため、エリスはメルクーリの言葉を繰り返した。メルクーリはゆっくりと一度頷き、窓の外を見やる。眩しい太陽光が、カーテンの向こうで揺れている。暑い、季節はずれとも言える太陽が。
「――この街はおかしい。急なんじゃ。こんなに暑くなったのは」
 メルクーリのその言葉には、深い疲労が感じられた。エリスは思わずアンジェラと視線を交わしあう。
 彼女の言葉は無論だろう。年がら年中暑い街など存在しえない。比較的温暖な土地とはいえ、ルナ大陸西部にも四季はあるのだから。
「この街は、元々はこんなではなかった。漁を中心とした静かな街だったのだよ。まぁ、海流と風の関係で、温暖な気候ではあった。だが――この時期にこの暑さは、尋常じゃない」
 尋常じゃない――意図してではないのだろうが、メルクーリのその言葉はアンジェラが初めに口にしたそれと同じだった。エリスの隣で、苦笑が漏れている。
 彼女は、それに気づかなかったのだろう、そのままの口調で続けた。
「――無茶な願いじゃとは思う。お嬢さんがた。この暑さの原因を調べてはくれないか? いや……もし、可能なら。元に戻しては、くれないか?」
「おねがいします」
 そうかぶせて言って来たのは、プレシアだ。金色の髪を揺らしながら、どこか哀しげな瞳でこちらを見つめてきている。
「……無茶だと思う。出来るかどうかは判んない。でも。このままじゃ、お魚とれないし、街として機能しなくなる。作物だって、危ない。おばあちゃんみたいに病気になる人も増えてきているの。だから……」
 気候の妙は、ただそれだけでは終わらない、ということらしい。やはりというか、生活面でも支障が出るのだろう。プレシアの声音は、それを充分に想像させた。居た堪れないような、そんな気持ちにすらなる。
 メルクーリが、そっとプレシアの頭をなでた。柔らかな癖毛を丁寧になでつけながら、いとおしそうな目でプレシアを見つめ――唇の端に、ほんの少し苦笑の皺を刻んだ。
「……あの酒場の、男な。冒険者らしいよ。頼んだんじゃ、同じことを。そうしたら、こう言いなすった。一人では、無理だと。――人数が、必要だと。無論、依頼料なら、出す」
「それはつまり――あの男と手を組んで、この街を救えたら救う、ってこと、ですか?」
 テーブルの下にあった手を上にあげ、組み合わせる。やや欠けた爪をなぞりながら、エリスはメルクーリの言っている内容を要約して告げた。重たげに頷くメルクーリに、肺に溜まった息を吐き出す。
 よほど、切羽詰っているのだろう――そう思う。養女の兄とその知り合いとはいえ、こんな子供に仕事の依頼をするとは。元々たいして観光となるものがあるわけでもなく、冒険者という存在が寄り付きにくい土地柄なのかもしれない。だから、エリスたちに頼まざるをえなかったのだろう。
「どうするの、エリス?」
 問い掛けてくるアンジェラに、軽く苦笑だけ見せる。どちらにせよ、この辺りで仕事のひとつでもしないと、路銀の問題もある。まだ蓄えがあるとはいえ、金は使えばなくなるのだから。
 エリスは組んだ手はそのままに、アンジェラの反対、隣に座るドゥールにちらりと視線を投げた。が、こちらは相変わらず無反応だったので、仕方なしにゲイルのほうに視線を投じる。ゲイルは、またこちらもいつものような苦笑で応えてきた。
「……おれたちは、かまいません。プレシアが世話になっている恩もありますから。ただ……エリスちゃんたちは、関係がないので」
「無理強いはせんよ。さっきも言った通り、無理強いに意味はない」
 メルクーリが、ゲイルの言葉に小さく頷いた。アンジェラが、袖を引っ張ってくる。どうするの、と再度問い掛けてきているのだ。アンジェラは、こちらに従うつもりらしい。
(……どうするべきか、な)
 路銀の問題は確かにある。が、今すぐにどうというわけでもない。何にしろ、ひとつ所に留まるには、街が大きすぎるという問題もある。ダリードがやってきた場合、被害が大きくなりかねない。だが、逆にダリードがいつやってくるかは、これもまた完全にあちらしだいだ。そうなると、仕事は出来ないだろうし――つまりは、これもまた路銀の問題になってくる。
(――とまぁ。理屈はあるにせよ……)
 エリスはふっと苦笑を浮かべた。お人好し、とアンジェラにたまに言われることがあるが、こう実感する羽目になるとは思わなかった。
 だが、感情は感情だ。
 組んでいた指を解き、前髪をかきあげ、エリスは告げた。
「――放っておけない、かな」
「賛成ね」
 アンジェラが隣で小さく笑った。こちらの答えをすでに予測していたのだろう。――『見た』のかもしれないが、どちらにせよ判りきっていたようだ。
 だが、ゲイルが戸惑ったように口を割った。
「い、いいのかい?」
「別に構わないよ。言った通り、目的は当初からないし。路銀稼げるうちに稼いどかなきゃ、後がいろいろ問題でしょ。ただ……」
 ふと、口を噤む。ダリードのことを言おうと思ったのだが――思い出したのだ。
 プレシア。メルクーリの隣で、こちらを真っ直ぐに見つめてきている金髪の少女。
 彼女は、ゲイルたちの家族だといった。そして、ダリードも、そうだ。つまりはプレシア当人にとっても、ダリードは家族なのだろう。
 ――家族が、そういう行動をとっていたとしたら、彼女はどう思う?
 視線をテーブルの小さな傷に滑らせてから、だが黙っていることも出来ないと判断して、エリスは顔を上げた。言うしかない。
 プレシアの青い目と、視線が交わる。
 その瞬間――彼女は、ふいに瞳を揺らがせた。薄く、唇を開き――
「……ダリードくんが、どうかしたの?」
(え……?)
 目を見開いてしまった。反射的に口に出してしまったのかと、思わず手のひらで唇を抑える。
「え、エリス。あんた、言ってないわよね、ダリードくんのこと?」
「……言ってない、よね」
 アンジェラが聞いていないということは、言わなかったはずだ。だが、それなら何故、プレシアは――?
「あっ……ご、ごめんなさい! その、聴こえちゃって……」
 慌てたようにプレシアが頭を下げた。ぴょこりと金色の髪が動くのを見て、エリスは混乱しながらゲイルとドゥールに視線を合わせる。ゲイルは苦笑と共に肩をすくめ、
「……能力、だよ」
「能力?」
「……うん。あの。……魔女だから」
 プレシアがおずおずと頷いた。驚きに息を呑みながらも、内心、やはり――とそんな言葉も浮かんでいた。どことなく、そんな予感はあった。
 アンジェラもそうだったのだろう、軽く笑みを浮かべ、
「やっぱりね。プレシアさんもそうだったんだ」
「……も?」
「私も魔女よ。珍しいことにお仲間ね。私の能力は、時間。貴女は?」
 アンジェラの笑顔に促されたのだろう、プレシアもつられるように笑顔を見せて告げてくる。
「……テレパシー、かな。人の心の声がね、聴こえるの。これくらいの距離だと、結構聴こえちゃうから、いつもは聴かないようにしてるんだけど。でも、心配そうな声とかは、耳に残っちゃうから。ごめんなさい」
「ううん、仕方ないわよね。私も、見たくないのに見ちゃうときあるし。――っと、先見の能力のほうね」
「……さすが。ビバ」
 ぱちぱちと何故か拍手をするプレシアに、ドゥールがほうと嘆息を漏らしたのを、エリスは聞き逃さなかった。ダリードのことを言うのは、やはり躊躇いがあるらしい。
 偶然とはいえ、プレシアの気をそらすことが出来て一安心、といったところか。
(……どうなってるんだか)
 この『家族』は、深入りすればするほど謎が多そうだった。
 メルクーリの依頼を受けることを、もう一度確認しあいながら、エリスはまた胸中で苦笑を漏らした。


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