第四章:The cave of a white dragon――白竜の住処


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「エリス。私、ここヤだ」
 いつものことながら、アンジェラの言葉はどこまでも端的だった。
 ぐったりと肩を落とし、隣に立つアンジェラを見やる。
 自らの腕で体を抱くようにし、彼女はいやいやと首を振っていた。
「アンジェラ……」
「いやー、いーやーぁ! 帰る! ていうか、ここヤ! 違うところ行く!」
 広場の真ん中で首をぱたぱたと振るその少女を、何人かの通行人が何事かというように視線を投げてきていた。
 エリスは若干頬が赤くなるのを自覚しつつ、額を抑えてうめいた。
「またわがまま言う……」
「だってめちゃくちゃ寒いわよ!?」
 噛み付くようにアンジェラが叫んだ。
 エリスはその言葉を半ば以上右から左に聞き流し、目の前の光景に目を滑らせていた。
 グレイージュ公国、首都シュタンバルツ。
 街門をくぐるとすぐ、目の前に広がっていたのは扇形に広がる広場だった。
 プローシャッチ・エリカ(聖母エリカの広場)――というどうにも舌を噛みそうになってしまう名前のその広場は、艶やかな色煉瓦の地面で、青や黄色、白といった色彩鮮やかな建物に囲まれて広がっていた。
 セイドゥールのように、落ち着いた色合いではなく、賑やかさが先に立つ街並み。建物は半円のような飾りをつけた尖塔がのびていたり、金色の模様がつけられていたりと、セイドゥールで生まれ育ったエリスにとっては、驚きに値するものばかりだった。派手だな、とは思ったがそれは誉め言葉になる美しさでもあった。
 プローシャッチ・エリカの中央には、いつか本で見たのと同じ大きな噴水がある。風が強すぎるため水は出ていないが、噴水の真ん中には、雄雄しく前足を上げる翼持つ馬に乗った、英雄の石像があった。本を読むエリスには馴染み深い、戯曲家グナールベリの作品『エレンブルク』に出てくる不死の英雄だ。
 戯曲家グナールベリはこの国出身の名高い作家で、いくつもの作品を世に残している。エレンブルクはその中でもグレイージュ国民に人気が高いと言う。当然といえば当然だろう――不死の英雄エレンブルクは、今もこの国を守りつづけている、と物語には綴られているのだから。
 その噴水の中にいくつかコインが見えた。水場を見るとコインを投げ入れたくなるのは、何もセイドゥールの人間だけとは限らないらしい――セイドゥール・シティの噴水にも、必ずコインが落ちていた――願いが叶うとか、そういういわれもないのだが。もしかしたら、不死の英雄エレンブルクにあやかって、健康祈願の意味合いもあるのかもしれない。
 そのプローシャッチ・エリカ――余談だが、その名はエレンブルクを産んだ聖母かららしい――からは放射線状に道が伸びている。街門から正面に伸びる大きな通りは遠く見える宮殿に続いているらしい。
 プローシャッチ・エリカの周りには聖堂――これもまた派手で、おおよそ一見しただけでは聖堂というよりサーカスか何かの建物かとも思ってしまったが――や、図書館が立ち並んでいる。観光地になっているからだろう、観光案内所まである。
 当然、さまざまな人もいた。シティ・ガードに、掃除のボランティア。かくれんぼをしているらしい子供たち。アクセサリー売りの露天商や、花売りの娘もいる。人形劇やら、英雄伝を語る吟遊詩人も当然のようにいて、その中にひとつ、大きな人垣が出来ていた。
 それらをぼんやりと眺めているうちに、隣のアンジェラが騒ぐ声が聞こえてくる。
「寒いわよ、寒すぎ! 噴水の水出してないのって、寒いからじゃないの!? っていうか、冗談じゃないわよ! 凍ってない、あのエレンブルク! 鼻! ちょっとかなりカッコ悪いわよ!?」
「うーるーさーいーなぁ、お嬢ちゃんはぁ」
 うめいたのは、ジークだった。相手にすればするだけ疲れるということを、彼はまだ知らないのだ。ご愁傷様、と内心でエリスは呟いた。
 横目でちらりと見ると、アンジェラの頭を、グローブに包まれた巨大な手が引っつかんでいる。ジークはアンジェラの頭をわしづかみにしながら、
「いいかぁ、アンジェラのお嬢ちゃんよ。こぉの、物知り大神官エゼキエルさまが教えてやらぁ。ここグレイージュはだなぁ、まぁず、ルナ大陸北部。んでもって、高地にある。この二つの条件から、寒いんだよ。ついでにいやぁ、冬精霊が多――」
 と、ジークが妙なところで区切った。なんなんだろう、とおもって見やると、暫く沈黙した後、彼は大げさにくしゃみをした。盛大につばが飛ぶ。
「……にしても寒すぎるわな」
 ぽつり、とジーク。エリスはこっそりとため息をついた。同じような吐息がもうひとつ――ドゥールだ。彼のその吐息は僅かに白く、空に溶ける。基本的に寒さやら暑さといったものに耐性があるエリスも、軽く肩を振るわせた。
「……何が起きているんだろうねぇ」
 ゲイルののんびりとした緊迫感のない呟きが聞こえてくる。ジェリア・シティではあれだったというのに、家族が関わっていないとこれらしい。都合のいい男だ、と思わずにもいられない。だがまぁ、実際そんなものだろう。
 かじかんだ手で、胸元のペンダントを握りながらエリスは思った。
 あの日から、もうずいぶん経ったような気がする。毎夜満ちていく月を憎々しげに思いながらも、その月のおかげで、実際にはそれほど日にちが経っているわけでもないことが知れた。
 それにしても――と、エリスは呟いた。
「寒いよね」
「だからさっきからそう言っているでしょうエリスちゃん? 人の話聞いていなかったのかしら?」
 嫌味な口調で言ってくるアンジェラに、一度視線を合わせてから空を仰ぐ。
 空は、青い。だが、暦でいえば春真っ盛りだというのに少々冬の色が強い気もした。この間と全く逆だな、と思いながら呟きを続ける。
「聞いてたけど」
「けど?」
「聞き流してた」
「余計ダメだし!」
 すぱん、と隣からアンジェラにはたかれる。彼女はそのままその場で地団駄を踏み、
「さーむーいー! 寒い寒い! 無駄にさむーい!」
「アンジェラちゃん、薄着だしねぇ」
「この間まではよかったのだろうけれどな」
「外野うるさいー!」
 あくまでも淡々と会話を交わしているゲイルとドゥールに、アンジェラが甲高く叫んだ。そのまま、はぁと息をつく。
「何よ。何なのよ。この間は暑すぎて、今度は寒すぎるわけ? なぁに、まぁた精霊の暴走? いいかげんにしてよう、エリス何とかしなさいよ!」
「そんな無茶な……」
「私ができるっていったら、できるの」
 きっぱりと言い切ったアンジェラに、エリスは無言で首を振った。こうなったら、暫くは喚き続けてうるさいだけなので、放っておくしか手段はない。
「まぁ、アンジェラのお嬢ちゃんの推測はあながち外れてもいねぇはずさ」
 ふと顔を上げると、ジークが自らの上着を脱ぎアンジェラの肩にかけているところだった。
 身長差のせいで、ジークの上着はアンジェラのコートのように見える。白い上着を脱いだジークは、唯一の神官らしいところをなくした為か、ごろつきのようにさえ見えたが。
 彼はそのまま、相変わらずの酷い訛りのまま続けた。
「ルナ大陸全土における異常現象の一例として、真っ先にあげられがちなのが異常気象、魔物の大量発生、それから精霊の暴走だな。三番目のこいつは、度がすぎると法技が使えなくなるってんで魔導師どもが騒いでるよ。――で、だ」
 ジークは一度体を震わせてから、歩き出した。
「ここ聖霊公国グレイージュは、そもそもその名前の由来が精霊――超自然的存在を崇めているからってんだ。ルナ大陸で唯一、精霊信仰を国教にしているわけさ。つまり、それだけ精霊が多い。ようするに、影響を受けやすい。――精霊が暴走したら、まぁ、すぐ判るわけだな」
「……じゃあ、ホントに精霊の暴走?」
 多少うんざりした顔で、ジークの上着を着たままのアンジェラが問い掛ける。エリスもジークの後を追うように歩きながら、同意するように首を縦に振った。ジークは一度振り返ってきてから、
「まぁ、それだけとも限らんが。可能性は高い。――で、もうひとつの可能性が、精霊のその上が暴走してるってことか」
「その上?」
 よく判らずに聞き返すと、ジークは背中で答えてきた。
「お前さんが会いたがってる主さ。お嬢ちゃん」
 言われて、それが白竜だと判る。
「白竜……が、精霊の上?」
「何だ、そんなことも知らないのか?」
 軽い口調で言ってきた彼に、むっと顔をしかめる。その様子を察したのだろう、苦笑を含んだ声でゲイルが割り込んでくる。
「竜――四竜は、それぞれ自然四大元素を司る最上位の存在なんだ。火地風水――赤竜が火に、黒竜が地に、蒼竜が水に、そして白竜が風に、それぞれあてはまる。ここに、あの――ええっと、あの女の子が言った通り白竜が居るんだとしたら、実際影響はすごく出るだろうしね」
「じゃあ、その、白竜の影響ってわけ? この寒さは」
 訊ねると、ゲイルは困ったような顔で首をかしげた。
「さあね。なんとも言えないよ。今は推測の段階だから。――だから」
 彼はふと口をつぐんだ。もしかしたら、こちらの顔を見たのかもしれない。自覚はある。エリス自身、自分が今酷く真剣な顔をしているだろうことは判っていた。ひとつ頷いて、
「まずは、情報を集めなきゃ。あの子、なんて名前だったっけ? 情報を教えてくれた女の子」
「ミユナでしょ。会えたらいいけど、まぁそうもいかないでしょうね。ともかく、情報を集めましょう。まずはそこからね」
 言ってから、アンジェラは当然のようにこちらの手を握ってきた。小さく笑みさえ浮かべて、告げてくる。
「無茶はナシよ、エリス。また怪我したら、私、本気で怒るから」
 それが、肩と手の怪我のことを指しているのだとすぐに判り、エリスは苦笑いを浮かべるしか出来なかった。怪我自体は、数度にわけてジークに癒してもらったが、気分の問題なのか、動くとまだ若干痛む気がした。
「さて。んじゃ、まずは適当に図書館辺りからでも探すかい?」
 ジークがそう言って、あの派手な建物へと足を向けたときだった。
 ふいに、柔らかな音色が聞こえてきた。
 暖かい管楽器の音色だ。プローシャッチ・エリカに、小さな、それでいて思わず聞き惚れずにいられないような音が広がる。音のした方角に目を向けると、先ほど視界に入っていた、あの人垣のところだった。
 色素の薄い民族形態なのは、グレイージュの特色のひとつでもあった。銀や、淡い金色の髪を持つ老若男女の足が、その場で止まっている。
 エリスたちも、我知らず足を止めその音色の広がる元へ目を向けていた。
 ふと気がつくと、隣のアンジェラが高揚した頬で、小さく歌を口ずさんでいた。耳に優しいリズムのその歌は、アンジェラの好きなそれだったと思い出す。
 人垣の向こう、その音色を奏でている主を見ようと僅かに背伸びをした。街の派手さとは正逆に位置するかのように、落ち着いた静かな色をもつ人々の向こう、やはり同じように色素の薄い頭が見えた。
 少女だった。遠めなので顔までははっきりとは判らないが、年の頃ならゲイルたちと同じくらいだろう。目をふせ、手のひらサイズの管楽器に唇をつけている。
 純白のドレス・コートに身を包んだ、雪の精霊のような少女。その少女が、柔らかな音を広げている。
 そして――しばらくして、ふっとその音楽が終わった。プローシャッチ・エリカのあちこちから、感嘆のざわめきがあがる。
 目を伏せていたその少女は顔を上げ――
 一瞬、エリスはその少女と目があったような気がした。
 だが、続く瞬間には、その少女の姿は人垣の中に埋もれて消えてしまった。


 図書館でほぼ一日本を漁り、得られた情報の少なさにエリスはただ嘆息を漏らすしか出来なかった。
 実際、白竜伝説はあるようだ。
 いくつもの書物が面白おかしく誇張して書いてくれていた。だが、自分が望んでいるのはそういったものではなく、あくまで情報なのだ。と、淘汰すると手元にほとんど書物がなくなってしまう。
 そんな状態だったものだから、宿に入ってから全員で得られた情報を整理したところで、ほとんどものにはならなかった。
 それでも――
 実際、エリスにしたらその行動はどうしようもなくありがたかった。
 元々、四竜に逢えと言ったのはあの女神なのだ。エリス自身、女神に従うつもりは毛頭ない。ドゥールも無論そのはずだ。彼が熱心なルナ神教徒であれば別だが、会話をしている限りそうとも思えない。
 つまりは、他のメンバーにはこの行動自体が無意味なのだ。ジークは今のところ、ただついていくとしか言わず、様子見のようだが、それにしたって付き合ってくれる義理もないはずなのに。
 あの晩のことを、エリスはかいつまんでだが話した。個々それぞれがどう思ったかは知らない。無用心な、と思っているかもしれない。あるいは酔狂なと思われているかもしれない。けれども、誰も一言も何も言わなかった。それがエリスには、ありがたかった。
 迷惑をかけているとは思う。
 だが、今自分に出来うる最善のことは、これしかなかった。
 それでも、情報はまだ、たりない。


 ――翌朝。
 情報のあまりの少なさに落胆する間もなく、エリスたちは次は聞き込みでもしてまわろうかと宿を出た。
 昨日見たのと同じ――当然なのだが――派手な街並み。やはり風は冷たく、春風とはいえない状態だった。
「エリス・マグナータ様でしょうか」
「へ?」
 ぼんやりとそんなことを考えていたエリスは、ふいに横手から聞こえた声に間の抜けた声で応じていた。
 宿の出口のすぐ横に、金とも銀ともつかない淡い色の髪をまとめた青年が立っていた。年の頃ならば、二十歳を越えて二、三度誕生日を迎えた、というところだろう。今頭上に広がっている空と同じ、アイス・ブルーの瞳が鮮やかだ。だが、それ以外に特徴らしき特徴もない。――顔だけを見るならば。
 青年は、かっちりとした正装で身を包んでおり、どうひいき目にみても、一般の民とは一線を違える雰囲気を放っていた。
 彼の胸元の紋章に目を留めて、エリスは軽く目を見開いた。
 円形の、葉と雫と蔦を象った紋様。
(グ……グレイージュ公室の紋様……?)
 隣にいたアンジェラも気づいたらしい。こちらの袖口を引っ張ってくる。その様子を見ていたドゥールが、ぽつりと口をひらく。
「どういうことだ?」
「知らない知らない」
 エリスは慌てて首を振った。公族だの王族だの貴族だの、には実際のところあまり近寄りたくはないのだ。知っているはずもない。可能性があるとしたら、マグナータ家かライジネス家の関与だが――そもそも、グレイージュとセイドゥールは国家自体あまり仲が良くないので考えられない。そもそも、末端貴族のマグナータ家と男爵位のライジネス家が、他国の公族――と、いうよりもこの国の事情でほぼ王族と同じ扱いだが――と関わり合いがあるはずもない。
 だが、こちらの混乱はよそに、その青年は右手を左胸に添え、穏やかな口調で告げた。
「お初にお目にかかります。私はグレイージュ公室に仕える者で、名をアペルと申します」
「は、はぁ……」
「急なことで申し訳ありません。少々お時間いただけないでしょうか」
「どういったご用件でしょうか?」
 アンジェラが、軽く腕を組みなおしながら口を開いた。――ちなみに、すでにジークの上着をほとんど自分のものとして着込んでいる。
 アペルは一度頷いてから、
「宮殿に来て頂ければお判りになられるかと思われます」
「きゅ……」
 エリスは思わず絶句していた。宮殿――シュタンバルツ宮殿だ。このグレイージュ公国では、公室の城を宮殿と呼び、他の貴族の城と区別をつけている。
 そんなところに、呼ばれる覚えがあるはずがない。
 ゲイルが、相変わらずぼんやりとした口調で訊いてくる。
「何かしたのかい、エリスちゃん?」
「しないし。……あんたいったいどう言う目であたしを見てんの?」
「え? あ、ごめん。アンジェラちゃんのほうかな」
「あとできっちりお話しましょうね、ゲイル?」
 にっこりと微笑むアンジェラをよそに、アペルは相変わらず事務的な口調で続けてきた。
「いかがでしょうか。ご同行、願えますか? この後のご予定がございましたか?」
「ええっと――ええ。多少ですが、調べものがありまして、そのことで」
「白竜、でしょうか」
「え……?」
 さらり、と滑り出たアペルの言葉に、エリスは目を開いた。アペルは一度苦笑のような表情を浮かべ、
「失礼かとは思いましたが、市街図書館の閲覧署名にも目を通させていただきましたので……。エリス様方は、現在白竜の情報を欲していらっしゃる。違いありませんか?」
「……ええ。その通りです」
「でしたら」
 間髪いれず、アペルは口を開いた。
「なおさらのこと、宮殿へいらしてくださいませ。シュタンバルツ宮殿内の図書室を、ご覧頂くことが出来ます」
「それは……何故」
「公室のあるお方のご指示で、です」
 その言葉に、さすがにきな臭さを覚えなかったといえば嘘になる。だがそれ以上に、その提案は魅力的だった。情報は、欲しい。
 エリスはさっと他のメンバーに目を滑らせた。肩をすくめるジーク、ただ微笑しているゲイル、相変わらずの無表情で佇んでいるドゥール。そして、僅かに挑戦的な笑みを浮かべているアンジェラ。
 エリスは軽く頷いてから、アペルに向かって口を開いた。
「判りました。同行いたします」


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