第四章:The cave of a white dragon――白竜の住処


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「この街に入ったとき、お前ら最初になんて思った?」
 部屋についてすぐ、開口一番のミユナの台詞に、エリスは思わず目をぱちくりとさせた。
 部屋は、落ち着いた色彩で佇んでいる。部屋だけではない。城内全てが、街そのものと比べると、あるいは城の外側と比べると、かなり落ち着いた色合いだった。ミユナに訊いたところ、ここの公族の『方針』があり、民の上に立つものは、派手過ぎてはならない、だそうだ。
 突き詰めれば、質素な暮らしをし、民の負担を減らそう、とのことなのかもしれない。セイドゥールや他の国に比べると、相当庶民のことに気を配る国だ。
 とは言え、さすがに――ありていに言ってしまえば、ありえない程度の広さを持つその部屋に、ゲイルなどはしきりに喚いていたが。曰く、『ラボの俺たちが行き来できる場所が、下手したらそのままはいるよ!』。――まぁ、実際には言うほどでもないのだろうが。
 その部屋の、大きなソファに悠然と腰をかけたまま、さらりと銀糸の髪を滑らせ、ミユナが再度口をひらく。癖なのかなんなのか、ヒールのつま先で、深い赤色のカーペットをとんとん、と叩いている。
「どう思った?」
「どうって……」
 問われて、何か答えなければならないと首を回す。
「……ああ、グレイージュに来たんだなぁって……」
「そうじゃねぇよ」
 あっさりとこちらの言葉を遮ると、ミユナは小さなため息を漏らした。部屋にある暖炉で、ぱちぱちと赤い炎が燃えている。それを視界に入れてから、彼女はゆっくりと顔を窓の向こうに向けた。おもちゃのような街並みが、遠く広がっているのが見える。しゃら、と鈴の音のような声が漏れる。
「気候のことだ」
「めちゃくちゃ馬鹿みたいに寒い」
 即答したのは、暖炉の前に陣取っていたアンジェラだった。夏生まれなので寒がりなのだ、とは彼女の弁だが、ならこの間の暑い暑いの連呼は何だったのだと問いたくもなってくる。
 ちなみに、冬生まれのエリスは、寒かろうと暑かろうとさほど表に出ない。無論人並みに、暑いな、寒いな、と感じはするのだが、それを口に出したところで信じてもらえない。――アンジェラが言うには、平然とした顔でそれを言われても、うそ臭いそうだ。元々顔にでないたちなのだから、仕方ないのだが。
 ずっ、とタイミング良く鼻をすする音を出したのはジークだった。アンジェラがぎっと睨む。
「きったないわね! おやじっ!」
「おっ……!?」
 彼女の暴言に、さすがにジークが言葉をのんだ。――それなりにショックらしい。
「だーあーもー。喧嘩はあとでやってくれ頼むから。場所用意するから」
「……用意するんだ」
「するよ。ついでに観覧用に暖かい紅茶でも用意して楽しむさ。そうじゃなくて」
 ミユナはいったん言葉を切ると、
「アンジェラの言う通りなんだよ。――阿呆みたいに寒い。いや、寒かった、か。多少落ち着いたほうだしな」
「これで?」
「そ。これで、だ」
 そこで、ふっと彼女は苦笑を漏らした。暖炉のすぐ脇に立っているドゥールと、暖炉の前に座り込んでいるアンジェラを順繰りに見て、視線をこちら側――エリス、ゲイル、ジークとミユナの正面に座っている三人に戻す。
「お前らと会ったとき、なんであたしがあんな場所にいたと思う?」
「気まぐれでしょ?」
 あっさりと言ってくるアンジェラには視線を向けず、苦笑を浮かべたまま続ける。
「いくらなんでも一国の姫が、気まぐれで他国のあんな辺境に行くかよ。――調査だよ、調査。こっちの気候が妙なことになっていたっていうのは、姉さんから連絡受けて知っててね。で、あの街が似た状況に陥っているって聞いて、それで理由を調べればこっちにも流用できるんじゃないかって考えたのさ。考えたとおりだった」
「精霊?」
 こくり、とミユナが首を縦に振った。
「偶然にもジェリア・シティの近くにいたからな。それで、精霊の暴走が原因だと、鎮めるには――その原因を聞いてやればいいと判った。で、慌てて戻ってきて、冬の精霊……フローテってやつなんだけど、そいつに会いに行った。だから、まだマシなんだ。あたしが戻ってなかったら、未だにこの国は寒すぎる冬のままだった、ってわけさ。といっても、多少気を落ち着かせることが出来ただけで、完璧とはいえないんだけど」
 言い終えると、ミユナはふぅと息を吐いた。銀青色の目を僅かに落とし、まつげの影がほおにうかぶ。
(……あれ?)
 ふいに、エリスは違和感を覚えた。いまのミユナの言葉に、何かしら――何、とははっきり判らないが、何かしら違和感があった。しかしそれが何か、は良く判らなかった。目の前のその少女を見つめ、軽く首を傾げてみるが答えはでそうになかい。
「それにしても」
 いままで沈黙を保っていたドゥールが、ふいに言葉をきった。皆の視線がそちらに集まる。
「セイドゥールでは魔物の異常発生。ジェリアでは、気温上昇。で、グレイージュは逆に気温の低下。――お前らは知らないだろうが、俺たちの出身、フォルム国のブルージュ・シティでは、雨が異常に続いている。一体何が起きている?」
「え。そんなにあちこちなのぅ?」
 アンジェラが嫌そうな声を、隣に立つドゥールに投げた。ミユナがぴっ、とアンジェラを指した。
「そう。あちこち、だ。ルナ大陸中のあちこちで、おかしなことが起きている」
 いったん言葉を切ってから、彼女は物書き机に移動した。いくつか紙を取り出し、それをソファの前のローテーブルに広げた。
「今現在、あたしが聞いた範囲内のルナ大陸の異常現象がここにメモされてる。こっちが、確認済み。こっちが未確認情報。噂だな。――それでも、この量だ。信じられるか?」
 広げられた紙をつまみ、眺める。ゲイルが覗き込んできながら、読み上げた。
「ストレイツァ。フマーネン。ラポルシェル。フォルム。シーランド。セイドゥール。グレイージュ……ほとんどルナ大陸中の国じゃないか」
「そう言っただろ」
 嘆息とともに、ミユナが声をあげる。大げさに手を広げ、
「はっきり言ってやるよ。狂い始めている。この大陸がな」
「またえらい唐突だな、姫さんよ。え?」
 ジークがにやにやと笑う。
「ったりまえだろ。唐突にこの状況下に放り込まれているんだからな。おかげで国家単位の会議があちこちで行われているよ」
 その言葉に、エリスは思わずアンジェラを振り返った。アンジェラの顔にありありと苦笑いが浮かんでいる。――二人の親も、それに出席していたことを思い出したのだ。
(今は……関係ないけどさ)
「それで」
 ミユナの声は、ずれかけた意識を戻すのに役立った。もう一度正面の彼女を見据えなおす。
「当然、姉さんも出席している。けどな、もともと体が丈夫じゃないから……最近体調が芳しくないんだよ。無理がたたっているのは明らかで」
 ミユナの目が、小さく揺れた。
「――で。お前らが逢いたがっている白竜。こいつはな、風を司る。風神アイオロスの上位に当たるんだ。……だからあたしも白竜に逢いに行こうと思う」
「一緒に?」
「ああ」
 ミユナははっきりと頷いてから、
「白竜に話をすることができれば、風の精霊が鎮まるはずだ。風の精霊が鎮まれば相互干渉で冬の精霊も鎮まる。今度こそ、完全に。そうすれば少なくともこの国は元に戻る。――少なくとも少しは姉さんの負担を和らげられる筈なんだ。……かまわねぇか?」
 その言葉に、何故か全員の視線がエリスに集まった。何故だろう――とおもいつつも、小さく笑った。
「断る理由がないよ。どっちにしろ、場所案内してもらわなきゃいけないわけだし、人手はあるほうがいいし、さ。……ただ」
「ただ?」
「……ちょっと、厄介ごとに巻き込まれていてね。下手したら、ミユナにまで危険が及ぶかも知れな――」
「自分の身くらいは自分で守るさ。心配するな」
 そう言われてしまうと、他にどうしようもない。エリスは苦笑のまま、頷いた。
「じゃあ、明日ね」


 その夜、エリスたちは一人一人個室を与えられた。ひさびさにゆっくりと風呂にも入り、スプリングの良いベッドで眠れるのだと感じると、気の緩みを自覚したが、あえてそれをエリスは自分に許した。たまには、かまわないだろう。
 ――きっとすぐに、気を張り詰めなければならなくなるのだから。
 与えられたネグリジェに着替え、ベッドに入る前に用をたしておこうと自室を出る。広い廊下に入り組んだ道。どうにか進み、何とか用をたし――ふと、エリスは部屋に帰ろうとしていた足を止めた。
(……)
 ゆっくりと、左右に視線を滑らせる。
「……どっからきたっけ」
 呟きが、ぽつりと水面に波紋が広がるかのように滑り落ちた。
 左右に続く道と、前後に続く道。右に視線を移し、左に視線を移し、記憶を辿るが――良く判らない。エリスは軽く額に指を当てて黙考した。
 どうにも、迷ってしまったらしい。
「ア……アンジェラ連れてくればよかった……」
『だから言ったでしょ! あんたはとことん方向音痴なんだから!』
 彼女の喚き声が、空耳で聞こえてくる。まぁ、実際アンジェラの言う通りなのだが、まさかこう見事に迷うとは思わなかった。どうでもいいことながら、自分で感心できてしまうレベルで見事だ。まさに文字通り、右も左も判らない――物理的に。
(いいか、適当に歩いてみればつくかも。帰巣本能はあるほうだし……)
 勘に任せて広い廊下を進んでいく。どんどんと複雑になっている気もしたが――気のせいだと思うことにする。
 暫くして、
「……こんなとこで何やってんだお前は」
 呆れた声がした。
「あ。ミユナ」
 振り返った先には、同じようにネグリジェにガウンを引っ掛けたミユナが立っていた。年齢的にはさほどかわらないと思うのだが、どうしてこう――ありていに言えば、色気とかそういった類が彼女にはあって自分にはないのだろう、と思ったりもする。薄い青のそれに身を包み、呆れたような顔をしていた。というか、実際呆れているのかもしれない。
 どう言おうか、と考えて、結局一番端的な返事を返しておく。
「迷った」
「……判りやすいお答えをどうも」
「どういたしまして。ところでお願いが」
「なんだ?」
「部屋ってどっちか教えてくれるとありがたいです」
 言うと、何故か彼女は急に笑い出した。けらけらと大声で笑う――何故かは判らなかったが。
 暫く呆然と見ていた。公族というのは、まぁこんなものなのかもしれない――日常生活に笑いが少ないのだろう。だから、小さな事でも笑えるのかもしれない。
 少ししてから、笑いが収まったらしいミユナに声をかける。
「何で笑うのよ?」
「……こ、これ以上笑わせるな頼むから腹筋が辛い。……判った、判った、案内してやるよ」
 ぱたぱたと手を振るミユナに、ほっと吐息を漏らす。
 共だって歩きだしながら、ミユナが喋りだした。
「そうだ。エリス。――お前には言っておこうと思うことがあってね」
「何?」
「白竜は風を司る。そう言ったよな」
「うん」
「もうひとつ――情報を司る。これは知ってたか?」
「情報……?」
 その言葉に、きょとんとミユナを見上げる。長身で美しい彼女の横顔は、まるで絵画のようですらある。小さく頬に笑みを浮かべ、彼女は続けた。
「ああ。この大陸にあふれいている『情報』を、だ。それと同時に――赤竜は『知識』を、黒竜は『過去』を、そして蒼竜は『未来』をそれぞれ司る。火地風水、その四大元素以外に、この大陸におけるその四つをな」
 そう言うミユナの目は、決して嘘をついているような素振りもなく、エリスは半ば呆然としながら訊ねた。
「そんなの、知らなかったけど……。何処で聞いたの、それ? って言うか割と有名な話だったりするわけ?」
「いや? あたし以外の『人間』はほとんど知らないんじゃないか?」
「……へ?」
 あまりに唐突な言葉に、間の抜けた声を出す。ミユナはにやりと笑うと、一瞬足を止めた。
「この間聞いたのさ。精霊樹にな」
「! あの時にそんなことまで聞いたの!?」
「聞いたって言うか、向こうが勝手に喋ったんだよ。……心底ありがたいことにな」
 ミユナの足が止まったのは、別に気まぐれで、というわけではなかったらしい。彼女の視線の先に、見覚えのある扉があった。どうやら、ついたらしい。
「ああ、ほんとに。ありがたいことだ――……くそ、本当にな!」
 急に、ミユナの声が荒々しくなった。ぎょっとして見上げる。
「ミ……ユナ?」
 彼女の顔は、苦々しげに歪んでいた。美しい柳眉が、つりあがっている。呻き声が、噛み締めた歯の間から漏れてくる。
「十年だ。十年も知らずに……! 何なんだこの偶然は! 真実を知った矢先に、調べようとした矢先に、お前らか! 何故あそこであった!? 何故精霊樹はあたしに語った!? そして結局おまえたちは白竜に逢いに来た――こっちが望んだとおりにな!」
「のぞ……」
「月の者がいなければ、洞窟の扉は開かないんだ!」
 悲鳴じみた叫び声がミユナからあがった。息を呑んで、見る。彼女はぐっと呼吸を繰り返してから、うめいてきた。
「ようやっと……真実が、手に入るかもしれないんだ」
「ミユナ……どう、したの? なにか、おかし――」
「おかしくもなるっ!」
 こちらの言葉を遮り、彼女は短く叫んだ。
「……エリス。お前は、どうしても納得のいかないことってあるか? 今まであったか?」
「納得の、いかないこと」
 良く判らずに、反復する。だが、彼女はこちらの言葉は聞いていないらしい。視線を、深い色のカーペットに落としたまま続けていた。
「あたしにはある。あるから、白竜に逢いに行くんだ」
 ふっと沈黙がおちた。暫くして、ミユナが視線は落としたまま、指をあげた。
「さすがに、ここまで来たら迷わねぇだろ。悪い、変な話をしたな。……行ってくれ」
「ミユナ……?」
 彼女は、こちらの声には答えずに首を左右に振った。
「悪かった」
 言うと、彼女はそのまま身を翻した。ゆっくりと、歩いていく。
「ミユナ!」
 呼びかけると、彼女の足が止まった。彼女の背が、言葉を漏らしてくる。
「大切な人を、亡くした事があるか?」
 涼やかな声は、かすれてひしゃげてすらいた。
「その真実が判らない痛みを知っているか? ……エリス、お前は……」
 彼女の後姿は、ゆっくりと首を振っていた。
「知らないほうがいいんだけれどな……」
 その言葉を最後に、彼女の姿は広い廊下の奥へと消えていった。


 眠る前、エリスが窓をあけると、何処からともなくオカリナの音色が聞こえてきた。
 切なげな旋律をもったその音は、ミユナの泣き声にすら、聞こえた。


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