第七章:Dear my best friend――約束の手紙


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 エリスは知らずにきつくまぶたを閉じていた。頭痛がやまない。見かねたジークが、ぽすりと頭を叩いてきた。
「一旦まとめるか?」
「お願いします……」
 ジークは苦笑を浮かべ、ゆっくりとまとめてくれた。
「まず。ディスティがこの世界『プトネッド』を起こしました。で、全大陸<ヒュージ>を創りました。ついでに神々もいっぱい生まれました。ここまではいいか?」
「うん」
 そこまで簡略化されれば、頷く以外の選択肢もない。エリスはこくりと首を振った。
「で、ディスティはしばらく全大陸<ヒュージ>で満足してましたが、何か知らんがいきなり怒り、大陸を四つに分断しました。その時に、ディスティが選んだ四大神を、大陸の神様としました。同時に人間の持ってた知恵もほとんど取り上げて、ゼロに戻しやがりました。ここまではついてきてるか?」
「オーケイ」
 再度頷くと、ジークはよしよし、というように頭を撫でてくる。
「ちなみに、その時ディスティは、全大陸<ヒュージ>に住んでいた『善行働きし者』をユアファースに、『悪行働きし者』をパンドラにと、分けて住まわせたらしい。ルナ――まぁ、最初は別の名前があったらしいが、この大陸とラフィスはランダムに選んだそうだが。そのときに、ユアファースとパンドラには最初に結界を張った。理由は判るか?」
「……えーと。良いのと悪いのだから、隔離しちゃった?」
「正解」
 ジークが満足そうに頷く。ロジスタも頷き、続けた。
「さて、四つの大陸は、二つが結界に守られ、二つが開けた状態で百年ほど過ぎました。百年ほど経ったとき、セレネ神がディスティに謀反を働きました。その結果は、ディスティの勝ち。あえなく敗れたセレネ神は、名前を取り上げられ、ルナの女神となりました。はぐれ月神という名も、そこから来ています」
 ロジスタの講義――だろう、これは――を、聞きながら頷く。
「その時に、女神の力の欠片がこの大陸に落ちたから、この大陸の人間は『法技』を扱えるようになった、んだよね? そんで、ディスティは怒っちゃって、ルナ大陸を結界で封鎖した?」
「その通りです。つまり、他の大陸では法技は使用できません。ここまでは、大丈夫ですね?」
「うん」
 ただ、とエリスは続ける。
「それだと、あたしの疑問には答えてくれてない、よ? 今この大陸にはられている結界は、ディスティのものなの? ルナのものなの?」
「ルナのもの、です」
 ロジスタがはっきりと言葉を告げた。
「――ディスティの結界は、五百年の後に解かれたといわれています。ですが、それを解いた後も結界は消えなかった。当時の資料では、そうなっているんです。何故か、という理由までは誰も解明できなかったのでしょう。載っていません。ですが、それはルナの結界だ、と。そうお告げがあった、と」
「……途中までは、ディスティがおしおきで結界はってて、で、もういいよって開けてみたら、ルナは結界を自らの手で張りなおした?」
「まぁ、判りやすく言えばそうでしょうね」
「理由は、判らないんだよね?」
「ええ」
 頷かれ、エリスは息をついた。
「考えても仕方ないなら、まずそこは放っておこう。で?」
「はい。――ここまでで一応は終わりです。で、少し戻ります。大丈夫ですか?」
 げんなりしたエリスの顔を見たのだろう、ロジスタが苦笑を漏らす。続けて、と手を振ると、彼は頷いた。
「えーと、先ほどジークさんが仰ってました、全大陸<ヒュージ>を四つに分けた理由」
「ディスティがなんか怒っちゃった?」
「はい。何に怒ったんでしょう?」
 言われて、エリスは目を瞬かせた。首を傾げる。
 授業で聞きかじった知識を呼び起こす。
「えーと。神々の力がつきすぎたことや……人間っていう訳判らない生物が生まれたから、だっけ?」
「一般にはそう言われています」
 ロジスタのその言葉に、顔をしかめたのはエリスだけではなかった。ロジスタ自身も自覚しているのだろう、頭をかき、
「すいません。なんかさっきからそればかりで。ただ、これは記述されている本もありますし」
「聖魔書。賢者ラーディ・ロスが書いた本には、違ったことが書かれていたな」
 割り込んだミユナの言葉に、ロジスタの目が輝いた。ミユナの白い手を握ると、興奮した口調でまくし立て始める。
「お読みになられたのですか!? ラーディ様の著書を!?」
「え? あ、ああ」
「素晴らしいですよね! ああ、あの方こそまさしく賢者の名に相応しきお方! 好奇心、知識、努力と才能! 世界の法則を解き明かし――」
「いや、待て、落ち着けロジスタ。それは後にしろ」
 半眼で呟くミユナの言葉に、はたとロジスタが動きを止めた。
「す。すいません、なんかいつも僕――」
「いや、いいから続けろ……」
「は、はい。ええと、そう。ラーディ様の『聖魔書』と、ここから先は僕自身の研究との兼ね合わせでの推測になって行くんですが。エリスさんが仰ったそれではないと、僕は思うんです」
「って、いうと?」
 訊ねると、ロジスタが口を開くより先にミユナが言葉を滑り込ませてきた。
「ラーディの本によると、ディスティは、神々にまで手を出そうとした人間に、そして、暴走を始めた神々に、怒りをあらわにしたんだそうだ」
「はい。つまり、その全大陸<ヒュージ>では、神が人間に手を出そうとした、と。そして神はそれに対抗して――極端な表現になりますが、神対人間の戦争がはじまった、と。僕はそう考えるんです。ディスティは、それを許せなかった、と。と、いうよりも――恐れたのだ、と思うんです」
 ゲイルは、何か判ったのだろうか。碧色の瞳を見開き、硬直している。
「ちょ、っと。待ってくれ。それは」
「おそらく、ご想像のとおりの答えかと」
「判んないよ!」
 叫ぶと、ロジスタがこちらを向いてきた。ブラウンの幼ささえ見える瞳が、真摯な色を映している。
「あくまで、仮説ですが」
 彼はそう前置きし、ゆっくりと唇を開いた。
「ヒュージ時代の人間が知恵を持ち出し、神々にまで手をだそうとした。そのため、ディスティの怒りに触れ、大陸を分断された。つまり――ディスティ、創造主の恐れたものは神ではなく人間。その可能性があるんです」

 創造主の恐れたものは神ではなく人間。その可能性があるんです。

 ロジスタの言葉が、脳裏でこだました。
「……人間を、ディスティは恐れた? 神では、なくて?」
「普通に考えて、人間が神に拮抗しえると思いますか? 大半の人はノーと答えるでしょうが、ですが戦いというものは、力が拮抗していなければ、逆に生まれないものでもあります。どちらかに転ぶか判らないからこそ、戦いなんです。つまり、結果として、人間が勝ち得ることもあった。神々を打ち倒して、世界を、大陸を統べるのは人間になる可能性があった。そうなったとしたら、世界の法則は、どうなるでしょうか」
 静かなロジスタの言葉に、二の句を次げることが出来なかった。
「この世界は、不安定な要素で出来ています。風が吹くのは、地理的なものでしょう。ですが、精霊という不可視の『存在』を介せば、たとえ地理がどうあろうとも、風をとどめることすら出来てしまいます。炎の神に祈りを捧げれば、火種のないところに火がつきます。普段は誰もなんとも思いません。それが、この世界の法則であり、常識だから。ですが――これは、異常なんです」
 ロジスタは、目を伏せた。
「この世界に生きる全ての存在は、その異常を常識として認識した上で生活をしています。僕も、もちろんそうです。その常識が、ひとつの神がいなくなることで大きく変わります。そうなれば、世界の均衡は揺らぎます。ディスティはそのことを危惧したのではないでしょうか」
 そこまでいってから、彼は一度吟味するように時間を取った。
「とはいえ、これはあくまでも仮説です。僕の、仮説です。立証は残念ながら、今は出来ません。ただ、そういう考えもあると、覚えておいてください」
 エリスは、ロジスタの言っている意味を全て理解し得た訳ではなかった。ただ、判るのは、人間が神以上の力を持つことが可能だと、彼はそう言っているということだけだ。
「何か、質問は?」
 ミユナが、すっと手を上げた。
「関係、あるようでないかも知れねぇけど。前から気になってたことがあるんだ」
「どうぞ。答えられるかどうかは判りませんけれど」
「――神技は、神の使う技だ。これはディスティが与えたものだよな。法技は、ルナの女神がこの大陸に落とした欠片を、人間がちょいと細工して使ってるってこと、だよな?」
「はい」
「と、するとだ」
 ミユナは、肩口にかかっていた銀色の髪を指で弾き、続けた。
「特殊能力者の使う魔法や旧時代の魔術……そいつの根源は何だ?」
「根源」
 ゲイルが、あっけに取られたように言葉を繰り返した。
「根源がなければ、事象は成立しない。だとすれば?」
 ロジスタが頷いた。
「特殊能力者や神の使者たちの使う『魔法』。そして旧時代の『魔術』それらの根源は――祈りといわれています」
「……いのり?」
 エリスは、やや呆然とその言葉を呟いた。あまりに突拍子もなく、それでいてエリスにしてもよく判る単語だったからだ。
「祈りが、力になるの?」
「なり得ます。元々僕らの使う『言葉』というものは、不思議な力を秘めているとされていますから。祈りはその究極系――想いの言葉ですから」
 その時、ゲイルがはっと息を呑んだ。その音がはっきりと聞こえ、エリスは目を瞬かせた。
「ゲイル?」
「赤竜の……言葉だ」
 一瞬彼が何を言っているのか、理解できなかった。だが、すぐに思い当たる。赤竜カサドラが口にしていた、知識。

 ――『全ての力の根本にあるのは人の、生物の思いよ。忘れないでね』

 エリスとゲイル、ミユナは思わず顔を見合わせた。確かに、そう言っていた。それが、全ての根源だと。根本だと。
 また疼き始める腹部をなだめすかして、エリスはひとつだけ頷いた。ロジスタのほうへと視線を戻す。
 ロジスタは真摯な面持ちで、続ける。
「そこで、本題です。とはいえ、これは実はあなた達には、何の関係もないことかもしれませんが。ですが、関係あることかもしれないので、一応お話しておきたくて」
「前振りは、いいよ。何?」
 促すと、ロジスタは頷いた。
「このルナ大陸はあくまで『ルナのはった結界』で囲われている。つまり、この大陸内はすべてルナの世界です。ディスティの干渉がきかない世界です。現在ルナ大陸が異常をきたしていると言う事は、女神ルナが暴走している事に他成りません」
 封筒を握り締めていた手に力がこもる。そうだろう、というのは判っていた。
「――これを止めるには……女神ルナの暴走を止めるか、もしくは、結界を壊す事です」
 ロジスタの言葉は、寝耳に水だった。女神の暴走を止める、など、考えもしなかった言葉だ。今はただ、アンジェラを助けに行くのだけが目的のエリスにすれば、確かに関係のないことだった。
 だが、あえてそれを指摘する者はいなかった。ロジスタの前置きは、それだったのだから。
「結界を、壊す。できるのかい、そんなことが? この結界は消して壊れないと、そう言われているだろう?」
 ゲイルの不信な声に、ロジスタはぐっと拳を握り締めた。
「そう! そうなんです! この大陸の結界は消して崩れないといわれている! だが、しかァしっ!」
 やばいところを踏んだ、とゲイルが引きつった笑みを浮かべた。ロジスタはそれにかまわず、きらきらと瞳を輝かせている。
「結界の力が薄らぎ始めているのもまた事実! 新たな世界が! 新たな研究材料が! 僕を待っているんですっ!」
 と、そこで言葉は終わり、しばらくロジスタは天窓から空を見上げていた。一応は、終わったらしい。ジークが無言で――言葉をかけるのも面倒だったのかもしれない――ロジスタの頭を殴る。はた、と虚を疲れた顔でロジスタは動きを止めた。
 その顔が、すぐ朱に染まる。
「す……すいません。で、でも、本当なんですよ。おそらくルナの力が弱まっているか、もしくは創造主ディスティが結界を取り除こうとしているか、といったところなんでしょうけれど」
 エリスはこっそりと、ジークに視線を滑らせた。苦い顔をしている。
 ロジスタの台詞は、桜春がいつか言っていたそれとかぶる。あの時も確か、ジークはこんな顔をしていたように思った。
 ロジスタはふぅと息をつき、笑みを作った。
「最も僕の提案は単なる理論でしかありません。できるかどうか、そう言ったものは理論とは全く別です。でも……僕は貴女達ならできる、そんな気がしたんです。貴女達にすれば、関係のないことかもしれませんが、話しておきたくなったんです」
 その言葉に、エリスは微苦笑を浮かべた。ゆっくり頷く。
「ありがと、ロジスタくん」
「僕は、ここを離れる事は出来ません。もしついて行ったとしても、また足手纏いになるだけでしょうしね。だから、祈っておきますよ。ここから。そして、待ってます。また、訪れてください、この村に。アンジェラさんと一緒に。できれば……ドゥールさんも、一緒に」
「ロジスタくん……」
 ゲイルの戸惑った声に、ロジスタは笑みを向けるだけだった。
 それから人差し指と中指をそろえ、自身の左頬、右頬、そして額へと順番につけた。その手を胸元へ持っていき、句を唱える。
 それは、このガゼル部族に伝わる祈りの形式だ。
「信じましょう。貴方たちの無事を。これからを。祈り、待ちましょう。全ての成功を。――大地の竜の加護が、あなた方にありますように」


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