ゴンドラの詩<うた>





 花も綻ぶ四月も十日。
 陽はさんさんと柔らかく、蝶もふらふら舞い踊る。
 新暦数えて千と二百とさらに四年。
 ここは水の都はセイドゥール・シティ。
 大陸のなかの大国の、その中心となる街でございます。
 縦に横にと街中を、水路が走るこの場所は、徒歩(かち)もまたあり、馬もまたあり、けれど人の足となるものは、何よりもっぱらゴンドラ(水路舟)でしょう。
 陽光優しいこの季節、街も人も花すらも、微笑み浮かべて楽しげで。
 それもそのはず本日は、セイドゥール・シティ一番のお祭りの日でございます。
 ふわりふわりとスカートの裾をひらめかせ、少女も幼女も女性も踊る。街中の人は民族衣装に身を包み、その日をなんとも楽しげに過ごしていくのでありました。
 水の都のセイドゥール。花も綻ぶ『花祭り』でございます。
 セイドゥール・シティの東側、少しばかり敷居が高いその区域。煉瓦造りのハイアシンス・カッレ(ヒヤシンス通り)を二人の少女が歩いていました。
 一人は見事な赤毛髪。すっきり丁寧に切り込んで、さながら少年、坊やの体。けれど頭に飾られた大きな花と、風になびいてはためくスカート姿。少しばかり猫のようにつりあがったその瞳も、これまた見事な赤色で、小柄な体に見合わず強気に見える少女でして。
 その少女と手を繋ぎ、歩くもう一人の少女もまた、どこか強気に見える面立ちでして。
 ゆるく流れる黒髪ウェーブは美しく、目鼻立ちもすっきり愛らしく。宝玉宝石の類を思わせる、紫の瞳もまたひとしおで。
 彼女もまた、赤い少女と同じ服。髪飾りもまた同じ。セイドゥールの民族衣装に身を包み、ゆっくりゆっくり歩を進めているのでありました。
 この少女、赤い方の名をエリス、もう一人をアンジェラといいまして。
 二人はそのままゆっくりと、ゴンドラ乗り場に足を向けては少しばかりのチップと賃金を渡し、船に乗り込んだのでございました。
「おう、エリスの嬢ちゃんにアンジェラの嬢ちゃんか。似合うじゃねえか、その服も」
「とーぜんでしょ?」
 愛想の一つや二つは、ゴンドリエーレ(ゴンドラ乗り)にとっては仕事のひとつ。それに顔すら真っ赤に染めて、少し俯いたエリス嬢。けれどアンジェラ嬢はなれたもの。ウィンクすら飛ばしてみせるものですから、ゴンドリエーレも楽しくなろうと言うものです。
 花祭りの中心となる、街の広場のアグライア・カンポまでの道のりも、こうとなれば楽しいもの。
 賑やかなしゃべりと、ゴンドリエーレご自慢の歌声が、カナーレ・ローダ(薔薇の水路)に響きます。
「ねえ、エリス」
「うん?」
 歌声に耳をすませていたエリス嬢、どこか半分うわ言で返事を返してしまうものですから、アンジェラ嬢はぷっと頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう始末。
 これにはエリス嬢だけでなく、ゴンドリエーレも苦笑を浮かべようというものでございましょう。
 けれどこちらは手馴れたもので、エリス嬢は苦笑をひとつ。
「ごめんって。なに、アンジェラ?」
 ご機嫌伺い、問い掛けるのでございます。
「なに考えてるの?」
 唐突。いきなり。突拍子もなく。
 突然そう切り出されたものですから、当のエリス嬢きょとんと目を瞬かせ、更にもひとつ瞬きをし、なれないスカートを正しつつ、首を傾げて見せては。
「いきなり、なに?」
「何か考えてるんでしょ? 悩み事?」
 けれどアンジェラ嬢、確信に満ちた声音でそう続けるものですから、エリス嬢の表情は、みるみる歪んで苦笑に変わり。
「うん。まぁね」
「何よ?」
 お客同士が深刻な――かどうかは判りませんが、そんな雰囲気を纏い始めれば、知らぬふりをするのもゴンドリエーレの仕事のひとつ。
 ゴンドリエーレは先頭に一人、船尾に一人と計二人。そろって知らぬ素振りで歌い始めるのでございます。
 陽光さざめく水路には、どこからともなく流れて来たる、華やか賑やか楽しげな街のざわめきも満ち溢れ。
 けれど二人のその少女、街の雰囲気とは少しばかり異なって。
 大きな橋の下、ゆっくりわたる船の上、ちょいとばかり沈黙を携えたのでございました。
 きらきらきらと水格子。
 さわさわさわと水の音。
 ほんの数秒、数分の沈黙のあと、エリス嬢は口火を切りまして。
「怒らない?」
「物によるわよ」
「だよね」
 あっさりきっぱりのアンジェラ嬢に、またまた苦笑をひとつばかり。当年とって満で十三の少女とは、到底思えぬその表情。けれどこれもまた、仕方のないことではあるのでしょう。
「約束、覚えてる?」
「……どの、よ?」
 怪訝、不機嫌、そんな顔のアンジェラ嬢に、エリス嬢は微笑みかけて。
「お互いの決めたことに、口出しはしない」
 そう告げたのでありました。
 アンジェラ嬢は、しばらくエリス嬢の顔見やり、ふっと大きく息を吐き。
「覚えてるわよ、それが?」
「もう一回、約束して、アンジェラ」
 そう言いながらエリス嬢、ふいに小指を差し出して。
 指きり約束その証。交わそうと言うのでありましょう。
 アンジェラ嬢は、多少怪訝に眉を寄せ、しかし指を絡ませるのでありました。
 指を絡ませ、縦に振り。
 そして、エリス嬢は呟きを発したのでございます。
「あたし、この街出るよ」
 きらきらきらと水格子、アンジェラ嬢の顔も彩り、一瞬驚きにひっくり返ったのか、ゴンドリエーレの歌声も途切れる始末。
 けれど慌てず騒がず何事もなかったかのように歌い始めるゴンドリエーレ。そこはやはりプロ根性とでもいいましょうか。
 セイドゥールらしいその歌声のなか、アンジェラ嬢は指を放したのでありました。
「……ひとりで?」
「うん」
 躊躇いも無くエリス嬢。それはずっと決めていたことなのでございましょう。
 たかだか十と三つの少女とはいえ、その心根は大人と同じ。
 真剣、真摯な強さを秘めて。
 言葉にするほど現実は甘くないと知ってもいることでございましょう。
「……いつよ?」
「来年には」
 きっぱり答えるその赤い瞳をしっかと見据え、アンジェラ嬢はしばし無言。
 それもそのはずこのお二人は、今までずっと一緒の親友同士。いきなりの言葉は、ある意味で別れの言葉でもございまして。
 当然ならばそんなこと、否定の言葉の一つも二つ吐きたいところでございましょうが、交わした小指が重いこと。
 互いの決めた決め事に、口出しはしないとその約束を、交わしながらの言葉でございまして。
 アンジェラ嬢は、俯き加減、ゆっくりぽつりと言葉を発したのでありました。
「勝手にしなさいよ」
 その声音には、隠し切れない寂しさが滲んでいたのでございました。


 花も綻ぶ四月も十日。
 陽はさんさんと柔らかく、蝶もふらふら舞い踊る。
 新暦数えて千と二百とさらに四年。
 ここは水の都はセイドゥール・シティ。
 きらきらきらと水格子。
 さらさらさらと水の音。
 ゴンドリエーレの歌声も、高らかに響く水路の中。
 このほんの幼い子供たちの交わした約束は、わたくしだけはきっちりと覚えていたのでございます。


 花も綻ぶ四月も十日。
 それはわたくしゴンドラの、甘酸っぱい記憶の欠片でございます。



――Fin.



目次










お題バトル参戦作品。
ひとつのテーマを決めて、それに沿ったお題(単語)を提出、それを使い、任意の制限時間内に書き上げるというものです。
テーマは「約束」。お題は「記憶」「現実」「二人」「指きり」でした。
制限時間は一時間。文体に取られた時間がほとんどだったというのはナイショの方向で……(笑)