飾らないのがちょうどいい


「バニラエッセンスは好きじゃない」

 きっぱりと告げてきた兄の言葉に、ゲイルは笑顔を向けた。
「ダメ。入れる」
「好きじゃない」
「無理」
 問答無用で告げると、手にした瓶を傾ける。一滴、二滴。それで充分。甘い香りが台所中に広がって、ゲイルは顔をさらにほころばせた。
 ボウルを手に、泡立てる。生地はほぼ完成で、後は焼けばいいという状態になった。
 ラボの居住区には時計がない。が、ついさっき研究施設側で見た時計は、二時を廻っていた。早くしなければ、三時のおやつに間に合わない。
 生地を型に流し込み、オーヴンに目を向け――ゲイルはふうとため息をついた。
 エプロンを正しながら、その場でむっつりとした表情のまま立ち尽くしている兄を見る。
「ドゥール」
「好きじゃない」
「もう入れたよ」
「好きじゃない」
「最後の仕上げなんだよ」
「必要ない」
 頑なな兄の態度に、ゲイルはもうひとつため息を追加した。
 普段は特に文句を言わないのだが、こう見えて味にはけっこううるさい。特にこういったお菓子系は。
「甘さは控えめにしたよ」
「だが、匂いが甘ったるい」
「わがまま言うなよ。ロジャーもケイレブも、これくらい甘いのが好きなんだよ」
 弟たちの名前を出すと、ドゥールは更に渋面になる。無論、弟たちに限らず妹たちも甘いものが好きだ。そこは女子たるもの、といったところか。ベタベタに甘いものが嫌いなのは、兄のドゥールくらいだ。
 家族の中で台所を仕切るゲイルの身としては、やはり比重は甘いもの好きにあわせるほうに傾く。
「……好きじゃない」
 むすっとした言葉で告げると、そのまま振り返らずにドゥールは台所からでていった。
「……ったく」
 苦笑をひとつ。普段は口喧嘩なんてほとんどしない。というよりも、ドゥールが何かに対して文句を言うことなどほとんどない。それを知っているのは、家族の中でも一番近い関係のゲイルだからこそ、だ。
「仕方ないな」
 ゲイルが浮かべた苦笑は、それでも優しいものだった。


「きゃー! おいしそう! いただきまーす!」
「あーっ、だめー! おっきいのは、あたしのよ!」
 家族全員が食卓に集まると、いつものことだが騒々しい。それをにこにこと仕切りながら、ゲイルはひとりひとりにケーキを配っていった。
 飾りのフルーツなど何もない、ただシンプルなスポンジケーキだ。それでも、ラボにいる子供たちにすればご馳走なのだ。
「食べたらちゃんと、歯磨きしろよ?」
「はぁい!」
 聞いているのかいないのか。それでも返事だけは元気に弟たちは声を上げる。
 それを聞き遂げてから、ゲイルはゆっくり立ち上がった。
 家族はひとり、足りない。
「どこいくの? ゲイル兄?」
 妹の言葉に、ゲイルはにっこりと微笑んだ。
「大人気ない兄貴のところ」


「ドゥール、入るよ」
 ノックと同時に扉を開けると、彼は自室のベッドの上に座って髪をいじっていた。いつも思うのだが、長い割に綺麗な黒髪だ。
「なんだ」
 ぶっきらぼうな声が返ってくる。愛想がないのはいつものことだが、普段以上に何か刺々しい。
 ゲイルは苦笑したまま、彼に近付いた。
「大人気ないな、ドゥール」
「だが、あれは食べられない」
「何でそこまで嫌うかな」
 そばの椅子に腰をかけて問い掛けると、ドゥールは一瞬沈黙した。ややあって、いつも通りの無表情で答えてくる。
「お前の料理は、それそのものが一番美味い。他の変なものは入れないでいい」
「最高の褒め言葉だよ、それ」
 くすりと笑って、ゲイルはつけていたエプロンのポケットからそれを取り出した。
 ドゥールの手の中にあったヘアブラシを取り上げ、代わりにそれを押し付ける。
「……」
 無表情のまま、ドゥールがそれを見下ろした。
 無表情――に見えるだけ、だ。ゲイルにははっきりと、彼が喜んでいるのが判った。
 零れでる笑みを堪えきれず、ゲイルは兄に告げた。
「ドゥール用に、ちゃんと何も入れてないクッキー、別に作っといたんだよ。それでいいだろ?」
「……食べていいか」
「どーぞ」
 手のひらを向けると、ドゥールは袋を開けてクッキーを摘んだ。ひとくち、ふたくち、ほおばる。
「美味い?」
 こくり、と頷く。
 少しだけ目元が確かに嬉しそうに下がっていた。
 階下では、弟たちの騒ぎ声がまだ聞こえてくる。それを聞きながら、ゲイルは唇に指を添えた。
「皆にはナイショだからな?」
「判ってる」
 クッキーをほおばる音だけが、静かに響く。
 こんな日常が、いつまでも続けばいい――
 ゲイルはふと、そんなことを思った。





「ゲイル」
「ん?」
「ありがとう」
「どーいたしまして」







――Fin.



目次










お題バトル参戦作品。
ひとつのテーマを決めて、それに沿ったお題(単語)を提出、それを使い、任意の制限時間内に書き上げるというものです。
テーマは「日常」。お題は「歯磨き」「三時のおやつ」「ヘアブラシ」「口喧嘩」でした。
制限時間は一時間。本編読者には……なんともいえないものかもしれませんが、基本はほのぼのです。はい。

誰ですかそこで『ホモくさい』とかつぶやいてんのは!! 断固として違うからね!?(バトルした相手に言われてちょっとショックだった、うん・笑)