スタンド・バイ・ミー



 ――ダーリン・ダーリン スタンド・バイ・ミー。
   ダーリン。ねえ、愛しい人よ。傍にいて。傍にいて。



 スニーカーの底が、リノリウムの床を鳴らす。
 上履きがない学校って、こういうときは便利だなぁと実感する。教室の掃除は砂だらけで嫌にはなるのだけど。
 校庭から聞こえてくるのは、スタンド・バイ・ミー。体育祭が終わったばかりで、打ち上げをかねたダンスパーティーだからだ。校庭にアンプやらなにやら引っ張り出した軽音楽部が頑張っている。
 もっとも、ちゃんと踊ってる奴なんてひとりもいなくて、それぞれ銘々好き勝手にパフォーマンスに打ち興じたり、軽音楽部に黄色い歓声を上げたり、そんな始末。まぁ、それでもいいや。この学校で、それ以上望むほうが間違っている。
 少し低い階段を二段飛ばしに駆け上がって、五階まで。
 体力自慢のあたしだからできることだろうなぁ、とは思う。それでもやっぱり、疲れるんだけどさ。
 誤解からもう数段上がって屋上の扉を蹴りあけて、あたしは大声で叫んだ。
「ダンナあ! さぼるなあ!」
 夕陽のさす屋上のフェンスに背中を預けて、ぼーっと座り込んでいたらしいダンナは、ぎょっと振り返って来た。
 ダンナ――は、もちろんあだ名。由来はおっさん臭いから。あたしたちのクラスのお祭り人間で、クラスで一番背が低い男子だ。
「ユ、ユキ?」
「そーですよ。あんたと同じ体育祭実行委員のユキちゃんですよ?」
 ハチマキをはずしながら近付くと、ダンナはそのぶん後ずさりした。諦めの悪い。
「ひ、人違いだとおじさん嬉しいなぁ、ユキちゃん」
「わけの判らないこと言ってんじゃない!」
 手加減なしにダンナの頭を殴ってやると、ダンナはその場でうずくまった。ダンナは背が低いから、あたしとほぼ同じ身長で、だから非常に殴りやすい。
「ぼ……暴力反対」
「サボリ反対」
 うめく戯言に間髪いれずに返してやると、ダンナは小さな目で恨めしげに見上げてきた。
「だってよー、どう考えてもひたすら面倒じゃん。体育祭の後片付けなんて」
「だぁから、わざわざ負け組みがするようにしたんでしょ?」
 うちの学校の体育祭は、組み分けだ。一年から三年を縦に割って、六つのチームにわける。で、そのなかの負け組み――負けたチームが体育祭の後片付けになることになっていた。というか、そうしたんだ。体育祭実行委員のダンナの提案。
 ……まぁ、まさかダンナも自分が負けるとは思ってなかったんだろうけどさ。
「とにかくっ、あたしたちがサボってちゃどうしようもないでしょ? ダンスパーティー終わったら、すぐはじめるんだよ?」
「あー、はいはい。るっさいなぁユキは」
 よっこらしょ、と声を出してダンナが立ち上がる。つくづくその姿が……おじさんくさい。
「こう、心静かにカーペンターズに打ち興じている俺のひとときを邪魔するんだよな、ユキは。そっか」
「……スタンド・バイ・ミーはベン・E・キング」
「え?」
「カーペンターズで有名なのはトップ・オブ・ザ・ワールド。……ダンナぁ」
 呆れて声を上げると、ダンナはふいっとそっぽを向いた。
「だって俺日本人〜」
 ひゅい、と音にならない口笛を吹く。ああもう。いいやもう。
 スタンド・バイ・ミーが校庭から柔らかく風に乗って届いてくる。

 ダーリン・ダーリン スタンド・バイ・ミー。
 ダーリン。ねえ、愛しい人よ。傍にいて。傍にいて。

 そのワンフレーズを耳に入れて、何故か耳が熱くなった。そっぽを向いて、歩き出す。
「とにかく行くよ、ダンナ」
 先に歩き出したあたしに、慌てたようにダンナが声をかけた。
「あ。ユキ」
 呼ばれて振り返る。
 と――口に何かが突っ込まれた。
「ふが?」
「サンドイッチ。の残りー」
 半分ほど食べかけのサンドイッチだった。
 にやり、とダンナが笑ってる。
 ……スタンド・バイ・ミーを聞きながら、サンドイッチを口に放り込まれるなんて。なんて、ロマンのない……いや、うん。ダンナにそんなものを求めるほうが間違ってるんだけどさ……
「ユキ、弁当食い損ねてただろ?」
 ……確かに。走り回ってたから、お弁当は手付かずのままだ。
「やる。それ」
 言って、ダンナが歩き出す。
 あたしは慌ててサンドイッチを飲み下した。
「ダンナ!」
 呼びかけに、今度はダンナが振り返る。
 ああ、やばい。何で呼び止めたりなんか、したんだろう。
 耳が熱い。頬が火照っている。
 顔が赤くなっているの、ダンナにばれないかな。大丈夫だよね? だって屋上中、夕陽で真っ赤に染まってるんだから。

 ダーリン・ダーリン スタンド・バイ・ミー。
 ダーリン。ねえ、愛しい人よ。傍にいて。傍にいて。

 あんまり上手じゃない、軽音楽部の歌が届いてくる。
 ……ダンス・パーティーの、曲。
「あ――えと……」
 言葉に、つまった。
 どう……しよう。
 怪訝そうにダンナも黙る。
「ユキ?」
「え……いや、えーと」
 押し黙る。
 と――ふと、ダンナがこきこきっと首を回した。
「ユキ、お前そーいえば、踊る相手いないの?」
「ま……まともに踊ってる奴なんて、いないし」
「そーゆーもん? 最近の若い奴は……」
 こら。ダンナ。あんたまだ十六。
 すると、ダンナはふと笑った。目を細めて、にっこりと。
「んじゃ、踊る?」
 ぎゅ――と心臓が縮こまった。
「な」
 声が少し、かすれた。
「何馬鹿なこと言ってんの、ダンナ」
「だって後片付けは、このあとだろ? いーじゃん」
 ――あたしが、それを切り出そうとしていたのに。
 ダンナはあっけらかんと言ってくる。
 ふうっと息を吐いて、あたしは肩を竦めてみせた。
「仕方ないか。ダンナじゃ相手見つかりそうにないもんね」
「てめっ、ユキ……」
 悪態をつきあうのが、あたしたちの自然な姿。はしゃぎあって、くだらないことで笑いあって。
 それが、あたしたちらしい自然な姿。
 だけど。
「ったく……んじゃ、お手をどーぞ。ユキ姫?」
「あたしは姫でもいーけど、ダンナは王子というよりオジイだよねぇ」
「はったおすぞこらっ」
 軽い拳骨が降って来て、あたしは声を上げて笑った。
 それから、手を取り合う。
 少しだけ――どきどき、した。
 ああ、そういえば……漫画で読んだことあるよ、こういうの。
 あの二人みたいに、ロマンチックにはなれないけれど。
 これが、あたしたちらしくてちょうどいい。
 あたしたちらしくて、それでいて少しだけ、いつもと違う。


 後片付け、サボるわけじゃないからさ。
 あとちょっとだけ、いいよね?


 校庭から聞こえてくるスタンド・バイ・ミー。

 ――ダーリン・ダーリン スタンド・バイ・ミー。
   ダーリン。ねえ、愛しい人よ。傍にいて。傍にいて。


 ――Fin.


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お題バトル参戦作品。
テーマは『曲』 お題は『お弁当』『自然』『負け組』『風』