あした、シュークリーム日和。 第二話


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「それだったら、加納さんがやってくれると思いまーす」
 どっかのバカの上げたばかばかしい発言に、何故か教室中のバカどもがどっと笑い声をたてた。
 ……くっだらない。
「え、加納さんは別のも……」
「いいよ別に。大した作業じゃないでしょ」
 おどおどしている学級委員長(いわゆる雑用係)に肩をすくめて見せる。眼鏡におさげの典型的容貌の彼女は、外野からの早く帰りたいコールに押されて、小さく頷いた。
「じゃあ……おねがいします」
「おっしゃかーえろー!」
 ざわめきはいっそう大きくなり、てんでバラバラにみんなが教室を出て行く。そのざわめきの中、小さな声のクセに何故か耳に刺さる言葉が飛んでくる。
「点数稼ぎ、毎回マジキモイよね」
 ……あれかな。これは、いわゆるカクテルパーティー効果ってヤツですかね。うるさくても自分に関連する声は聞こえやすいってヤツだっけか。
 どっちでもいいけど、点数稼ぎったってこの学校、生徒の自主性云々のせいで、こういう決め事のとき学級委員長しかいないんですけどね。学級委員長の点数稼いで何になるっていうんだろう。
 扇風機が空気をかき回す音にまぎれるほどの小ささで息を吐き、立ち上がる。
「いーんちょ」
「あ、加納さん」
 ぱたぱたと走りよってきた委員長がペコっと頭を下げた。
「いつもごめんなさい、なんか……」
「いんちょのせいじゃないっしょ。いいよ別に。で、何したらいいんだっけ?」
「あ、あの……秋の体育祭実行委員……」
「うん、それは聞いてる。で、いつから何すりゃいいの?」
「あ、動くのは二学期入ってからみたいで」
 委員長のおどおどした声が何となく気に障りながら、あたしは軽く頷いた。
「ンじゃ、今は特に何もない?」
「あ、はい」
「じゃ、帰るね。おつかれ」
 ひらっと手を振って背中を向ける。と、その制服のすそを掴まれた。反動でグレーのプリーツスカートが揺れる。
「……なに?」
「あ。あ。えとえと。い、いっしょに帰りませんか?」
 ……なにこれ、デート?



 なんてのはまぁ、冗談だとしても。
 あたしは何故だか委員長と連れ立って地元の商店街を歩いていた。
「っていうか、委員長なんでこっち? 地元こっちなの?」
 中学のときには見なかったけどなぁ、と思いながら聞くと、委員長は少し迷ってから頷いた。
「地元というか。家はこっちです。わたし、高校入学と同時に引っ越してきたから」
「へえ。こんな辺鄙なところに? タイヘンだね。もとはどこなの?」
「横浜です」
「都会じゃん。うーわ。やってらんないっしょ、こんなど田舎」
 ヘタすりゃ見渡す限り田んぼ! な場所に出てしまったり、バスだってなかなかなかったりするこんな田舎に、都会から来たらさぞタイヘンだろう。
「そんなことは……。ちょっと不便かな、って思うときはあるけど、自然いっぱいだし、なんかどきどきします」
「はぁ……」
「昔話の世界みたいで」
「そこまで田舎じゃないと思いたいですけどね、生まれも育ちもここのあたしは」
 苦笑する。と、視線を感じた。委員長だ。
「なに?」
「加納さんって、いつもそうですよね」
「……、褒めてるのか貶してるのか教えてくれる?」
「あ、そういうんじゃなくて、あの」
 委員長は頬を赤くしながら少し口早に続けた。
「あの、いつも、誰に対しても、普通に接してるなぁって、あの」
「ああ」
 なんとなく、言いたいことが判った。唇だけで、ちょっとだけ微笑ってみせた。
「――いじめられてるのに普通だって言いたい?」
 ――なんて。
 これはちょっと意地悪だったかなーなんて思ったけど、口に出したらもう後の祭りだ。知らずのうちに足は止まっていて、あたしと委員長は、人の流れの中で棒立ちになっていた。
「委員長さ、同情かなんか知らないけど、あんまりあたしに関わんないほうがいいんじゃん? 委員長だって、クラスでそんな好かれてるわけでもないみたいだし、ヘタするとターゲットうつるよ?」
「……柏木です」
「は?」
 想定外の言葉に、あたしは目を瞬いた。
「なに?」
「柏木です。柏木遥。わたし、委員長って名前じゃないです」
 ……め。
 んっどくせええ。
 おどおどしているくせに、どきっぱりとした口調がなんだか妙に腹たって、あたしは思わず頭を抱える。
「あのさぁ」
「それに同情じゃなくて……あの。わたし、加納さんと友達になれたら、って」
「ともだちね」
「……ダメですか?」
「ダメとかダメじゃないとかじゃなくて、悪いけど信じないんだ、そういうの」
 ぺんっと軽く委員長の頭をはたいて、あたしはゆっくり歩き出した。
「他あたってよ」
 捨て台詞のように吐き捨てて。
 あたしは、あの道へと足を向けていた。委員長は、追ってこなかった。



 商店街を抜けて、あの場所へ。
 鞄をその辺に放り投げて、あたしは岩の上に腰を下ろした。
「はぁー」
 大きく、大きく、息を吐く。
 あーあ。あーあ。さすがにちょっと自己嫌悪だわ。あれじゃ完全八つ当たりじゃない。そりゃ、信じられないし信じたいとも思わないのは確かだよ、委員長のあんなくっさいセリフなんて。でも、真正面から否定することはなかったかもしれない。
「もっとこう、オブラートに包んで拒否を……」
「……なにを?」
「わっ!?」
 頭上から降ってきた声に、あたしは危うく岩からずり落ちそうになりながら振り向いた。
「か、奏人」
「ごめん。びっくりさせちゃった?」
「……いや、いい」
 まだばっくんばっくんいってる心臓をなだめながら、あたしは軽く首を振った。
「ゆずちゃん。隣、座っていいかな?」
「好きにしなよ」
「うん。座る」
 にこっと。人畜無害な顔で笑って、奏人はすとんと隣に座った。
「ゆずちゃん。ここ来るって珍しくない?」
「ん。久々だね。自分から進んでは」
「なんかあった?」
 ――一瞬、さっき以上に心臓が飛び跳ねた。
「なんで?」
「みんな、心配そう」
「みんな?」
 奏人は頷いて、そっと長い指を空中に向けた。森へ。それから、川へ。
「神さま、みんな。ゆずちゃんを心配そうに見てる」
「……神さま、ね」
「またかって思ってる?」
「思ってる」
「うん。僕も自分でそう思う。でもね、ホントのことなんだ」
 奏人の少し眺めの前髪が、サラっと風になびく。
「風の神さまも、水の神さまも、路地の氏神さまも、森の神さまも、みんなゆずちゃんのこと心配そうに見てるよ」
 言われて、あたしはふうっと息を吐き、顔を上げた。
 ざざっ――と風が木々の間をふきぬけていく。水面に波紋が広がり、鳥が飛ぶ。
 緑の匂いが、包んでくる。
「いるよ、ほら。そこ。川のそば」
 弾んだ奏人の声につられて、思わず目をやるけれど、もちろんそこには何もいない。
 ただ、岩があるだけだ。
「小さい、天狗みたいな……森神さまかな。ゆずちゃん、見えない?」
「奏人さ」
 いたたまれなくなって、またあたしは奏人をにらみ上げる。
「見える見えないじゃなくて、あたしそういうの信じないっていったでしょ」
「でもゆずちゃん」
 今日の奏人は何となく、頑固だ。
 ちょっと困ったような顔をしていながら、頑固に、でも、と続けてきた。
「前はゆずちゃんだって、見えてたじゃない」
 言うな。
「一緒に、見てたじゃない。水神さまと、遊んだこともあるじゃない」
 言わないでよ。
 そういうこと、そういうばかなこと、言わないでよ。
「中学入るまでは、ゆずちゃんだって」
「奏人」
 言葉をさえぎって、あたしは硬い声を絞り出す。
「ちいさい子がさ、友達の持ってるおもちゃが欲しくて欲しくてたまらなくて、想像の中でそのおもちゃで遊ぶことがあるって知ってる?」
「おもちゃ?」
「人形とか、ぬいぐるみとか、なんでもいいけど。そしたらさ、想像の中で何度も遊ぶうちに、そのおもちゃは本当に持っていたものなんだって、記憶が塗り替えられていくことがあるんだって」
「……」
 奏人が口を噤んだ。あたしの言わんとしていることを察したのかもしれない。
 奏人はトロくてバカだけど、頭の回転は決して悪くないから。
「それとおなじ。奏人がきゃーきゃー言うから、あたしだってその気になってただけなんだよ、そんなの。子供の頃は、それでいいんだよ。幻覚が見えてたって、誰も困らない」
「幻覚じゃないよ」
「幻覚だよ。神さまなんていないよ、奏人」
 また。
 ざっと風が吹く。
 森の間を抜け、神社をかすめ、どこかへ向かって吹いていく。スカートが揺れ、臙脂のリボンタイもかすかに揺れる。奏人の白いシャツが少しはためいた。
 でもこれはただの風だ。自然現象だ。決して、神さまなんていないんだ。
 だって、そうでしょう。いたら。
 神さまなんてものがもしいたのなら。
 誰も泣かないでしょう? 誰も苦しまないでしょう? 飢餓だって戦争だって災害だって、起きないはずでしょう?
 だけど、世界はまだそれに溢れてる。
 それは、神さまなんていない証拠だ。
 ほんの少し。
 戸惑ったような、泣き出しそうな顔をしている奏人とあたしは視線を交差させたまま沈黙した。
 先に視線をそらしたのはあたしだった。
「かえる」
「おくる」
 あたしの言葉尻にかぶせるように、奏人が言った。
「や、やだよ、くんな!」
「やだ。行く。送る」
 問答無用。そんな様子で奏人は立ち上がって、先に歩き出した。いつのまにか、あたしの鞄まで持っていってしまっている。
 森と空を背景にして、奏人が振り向いて笑った。
「かえろ、ゆずちゃん」



 そうだよ。
 ほんとは、ちいさいときは。小学校くらいまでは、あたしにだって見えていた。ううん、見えてるって思い込んでいた。
 神さまの姿。
 田んぼの中に、路地のかげに、川のそばに、森のどこかに。
 神さまはいて、いつも見守ってくれているって思ってた。
 あたしはそのときから、奏人ほどいつもしっかり見えてたわけじゃないけど、でも、時々確かに『見た』気になっていた。
 もふっと、クマのぬいぐるみを抱いたまま天井を見上げて、独りごつ。
 しんじてた。
 神さまを、あの頃は、信じてたんだ。
 ごろんと寝返りを打って目を閉じた。
 ――幼かったんだ、あの頃は。


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