不機嫌な娘の構い方

 俺にはこの仕事が似合わないらしい。
 それは認めよう。他人から言われるのは多少腹立たしいものだが、事実として認めよう。
 俺の仕事。
 遊園地のお兄さん。
 確かに言葉にしてみればこの上なく似合わない。その言葉の持つ柔らかいイメージと俺は確かに百八十度違う。
 身長は百八十に少し足りない。悪いが笑顔なんざは出来やしない。どうでもいいがひたすら目つきは悪いらしい。
 そんな俺が何故かこの仕事をやっていて、しかも何故か長続きしていて、もう一つついでにトレーナーという割と上の立場にいるのは、まぁ似合わないと断言されても仕方のないことなのだろう。俺もそう思う。
 しかしながら、トレーナーがこれなら、トレーニーも結構曲者がいたりする。
 トレーナーとトレーニー……つまり新人は、言ってしまえば親子関係だ。トレーナーが親で、トレーニーが子供。実際、係員間での会話で「お母さんは誰?」と言えばその『母』はトレーナーを指す。俺もトレーナー歴はそこそこ長く、娘も息子も結構産んでいたりする。ところでこの発言は会社の外でやるととても危険だったりするので注意しなければならなかったりするのだが。
 そんな子供たちの中に一人、相当手ごわい娘がいる。
 娘――川上絵里。
 十八歳。無愛想で不器用でついでにとことん社交性がない。そのくせ口答えはするという、まぁともかく厄介な娘だ。とは言え、本人は本人なりに、入りたての頃に比べ成長しているし、俺とはまぁ何とか友好的な親子関係を結んでいる――はずなのだ。
 ――が。

 今日は無駄に機嫌が悪いようだった。


「おはよう」
「おはようござ……って。なんですかその眼鏡」
 妙に冷ややかな目で、川上がこちらを見上げてきた。朝八時。この仕事の何が嫌といえば、朝の早いことが一番だと俺は思う。開園時間が早ければ早いほど、アトラクション係員はその三十分以上前に来ていなければならない。今日もそれだったのだが、昨晩はちょっと用事があったせいで、寝坊したのだ。
 三十分の遅刻である。トレーナーでありながら、と上司に嘆かれたが、起きれなかったもんは仕方ない。おかげでコンタクトを入れる余裕もなくかなり久しぶりに眼鏡姿になってしまった。
 素直にそう告げると、川上はポニー・テイルに結ってある黒髪を揺らしながら、拗ねたようにそっぽを向く。
「昨日はしゃぎすぎたからですよ。自業自得です」
「別にはしゃいではないけどな。……というか、お前、八時半入りじゃなかったか?」
「だ・れ・か・さ・ん・の・せ・い・で。早出になったんです。あたし、家近いからって。だ・れ・か・さ・ん・の、寝坊のせいで、早く来てくれって電話で起こされたんです」
「……」
 俺の家は、遠い。電車で一時間半だ。七時半いりのときは、ほぼ始発で出なければ間に合わん。それに比べて二十分自転車を漕げばつく家に住むこいつは、こういう時には非常事態要員によくなったりする。他にも電車が遅延で乱数表のようになっていたりするときも、休みだろうがなんだろうが呼び出しを食らう。
「それで拗ねてるのか?」
「別に拗ねてないです。あたし、押しの時間なんでもう行きます。とっととブリーフィング受けて仕事入ってください遅刻お父さん」
 ぴしゃりと告げると、川上はそのまま仕事のローテーションに戻っていく。
 その小さな背中を見つめて、俺はこっそりため息を漏らした。
 ……あとでコーヒーでも奢るか。


 ところが、コーヒーを奢ってやったにもかかわらず俺の娘の機嫌は直らなかった。
 冷めた表情のままで口先だけで「ありがとうございます」を告げ、そのまますたすたと休憩室へ戻る。休憩室でもあからさまに俺との距離をとる。話しかけようとするとトイレに行くだのなんだのといって交わされる。仕事中も、普段は俺に訊いて来るであろう質問でさえ俺を避けて他の奴に訊く。あからさまに機嫌が悪い。もともと顔が怖いのだから、そんな顔で外に出るなと告げようもんなら「貴方にだけは言われたくないです」と一蹴された。
 午前中いっぱいそんな調子で、いいかげん俺も疲れ果てた。


「……納得いかん」
「お疲れモードね、上田君」
 昼食時間に休憩室の机に突っ伏した俺に声をかけてきたのは、同期のトレーナー、澄川だ。俺の向かいに座って、頬杖をついて見下ろしている。肩までの黒髪がさらっと揺れた。
 昼食時間はばらばらだが、ローテーションの関係で一緒にまわる奴もいる。今日のメンツは俺と澄川、あと俺の同期の木村。もう一つついでに、本当なら川上も一緒なんだが、どうも姿が見えん。外の休憩所にでもいるのかもしれないが。
 川上の姿が見えないことをもう一度確認してから、俺は呻いた。
「澄川」
「何ー?」
「川上の機嫌が異様に悪い」
「それは私に言われても困るわ。というか、言われなくても係員全員気付いてると思うよー?」
 ……そりゃそうだ。
 澄川は目を細めてくすくす笑う。――どうでもいいが、こうしていると大人しい女だが、こいつは別名オセロ部部長。その心は、外は白いが腹は黒い。ついでに居酒屋につれていくと本領発揮される。昨日もあれだけ飲んでいたというのに、二日酔いの素振りは全く見られない。同期だからこそ最初から知っていたが、こいつは女の皮を被ったただの化け物だ。
「意味が判らん。確かに俺は遅刻したし、奴にも迷惑をかけたかもしれないが、いつもならここまでじゃないだろう」
 川上はすぐに拗ねるし怒るが、基本的に持続はしない。
「……上田君、それホンキで言ってる?」
「何がだ」
「川上さんのご機嫌斜めの理由」
「あ? 違うのか?」
 俺が顔だけを上げて疑問符を投げると、休憩室内にいて今まで我関せずを決め込んでいた木村までこっちを見た。
 その視線が、なんと言うかとても痛い。
「……上田。お前一回、頭使え」
「諦めたほうがいいよ木村っち。たぶん上田君は二日酔いっぽいわこれ」
「待てお前ら」
 そこそこ仲のいいふたりに口々に言われ、俺は眼鏡を外して軽く瞼を揉んだ。ああ、くらくらする。意味が判らない。
「他に何があるって言うんだ?」
「……うーえーだーくーん」
 澄川がはぁと大げさなため息をつく。ぴっと細い指を立てて、こちらを見据えてきた。
「昨日の飲み会」
「が、どうした?」
 さっき言った昨晩の用事がこれだ。部署内の交流会をかねた飲み会。俺も参加したし、澄川も木村も、もちろん娘である川上も参加していた。他にも、もうやめた連中も何人か。
「さお利さん、来てたでしょ」
「……あ?」
 出された名前に、俺は思わず眉をひそめた。昨日来ていた、もうやめた連中のうちの一人。
 有馬さお利。
 ――何を隠そう、俺の『母』だったりする。
「それが、どうしたって言うんだ。別にもう何でもないし、そもそも川上には関係ないだろう」
「上田君、それホンキで言ってるようなら、私あんたを絞めるよ?」
「七割本気だ」
「残り三割の本気を吐けこら」
 笑顔のまま、澄川。さすがだな、オセロ部部長。
 ――実際、ただの母子関係でなかったのは確かだ。さお利さんがこの部署に居た頃に、一時期だが男女の関係になったことがある。とはいえそれはもう一年以上前の話だし、川上には関係ない――というか、知りようがないはずだ。昨日はそんな素振り、互いに見せちゃいない。
 そのことをそのまま告げると、一瞬にして休憩室に黒い沈黙が落ちる。
「なんだこの空気は」
「上田。オレはお前に謝罪しなければならん」
 てへ、と木村が気色の悪い笑顔でこう言った。
「川上さんにオレ昨日色々話しちゃったわ☆」
「木村コロス」
 木村の顔面に拳を叩き込んでから、俺は眼鏡をかけなおして立ち上がった。



 外の休憩所は、自販機と喫煙所がある。早足でそこに行ってみると案の定、川上の姿があった。一人でもそもそと不健康そうにパンを食べている。
「川上」
 呼びかけると、無言でぴくりと奴の肩が動いた。静かな視線が、こちらに向けられる。
「何か用ですか」
「……機嫌悪いな、本気で。何だその顔は」
「地顔です」
 残っていたパンを口に放り込むと、川上はすたすた歩き出す。そのポニー・テイルをぎゅっと掴んで止めると素っ頓狂な声を上げた。
「何するんですか!」
「逃げるからだろうが」
「別に逃げてません」
「ほぉ?」
 正面にまわって腕を組んで見下ろしてやると、川上はややたじろいだ様に表情をうろつかせ、こちらをそっと上目遣いで睨み上げてくる。なんとなく、猫みたいだと思った。それも切り傷やらなんやらをおった、手負いの猫のような。
「じゃあ、何で避ける?」
「別に」
「さお利さんのことか?」
 ぴくり――とあからさまに反応があった。
 図星、か。
 よし木村。あとでもう一度殴る。
「さお利さんとは、もう終わってる。お前が拗ねるようなことじゃない」
「……別に、拗ねてなんか」
「それはいいから。俺はさお利さんとの母子関係より、今はこっちの不機嫌な娘のほうが気になるんだよ」
「……」
 ぽす、と頭を叩くと、川上はゆるゆると表情を崩して俯いた。
「あっちの母子関係は終わった。もちろん、男女関係もな。ドゥーユーアンダースタン?」
「……いえす」
「いい子だ」
 ぽすぽす、ともう二度頭を叩いてやると、川上の顔に赤みがさした。それをみて、思わず表情が緩む。
「川上」
「はい……?」
「ごめんなさい、は?」
「――は?」
 俺の台詞に、川上の顔から赤みが消え、代わりにぎょっとした色がさした。
 その顔を見下ろしながら、俺は浮かんだ笑みを手のひらで隠しながら続ける。
「勝手に誤解して、勝手に拗ねたんだからな」
「ちょっ、それ卑怯!」
「ごめんなさい、は?」
 川上の言葉を遮って、視線を合わせてやる。
 眼鏡の向こうで、川上が困ったような参ったような顔をして、それからゆっくりほとんど聞こえないような小声で「ごめんなさい」と呟いた。
 よし。俺の勝利。
 ――と思ったのも、つかの間だった。
 川上がはっと勢いよく顔を上げる。その顔に、にやっとした笑みが浮かんだ。
「上田さん」
「……嫌な予感がするな」
「ごめんなさい、は?」
「――ハァ!?」
「遅刻して、娘に迷惑かけたんですよ? 良好な親子関係に信頼は必須ですよねー? だから、娘として、お父さんのごめんなさいが聞きたいです、あたし」
 にやにやと――にこにこと。
 川上が見上げながら笑ってる。
 俺は暫く絶句して、それから何度か天を仰ぎ、ちくしょうと小声で呟いた。
 ……仕方ない。
「……ごめんなさい」
 呟くと、一瞬の間があった。
 ああああ。冗談じゃないぞ、これは。恥ずかしいにも程がある。
 けらけらと後ろで上がる笑い声から逃げるように、俺は早足で休憩室に向かった。
 夏も近い陽射しが、背中に暑い。







――Fin.

参考作品
無愛想な奴との接し方

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お題バトル参戦作品。
幸恋縛り テーマ:ごめんなさい お題:切り傷 コドモ 眼鏡 遅刻 上目遣い から任意で四つ選択。全使用。 
制限時間一時間半。



『無愛想な奴との接し方』続編。
ちなみにこれは『プレ続編』。実は『有馬さお利さん襲来事件』の構想があったりします。
……書けたら書きます(笑)。