雪が、降るたびに。
思い出す言葉がある。
繰り返し、繰り返し。
祖母の口から紡がれる、魔法のような言葉。
『お前には天使がついているんだよ――』
「ごめんね、あたし……やっぱりあんたとは合わないよ。あたし亮と付き合うことにしたんだ。だから……ごめんね」
20世紀最後のクリスマス。
天からちらちらと雪が降り出し、街を彩りだした。
ホワイト・クリスマス。
それは俺にとって……
――最悪にも程があるだろうっ!?
「あぁ……くそさみぃ……」
コートを着た腕をさすりながら、俺は白い息を愚痴とともに吐き出した。
ほっといたら泣きそうだった。街中でそれだけは勘弁してもらいたい所だったから、俺は愚痴を言う事で気持ちを紛らわしていた。
厚い雲から雪がまっていて、街中を静かに飾り始めている。
「うがぁ……どいつもこいつもいちゃいちゃしやがって……俺の前に姿を見せるなぁ刺すぞてめぇら……」
我ながら物騒な事を言いながら半眼になっている。どーでもいいが俺は今犯罪を犯す気にはならねえ。17とか言う年齢じゃ『またか』ですまされちまうからな。
それじゃあんまり意味がねえ。
それにいまは男一人くそ寒い中、カップルだらけの街中を歩くという罰ゲームにも似た行為をやってるが、実際は俺だってこのバカップルの一員になるはずだった。
――薫さえ、裏切らなかったら。
…………………………
「我ながら女々しいぞ……」
情けなくなってきた。はっきり言おう。こういうのは俺の性分じゃねぇ。
女なんていくらでもいる。幸い俺は容姿と身長には恵まれてるらしい(ついでにテクも)。んだもんで、誘えば軽い女くらいならいくらでも引っ掛けられる。
綺麗なおねぇさんは(年上趣味)好きだし、女は好きだし。エッチも好きだし。
そこらでちぃと声かけてみればいいとは思う。
せっかくのクリスマスなんだしな。
……だけど、今はそういう気分にはなれなかった。
「はぁ……」
溜息は白く、何処までも白く。
クリスマス・ツリー、バイトのサンタクロース。街の何処からか聞こえてくるクリスマス・ソング……年に一回のクリスマスをめいっぱい彩ろうとしている街中は綺麗といえば綺麗なのだろう。
いろんな色があふれていて。妙に浮き足立っている人ごみ。
親にプレゼントをねだっているクソガキ。明日の朝それが枕もとにあるだろう。無駄に寄り添っているカップルカップルカップルカップ……やめだ。
俺は街路の隅の自販機で缶コーヒーを買って、人気の少ない路地に入った。
人ごみから抜け出たかったのだ。
そのまま雪の積もったベンチに座り込み、熱い缶コーヒーのプルタブを開ける。
一気に喉に流し込む。熱い感触が通っていった。息をつくと、さっきよりの白かった。喉の熱さと、外気の寒さに、涙が出そうになっていた。
「亮の奴……」
苛立っているのが判った。まさか、と思ったことはあったのだ。何度も。
薫のつけている香水の匂い。それが亮からしたこともあった。だけど、何度も自分を誤魔化していた。
亮は俺の小学生の時からの親友だ。あいつがそういう――裏切るだとか横取りだとかが一番嫌いなのを知ってたからだ。
だけど……
『ごめんね、あたし……やっぱりあんたとは合わないよ。あたし亮と付き合うことにしたんだ。だから……ごめんね』
頭を離れない薫の声。薫の後ろで目も合わさずにうつむいていた亮の姿。まぶたと内耳にこびりついて……
雪が降っていた。白い雪が。羽根のように。あるいは……涙のように。
いつだったか……ばあちゃんが言ってた言葉を思い出した。
『お前には天使がついているんだよ』
……俺の母親は、俺が3つの時に死んだ。記憶に残っている母親の姿はあまりに曖昧で……ばあちゃんが言う『天使』が母さんを指しているのだと判りはしたが……そんなばあちゃんを哀しく思ったこともあった。天使なんていやしないのに、と。
そのばあちゃんもボケて入院生活。父は女の家に入りびたりで帰ってこない。姉貴はその逆。そして俺がこれ。
…………母さんごめん。
「天使ねぇ……」
空からはとめどなく降りつづけている雪。20世紀最後のクリスマスは薫とホワイト・クリスマスになる予定だったのだ。バカップルを代表するような事をしでかすつもりでもあった。
……俺の二万円……
コートのポケットで居場所がなさげにうずくまっている指輪。薫のためにとなれないバイトをして稼いだ金でかったのだ。
だけど薫は俺じゃなく亮を選んだ。亮と過ごすのだ。
悪くないとは思う。好きな奴と過ごすほうがいいだろう。曖昧なままで終わらせないでいてくれた薫には感謝もしてる。けど……
俺はぐっと残っていたコーヒを一気に喉に入れた。
雪が降る。悔しいくらい、綺麗に――……
「なぁにしてんの?」
どれ位、時がたった頃だろうか。
不意に顔が陰った。視線を上げる。ブーツにストッキング。ミニスカートに白いコート。小柄な体の上に乗っかっているベビーフェイス。
……女?
「……ひなたぼっこ」
「雪積もってるよ」
「じゃあ人間雪だるま」
「転がったほうが早くない?」
……確かに。
「って、何なんだよお前は。逆ナンなら明日以降に予約表に記入よろしく」
「だれが逆ナンよ」
「でもごめん。おにーさんガキには興味なくて」
「だれがガキよっ!」
いまいち成り立っていない会話を交わしたあと、俺はそいつをもう一度見た。
脱色も何もしていない……薫とは正反対の容貌。垂れ目だし鼻は低いし。ピンクの唇が可愛いってのが救いだが……それだって目立つ可愛さではない。
肩までのセミロングを白い帽子で彩っている――唯一のアクセント。
それがまぁガキっポイったらありゃしない。いったいいくつなんだこいつは?
「どう見たってガキだと思うが……」
「あんたよりは年上だよっ」
「…………」
まぁ子供の口喧嘩に付き合う義理はない。
「ねえ、何してたの?」
立ち上がって雪を払い落としていた俺に、横から声をかけてくる。……迷子か?
それにしても……粉雪が俺の体に積もるくらいだなんて……
「俺、どれ位座ってたんだ……?」
「二時間だよ」
俺の独り言に、間髪いれずに返事が返ってきた。
……二時間?
その時間を訊いて、俺は身を振るわせた。寒いはずだ。
「……って、何でお前が知ってるんだ?」
「見てたもん」
「……ずっとか?」
「うん」
馬鹿と見た。
「あのなぁ……お前なんだよ? 迷子なら交番いけ交番。おにーさんは忙しい」
「迷子じゃないよ」
睨み上げるように言った後、その子供ははっきりと言った。
「天使だよ」
………ぴたり。
「ってなんでおでこに手当てるのよっ」
「いや熱あるのかと心配して」
「熱なんか無いっ」
確かに。いやに冷たかった……奇妙なほど。
「天使だよっ。あたしは天使なのっ! 信じてないの!?」
「信じるほうがおかしいだろ」
街頭アンケートをとって17歳の男子に『天使の存在を信じるか』と言ったら多分92.19%くらいの確率で『NO』とかえってくるはずだ。
「うぅ〜〜〜!」
「いやう〜っていったって」
大体俺は今かなり気分が沈んでいる。悪いけど子供の相手をするほど余裕がない。
「いい子だからとっとと帰れ。おかーさんが心配してるぞ」
「おかーさんは入院中」
……ぐはっ。痛いところをつついてしまったようだ。
並んでみると、やはりその子供は背が低かった。俺の肩くらいあるかないかといった程度だ。ちっこい。
「……そうはいってもおにーさんは忙しい身なんだ。お前とは遊べないの。判るか? 判るよな? 判ってくれ。判ったな。んじゃな」
「……二時間もボケって座ってたくせに」
「それを二時間見てるお前もお前だろうが」
「………」
「………」
ほんの数秒にらみ合ったあと、妙にばっちりのタイミングで俺達は溜息をついた。
「無意味だよ」
「全くだ」
俺は頭をぐしゃぐしゃとかいたあと、そいつの視線に合わせてしゃがんだ。
くるくると丸い瞳を覗き込んでいってやる。付き合うしかなさそうだ。とっとと終わらせて何処かへ行きたい。
「で。どうした?」
「あんたを幸せにしなくちゃいけないの」
………会話を成り立たせる薬か機械を発明してくれ誰か。
「……わぁっなんて俺は幸せなんだろう! 神よ仏よその他諸々に大感謝! 生きてるって素晴らしい! 素敵だ幸せだあ!」
「棒読み。どへたくそ。」
「やかましい。と、言うわけで俺は幸せなの。んじゃな」
「待ってよっ!」
幸せを大声で叫んで身を翻した俺に、背後からその子供が抱きついてきた。
「……おにーさん胸がないおんなのこは嫌い」
「ヘンタイっ」
ばこっと頭を殴られた。どーでもいいが弱いぞ……腕力つけろ?
「お願いだよおっ手伝わせてよっ! でないとあたし天使になれないんだよっ」
「……お前、言ってること矛盾してるぞ」
「全部話すから聞いて」
「てかその前に放して欲しい」
「話聞いてくれるなら放す。放して逃げたら追っかけて殺す」
「……判った、聞く」
全く。脅迫する天使なんて聞いたことねえぞ。
俺が諦めて頷くと、そいつは頬を上気させて俺の前に回りこんできた。暗い路地の中でもはっきりと判るように。
「信じてくれるの?」
「とりあえず話聞いてからな」
「うんっ!」
自称天使のその子供は、満面の笑顔で俺の手をひいた。
「行こうよ! 此処じゃ寒いよ、どっかあったかい所いこう」
「……そうだな」
俺は苦笑しつつ、その手に引かれるがままついていった。
気を紛らわすのには一人より二人のほうがまだましだ……
「ほらっこれみてっ!」
言いながら、そいつはポケットから小さなビンを出した。
透明のビンの中に、小さな白い羽根が一枚入っていた。鳥の羽根にも見える。
「これは?」
俺はバーガーにかぶりつきながら訊いた。
どこかあったかい所といったって、さすがにクリスマスにファーストフードとは哀しくもあるのだが……この子供、財布を持ってやがらなかったのだ。仕方なしに俺が出している。
だもんで文句は言わせん。
「天使の羽」
「その小さなの一枚が?」
「そう」
その子供は頷いてそのビンを俺の目の前に掲げた。
「綺麗でしょ?」
「食えそうにはないな」
「食べないでよっ」
からかうと面白いのかもしれない。
そいつはコーラをすすってから、ビンを掌で玩ぶ。
「……これがね、成長しないとあたしは天使になれないの」
「お前は天使じゃなかったのかよ」
「うーん……正確には見習い天使。信じてくれたの?」
「いやまったく」
「……あそ」
すでに諦めたのだろうか、そいつは僅かに肩を落とすと溜息をついた。
「何であたし、こんなやつの担当に当っちゃったんだろう……」
「担当?」
「そっ。あたしの担当はあんたなのっ。もーっなんでこんなひねくれやろうなの?」
「俺の買ったバーガー食いながら言う台詞か」
「それはそれ。これはこれ」
……このクソガキ……
そいつはテーブルにひじをつくと、はあと溜息をついた。
「……クリスマスだね」
「そうだな」
「……天使ってさ、寂しいよ」
「……?」
いきなり愚痴じみたことを言い出したその子供に、俺は気まぐれで付き合ってやることにした。無言のまま話を促す。
「クリスマスもさ、一人だもん。それに何が起きても掟掟……言っちゃいけない触れちゃいけない関わっちゃいけない……寂しすぎるよ」
「……俺には実際よくわからんけどな」
「そりゃ信じてない人には判んないでしょうよ〜」
打って変わって軽い口調で言うと、そいつはぐっと腕を伸ばした。
「出よっか。天使には不似合いすぎるよ此処」
食べ終わった後の紙をくしゃりと丸めて、俺は苦笑しつつ立ち上がった。
一人よりは二人のほうが気持ちは落ち着いた。だけど人に関わるのはいまは辛かったのだ。人が多いファーストフードは少しきつかった。
「そうだな」
俺は立ち上がると、その子供を率いてファーストフードの店を出た。
「うわさむぅ……」
「二時間座ってた馬鹿は風邪ひかないから大丈夫だよ」
「じゃあお前も大丈夫だな」
「そうでしょうね」
皮肉で言ったのだが素で返されてちと哀しくなったりして……
「なあ」
「何よ」
「天使ってさ。何してるんだ?」
「信じてくれたの!?」
「いやどんな屁理屈が聞けるのかと興味があって」
「……まいっか」
子供はくすりと笑った。諦めたような笑いだが、少し寂しげでもあった。
「幸せにするの。人を」
「どうやって?」
「さあ。それを自分で探すのが見習い天使が天使になるための試験だからね」
「で、俺の担当と?」
「そういう事。じゃあ今度はあたしから質問ね」
そいつはぴっと指を立ててきいた。
雪が、そいつを縁取って――……
「あんたさ、どうして欲しい? どうしたら幸せになれる?」
「…………」
そう、訊かれて。
一番初めに浮かんだのが薫だった。女々しい。すげえ女々しいぞ俺……
できるなら。
あいつを亮から取り返したかった。いや……
「少し前の俺を殴りにいきたい」
タイムマシンがあるなら。ドラえもんがいるなら。
かっぱらって殴りにいきたい。むしろぶっ殺しにいってもいい。
薫の事で、頭がいっぱいで。
亮の事を、信じていて。
馬鹿みたいに夢中になっていた俺自身を殴りにいきたい。殺しにいきたい。
そしたら。俺は……
「嘘だよ」
「何がだよ」
「そんなんじゃ幸せになれないよ。それで幸せ手に入れてもそれは偽物の幸せだよ」
殴りにいって、殺しにいって。今の自分を否定して。壊して。
そしたら幸せになれるか?
そんなもん、答えはNOに決まってる。
判ってるさ。でも……
「わからねえよ」
「……言ったね」
「言ったさ」
「それじゃ実際にやってきなよ」
乾いた声がした。冷たく、吹くこの風のように乾いた声が。
そして、次の瞬間――……
「……まぢですかい」
雪が、降っていなかった。
馬鹿みたいに寒い風はかわらなかったが、雪が降っていなかった。
ていうより。
目の前にある、今出てきたばかりのファーストフード店。23日までのメニューのポズタ―がまだはられていた。
別に店が間違ってるわけじゃない。さっきまでは確かになかった。
「………」
奇妙な予感がした。視線を上げた。その予感に導かれるがままに。
「…………やっほう………」
ぼそりと抑揚のない声で思わずつぶやいていた。目の前に、いた。正確には目の前の道路をはさんだ向かい側に、いた。
……俺が。
「いやんばかん……」
意味不明な言葉をつぶやいて、俺は隣を見た。いない。あのガキが。
「……信じるしかねえのかよ」
頭が痛くなる思いだった。てか実際いたい。
信じたくはねえが……信じるしかなさそうだった。俺が目の前にいるのだから。
来ちまったんだ、俺は。何日かまえに。いや――おそらくは昨日か。
昨日、俺は此処を通ったんだ。薫の――指輪を買うために。
「………」
腹が立ってきていた。だれに対して? 自分に対してだろう。
馬鹿な――俺に対して。
「ああ……やってやるさ」
ぐっと唇を引き結んだ。あのガキ、馬鹿にしてやがる。やってやるさ。
昨日の俺を殺してやる。いまの俺のこんな思い、しないなら幸せだ――
簡単だった。殺すのは。
馬鹿みたいに簡単だった。
昨日の事だ。何処へいったか覚えていた。先回りをして――刺した。
それだけで、あっけなく。
俺は死んだ。
「ねえ……幸せ?」
声が聞こえた。降る雪のように。やんわりと降り注ぐ如く。
切ない声。子供の声――……あの、ガキの声。
「……全然」
俺の声が聞こえた。まるで借り物のように。
目の前は白い暗闇。不思議な光景――……
「死んじゃったら意味ないんだよ」
「本当だな……」
俺を殺した。そうするとあっけなく俺も死んだ。
その場で。
意味がなかった。
幸せは死んでも来なかった。
「……幸せに、なろうよ」
泣いているようだった。この白い暗闇では顔は見えなかったが。
「なりたいさ、俺も……」
つぶやいた俺の声が震えていた。
「薫さんの事、好きだったんだね」
……どうして薫の事を知っているのか、それを問う気にもなれなかった。ただ、くやしくて……
「好きだった」
声が、涙を表していた。
初めて、本当の事を言った子供のように。
「好きだった……どうしようもなく。……愛してた」
――愛してた――
子供だった。夢中で。ただがむしゃらに。
それでも。
……薫の事を愛していた。
「……どうしたい?」
「……どうしようも、ねえよ」
悔しいけど、事実だった。
「悪いな……お前、天使になれねえよ。担当が俺じゃ仕方ねえ」
「そんな事、ないよ」
優しい声とともに、暖かい感触が体を満たした。
「……目を、開けてよ」
声は、魔力があったのだろうか。
目は――俺の固まった意識を動かして、開いてくれた。
「……おかえりなさい」
「ただいま」
泣いている子供の顔が目の前にあった。俺を見下ろしていた。
此処は――何処かの公園か。
「……ただいま」
もう一度。はっきりと言った。
「もう……心配させないでね」
「お前が手伝ったんだろうが」
苦笑をして、俺はそいつの頬を伝う涙を拭ってやった。
「幸せに、なろうよ」
あの、白い暗闇の中で聞こえた言葉を繰り返した。
「……なりたいな」
天から降る雪。聞こえてくるジングルベル。
「なれるよ」
はっきりと言った。そいつは。
「なれる」
言うと、先ほどのビンを取り出した。
そしてそのまま、それを地面に叩きつけて――割った。
「おいっ!」
思わず発したその言葉より先に。
「……っ!」
ビンの中の羽根が、急速にでかくなった。
それはそのまま一対の翼となった。降る雪にも負けないほど純白の翼に。
そして――子供の背中にぴったりとはまった。
「…………」
あまりに、幻想的で。
降る雪の中に佇むその子供があまりに幻想的で。
俺は暫らく息をすることが出来なかった。
「なれるよ。あたしが、なれたんだから」
「……?」
「まさかこうなるとは思わなかったよ」
そいつは笑っていった。背中に羽を生やした天使は。
「……あたし、あんたが帰ってきて幸せだったみたいね。そしてどうやらそれが本当の試験の意味だったみたい」
「……自分の幸せ?」
「そう……」
ふわりとそいつは浮き上がった。
夢の如く。
地面から数センチ浮いた体勢で、俺に向かって言った。
「幸せに、なりなさい」
涼やかな声で。
「幸せになりなさい――幸大」
「……っ!?」
幸大――俺の名前。
それを……何故、知っている?
「なん……で?」
「だって、あたしがつけたんだもん」
いたずらっ子のようにそいつは笑った。
幸せになりなさい。大きな幸せを掴みなさい。そういう意味をこめて――……
「ま……さか」
俺の言いたい事が判ったのか。
その子供は――天使は、切なげな微笑みを浮かべた。
「幸せになりなさい。あたしはずっと、あんたを見守っているからね……」
天使は。
降る雪の中。
ふわりと浮き上がり。
俺の前から姿を消した。
『幸せになりなさい』
声が、耳にはりついていた。薫の別れの言葉より深く。
「……なるさ」
笑いがこみ上げてきた。何故か。
「なってやるさ。幸せに」
そして、不意に思い出した。
――薫って。
「……母さんと同じ名前か」
高い空から雪が降る。白く街を彩る。
何度も繰り返された言葉のように。
遠く近く涼やかに。
幸せになれ、幸せになれと――……
雪が、降るたびに。
思い出す言葉がある。
繰り返し、繰り返し。
祖母の口から紡がれる、魔法のような言葉。
『お前には天使がついているんだよ――』
――END