君が待つ空の下へ、僕を迎えに行く。




 間の抜けた声で、車掌が次の駅名を垂れ流している。
 不規則に揺れる電車の中で、俺は漏れかかるため息を飲み込んだ。
 疲れている。
 仕事は充実している。ペーペーだった頃に比べて、それなりに重要なポストも任されるようになってきたからだろう。そのぶん疲労もたまるし責任もかかってくるが、充実はしていた。
 しかし、さすがに体がついていかない。結局俺は今日、社内に十四時間いた。眼精疲労も金メダル級だ。
 自宅の最寄の駅まで、あと三駅。
 電車が揺れて、停車した。小さな駅だが、ここを最寄駅とする高校がある。制服姿の女子高生が何人か乗り込んできた。疲れた漏れ出ない吐息だけが立ち込めていた車内が一気に騒がしくなる。煩わしげに眉をしかめるスーツ姿のサラリーマンが何人か。俺もその中に入っているのだろうか。
 ふと、ぼんやり思う。
 俺も同じように制服を着ていた頃――そんなに遠い昔だとも思えないのだが、相当昔になってしまった――思っていたはずだ。
 ため息をついてばかりのハゲ親父にだけはなりたくない。
 ……いかん。着実にその道を辿っている気がする。禿げてはないが。
 スカート丈が馬鹿のように短い女子高生は三人組で、きゃらきゃらと笑いながらはしゃいでいる。なにがそんなに楽しいのか。そう言えば声を出して笑ったのなんて、最近あっただろうか。
 色々やばい気がしてきた。発想がすでに親父だ。いかん。これじゃ、いかん。
 と、ふとスーツの裏ポケットに入れていた携帯電話が震えた。電車内ではマナーモードに――は常識だとは思う、が、優先席付近で切るのはなかなかしないことだろう、とも思う。それではいけないのだろうけれど、所詮その程度の認識しか持ち合わせられない低俗な人間だ。
 ぱかりと二つ折りのそれを開ける。一件、新着メール。
 書かれていたタイトルと送信者に、俺は小さな微苦笑を浮かべた。

『件名:プレゼントは由梨香の愛だよん☆(笑)
 差出人:佐野由梨香』

 久しぶりの名前に、知らずに顔がほころぶ。大学卒業と同時に上京した俺と違い、こいつはまだ地元の福島の空の下だ。
 元気――なのはまぁ、そりゃそうだろうな、と思う。
 由梨香は俺と十も離れた年下の従妹だ。といっても、家が徒歩五分の距離にあったせいか、小さい頃から俺は由梨香の子守りをしていたし、由梨香も俺になついている。どちらかというと、従妹と言うよりも兄妹の関係に近い。
 とはいえ、故郷を離れてからはなかなか会う機会もなく、やはりというかなんというか――徐々に離れてはいる。それは確かにある。
 俺にしてもそうだが、由梨香にすればもっとだろう。上京する俺に拗ねて当たっていたあの頃とは違い、それなりに成長しているだろうし、時々来るメールを見るかぎりでは友人と毎日楽しく過ごしているようだ。――彼氏だったりするのかもしれないが、そのあたりは少しばかり腹が立つので考えない。そう、楽しそうだ。遠く離れた従兄と連絡をとるより身近なことが忙しいのも当たり前だ。今、同じ車内にいる女子高生のように。
 しかし、なら何の用だ? プレゼント? 何かいいことでもあったのだろうか、と本文をひらく。
 女子高生らしい、やけに跳ねた文章が踊っていた。
『Dear宏兄
 はっぴばーすでー☆ 宏兄! とうとう27だねー! 元気で過ごしてますかー?
 まだ結婚しないのー?(笑)』
 ……やかましい。
 いや、そうじゃない。そこじゃない。いかん、すっかり忘れてた。
 誕生日。そうだ、十月十三日は俺の誕生日じゃないか。今日で二十七じゃないか。完全忘却か俺。それはどうだ。やばい。やばすぎるぞ。
 苦笑を飲み込み、メールを返す。女子高生たちのように早打ちは出来ないが。
『やかましい、ほうっとけ。誕生日メール(で、いいのか?)ありがとう。こっちは仕事でへろへろしてるが、それなりにやってるよ。由梨香も気をつけろよ。寒くなってきたしな』
 送られてきたメールを考えれば、かなり味気のない文章にはなったが、まぁいい。それを送信する。
 電車の揺れが少し立つと、すぐに返信がきた。早い。
『宏兄、文面おじさんすぎ!!(笑) もーすぐ三☆十☆路だねっ☆ さっすが♪』
 うっわ、はったおしたい文章がきた。
『誰がもーすぐだ。今日27になったばかりだ』
『怒るなよーv だいっじょーぶだ! 男は三十路をすぎてからが勝負だ!』
 女子高生がなにをほざいてやがる……
 多少げんなりしたところで、はたと気付く。電車は最寄駅に着いていた。
 人波に流される形で満員電車を降り、駅を出る。
 東京の中ではかなり田舎に当たるであろうその駅でも、街灯は煌々とついていて。
 由梨香のいる福島の空のように星は見えやしない。

 帰りたいな、と思うことがある。
 望んででてきた街ではあるが、時折、疲れて帰りたくなる。
 騒がしい喧騒から逃れて、両親のいる、親友たちのいる、由梨香のいるあのふるさとへ帰りたくなる時がある。
 けれど消化していない有休がたまりつつある今日この頃じゃ、そんな思いが叶えられる筈もなくて、結局は願うだけになる。年末年始とお盆には帰るが、それだけだ。
 駅からの道はばらばらに人が歩き出し、俺のすんでいるマンションへの細い道になると人通りはまばらになった。
 少しだけ静かな秋の夜。
 自宅へ向かう帰り道。
 ふと思いつき、携帯をいじって俺は耳に当てた。
 短い着信音の後に、すぐ携帯を突き破って出てきそうな元気な声が聞こえた。
「宏兄ー! ハッピバースデー!」
「お前、声でかすぎんだよ」
 苦笑を漏らす。けれど。
 なつかしかった。元気なんだな、とどこかで安心する。
 空を見上げても故郷の空は見えない。
 けど確かに空は繋がっているはずで。
「宏兄、そろそろ耳遠くなるんじゃないかって、気を使ってあげてんじゃん」
「……由梨香、お前、帰ったら覚えとけよ」
「やーん。宏兄、可愛い妹に暴力はいけないわーよー」
「誰がかわいいだ誰が!」
 軽口の応酬。声を上げて笑う、その瞬間。
 職場にいる俺とはちがう、俺自身の姿がそこには確かにあった。
 それを自覚して、ふと泣きたくなる。
 本来の俺も、あの福島の空の下に置き忘れてきてしまったのだろうか。
 由梨香のように、置き去りにしてきてしまったのだろうか。
 だとしたら、すねているだろう。あの時の由梨香のように。俺自身が。


 ――迎えに行って、やらなきゃな。


 本当の俺自身を、あの空の下へ。
 連れてきてやらなきゃ、いけないだろう。随分長いこと放ったらかしにしてきてはしまったけれど、やつは許してくれるだろうか?

 由梨香との電話が、俺にその事を思い出させてくれた。そんな気がした。
 だとしたらそれは、たいそうなプレゼントだ。
 会話は弾んで、楽しいはずなのに、何故か涙腺が緩む。
 街灯が、ロウソクのようにゆらゆらと揺れて見えた。
「由梨香、――来月あたり、そっち帰るよ、また」
「え、ホント?」
「ああ」
 由梨香が、電話の向こうで嬉しそうに声を弾ませた。いつまでたっても兄離れしないやつだ――とは思うが、それは俺もかもしれない。
「じゃー、そんときちゃんとパーティーしよっか。ケーキ焼いたげる!」
「ロウソク頼む」
「二十七本もどーやって立てんのさ!?」
 笑いあう、そんな瞬間が心地良い。

 二十七になった今夜、ようやっと思い出したそれを、この街でも取り返すために。
 自分への誕生日プレゼントにしよう。


 来月、有休をとろう。
 新幹線に乗ろう。
 そして。

 ――俺を迎えに行こう。
 由梨香が待つ、福島の空の下へ。



 

――Fin.    











お題バトル参戦作品
テーマは「誕生日」、単語は「蝋燭」「プレゼント」「妹」そして何故か「三十路or三☆十☆路」。