むかし、むかし。
 あるところに、ひとりの男の子がいました。
 男の子はとてもさみしがりやで、いつも泣いていました。
 ――くすん。くすん。さみしいよ。さみしいよ。
 空から見ていた神さまは、男の子にたずねました。
 ――どうしたんだい、君。なにがそんなにさみしいんだい。
 男の子はくすんくすん、泣きながら答えました。
 ――わからないんだ。みんなといても、いろんなものをもっていても、僕はとってもさみしいんだ。
 神さまはすこし考えてから、きらきら光るお星さまをひとつ、男の子にあげました。
 ――どうだい、君。こんなにきらきらした美しいものがあるよ。君はもうさみしくないだろう。
 男の子はお星さまと同じくらい目をきらきらさせて、こくんとひとつ頷きました。
 ところが、次の日になると、男の子はお星さまを抱きしめたまま、またくすんくすんと泣くのでした。
 神さまはびっくりして、次の日も、また次の日も、お星さまを男の子に与えたのです。
 そうして気が付くと、あら、大変。
 お星さまはお空から、ひとつ残らず消えてしまっていたのです。



 朝焼けの少し前。まだ夜を纏った冷たい風が吹く空が、ジェイドは一番好きだった。そろそろ春とはいえ、まだ凍えるほど寒い。弾くと高い音をたてそうな空に、そっと指を伸ばす。視界の端から端へ指を走らせる。そうしていくと、ある一点でちりんと言う音が耳に届く。指を止めた。ちりんという音はジェイド以外には聞こえない。だがその音は嘘を吐いたことがない。それは《ここ》という合図のようなものだと思っていた。
 くるりと、指をまわす。空に円を描く。そしてその人差し指に熱がこもったのを感じると同時に、素早く握りこむ。
 いつの間にか止めていた息を吐いた。周りにいた仲間たちが駆け寄ってくる。
「ジェイド、採ったのか」
「見せて見せて」
 ジェイドは少しだけ勿体ぶって微笑んでみせた。そうっと、手を開く。
 ――手の中に、空があった。
 正しくは、空を閉じ込めた石だ。たった今、ジェイドが空から採取した空の石。
 爪ほどの大きさだ。螢石に良く似た沈んだ藍紫をしているのに、透明度が高く澄んでいる。透き通った石の中で、藍紫は渦を巻くようにゆるやかにうねって動いている。摘んで空に掲げてみる。ちょうど昇り始めたばかりの太陽の光に、石は鮮やかに煌めく。
 周りに集った仲間たちの口から、感嘆の息が漏れた。
「すげえ綺麗だな」
「うん。さすがジェイドにいちゃんだな!」
 仲間内でも一番幼いアニルが、目を輝かせながら興奮した様子で言った。
 朝風が吹き付ける。街外れのこの丘は、採星屋たちがこぞって訪れる絶好のポイントだ。街は眼下に広がり、空を邪魔するものは何もない。もちろん、ジェイドもこの場所を好んでいる。ただひとつ難点なのは、風が強くて髪が乱れることくらいだ。
「すげーな、すげーな。ジェイドにいちゃんの石がやっぱりいっちばん、かっこいいな!」
「はは、ありがとう、アニル」
 興奮冷めやらないのか、白い息を吐きながら力いっぱいアニルが笑う。ジェイドは丁寧に切りそろえた自らの金髪を手で抑えながらくすりと笑った。
 ――当然だろう、と、思いながら。



 自分が特別だと判ったのは、十歳の誕生日を迎えた日だった。
 採星屋になれるのは、街の人間でもほんのひと握りだけだ。それは血でもなく、育ちでもない。ただ、才能と呼ぶに相応しい《何か》の力があるものだけがなることが出来る職業だ。
 だから、十歳の誕生日を迎えるとき街の住民は選別される。石を採り出せる者と、そうでない者とに。
 ジェイドはその儀式の時、ちりんというあの音を初めて聴いた。そしてその音に動かされるように空から石を採り出した。空から石を採り出せるものこそ、採星屋としての素質がある者だ。けれど、ジェイドは違った。それだけではなかった。
 その時、春の嵐が去った空から採り出した石は驚くほど鮮やかで美しかったのだ。
 石の鑑定屋が、言った。稀に見る才能だと。
 それから六年がたつ。未だに、ジェイドを上回る才能の持ち主は現れない。そしてたぶん、これからも。
 ジェイドは理解していた。自分は特別なのだ、と。
「ジェイド」
 呼びかけに、ジェイドは開いていた本を置いた。振り返る。扉の傍、つんつんとした短い茶髪に、人好きのしそうな顔立ちの少年が立っている。
「やあ、眞。何か用かい?」
 眞はくしゃくしゃ、と髪をかくと、どことなく皮肉げにくちびるを歪ませて笑う。――いつもの癖だ。
「石を見に来た。――何を読んでいたんだ?」
「詩集だよ。優雅だろう?」
「あー、はいはい。石は?」
「いつものとこだよ。何だい、その言い方」
「お紅茶を片手に古い詩集を読むジェイド様はとっても絵になってお美しくいらっさいますねっと」
「よく判ってるじゃないか」
 にこりと笑うと、眞が鼻を鳴らした。そのまま部屋の隅に移動する。ジェイドの部屋は物で溢れていた。古い型の螺子式時計、分厚い表紙の百科事典に詩集。水の膜で出来たシェードの洋燈に、いくつもの万年筆。そのどれもが《美しい》から集めたものだった。――正確には《美しい自分によく似合うと思ったから》だが。
 そしてそれらの片隅に、小箱がある。石はいつもその中に入れてあった。
 眞は白い布を取り出し、無造作にそれを手にとった。今朝採り出したばかりの夜明けの石だ。
「ふうん。小粒だな。相変わらずいい色だ」
「当然でしょ。今日はその大きさがちょうど良かったんだよ。そこ以外は美しくなかった」
「鑑定は?」
「済んでるよ。そっちに紙あるでしょ」
 眞が横にあった鑑定結果の紙を手に取る。顎に手を当てて、じっくりと考えこんでいる。
「どう?」
「東の星飾屋にあたってみよう。このサイズの星は最近あまりなかったからな」
「そう。任せるよ」
「相変わらず投げっぱなしだな、お前は」
「失礼だね、眞」
 少しだけ首を傾げてにこりと笑う。この角度が一番、自分が美しく見えると知っているから。
「僕は採星屋だからね。石を鑑定するのは鑑定屋、売買するのは眞、君のような渡し屋。そして飾るのは星飾屋。適材適所。僕は君を信頼しているだけさ」
 眞が右頬を僅かに歪ませた。
「よく言うよ。見下してるくせに」
「え? 当然でしょ?」
 ジェイドは驚いて、鮮やかな緑の目を瞬いた。
「だって僕は、最高ランクの採星屋だよ?」



「ジェイド様、今朝の石も美しかったんですって?」
「よう、ジェイド。元気そうだなぁ」
 街を歩くと、人々からよく声をかけられた。愛想は、安売りしたところで問題ない。ジェイドはにこにこと微笑みながら街を歩いて行く。煉瓦の道に、石造りの建物が並ぶ通りは人が多い。花壇にももうすぐ開きそうな花が植えられていて心地よい。
 ジェイドは空を見上げた。
 薄い水色の空は、春を迎える色をしている。雲は流れているし、陽射しはあたたかい。でもそれは、昼だけだ。夜になるとそこにあるのはただのっぺりとした、暗闇だけになる。
 昔話によると、馬鹿な子供と馬鹿な神のせいで星が失われたという。いまこの空に、本物の星が瞬くことはない。かつてはあったという大きな星――月ですら、見当たらない。ただそれを嘆く者はもういない。人は、手に入れたからだ。空から石を採り出す能力を。そしてそれを、飾る能力も。
 空から採り出した石は星になる。そして星は、星飾屋によって空に縫い付けられる。
 いま、夜空を飾るのは彼ら職人の作品だ。
 だが――それらの仕事は、誰でもつける仕事だ。それは美しくはない。最も尊いのは採星屋だ。
「ジェイドくん」
 ふいに、通りがかった太った男が声をかけてきた。煤けたつなぎを着て手には長いブラシを持っている。磨き屋だろう。美しくないな、と胸中でつぶやく。もちろん笑顔は崩さなかったが。
「こんにちは。お仕事、お疲れ様です」
「いやいや。星を磨けるのは本当に楽しいもんだよ。君の星は磨くと本当に美しく輝くんだ。本当に!」
「そうですか。ありがたいですね」
「素敵なんだよ、本当に! ああ。そうだ。ジェイドくん、君は見たかい? かささぎの新作を」
 かささぎ。
 男の口から飛び出た名前に、ジェイドは笑顔を危うく崩すところだった。
「いえ、興味もないので」
「いやいやいや、ぜーったい、見るべきだよ、本当に! あ、ほら。ねぇ、かささぎ!」
 男が、声を上げた。たまらず一瞬ジェイドは顔をしかめた。余計なことを、と胸中で呻く。男の視線の先、流線の美しい家の脇にその少女はいた。
 黒く長い髪。細く長い手足。飾り気のない白の装いに身を包んだ少女。
 かささぎだ。
 男の声に、かささぎは話していた少年から顔を上げてこちらを見た。相変わらず冷ややかな目だ。面立ちは美しいとジェイドは思っていた。だが同時に、いつも無表情でつまらないとも思っている。
 星飾屋かささぎ。関わり合いになりたくはない。だが、こうなったらそうもいかないだろう。ジェイドは得意の笑みを浮かべて、かささぎに歩み寄った。
「やあ、ご無沙汰。はかどっている?」
「普通」
 冷めた口調で言うと、かささぎはジェイドから視線を外す。視線を下に向け――そこで、ジェイドはようやく気づいた。
「アニル。何してたんだい?」
「ジェイドにいちゃん! あのね、石を渡してたんだ!」
「直接? 渡し屋は」
「オレのは、だってまだ、渡し屋ついてくんないからさ」
 アニルがへへっと恥ずかしげに鼻をかいた。なるほど、とジェイドは頷く。採星屋とはいえまだ未熟なアニルは、美しくない小さな、屑のような石しか採り出せない。それを商売道具にする渡し屋もいないだろう。
「かささぎねえちゃんは、オレの石も貰ってくれるからさ」
「綺麗だからね」
 かささぎがいつも通りの、つまらなそうな口調で言う。何となく面白くなくて、ジェイドは微笑んで見せた。
「アニルの石で綺麗だと言うのなら、僕の石を今度差し上げようか?」
「結構よ」
 かささぎが首を振る。
「貴方の石、美しくないんだもの」
 ――美しく ないんだもの。
 さすがに一瞬、ジェイドは笑顔を忘れた。かささぎを見つめてからもう一度微笑みを張り付ける。
「そうか。残念だよ。ではまたね、星飾屋かささぎ」



 歩いていく。通りを抜け、街を出て、外れの丘まで。初めのうちはゆっくりだったが、気がつくと早足になっていた。少し、息が上がっている。丘にたどり着いたときには、軽く額に汗もかいていた。
 はっと短く強く息を吐く。一人になりたかったのだが、先客がいた。茶色いつんつんとした頭の後ろ姿に、いらだち紛れに吐き捨てる。
「何でここにいるんだ、眞」
「おぅ? どうしたご機嫌斜めだな」
 へらりと笑う顔を睨む。だが、眞は気にとめた様子もなく肩を竦めるだけだ。
「君みたいな渡し屋に、この場所は無意味なはずだが」
「いーじゃねぇか。ケチケチすんなや」
 丘の一角、無造作に置かれた円柱石の椅子に座ったまま、眞が伸びをする。二つほど離れた椅子に、ため息とともにジェイドも腰を下ろした。
「かささぎの新作が傑作だって聞いてな。見ておきたかったんだ」
 眞の言葉に、ジェイドはひくりと鼻をひくつかせた。
「どいつもこいつも」
「ん? ……ははぁん。おまえ、かささぎと一戦やったな?」
「僕が。星飾屋ごときと? ないね」
「へいへい」
 小さく眞が笑う。ジェイドは口を閉ざした。そしてしばらく、互いに何も言わなかった。静かな時間が過ぎていく。
 空がうっすらと夕焼けに変わり始めた時、ジェイドは戯れに空に指を伸ばした。ちらりと、眞が視線をよこす。無視をして、指を空へ滑らせ――ジェイドはきゅっと眉根を寄せた。指は何度か空を泳ぐ。
「どうした?」
「――いや」
 短く、答える。そのまま指をくるりとまわして石を採り出した。
 手のひらに生まれた石を見下ろし、ジェイドはくちびるを噛んだ。握り混み、そのままポケットへ捻り込む。
「おい、ジェイド?」
「何でもない。――ああ。あれか」
 顔を上げ、ジェイドは早口で言った。北東の薄橙と藍の混じりあった空に、小さな輝きが見え始めていた。北東の一角、丘からだと眼下に見える大糸杉の上あたりが、かささぎの作品範囲だ。
 眞が感嘆の息を漏らす。
「さすが。星飾屋一番のかささぎの作品だ」
 夕焼けの中、ちいさな屑のような輝きが無数にちらばっている。それぞれが息をするかのように、揺らめく陽射しに、雲の陰に、瞬きを放つ。それぞれの石は決して大きくはない。ひどく小さくいびつなものさえある。ひとつひとつの石はそれこそ捨て値で取引されるようなものだ。だが、それをかささぎは作品にする。
「相変わらずみすぼらしいな」
「おいおい」
「僕の石が一番美しい」
 ちらりと、視線を移動する。真北の空に一際鮮やかに輝く星がある。はちみつと檸檬の間のような穏やかな黄色い石。ジェイドが夕焼けの中からすくった石だ。眞が微かに笑う。
「お前の石は本当に綺麗だよ。むかつくけど」
「僻んだところで君には石屑すら採り出せないよ?」
「むかつくけどな。――でも俺は、かささぎの作品も綺麗だと思うよ。ささやかで、美しい」
「渡し屋は、石を見る力もあったほうがいいと思うよ」
「あー。はいはい」
 眞が笑って椅子から立ち上がった。
「俺は帰るけど。まだいるのか?」
「そうだね」
「何だかんだ言いつつ、好きなんじゃねえの。かささぎの作品」
 ジェイドはふんわり微笑んでみせた。
「僕は僕の美しい星を見たいだけだよ?」
 呆れたように鼻を鳴らし、眞は丘を去っていった。ひとりきりになり、ジェイドは空を睨めつけた。立ち上がる。夜はもうすぐそこだ。星飾屋の作品が、少しずつ力強く輝き始めている。ジェイドはくちびるを少し舐めた。口がからからに乾いている。眞には、悟られなかっただろうか。ポケットの中で握りこんだままだった手を外へ出した。ゆっくりと五本の指を開く。
「……どうして」
 ぽつりと、言葉が漏れた。手のひらの中の石は小さくいびつだった。硝子のような無機質な透明さの中に、一点だけぽつりと、付け足したような赤が落ちている。他は色すらない――それだけの、石だった。
 空を見上げる。真北の空に縫い付けられた石は、穏やかなのに決して地味ではない美しい黄色だ。あの石をとった時も夕焼けだった。時間は少しあの時より早かったとはいえ、条件はさほど変わらない。変わらなかったはずだ。なのに、何故。
 手の中の石はこれほど醜いのか。
 鼓動がはやくなる。石を再度ポケットに捻り込み、ジェイドはもう一度空へ指を向けた。もうすぐ、採り出せる夕空は消えてしまう。そこから先は星飾屋の領分だ。焦りが、空の端から端へと指を這わす。何度も。何度も。何度も――
「くそっ」
 吐き捨て、ジェイドは髪をくしゃりとかきあげた。どうしてだ。呻く。あの、ちりんという美しい音が聴こえないのだ。あの《ここ》と知らせてくれているかのような音が、聴こえない。
 くちびるを噛み、また指を空へ向けた。今度はもう、空に指を這わせない。無造作に向けた指先をくるりと回していく。次へ。次へ。石が次々へと採り出されていく。けれどどれも、夕焼けの残り香を閉じ込めてはくれなかった。
 空が、夜へと変わる――
「はっ……はっ」
 笑いが漏れた。足元には無数の、屑のような石が散らばっている。価値の無い、みすぼらしい石。ジェイドはそれらを蹴りあげた。ばらばらと、勢いもなく転がる石の上に崩れるように座り込んだ。
 無意味な石だった。頭上に輝く星を見上げる気にはなれなかった。
 けれどそこを動くことすら、出来なかった。



「――この時間に、採星屋が何か御用?」
 透き通った声音が内耳を揺らした時、一瞬ジェイドはそれがあのちりんという音かと錯覚した。目を開け、同時に寒気を覚えてくしゃみがこぼれた。ぶるりと体が震える。
「寝ていたの? まだ寒すぎるわよ」
 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。寝起きには聞きたくない声だなと思いながらジェイドは顔を上げる。案の定、冷ややかな目がそこにあった。白い息を吐きながら、分厚いコートを着たかささぎが立っている。手には大きな黒い布を抱えていた。
「かささぎか。……今は夜か」
「真夜中よ。ねぇ、どいてくれる? 邪魔なんだけど」
 むっとする――が、ジェイドは凍える腕をさすりながらのそりと立ち上がった。腹立たしくはあるが、この時間のこの場所は、確かに星飾屋のものだろう。夜以外は採星屋のものだとしても、こればかりは仕方がないと思えた。
 歩き出そうとした時、じゃり、と靴の裏で音がした。一瞬訳が判らなくて下を見て、ジェイドははっと息を止めた。
 かささぎが不思議そうな顔をした。しゃがみこむ。
「何。――石?」
「触るな!」
 思わず叫んでいた。ジェイドの声に驚いたのか、かささぎが大きな目を瞬かせた。いまさらながらに、ジェイドは自分が怒鳴ったことに顔をしかめた。美しくない素振りを見せてしまった。取り繕い方が判らず、黙るしかなかった。
 かささぎは二度、三度瞬きをしたあと微かに首を傾げた。水のように、黒髪が流れる。
「これ、貴方の石?」
「……」
「ねぇ」
「……っ、そうだよ!」
 怒鳴る。ジェイドにはもう、いつものように笑顔を浮かべることが出来なかった。かささぎは怒鳴られたことを気にもしていないのか、そう、と短く頷くだけだった。白い指で、散らばる石屑を拾い始める。
「やめろ」
「どうして」
「美しくない」
「そうかしら」
 かささぎが、石屑を拾いながら首を傾げた。
「私はいつもの貴方の石より、こっちのほうがずっと好きだけど」
 膝に大きな布を乗せて、その上に石屑を乗せていく。馬鹿にされているようにしか思えず、ジェイドはかささぎを睨みつけた。だがかささぎは意にも介さずといった素振りでジェイドを見上げた。
「ね、貰っていい?」
「……」
「駄目かしら」
「……好きにすれば、いいだろ」
「ありがとう」
 かささぎは石屑をすべて拾ったようだった。円柱石の椅子に座り、腰のポーチから金色の針を取り出す。抱えてた夜の布を、その場に広げた。布にはいくつかの石がすでに縫い止められている。小さく、細やかな刺繍のようだった。
 かささぎは一粒摘んだちいさな石屑を、布の上にそっと置く。それからゆっくりと、石を滑らせていき、ふいに一点で手を止めた。その位置で縫い止め始める。
 最初は偶然かと思った。だが、次の石も、その次の石も同じ動きをするのを見てジェイドはたまらず口を開いていた。
「それ……迷う、のか?」
「え?」
 かささぎが小さく声を上げた。こちらの質問の意図が判らなかったのだろう。少し考える素振りを見せてから、ああ、と呟く。それからふっと、くちびるの端が持ち上がった。
「音が聞こえるのよ」
「音……」
「そ。ちょうどいい場所に、石が望んだ場所に来ると、ここだよって知らせてくれてるみたいな音。まぁ、皆そんなの聴こえないって言うし、どうせ貴方も馬鹿にするんでしょうけど」
「いや」
 否定が咄嗟に口をついて出ていた。かささぎのまっすぐな目を向けられて、少し気まずくなりながらジェイドは呻くように続けた。
「……僕も聞こえる、から」
 こんなことを他人に言うのは初めてだった。少し、沈黙が落ちる。ややあってから、かささぎが微かに声を立てて笑った。
「そ。いっしょね」
 それだけだった。それ以上何も言わず、かささぎはまた石を布に縫い付け始める。ひとつひとつ、石の音を聞きながら。
 酷く静かな時が過ぎていく。
 全ての石を縫い終わると、かささぎは布を持って立ち上がった。
「手伝って」
「どうして僕が星飾屋なんかの真似をしなきゃいけないんだい。僕は採星屋だよ」
「知ってるわ。小さい男ね」
「……貸せ」
 布の端を奪う。円柱石に立ち上がると、空がぐんと近づいた。目が回るような感覚に足元が一瞬ふらつく。何とか耐えて、繕い終えたばかりの新しい夜を空へ掲げる。少し離れた円柱石の上に立つかささぎが声をあげる。
「もう少し上」
「注文が多い」
「今は星飾屋に従いなさい」
 もう少し右、斜めになっている、と細かい注文に辟易しながらようやく新しい夜を掲げ終えた。円柱石から飛び降りる。
 顔を上げると、星空があった。
 無数のちいさな星が、夜空の中で川の流れのように煌めいている。ひとつひとつは酷くちいさい。ぱっと見ただけでは色さえ判らない。けれどよく見ると無数のちいさな色が犇めき合っている。
 白い石がミルクのように。
 赤い石が命のように。
 黄色い石がはしゃぎ声のように。
 青い石が涙のように。
 紫の石がプライドのように。
 藍の石が風のように。
 桃の石が愛のように。
 ――溢れかえる色が、洪水のようにたしかに輝いている。
「いい出来になったわ」
 満足そうにかささぎが囁く。その横顔は笑みに彩られていた。
「君はこういうのが好きなのか」
「そうね」
「まぁ」
 ジェイドは自らの顔に自然と笑みがのぼるのを自覚しながら、空を見上げた。
「むかつくけど、君は確かに有能な星飾屋なんだろうね」
「あら」
 心外ね、とかささぎが続ける。
「わたしは有能な、ではなく、一番の、星飾屋のつもりよ」
「ははっ」
 ジェイドはたまらず笑い声をあげていた。しれっとしたかささぎの顔を見やりながら、にっこりと笑ってみせる。
「なら、僕の石を飾ってごらんよ」
「飾ったじゃない」
「あれじゃなくて。――このあと」
 空はもうすぐ、朝焼けを迎える。
「朝が来た時石を採る。特別だ、君に譲るよ」
「いらないわ。貴方の石、趣味じゃないもの」
「言わせないよ」
 ジェイドは少し首を傾げて、にっこりと微笑みかけた。
「君は、一番の星飾屋なんだろう? まさか、僕の石が美しすぎて出来ないなんて言わないよね?」
 かささぎが、あからさまにふてくされた顔をする。
「判ったわ。飾りましょう。ただし、私の好みの石ならね」
「それは安心していいよ」
 空に手を伸ばす。
 次に朝焼けが来る頃。
 ジェイドはなんとなく、世界で一番美しい空をすくえる気がした。




 くすん。くすん。
 男の子は泣いて、泣いて、ある時ふっと泣き止みました。
 手にしたきらきらのお星さまを見つめて、そっと空へかかげてみました。
 きら。きら。きら。
 お星さまは空から男の子を照らします。
 男の子はうれしくなって、神さまがくれたお星さまを、ひとつ、ひとつと空へかかげていきました。
 やがて気が付くとたくさんのお星さまがきら。きら。きら。と空で輝いていたのです。
 男の子はもう、さみしくなんてありませんでした。



――Fin.

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