ステラ・マリスはポケットにいれて


 ステラ・マリス行きの星間汽車は、まもなく出発時刻を迎えようとしていた。
 夜十一時。あたしはかじかんだ手を吐息であたためながら、空を見上げる。冬の寒空の中、白く輝く星が艶やかに天を彩っている。
「お客さん、そろそろ出ますよ」
 おひげの車掌さんが困ったように首を傾げたので、あたしは慌てて汽車のそばに駆け寄る。
「ごめんなさい」
「いえいえ。では切符を拝見」
 ひらり、と手のひらを差し出される。あたしはポケットから小さな月長石を取り出した。おひげの車掌さんはにっこり微笑んで、すうと手のひらで月長石を撫でた。その瞬間、ぽうと淡い青色の炎が月長石の中に灯る。
 やさしい淡い光。これがステラ・マリス行きの切符だ。
「どうぞ、ご乗車ください」
 汽車へと乗り込むと同時に、ポオ――ッと甲高い音と共に、汽車は星の粒を吐き出した。



 しゅんしゅんと音を立てながら、星間汽車は少しずつ大地を離れていく。ひやりとした窓に頬を寄せて見下ろすと、さっきまで立っていた道端のささやかな街灯はちりりと明かりを瞬かせて消えた。本日の星間汽車は出発しました。また来年お待ちしております。その合図だ。
 ふっと短く息を吐いてあたしは扉から離れた。客車へと移動する。ポケットに再び入れた月長石はほんのりとぬくもりを帯びていた。
 手近な四人がけの席へと座る。はす向かいのおじいちゃんがにこっと微笑んでくれた。
「おひとりかな?」
「はい。おじいさんも?」
「アルファルドまでね」
 そう言って差し出してきたのはキラキラ輝く青金石だ。青く冷たい石は、たくさんの金色の破片を抱いている。アルファルド行きの切符なんだろう。すごくきれいだ。
 ――でも、アルファルドかぁ。
「寂しくないですか?」
 思わず問いかけると、おじいちゃんはハハっと白い歯を見せて笑った。
「ま、辺鄙なところだわな」
 アルファルド――うみへび座α星。あのへんって、周りに明るい星が殆ど無いって聞く。それはすこし、夜の中に取り残されそうであたしは怖いって思ってしまう。
 でもおじいちゃんは全然、そんな事思っていなかったみたいだ。ぱちり、とおちゃめに片目をつぶって、
「デートなんだよ」
 って言った。
「デート! 奥さんですか?」
「そそ。待ち合わせしていてね」
 ちょっとだけ照れくさそうに、おじいさんが視線を窓の外へとやった。いつの間にかずいぶん高くまで汽車は昇っていて、眼下には青い地球が鮮やかに見えていた。
「君はどこまで?」
「ステラ・マリスへ」
 そっと月長石をさしだすと、おじいちゃんは目を真ん丸くした。
「それはまぁた、ずいぶん長旅だ。終点までかぁ」
「二年はかかっちゃいますかねぇ」
「だろうなぁ。どうしてまた?」
 問われて、あたしはさっきのおじいちゃんの気持ちがよく判った。頬が熱くなるのが判る。
「約束したんです」



 彼の元へステラ・マリス行きの切符が届けられたのは、去年のことだった。
 星間汽車の切符は夢路を渡る。願いから願いへ、思いから思いへ、夢路を渡った切符はもっとも強く希望を抱いた人の手の中へと収まる。だから、欲しくても手に入れることが出来るのは稀だ。ましてや、星間汽車の終着駅、ステラ・マリス――北極星なんてどれだけの人が願って、願ったまま星になったか判らないくらいのシロモノだ。
 彼が何を望んだのか。ステラ・マリス行きの切符を手にするくらいの強さで、何を望んだのか。結局あたしは教えて貰えなかった。
 うれしそうに、でも、どこか悲しそうに、彼は汽車が出発するぎりぎりまであたしと月長石を交互に見ていた。泣き出しそうにさえ見えて、なんだかそれが切なくなった。
 彼が何を望んだのかは知らない。でも、半ば都市伝説とまで化しているステラ・マリス行きの切符だ。よっぽど、強い思いがあったのは間違いなくて、あたしは彼のその思いを、ステラ・マリス行きの切符を無駄にして欲しくはなかったんだ。さっきみたいにポオと高い音で汽車が星の粒を吐き出す間際に、あたしは彼を汽車へと押し込んだ。驚きを表情いっぱいに浮かべる彼に、あたしは無理やり作った笑顔で叫んだんだ。
「――来年、あたしもすぐに行くよ!」
 そして今。
 あたしは、青い炎の灯る月長石をポケットに入れて星間汽車に揺られている。



 最初に出会ったおじいちゃんは、アルファルドで降りていった。
 ケフェウスのガーネット・スターから乗ってきた親子は、カペラで降りていった。
 ミラから乗ってきた女性は、レグルスで。
 誰かが乗っては降りていく。その繰り返しは、時の流れを緩やかにする。いつしかあたしは最後の乗車客になっていた。
 もうずいぶん長い時が経ったんだと、その時ようやく気づいたんだ。



「長らくのご乗車、誠にありがとうございました。終着駅、ステラ・マリスに到着です」
 髭の車掌さんが、恭しく挨拶にきた。あたしは微笑んで、ずっとポケットに入れていた月長石を大事に差し出した。
「ここまでありがとうございました」
 あたしの言葉に車掌さんはほんの僅かにさみしげに首を振って、月長石を優しく撫ぜる。ずっと灯っていた青の炎は瞬きもせずに消えた。
「お足元、大変やわらかくなっています。ご注意を」
「はい」
 車掌さんが手を差し伸べてくれたので、あたしはその手に自分の手を重ねてステップをゆっくりと降りた。
 ああ――
 潮を含んだ、水の匂い。懐かしい星の香りが身を包む。
 降り立った足元では波紋がどこまでもやさしく二重、三重に広がっていく。

 ステラ・マリス。――海の星。

 それはたぶん、もうひとつの地球と同じだ。遠い昔、船乗りが航海の目印にしていたと言われているこの星は、どこまでもどこまでも、やさしい海が続いている。
 トン。トントト……トン。
 リズムを変えて歩を進めると、水面は可愛らしい旋律を奏でる。暗い宇宙の中に漂う見渡す限りの青の地平へ、音は際限なく広がっていくばかりだ。その音楽の中に、また、ポオっと透き通った音が割り込んでくる。顔を上げると、真っ赤な星間汽車が宇宙へと飛び立っていくところだった。
 星になって消えて行くその姿を見送ってから振り返ると、懐かしい顔があった。
 海と同じくらい。大地と同じくらい。風と同じくらい。懐かしい顔が、地球と同じ優しさで微笑んでいた。
「まさか本当に来るとは思わなかった」
 星屑がなるシャララという音にさえ紛れて消えちゃいそうなくらい、その声は小さくて。だから消えちゃう前に近くで聞きたくて、あたしは彼に飛びついていた。
 水滴が跳ねる。
 ぬくもりが伝わってくる。触れ合うこと。そのあたたかさを、感じた。
「来たよ」
「うん。ありがとう」
 ステラ・マリスは海と同じで、すべてを包み込む星だ。あたたかい。
 少しだけ離れて。ちょっとだけタレ目がちな大好きな顔を見上げて、そっと唇を開いてみる。
「ねぇ。今なら訊いても答えてくれる?」
「うん」
「あなたは何を望んでいたの?」
 星屑の音の中、彼はしばらく黙って佇んでいた。それから、ほんのりと顔を赤らめて、困ったように笑った。
「君とずっと一緒に居たかった」
「――え?」
 目を瞬かせる。
 すると彼は、ステラ・マリスの海の上で、最初はくすくすと、やがて大きな声で笑い始めた。
「だから、やめようと思ってたんだよ。ここに来るの。星間汽車見送った後のことまで考えて色々してたのにさ。押し込められるとはなー」
「ちょ、ちょっとま、まってまって」
 唐突な打ち明け話に、あたしは何を言えばいいのか判らなかった。
 なに、それ。
 待って待って。
 それってつまり――
「あたし……」
「早とちり」
 ピンッとおでこを弾かれた。痛い。痛いけど、泣きたいのはデコピンのせいじゃない。じゃあ、なに? この、離れ離れの二年間は無駄だったってこと?
 泣き出しそうに顔を歪めたあたしに、彼はそっとくちづけた。
「二年。会えなくても、離れていても、気持ちは変わらなかった。それを知れたのは、すごく大きいって思うからいいんじゃないかな?」
 それに、と。悪戯気な笑みを浮かべる。
「君は、ステラ・マリスまで来てくれたから」
 ――ああ――
 そうだ。思いから思いへ渡る、一番強い願いの結晶、ステラ・マリスへの切符。月長石を手に、青い炎を灯らせてあたしはここまできたんだ。

 ただ、あなたに会いたくて。

 黙り込んだあたしを見ていた彼が、そっとポケットに手を入れた。何かを取り出す。
「それ……?」
「二年前に渡せなかったもの。時効じゃなければ受け取って?」
 それは小さな瓶だった。可愛らしいまあるい形の瓶に、こんぺいとうが詰まっていた。
 きらきらと、ステラ・マリスの光を受けてきらめいている。
 よく判らないまま、あたしは瓶の蓋を開けた。手のひらに傾けて、こんぺいとうを数粒だして。
 そこで、あたしはまた動きを止めてしまった。
 手のひらに転がりだしてきたのは、星粒によく似たこんぺいとうと、それから――
 ちいさな星を宿した、銀色の指輪。
 顔を上げる。
 照れくさそうに、彼が小首を傾げていた。腕を広げてくる。
 愛しさが、胸をつきあげてくる。
 なんて周り道をしたのだろう。なんて馬鹿馬鹿しい茶番劇だろう。だけれど。

 こんぺいとうが跳んだ。
 水面に波紋が広がる。
 やさしい旋律が広がる。
 あの星と同じ香りが広がる。

 ステラ・マリスの海の上。
 二年分の、それ以上の、優しさと願いと思いをこめて。
 あたしたちは強く、強く、抱きしめあった。

 どこか遠くで、ポオ――と、星粒の吐かれる音がした。


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