エピローグ:ダンシン・オン・ザ・キャットウォーク


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 赤茶けた古いキャットウォークへと足をかける。初めてここに上ったときとは、全く違う心情で。細く頼りないキャットウォーク。ふと、思う。
 足場は不安定で、いつ落ちても不思議じゃなくて、細くて、絡まりあっていて、けれど、見上げれば大きい。
 ――人生ってやつは、まるでこのキャットウォークみたいだ。

 MP3プレイヤーに外部スピーカーを接続して音楽を流す。建物未満の中に、フィルの声が静かに反響する。そのリズムに、野良猫と真雪が体を揺らした。匠は二人を眺める。指先で鉄筋の感触を確かめるようにリズムを取りながら。
 誰も何も、言わなかった。無言のまま、踊っていた。昼間の騒ぎとは違う何かが、建物未満を包んでいた。一晩中、踊り続けた。誰かが疲れて休めば、誰かが踊りだす。繋げるように、途切れないように、ゆっくりと、ゆっくりと。
 朝焼けも近い。
 昼間の蒸し暑さとは違う清涼な空気が、肺に少し痛い。窓の向こう、空が闇色を脱いでいく。藍と、青と、茜色のグラデーションが、目に痛いほどに綺麗だった。
 海が、綺麗だ。
 キャットウォークには、何枚かの花が咲いている。シュウが残したいくつかの花の絵。それに見守られるように、踊る。朝焼けをスポットライトにして。
「シュウさん」
 ふっと、沈黙を真雪が切った。目を細め、海を見つめる真雪の横顔は、朝焼けに照らされて赤かった。
「見てるかな。地上絵」
「地上絵?」
 唐突な単語に、野良猫が瞬きをする。軽く首を傾げた。真雪は頷いて、細いキャットウォークの手すりに手を添えた。
「言ってたの。シュウさん。いつか空に逝く時に、上から地上絵を見るために、今、描いてるんだって」
「見えてるさ」
 気付くと、断言していた。朝焼けの太陽が、熱い。
「美咲台の一番綺麗な朝焼けと、建物未満もキャットウォークも公園も全部飲み込んだ、最高の地上絵。全部まとめて見てるさ」
「うん。だと、いいな」
 真雪が笑って頷く。野良猫は笑っていなかった。射抜くようなアーモンドの瞳で、海を見据えている。横顔からは、彼女が何を考えているかは窺い知れなかった。ただ、強い眼差しが眩しい。何も言わない。彼女は言葉にしようとしない。瞳に何かを焼き付けるように、見ている。
 匠はそっと野良猫の頭を撫でた。ほんの僅かに、花の匂いが香った気がした。


 踊り続ける。細く不安定なキャットウォークの上で、朝が街を覆うまで、踊り続ける。
 今日朝が来たとしても、また夜は来る。それでも、今、朝が来ることが現実だ。それでいい。
 野良猫が踊る。五本の足の指が自由に踊る。
 真雪が踊る。紺色のスカートが埃っぽい空気を割る。
 匠も立ち上がって、踊りだした。
 いつか死に損なったこの場所で、死んでしまったあの人を思って、踊る。


 明日が今日になる瞬間が、やってくる。
 朝焼けの花が、咲く。
 だから。
 キャットウォークでダンスして、


 ――生きて行こうと、思った。


キャットウォークでダンスして、
――了――

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