第二章『キィ』
3
ポウ――
ふいに、ぼくの胸元が光りだしたんだ。
胸元? ――ちがう、胸ポケットに入れてあった鍵だ。
「ひろと!」
たけるの短い叫び声に、ぼくはあわてて胸ポケットを探った。金色の鍵を取り出す。
鍵は、それ自体が発光体にでもなったかのように、あわく光を放っている。
光はどんどん強くなっていき、お昼のあの時みたいにまぶしすぎるほどに輝いた。
『っ!』
夜の角野町を引き裂くみたいな白い光が辺りを覆う。あまりの眩しさに、これはまずい、と思った。
案の定、あちこちの窓が開かれて、なんだと叫ぶ声がする。ぼくらは身をかがめて、光が過ぎるのを待った。
とんとん。
ぼくの肩を、後ろから誰かが叩く。こーすけか?
光がおさまって、だけどまだ眩しさとくらくら感にやられながら、そっと目を開けて振り返る。あけた目のすぐ前に、こーすけのどアップ。
「びっ……」
――くりした。
無表情のどアップこーすけは、怖い。
「なんだよ、こーすけ。んな呆然としてる場合じゃないだろ、とりあえず――」
「ひろと……?」
今度は隣から声をかけられて、ぼくはそっちを向いた。
「なんだよ! はやく逃げなきゃだろ!?」
隣にいたこーすけは、青ざめた顔でふるふる首を横に振る。
「ひろと……オレ、ここにおんで……?」
――え?
隣にいたこーすけの言葉に、ぼくは一瞬頭が真っ白になった。
隣にいた、こーすけの。
……じゃあ、今ぼくの肩を、後ろから掴んでいるのは……誰だ?
「……」
ぼくは無言のまま、冷や汗を流しながら振り返る。
無表情の〈コースケ〉が、ぼくの肩を掴んでいる。そしてその〈コースケ〉の顔が――
いきなり溶けた。
「うわあ!?」
その溶けた液体が肩と顔に降りかかって、ぼくは思わず悲鳴をあげていた。
「片瀬!」
久野が叫んで、手に持っていたジュニア星座早見表を投げつけてくれた。だけど、何の効果もない。ぼくはしりもちをついたまま、後ろに下がる。久野の星座早見表はカランと音を立てて地面に落ちた。
逃げて、早く!
ふいに声が聞こえて、ぼくは顔をめぐらせた。ぼくのすぐ近くに、白い彼女が立っていた。
ぼくはとっさに鍵を引っつかんだまま、立ち上がる。逃げる。そうだ、とりあえず逃げないと!
座り込んでいるたけるを立たせて、叫んだ。
本物の、こーすけに向かって。
「こーすけ、たける頼む!」
「わぁった! たけるこっち来い! 二人乗りや!」
こーすけの声に、弾かれるみたいにたけるが両腕を振り回しながら走り出す。こーすけはたけるの手を引っ張って、一度キリン公園の中に入っていく。久野も後を追った。二人がそれぞれ、自転車とマウンテン・バイクで飛び出してくるまでは、ぼくとどろどろになった〈コースケ〉はにらみあっていた。
白い彼女はぼくをかばうように前に出てくれたけれど、あまり意味はなさないようだ。昼みたいに、空間に絵を描いて追い払うこともしてくれない。もしかしたら、何らかの理由で出来ないのだろうか?
「片瀬、逃げるよ!」
キリン公園から飛び出してきた久野の声に、はっと我にかえる。
ぎゅっと唇をかんで、ぼくは地面をけった。ローラーが勢い良く滑り出す!
マウンテン・バイクに乗ったこーすけと、その後ろにしがみ付いて立っているたける。自転車にまたがった久野。ローラー・ブレードをはいたぼく。全員一緒にぼくらは全力で走り出した。
同時に、どろどろの〈コースケ〉も追ってくる。
白い彼女は、ぼくの隣にぴったり寄り添うようについて来た。走っているようには見えない。両足はそろえられているのに、まるで滑るように速い。ふしぎだけど、この際追求するのは後だ。
「亜矢子、どこでもええ。下り道いけ、下り道!」
「く、下り!?」
「ブレードもチャリ機もそっちのが速い!」
ぼくの前を行くこーすけが、先頭を走っている久野に指示を出す。久野は立ちこぎで、スピードを上げた。
「落ちんなや、たける。つかまっとれよ!」
「う、うんっ……!」
それに続くこーすけも、立ちこぎでスピードをあげた。たけるは振り落とされまいと必死にしがみ付く。ぼくもその後を追いながら、スピードを上げた。
「何なの!? 〈コースケ〉すごいどろどろできもいんだけど!」
「溶けすぎだよね、〈コースケ〉」
「〈コースケ〉きもちわるいよ!」
「こーすけこーすけ言うなやおまえらー!」
ぼくらの口々の言葉に、こーすけが怒鳴る。久野は、右に、左に道をたくみに変えながら下り道を選んで進んでいってくれる。ぼくのローラー・ブレードもスピードにのって、うしろの〈コースケ〉との距離が徐々に開きだす。
「ねえ」
ぼくは走りながら、隣を進む白い彼女にささやいた。
何
「後ろのあれって、昼間の海賊?」
……そう、貴方たちがそう呼んでいたあれね
彼女の静かな頷きに、ぼくは息を吐いた。前を行く三人には聞かれないように声を落とす。
「ぼくが今、鍵をもっている。あいつらはこの鍵を狙っていると見て間違いないよね?」
うん
「だとしたら――」
ジャッとローラーが小石をけとばした。
重心を前に傾けながら、たずねる。
「ぼくが今、鍵を持ったままこーすけたちと違う方向に逃げたら、ぼくを追ってくる? それとも、こーすけたちも追って、人質にしたりとか考える?」
彼女は一瞬沈黙してから、答えた。
後者の可能性は二パーセント弱。あれには、そこまで高度な知能は備わっていない
――なら、決まりだ。
ぼくは握っていた鍵をもう一度胸ポケットにいれて、大きくひとつ深呼吸をした。
目の前の三人は直線を走っている。もう少し行けば、十字路だ。坂道を選ぶとしたら、直線のはず。
十字路に差し掛かる手前で、久野が叫んだ。
「直進!」
久野が十字路を過ぎる。たけるを乗せたこーすけも十字路を過ぎた。
だけどぼくはそれを合図に――
左へと大きく身をきった。
「ひろと!?」
びっくりしたようなこーすけの声が聞こえたけれど、後の祭りだ。
左ひざを緩め、左手を地面につけるほどに急カーブをえがく。ローラーが地面と摩擦する。倒れるぎりぎりの角度で、左に曲がって、曲がりきったら無理矢理体勢を整えて、また走り出す。
夏の熱い夜の風が、肺を満たした。
振り返ってみると、どろどろ〈コースケ〉はぼくについてきている!
よし、作戦どおり!
「ねぇ!」
何
白い彼女は、ぼくについてきたままだ。
「昼間のあれは、出来ないの!? っていうか、ぼくどこまで逃げればいいわけ!?」
エネルギーがまだ充電しきれていない。もう少し、粘って欲しい
「どのくらいだよ!」
貴方達の時間感覚で言えば、四分と二十七秒四〇
細かっ。
――約五分、か。
五分なら、何とかなる!
ぼくは気合をいれなおして、地面を蹴った。
どろどろの〈コースケ〉は、徐々にスピードを速めてきて、ぼくとの距離を縮め始めた。相変わらず溶けたままで、無表情だ。
横断歩道をわたり、図書館の前を駆け抜けて、砂山の土管をくぐって直進する。
夜の角野はいつもと何となく雰囲気が違って、感覚が掴みにくかったけれど、それでも滑りなれた道には変わりない。右に左に足をきって、時々は障害物をジャンプして切り抜ける。
ブレードの感覚が楽しくなってくる。
滑りながら判ったんだけれど、〈コースケ〉はあまり頭が良くないみたいで、先回りをするということは一切ない。律儀にぼくの通った道を通った順に追いかけてくる。
しばらくそうやって、追いかけっこをしつづけた。ぜぇぜぇと息が上がってくる。やっぱり、五分間全力でローラー・ブレードを操るのはきつい。
「まだなの!?」
後五秒。四、三――
彼女がカウントをし始めて、ぼくはほっとした。
それで、気が抜けたのかもしれない。スピードが乗りにのったブレードが、ふいに横滑りをした。反射的に体勢を立て直そうとしたが、爪先のローラーがくるんとから回りする。まずい!
とっさに片足だけでステップしてまわる。ずざっ、といやな音を立てた状態で、後ろ向きになる。転ぶことだけは避けられたけれど、次の瞬間には目前に〈コースケ〉がいた。
「っ!」
鍵を
彼女の言葉に、あわてて胸ポケットの鍵を手渡した。
そこからは、まるでスロー・モーション。
彼女の指が踊るみたいに空中に絵を描いて、その中心に鍵をさした。光が集まってくる。
彼女が鍵をまわすと、また、光がはじけた。今度は予想していたぼくは、きっちり両手で目をかばっていたから昼よりはずっとましだった。
そして、光がなくなって夜の静かな町に戻った時、どろどろの〈コースケ〉はもうその場にいなかった。
無事だね
「……なんとかね」
彼女の言葉に、ぼくは力なく頷いてその場に座り込んだ。
「……ねぇ」
何
「明日の朝、この辺りですごいうわさになると思うよ。謎の白い発光!? とかって」
ぼくの言葉に、彼女は無表情のまま言ってのける。
そうなの
「そーなの」
……まぁ、いいけど。別に。
「説明してくれる? 一から全部」
可能な限りは。ただし、もうそろそろタイム・アップだ
「明日でもいいよ」
了承した
彼女が頷いた。そのころになって、遠くからぼくを呼ぶ声が聞こえ出した。たぶん、こーすけたちがさっきの光を見て、ぼくを探しに来てくれただろう。
「その前にさ。君の事、ぼくらはなんて呼べば良いの?」
彼女は一瞬沈黙して、それからこう言った。
なんとでも
「ふーん……じゃあ」
ぼくは少し赤くなっている右腕をぺろりとなめて、続けた。
「鍵から現れたから――『キィ』でどう? そのまんまだけど」
構わない
そういった瞬間、白い彼女は――キィは、ざざっと全身に砂を走らせて、消えた。
大きく、息を吐く。
「ひろと! 大丈夫か!?」
「片瀬!」
「ひろとー!」
自転車を、マウンテン・バイクを地面に放りだしたこーすけたちが、ぼくのもとに走りよってきた。
夜空には、きらきらとした星が見える。
なんだか、大変な夏休みになりそうだな――って、ぼくはそのとき初めて、そう思ったんだ。