第四章『大作戦』


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 教室を飛び出すと、先生たちが必死の顔でぼくらを止めようとした。それを何とか振り切って、まずは二階の放送室へ。ヤスアキが一組の放送委員だったのはラッキーだった。目あてのものの場所をすぐさま教えてくれて、ぼくらはそれを引っつかんで階段を駆け下りる。先生たちの声を振り切って、校庭の〈船〉をひと睨み。そのまま一目散に、こーすけの家がある二番街へダッシュする。
 コンクリートのもあもあと、遠く見える入道雲をかきわけるみたいに走る。小学生九人の大爆走に、通行人の何人かはびびって道をあけてくれた。それもまぁ、ラッキー、かな。
 団地の一番端の棟を三階まで駆け上がって、ぼくと久野とこーすけだけでとりあえず部屋に入る。押入れのふすまをバシンと開けて、ひみつ基地をひっくり返す。
 スーパーウォータガン。BB銃。割り箸鉄砲にパチンコ。爆竹に癇癪球。おもちゃの剣。バスケットボールにサッカーボール。ロケット花火。煙球にブーメラン。なわとびにハリセンにピコピコハンマー。おもちゃのトランシーバー。
 使えそうなのも使えなさそうなのも、一緒くたに袋に詰めて、詰められないものは両手で抱えて。久野とこーすけがそれをやっている間に、ぼくはこーすけのローラー・ブレードを借りてはいた。足のサイズは同じだから、ちょうどいい。
「ひろと、これもつけとけ」
 そう言って、おもちゃ箱の奥をひっくり返してこーすけが出してきたのは、ヘルメットと手袋、肘と膝につけるパットだった。ブレードをはく時にこんな物々しい格好をするのは、ブレードを初めて間もない頃以来だ。くすぐったさに何となく少しためらったけど、すぐに思い直してそれらをきっちり身につけた。これからすることを考えれば、この装備はあながち大げさでも何でもない。
「片瀬、本当に大丈夫なの?」
 BB銃にBB弾をつめながら、久野が問い掛けてくる。
「ああ」
 ぼくは頷いて、ヘルメットの位置を正した。あごのパットの位置も確認する。
 めちゃくちゃおどろいてるおばさんを無視して、家を飛び出す。そこで待っていたみんなに、久野とこーすけが手分けしてひみつ基地から引っ張り出した『武器』を配った。
 それから、ヤスアキが持っていたバッグを受け取る。放送室からかっぱらって――じゃない、ちょっと借りてきたトランシーバー一式だ。
「電源は全部さっき入れておいた。チャンネルは三に合わせてあるから確認して。ストラップつけておいたから首から下げられるよ。それで、そこのマイク押しながらしゃべれば大丈夫」
 ヤスアキが簡単に使いかたを教えてくれた。トランシーバーは全部で四つ。久野が自分の分をひとつつけながら言った。
「ひとつはあたしが持つ。あとは――こーすけと、遥、それから三嶋が持って」
 言われたこーすけ、滝口、アキオの三人がトランシーバーをセットした。久野はマイクテストをしながら、ぼくのほうにもうひとつ、水色のおもちゃのトランシーバーを渡してくる。
「こーすけのおもちゃだから、本当に近くならないと届かないと思うけど……こーすけと一緒にもってて。そのほうがいいでしょ?」
「ありがと」
 ズボンのポケットに四角いそれを捻じ込んで、イヤホンをヘルメットの下でつけた。こーすけは両耳にイヤホンと言う非常に聞きづらそうな状態になったけれど、文句はいわなかった。
 それぞれ武器を構えて、トランシーバーをセットして、ぼくなんかは完全装備のローラー・ブレード姿で、みんなこれからどこへ行くんですか、ってな状態になったけれど、ぼくらは顔を見合わせて大きくひとつ頷いた。
「じゃあそれぞれ配置について。ミスはなしでお願いね」
 久野の言葉にぼくは首の鍵を外し、最初の走者に手渡した。
 告げる。
「五分後に、作戦スタートだ」
『了解!』

 絵の具を塗りたくったみたいな深い青の空に、入道雲が膨れ上がっている。
 海際の空をみながら、ぼくは流れてくる汗をぬぐった。のどの渇きを意識して、くちびるをなめる。
「――久野了解。キィにお願いして」
 トランシーバーのマイクに向かって久野がささやいた。顔を上げて、ぼくを見る。
「全員配置についたって。今、キィに行動をはじめるようにお願いしてって頼んだわ」
「了解。〈船〉が出した制限時間まで、あとどれくらい?」
 前かごにBB銃やらいろいろつめこんだ自転車にまたがったまま、久野が自分の腕時計を見た。
「ジャスト一時間ってとこ」
 けっこう、ぎりぎりだ。
「――久野了解。今、三嶋の所にきたって!」
 久野の声に、ぼくは小さく頷いた。はじまったんだ。
「形は?」
「ええと。――三嶋、とれる? 久野です」
 少しの間。アキオのぜえぜえ言う声が、久野のイヤホンから漏れてくる。
「〈チルドレン〉の形は?」
 ――ザル蕎麦!
 雑音の中からそんな声がかすかに聞こえてきた。久野が顔をゆがめるのを見て、ぼくは小さく笑った。
「ホントにザル蕎麦想像してたんだ、アキオのやつ」
「……ほんと男子ってバカ」
 久野の『バカ』、久々に聞いた気がする。
 けど、ザル蕎麦が追いかけてくるのって……海賊が追いかけてくるのより、よっぽど怖いかもしれないと思うんだけどどーなんだろ。
 ……あんま見たくないかも。
 それからしばらくは、久野のもっているトランシーバーの交信だけが頼りになった。
「――久野了解。三嶋逃げ切ったって! 今二番街抜けて、第二公園前のヤスアキにバトンタッチしたって!」
 よし!
 ぼくは思わず小さくガッツポーズをした。
「はい、久野です。うん……うん、了解。ありがと、遥!」
 久野が顔を赤くして頷いている。
「武器、効果あるって! ちょっとだけど、足止めになるみたい」
 アキオとヤスアキがバトンタッチする瞬間に、滝口たち女子チームが攻撃する手はずになっていた。それが成功したってことだ。今、鍵はヤスアキの手の中だ。
「じゃあそろそろぼくの番だね」
「うん。あたしも配置につく」
 自転車の向きを変えて、久野がいった。それから、振り返ってくる。
「片瀬」
「なに?」
「気をつけてね」
 メガネの奥、少し心配そうな久野の目を見て、ぼくは笑ってみせた。
「任せてよ」
 久野が何も言わずに頷いて、先に坂を下っていく。自転車にのった久野の背中が見えなくなって少しした頃、後ろ――キリン公園側からどったんどったん音が聞こえてきた。膝を緩めて、いつでも走り出せる体勢のまま振り返る。
 そして――ぼくは思わず叫んでいた。
「なんっでいちごパフェなんだよ!?」
 滑り台くらいはあろうかという巨大いちごパフェが、必死に自転車をこいでるヤスアキの後ろから追いかけてきていた。しかも分離したのか何なのか、大きなパフェのとなりを、アホみたいなでかさのいちごがふたつ、ぴょっこんぴょっこん飛びながら迫ってきている。
「滝口のせいだよ滝口の!」
 いちごパフェに押しつぶされないように必死で逃げているヤスアキが、大声で叫ぶ。いやだ。ホンキでいやだ。いちごパフェに押しつぶされて圧死とか、いちご汁にまみれて窒息死とか、人類として恥だ。……ザル蕎麦のつゆにつけ殺されるとか、蕎麦で絞め殺されるとかも、いやだけど。でもいちごパフェもいやだ。死因生クリーム。いやだ。
 何でいちごパフェ。……いやたぶん、滝口とか女子あたりが、ザル蕎麦よりいちごパフェのほうがいいとか思ったせいなんだろうけど……でもいちごパフェか……
 生クリームをべっちゃんべっちゃん落としながら追いかけてくるいちごパフェ。そのとなりで弾むみたいに追いかけてくるいちご。それらを振り切って、ヤスアキが自転車の上からぼくに手を伸ばした。
 手の中には、金色の鍵。
……あなた達の想像力には、たくましいものがあるね
 キィの呟きはこの際無視だ。
「ひろと!」
 ぼくも手を伸ばす。ヤスアキと手が触れて――
 手の中に、金色の鍵が収まった!
 その瞬間、ヤスアキがバランスを崩して自転車ごと転んだ。
「ヤスアキ!?」
「いーから、いけ!」
 転んだまま、ヤスアキが叫んだ。自転車のかごに入っていたバスケットボールをいちごパフェに投げつける。いちごパフェが一瞬どろっと液体みたいに溶ける。それを一瞬だけ目の端に収めて、ぼくは滑り始めていた。
 右手には海が見える、沿岸線だ。いつもならスピードを抑えるために横滑りを多く入れないと危ない急な坂。だけど今日は、一切横滑りは入れない。スピード勝負だ。
 右。左。右。
 左。右。左。
 息を詰めたまま走り出す。夏の太陽が肌を焼いていく。ぼくは一切後ろを振り向くことをやめた。ただ、ひたすらにローラー・ブレードを操る。金色の鍵を握り締めたままで。
 後ろからはどすんどすんという音が聞こえてくる。だけど遠くからは、潮騒の音も聞こえてきた。
『ひろと、とれるか』
 ざざっという音とともに、耳につけたイヤホンからこーすけの声がする。電波は悪い。だけど、聞き取れないほどじゃない。ぼくはマイクのボタンを押しながら短く答えた。
「ああ。今ヤスアキから鍵を受け取った。そっちに向かってる」
『了解』
 これで、こーすけが放送室のトランシーバーを使って、他のメンバーに連絡をとってくれるはずだ。
 ローラーがぐるぐる回って、スピードが増していく。ぐるっと弧を描いている沿岸線だから、真っ直ぐは滑れない。少し左に曲がり、また少し右に曲がる。外側に体重を乗せ、内側に体重を移しかえる。海風が顔を叩きつけてくる。
 普段感じることのないほどのスピードに、心臓がきゅっと縮まる。だけど、びびってる場合じゃない。沿岸の端には、等間隔に白いガードレールがある。逆に言えば、等間隔に間があいていることになる。そして、所々に電柱。三本目の電柱が目印だ。
 一本目を過ぎる。まだ、追いつかれていない。右に大きなカーブ。ひまわり畑が見えた。
 この道のすぐ下は、細い道になっている。その先は海辺。
『ええか。失敗ンなや、ひろと』
 耳につけたおもちゃのトランシーバーからこーすけの声がする。
にやりと頬の端を持ち上げたこーすけの顔が見えるみたいだ。
「誰が失敗るかよ、こーすけじゃあるまいし」
『ひどいわ、ひろとくん。――なんてな。ま、そういうこと言えんねやったら大丈夫やな』
 くくっとこーすけが笑った。ローラー・ブレードが摩擦する音を立てた。
『なぁひろと。お前、亜矢子のこと好きなん?』
「!?」
 唐突過ぎる言葉に、一瞬バランスを崩しそうになる。後ろを振り返ったら、ふたつのいちごがすぐそばにあった。とっさにしゃがみながら左のいちごの体当たりも何とか避けて、スピードを速める。
「バカかこーすけ、こんな時に一体なんだよ!?」
 おもちゃのマイクに向かって怒鳴る。良かった。良かった、これがこーすけとぼくだけが持ってるおもちゃのトランシーバーのほうで。つか、何考えてんだあのバカ!
 ぎゅっとくちびるを引き結んで、体勢を立て直して再度滑り始める。
『こんなときやから、や。――なぁ、どうなん?』
 しつこい!
 ぼくは答えずに、鍵を強くにぎってローラー・ブレードを操ることに専念する。
『オレは好きやで。亜矢子のこと』
「……」
 答えなかった。
 ――正確には、何も言えなかった。一瞬、後ろからのいちごパフェのどすんどすんという音も、セミの鳴く声も、遠く聞こえる潮騒も、全部消え失せたみたいに感じた。
『そやから――負けへんで』
 その声だけは、さっきまでのどこかふざけた調子と違って真面目だった。静かで、真面目な声だった。
 キィも、ぼくの手の中で何も言わない。
 空の入道雲、少し見えるひまわり畑。そして、二本目の電柱。それを見て、ぼくは小さく呟いた。
「こっちこそ」
 こーすけが、トランシーバーの向こうで笑ったような気がした。
 顔が熱い。太陽が熱すぎるせいかもしれない。
『お、見えてきた。あとちょっとや』
 こーすけの言葉に、ぼくは気合を入れなおした。ぎゅっとくちびるを噛む。
『さん――』
 カウント・ダウンの声に耳を澄ます。
 大丈夫だ。さっきのことも全部、こーすけのことを信じられる要素になっていた。なんでかは、判らないけれど。
『――に――』
 三本目、目印の電柱が近付いてきた。
『――いち――』
 加速がきつくなる。目の前には、ガードレールとガードレールの間の隙間。それが、迫る。
 三本目の電柱を――過ぎた!
「キィ、行くよ!」
『――今や!』
 ジャンプ!

 こーすけの合図とともに、ぼくは思いっきり地面を蹴った。


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