第五章『〈マザー〉』


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 それは、遠い遠い星の、物語り。

 目を開けると、そこは変わらない〈船〉の中だった。
 だけど、何かが違った。何が違うんだろうと思って、次の瞬間にはすぐに理解した。
 ひとがいる。複数のひとが〈船〉の中央、銀色の大きな円テーブルに集まって、座っている。
 いや――ひとじゃない。人間じゃなかった。
 それは一瞬ぼくらと同じように見えたけれど、少し醜かった。頭が大きくて、背はたけるほどもない。猫背で、腕がすごく長かった。肌の色は、やや灰色がかったペールオレンジだったり、畑の土色みたいだったり、キィに近いくらい真っ白だったり、いろいろだ。髪の色も、黒かったり赤かったりする。みんな色は違ったけれど、同じように長く伸ばしていた。
 目は顔の半分を占めるくらい大きくて、鼻は低くつぶれていた。口は――口だけは、ぼくらとよく似ている。
 誰かが、ぼくのシャツを後ろから握った。
 びっくりして振り向いたら、久野だった。青ざめた顔で、目の前の『ひと』を見つめている。たけるもいる。こーすけもだ。だけど、キィの姿はそこにはなかった。
「これ……なんや……」
 震える声でこーすけが呟いて、ぼくのとなりに並んだ。ぼくはわけも判らず、静かに左右に首を振る。
 その『ひと』たちを数えてみると、十二人だった。ちょうど一ダースだ。男も女も正確には判らない。子供なのか大人なのかお年寄なのかも、判断がつかなかった。みんな、背は少しずつ違う。顔立ちも、どことなく違う。髪の色も肌の色も違う。共通点は、どこかの国の衣装みたいな、だぼっとした服を着ていることぐらいで、あとは全部違うのに、どの顔立ちの人が大人なのかとか、女なのかとか、よく判らなかった。

とうとう、我々だけになってしまった

 ふいに、そのなかの一人がそんな言葉を漏らした。それは日本語でも英語でも、もちろんフランス語でもドイツ語でもなかったと思う。だけどぼくはその言葉の意味を、何故かすぐに理解できた。
 その一人が呟いた言葉は、とても、とても疲れていた。ため息がそのまま、言葉になったみたいに。

最後の十二人というわけね
この惑星の最後の生命種か。全て、全て――消え失せた。死滅した
わたしたちも、間もなく死ぬでしょう。たとえ子孫を残そうとしたところで、もうこの惑星は生命を受け入れまい

 一人の言葉が引き金になったみたいに、みんなそれぞれ口々に呟き始めた。
 ひとりは、さみしそうに。ひとりは、かなしそうに笑って。ひとりは、何も感じていないみたいに。ひとりは、皮肉っぽく口をにやりとゆがませて。
 だけど――みんな、疲れていた。

あと、どれくらい持つかしらね
さあね。長くはないことは確かだろうけれど

 その十二人が話している会話の意味は、ぼくには少し判らなかった。
 ただ、その言葉の持つ空気とか〈船〉に広がっている寒さとか、十二人の疲れた気配とかが、それがどうしようもないことについて話しているんだって、ぼくに教えてくれる。

だからこその『母なる計画』でしょう?

 ひとりの――黒い肌に赤い髪の毛を持つひとの言葉は、一瞬にして〈船〉に沈黙を呼んだ。それまで口々に呟いていた残りの十一人はすっと口を一文字に結んで、静かにそのひとを見た。
 それから、誰も言葉を交わしていないのに、まるでそうすることを話し合ったみたいに一斉に同じ動きをした。
 四本しかない指の、一番長い一本を口にもっていって、噛む。赤黒い血がぽたぽたっと銀のテーブルに落ちた。十二の小さな血溜まりが出来る。
「……」
 久野とたけるが、ぼくのシャツを強く握って来た。怖いんだ。あたりまえだ、ぼくだって怖い。きっととなりにいるこーすけだって、そう思ってる。
 十二人は、ぼくらが見ている中で、その手を中央に寄せた。十二の片手が、重なり合う。

我ら最後の十二人は、ここに誓う
十二種の血の盟約により、ひとつとなることを
『母なる計画』により、たとえこの身が死滅しても、ひとつとなることを
この惑星の最後の母となることを
新たなる生命の居場所を求め
そこで最初の母となることを
永遠に等しい時の中で
想いを受け継ぎ、紡ぎ続けることを
ひとつとなることを
いつかまた、生命の居場所が見つかるときまで
ひとつでありつづけることを
十二の血の盟約により、ここに誓う

 何かの呪文みたいだった。もしかしたら、呪文そのものなのかもしれなかった。
 不思議な響きを持ったその言葉を、十二人がそれぞれに呟いて――
 そして、緑の光がまた、視界を覆い尽くした。

 再び目を開けると、そこはやっぱり変わらず〈船〉の中で。
 だけど、ついさっきまでそこにいた十二人も、十二人が囲んでいた銀のテーブルも何もなかった。
 違和感。
 いつもと違う、何か得体の知れない気持ちの悪さがぼくを襲っていた。ひざもがくがく笑っていて、頭もくらくらする。
「大丈夫か、ひろと」
 となりからの声に、ぼくは軽く頭を振って、ヘルメットからはみ出ておでこにはりついた前髪を払いながら頷いた。
「なんとかね……こーすけは?」
「生きてはおる。亜矢子もたけるも、大丈夫みたいや」
 その言葉に振り返ると、ぼくとこーすけ両方の服をにぎった久野とたけるが、青白い顔でうつむいていた。ぼくの視線に気付いたんだろう、久野が顔をあげて、ぱっとぼくたちから手を離した。
「……ごめん」
「別にいいよ。――大丈夫?」
 こくんと、久野は小さく頷いた。耳につけていたイヤホンをいまさらながらに外して、小さく結ぶ。ぼくもそれにならって、イヤホンを外してポケットに詰めた。
「いまの、なに」
 細い声で、久野が言う。ぼくとこーすけは答えようがなくて、同時に首を振るだけだ。たけるが、ぎゅっとぼくにしがみ付いてくる。その頭を、ぼくはただ撫でてやるだけしか出来ない。
この船の――正確には〈マザー〉の記憶
 その落ち着いた声に、ぼくは少しだけくちびるをかみながら顔の向きを変えた。
 白い姿のキィが、静かに立っている。
 緑色の光の文字をもつ、白い壁を背にして。
〈マザー〉
 キィは振り返って、緑色の光を見た。
この記憶を見せたのは、彼らに対してですか? それとも、わたしに対してでしょうか
――〈チルドレン〉に『わたし』などは存在しないはずだ
 緑色の光の静かな言葉に、キィは小さく頷くだけだ。
判りました。ただ、少しだけ――少しだけ、彼らと話をさせてください
 緑色の光は答えなかった。文字は光を発することもなく、静かに沈黙を守りつづけている。
 キィはそれを、イエスと受け取ったみたいだった。
感謝します
 小さくそう言って、キィは動けずにいるぼくらを見た。静かな、白い瞳で。
「キィ……」
あなたたちと、話したい

〈船〉の外は、変わらない青空が広がっていた。少しだけ太陽は西に傾いていたけれど、赤みを帯びるのはもう少し先のことだ。
 キィが〈マザー〉に言って作ってくれた即席の窓――だけど、向こうからは見えないらしい――は、角野の青空を映している。校庭の様子は見えなかった。だけど、それでいい気もした。
 キィは窓の外の青空を見つめている。
角野の空は――よく、似ていると思う
 ふいにキィがそんなことを言って、ぼくは目を瞬かせた。
 その白い部屋の中心に集まって座っていた。キィと初めて逢った、あのこーすけん家のひみつ基地でみたいに。キィを囲んで、ぼくらは顔をつき合わせていた。
 あの時と違うのは、お尻の下の感触が畳でもなければ押入れの床でもないってこと。こーすけの家じゃないってこと。それから――あの日と違って、キィをすごく近くに感じるってことだ。
「似ている……?」
 久野が、眉を寄せて呟いた。
うん。似ている。あの惑星の空と。わたしは知らないのだけれど〈マザー〉の記憶と照らし合わせると、そう思ったの
「キィ。さみしいの?」
 ふいにたけるがそう言って、キィの手をにぎった。キィはおどろいたように目を少しだけ大きくさせて、それから不器用にたけるの頭を撫でた。
 そんな行動も、あの日じゃ考えられないことだった。
少し。――大丈夫だから。話を――しても、いい?
 キィの言葉に、ぼくらは何も言わずに頷いた。キィはありがとうと呟いて、言葉を続けた。
ここから……すごく、すごく遠い場所の、すごく遠い昔の話になる。ここじゃない銀河に、こことは違う――だけどこの惑星と同じように、生命が生まれて、発展したひとつの惑星があったの
 キィの話は、いつかあのこども宇宙科学館で聞いたことの続きみたいだった。
 すごく、スケールの大きい話。窓の外、角野の空に違和感を覚えるほどに。
 だけど、この青空のずっと向こうであった話なんだ。
 キィはぼくらにその惑星の話をしてくれた。やっぱりというかなんというか、時々難しい単語もでてきて、その度にたけるがきょとんとして、だけど久野がフォローをしてくれた。
 キィが言うには、その惑星は地球ととても似ていたらしい。
 水があって、緑があって、空気があった。――空気中の成分は違ったらしいけれど。その惑星の近くには太陽と同じような大きな惑星もあった。地球とよく似た星だったから、地球と同じみたいにすごく長い年月を使って、生命が生まれたらしい。それはずっとずっと進化をしていって、いくつもの種類に分かれて、やがてぼくたちと同じ人間みたいな、知的生命種もうまれた。
その知的生命種は、惑星中を支配していった。特筆すべきは、適応力の高さだった。それが惑星の中で一番力を持つことになった最大の理由だと思う。彼らはどこにでも住んだ。極寒の地にも、灼熱の地にも、どこにでもね
 それはぼくたちの地球でも、やっぱり同じことだ。ぼくらは海の近くの角野に住んでいるけれど、地球上を探したら、赤道直下の国だってあるし、オーロラが見えるほど寒い地域に住んでいる人たちだっている。
異変が起きたのは、唐突だった
 キィは窓の外を見つめながら、そう呟く。
 角野の青空は、夏の陽射しを抱え込んできらきらと輝いている。キィはもしかしたら、角野の空にその惑星の空を見ているのかもしれない。
その惑星の近くの星が、死滅したの
 キィはそう言って、視線を窓から外した。
星にも寿命がある。だからそれ自体は特別な事じゃない。始まったものは、いつか必ず終わるから
 始まったものは、いつか必ず終わるから。
 その言葉に、ぼくは何となく居心地の悪さを感じて、少しだけ体をふるわせた。
ただ特別だったのは、それがあまりに惑星の近くで起きたことだった。四散した星のかけらはその惑星の重力に引き寄せられ、天蓋のように惑星を覆ってしまった
「……もしかして」
 久野が、ふと強張った顔で呟いた。
「気象の変動による絶滅……?」
うん
 久野の言葉に、キィは静かに頷いた。頭の上にいっぱいはてなマークを浮かべているたけるを見て、久野が困った顔をする。
「えっと……なんて言えばいいのかな。原因はともかく、地球にもあったことなんだけど……」
「恐竜だよ、たける」
 どう説明しようかと悩んでいる久野のかわりに、ぼくはたけるにそう言ってやる。その言葉に、たけるははてなマークをびっくりマークにかえたみたいに目を開いた。
「恐竜が絶滅した話!」
「そう」
 さすがに、この辺りのことは女子である久野より、ぼくたちのほうが強いはずだ。特にたけるは、一番好きなのはティラノサウルス! 二番目に好きなのはプテラノドン! と次々名前を挙げられるほど恐竜が好きだし。
「恐竜って、隕石で死んだんでしょ?」
「は、仮説のひとつ。正確にはまだ判ってないけど」
 見上げてくるたけるに、そう答えてやる。こーすけも頷いて、
「タイムマシンで見に行くしかちゃんとは判らんのやろうな。あとはなんやっけ? 火山が爆発したとか、そういうんもあったと思うけど」
「裸子植物かなんかでおなかこわしたってのもなかったっけ? この間借りた本に書いてたよ」
「え? オレそれ知らんわ。今度それ教えて」
「ちょ、ちょっとちょっと! あんたたち、なんでそういうことには詳しいのよ」
 メガネの奥の目をまるくして、久野が割り込んでくる。こーすけは頭をかいた。
「恐竜って、男子やったら誰でも好きやと思うで」
「――男子って極端……」
 女子だって、テレビタレントのことは異様に詳しかったりするから、そっちだって十分極端だと思うけど。言わないけど。
この惑星にも――そういうことが、あったの?
「うん。何万年も昔に、ずーっと地球を支配していた恐竜って言うのがいてね。それが、何らかの原因で絶滅したんだって」
 キィの驚いた様子に、ぼくは答えた。
「原因ははっきりしてないんだけど、ぼくたち人間ってのはその後の進化で生まれたんだ。地球の歴史にしたら、すっごい短いらしいよ、人間が生きているのって」
そうだったの
 ぼくは恐竜のことくらいしか判らないけれど、たしか地球上の生き物が絶滅しそうになったことって何度かあったはずだ。マンモスとか、アンモナイトとか、そういうのが。
「地球に隕石がぶつかったとか、彗星が降ってきたとか、火山が爆発したとかいろいろ言われてるけど……まとめて言っちゃえば、地球が寒くなったのが原因じゃないかって言われてるんだ」
「たける、知ってるよ! 隕石がぶつかって、そしたら塵とかがいっぱい降り注いじゃって、太陽が隠れちゃったんだって」
 たけるが得意げに話してくれた。小さな手をぎゅっと握って、早口でまくし立てる。
「そしたら、何年も何年も寒いのが続いて、草とか木とかも育たなくなっちゃって、食べるものもなくなっちゃって、寒すぎて、それで恐竜は死んじゃったんじゃないかって言われてるんだよ」
この星にもそんなことがあったのね
 キィはどこか不思議そうに、窓の向こうの空を見上げた。確かに、少し不思議だ。もしかしたらぼくらがいつも歩いている角野の道を、ずっと遠い昔は恐竜が歩いていたのかもしれない。ぼくらが暑さに汗を流している道を、太陽を求めて、歩いていたかもしれない。そう考えると、不思議に思えた。
原因は違うのかもしれないけれど、その惑星で起こったことも同じだった。死滅した星のかけらが惑星を覆って、そのせいで光星――太陽に近い星の光を遮ってしまったの
 静かに、キィは続けた。
惑星は静かに死滅の道を歩き始めた。静かに、だけど急速に。いくつもの生物が尽き果てて、惑星はもう、生命を育むだけの力はなくなった。残された知的生命種は最後まであがいたけれど、結局いつか死に絶えて――気付くと、十二人だけになっていた。たったの、十二人。幾万もの生命を育んでいた惑星に最後に残ったのは、たったの十二人だったの
 さっきの、十二人だ。
 ぼくらはすぐにそのことに気付いた。あの十二人が、惑星の最後の住人だったんだ。
彼らは、今のこの地球よりもずっと高度な技術を持っていた。だけど、惑星外に飛び立つことは出来なかったの
「どうして?」
星のかけらが、惑星から飛び立つのを邪魔していたから。もちろん、無理をすれば出来たのかもしれない。だけど彼らの肉体が持たなかった。それに惑星の外に飛び出しても、その惑星と同じ環境を持つ星は見つからなかったでしょうしね
 久野の言葉に、キィは少しだけ顔をうつむかせた。
死を待つだけの閉ざされた惑星になってしまったその星で、だけど彼らはあがいたの。そして、ひとつの計画が持ち上がった。それが『母なる計画』
 さっきの映像の中で、あのひとたちが言っていた奴だ。
ひとつの大きなプログラムが組まれた。それが〈マザー〉。彼ら十二人はそれぞれが持つ、過去、知識、感情――全てをひとつのプログラムとして組み込んだの。そしてこの、生体素材で造られた〈船〉に搭載した
「そいつら自身は、乗らへんかったんか?」
 口を手で多いながらじっと聞いていたこーすけが、ふいにくぐもった声で質問した。キィが頷く。
乗らなかった。乗ったとしても耐えられなかったはず。惑星を飛び立つ時の衝撃は、ひどいものだった。星のかけらにぶつかりながら、重力に無理矢理反しながら飛び立つわけだから。それを緩和するほどの機能は〈船〉にはなかったの
 ぼくはそっと〈船〉を見渡した。白い、何もない空間。鳥肌が立ちそうだった。
 いつか、遠い惑星で、この〈船〉は造られたんだ。『母なる計画』を巡って、あの映像のように彼らは集まって――だけど結局、彼らはここから降りた。惑星を飛びたったのはこの〈船〉だけだったんだ。〈船〉と、〈船〉に搭載されたプログラム――〈マザー〉だけだったんだ。
「その……〈マザー〉って、十二人そのものだったの?」
 久野の言葉に、キィは静かに首を振る。
違う。別物だった。彼ら十二人全ての記憶、知識を一緒にして組み込んだプログラムだから、彼ら自身は残らなかった。〈マザー〉は十二人の全てが融合して説けあった、プログラムでしかなかった。十二人の体は恐らくは死滅したでしょうけれど、その記憶だけはひとつのプログラムとして、惑星を飛びたったの


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