Chapter7. 裏切りものども - 1

 モクテスマを監禁し、幾月かたった。その間、テノチティトランの動向は多少の不遜な動きはあったとしても表面的には落ち着いていた。だが、コルテスは危うさを感じ取っていた。今の状態はモクテスマを手中に入れていると同時に、いつ敵になってもおかしくはないアステカの民に囲われているのと変わらなかったからだ。彼は金の産地を聞き出し、偵察隊を派遣し、ベラクルス市とも何度も連絡を取り合った。その一方で、いざというときのために小さな帆船を四つ作り上げた。
 金の産地が明らかになった。ほとんどが河床から取れる砂金だった。モクテスマはもはや諦めたのか頭を垂れる一方で、エスパニャ軍にほぼすべての金を差し出した。
 そして、四月。もう一度巡ってきた春の日差しに花がほころびはじめた頃、ベラクルス市からの報せが届いた。正体不明の船隊が現れた、との事だった。
「エスパニャかキューバからの援軍ではありませんか。ここの価値はもう随分伝えているでしょう」
 ペドロは多少楽観的だったが、コルテスはアギラールの目から見ても焦っているように見えた。
「ベルナル・ディアス。どう思う」
「……援軍などという甘い考えは出来ませぬな。わしは」
「偶然だな。俺もだ」
 アギラールも同意見だった。コルテスがすぐに調査の指示を出した。だが、一向に調査隊は帰って来なかった。コルテスの不安の元はアギラールにも判っていた。ベラスケス総督だろう。ずっと気がかりだったに違いない。そしてその心配はある日形となってコルテスたちの前に現れた。
 ベラクルス市から、荷担ぎ人の背に縛り付けられた状態で三人の男が連れて来られたからだった。荷担ぎ人はアロンソからの書簡も持ってきていた。そこには、ナルバエスという青年がベラスケス総督に命じられ軍事総督としてこの地に来たので、コルテス一同はその指揮下に入るようにと通告があったこと、その報せを持ってきたこの三人をベラクルスの市議長のアロンソと、そして守備隊長サンドバルの意思のもと逮捕したということが書かれていた。
 三人の男の中に神父が一人いた。ゲバラ、と名乗った。ゲバラ神父はナルバエスの元に来たコルテスの使者が捕らえられたことも語った。アギラールはコルテスが強硬手段に出るかとも思ったが、彼のとった行動は逆だった。三人の男たちを解放し、丁寧に謝罪したのだ。
「手荒な真似をして申し訳なかった。どうか、許していただきたい」
 ゲバラ神父は驚いたようだ。宮殿の床にぺたりと座り込み、胡散臭げな顔でコルテスを見上げている。
「貴殿は何故このような……」
「ベラスケス総督の命に背いてここまで来たことを、彼の方がお怒りになられるのは我らとて十二分に理解しているのです、ゲバラ神父」
 しれっと、言ってのける。コルテスの詭弁は今に始まったことではないが、さすがによく言うものだと感心する。
「ゲバラ神父。貴方にお話したいことが、いえ、それにお渡ししたいものも、我らは沢山あるのですよ」
 コルテスはゲバラ神父たち三人に大量の宝物を手渡した。ゲバラ神父が目を瞠っている間に、とくとくと語りだす。この国の財力の豊かさ、キューバにとって大事な場所になるであろうこと。そういったことを語り、ここを手放すためにナルバエス殿がいらしているのならばそれはとても勿体無いことだと力説した。目の前に金を積み上げられた状態で話されると、ゲバラ神父も信じざるを得なかったのだろう。揺れていくのが見て取れた。そして同時に、この程度のことで揺れるということは送ってこられたナルバエスという青年はそれほど信頼を得ていないということも理解した。
 コルテスは同じ神職者同士、ということでオルメード神父を指名した。オルメード神父と幾人かの兵に金を持たせて、ゲバラ神父とともにベラクルス市へと送り出した。
「どうするおつもりですか?」
「撃って出る」
 アギラールの問いかけに対して、コルテスの返答は端的だった。
「ここにナルバエスを招き入れるのは避けたい。ただでさえ、まだきな臭さは残っているんだからな」
「そうですね。ナルバエスとこちらに反感を持っているアステカの民が万が一手を組むと厄介です」
「ああ。だからこちらから出向いてやるしかないだろう。だが、まともにやりあうつもりもない。ゲバラ神父の口ぶりからすると随分の大所帯のようだからな」
「ならすぐに体制を整えましょう。ここも手薄には出来ないでしょうから、軍を分ける必要があります」
 アギラールの進言に、コルテスがやや胡散臭そうな顔をした。
「お前ほんと、あの日から扱いやすくなったな……」
「何がですか」
「手っ取り早くて助かるよ。ではそちらは任せた。ペドロとシコテンカトル辺りを中心に話しあってくれ。あと、マリンチェも」
「判っています」
「へいへい」
 何故か呆れられている気もしたが、アギラールはすぐに動いた。幾月か前、モクテスマの甥であるカカマツィンという若者の蜂起の動きなどもあった。アステカを今手薄にすることは避けたかった。数週間に渡る話し合いの末、ペドロを中心として百二十名の兵が残されることになった。今回はエスパニャ同士なので通訳は必要なく、マリンチェはテノチティトランに残すことにした。兵力としてシコテンカトル率いるトラスカラの戦士たちが多数コルテスに従うことになったが、こちらとの会話はシコテンカトルがマヤ語を解せたのでアギラールで事足りた。自然、アギラールはコルテスに付き従うことが決定した。
 マリンチェにこれらのことが伝えられると、彼女は静かに頷いた。
「心配するな。すぐ戻る」
「別に心配してないわよ」
「それは残念だな」
「……貴方最近むかつくわ」
 むすりとマリンチェが答える。思わずアギラールは笑い声を立てていた。あの一件以来、少々マリンチェのこちらに対する態度がきつくなった。ただ、避けられてはいないからアギラールは気にしていない。そういう表情をするときもまた、愛らしいとさえ思う。
「でも、何でペドロなのよ。私あの人嫌いよ。神経質で」
「そういうな。どうしてもエスパニャの兵を残しておきたいのと、腕の立ちや兵の纏め方、コルテス殿の信頼、そういったものを加味すれば彼しかいない」
「へぇ」
 どうでもいい、と言わんばかりの受け答えだった。流石に苦笑するしかない。
「明日の朝には出発する。先行してオルメード神父たちが付けば、説得に入るだろう。事を荒立てるよりは、話し合いで解決したいものだがな」
「何とかなるの?」
「さあな。逢ってみないと判らない」
 そりゃそうね、とマリンチェが頷いた。その頷いた小さな頭に、アギラールはぽんと手をおいた。
「……何」
「明日には行く。今日少し、時間をくれないか」
 マリンチェは少し戸惑うような表情を見せたが、無言でこくりと頷いた。