「わたしはいつか、あなたを殺します」


「じゃあその日が来るまで、俺はあんたを守るよ」






















十六の歳を迎える夜
神凪本家筋に生まれた女児は
必ずや 鬼と化すだろう――




「助かる方法は、ひとつ」
 そう言って祖父が差し出したものは一枚の写真だった。
 大人しそうな、平凡な顔立ちの少年が写っている。
「この男の御魂を弱める――『殺す』のだ」




 少女の眼に影が落ちていく。まだ幼さを引きずる声音が、震えながら音を紡いだ。
「この方の名は?」


「松風 亮」





「ところで松風。振り向かないようにね」
「へ?」
「つけられてる」
「……はいっ!?」


「松風亮さん、ですか?」
 見上げてくる少女は、まだ幼く見える。亮より、ひとつふたつ、下だろうか。
 どちらにせよ、こんな大人しそうな女の子の知り合いなんていない。いないはずだ。亮の周りにいる女子は理沙を筆頭にたいてい騒がしい。
 しかし知り合いであるはずがない少女は、確かにこちらの名前を聞いてきながら見上げてくる。
 曖昧に頷くしか出来なかった。少女の長い黒髪が、さらりと音を立てた。紅く小さい唇が開かれる。

「死んでください」






山吹の 花色衣 ぬしやたれ
 問へど答へず  くちなしにして――



雨の中、纏わりつくようなくちなしの香が漂っている。






「わたしが、ひとつだけ諦めればいいことだったんです」



「十日月夜か。今夜は僕の夜だ」
 空を見上げながら、時也が笑んだ。どこか歪な笑みに見えた。
「僕が最初に気づいたとき、あたりは真っ暗だった。
 何の事はない、ただ朔月だったって話だけれどね。
 それから十の夜、『ぼくら』は月が満ちていくのを見た」
 時也の眼が、空からほたるへと移された。眼差しは、月光の鋭さを溜めたといわんばかりに冷え切っていた。
「君の目覚めは――十五夜、かな」
 しかし少なくともそれは、十日月の鋭さではなかった。眉月よりもまだ鋭い響きだった。
「闇でさえ、君の味方にはなってくれないようだね。
 月が残酷な真実を闇に浮かばせることだろう。君はそれに、耐えられるかな」


















 だれか、ぼくを、たすけて。













身を変へて 一人帰れる山里に
聞きしに似たる 松風ぞ吹く







 ただ、亮に帰ってきて欲しかった。







「僕が詠むのは、源氏にも尼君にも失礼かな」
 時也は独りごちると、眼を閉じた。雨に鳴く松の風が聴こえた。



 理沙の悲鳴。時也は反射的に手を伸ばしていた。
 遅い。伸ばしてから、気づく。いつもそうだった。
 神通力を使えばいい事を、咄嗟には考えられない。
 人であったときと同じように、ただ、手を伸ばしてしまう。
 ただ、声を上げてしまう。
 人でなくなってもう随分と立つというのに。
 そんなことが疎ましい。疎ましくて、いつも嫌になる。

「石川さんっ」

 間に合わない。今からでは手が届く前に、あの鬼の爪が彼女を裂くだろう。



緋色が散った。








――器はひとつ 御魂はふたつ




――私が何の為に輪廻を繰り返しているのか


鬼に喰われ尽くす前に、ただ、死にたい。



――もうそなたには判るであろう






――そなたは呆れるほど 器の使い方が下手だな 

「人身御供……の子ども……」
 彼女は呆然と呟いた。





ときのまに
あさけのゆめは きえかへる
よはのうつつは こころもとなし









「おかえり」







吹きつけた松風は、夏の香を含んでいた。









『はじめて、本気で自分でこうしたいって、思ったんだ』
松風 亮

『それでも、貴方は生きています』
神凪 ほたる

『しっかりなさい、男の子』
石川 理沙

『現は残酷だよ。けれど僕は現を、まだ捨てきれない』
叶 時也

『十夜……か?』
神凪 真治

『そなたは真に愚かで、故に面白いな』
神子












当小説には、一部残酷描写・暴力描写を含みます。
年齢制限をかけるほどではありませんが、苦手な方はご注意ください。



目次へ