第一章:Encounter is full of a trap――出逢いの罠


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 ぴくり、と自らのまゆが跳ね上がるのをエリスは自覚した。
「じょっ……」
 アンジェラが戸惑ったような声で言う。
「冗談じゃないわよ! 意味が判らないわ! 説明しなさいよ!」
 詰め寄るアンジェラから、ゲイルは数歩身を引いた。
「説明してもいいけれど。そんな暇があるかな、今?」
「グアアアアアアアアアッ!」
「――っ!」
 ゆらりと佇んでいた炎の泥人形が、ふいに咆哮を上げて襲い掛かってきた。前に出ていたアンジェラを慌てて引っつかんで下がらせる。
 振り下ろされる炎に包まれた長い手。アンジェラの髪の毛が数本、きりとばされた。アンジェラが小さな悪態をつく。
 その間も、ゲイルとドゥールの二人は動じた様子もなく、僅かに身を引いただけだった。かわらない、どこか余裕すらある調子で続けてくる。
「二択だよ。死ぬ? 生きる?」
(……くそったれ)
 吐き捨てる。
 自分ひとりなら、多少の無茶をしてもよかった。申し出を無視して、やれるだけやってみた。だが――アンジェラがいる。
 生存確率が低いほうをわざわざ選んで、彼女を危険に晒すのは、ためらいがあった。
(……)
 仕方ない。
 エリスは腹をくくったかのような気持ちで、口を開いた。
「――生きる。どんなことをしてでもね」
「……エリスッ!」
 非難じみた声をアンジェラがあげてきた。小声で、呟く。
「あんたを危険に晒すぐらいなら、あんたから非難されたほうがいいよ、あたしはね」
「……」
「卑怯だとかプライドがないとか、そう言うんなら別にいい。生きるためなら、どんな条件だって呑んでやるよ」
「いい心がけだね。長生きするよ」
 薄く笑ったゲイルがそう言ってきて、エリスはただ無言で睨みつけた。
 苦笑したように肩をすくめたゲイルは、次の瞬間行動に出た。泥人形の背後に回り込む。後ろには――噴水。
 ゲイルは水に手を突っ込んだ。そして、濡れた手を振り下ろす。
「――風よ!」
 小さな、それでも鋭い呼びかけのような声。
 
 ――ビゥッ!
 
 風を切る音がした。ゲイルの濡れた手から滴った水が、まるでつぶてのように泥人形に向かっていった。
 するどく、弾き飛ばされる水。
「……!」
 あんな動き方をする水なんて、少なくともエリスは今まで見たことがなかった。息を呑む。
 水は炎を包み込んだ。ぢゅうっ、と焼けた石に水をかけたときと似たような音が立つ。焦げくさい風が流れた。そう思ったときには、すでに炎は消えていた。ただの泥人形がそこにいるだけだった。
「ドゥール!」
 ゲイルの声に、ドゥールは無言で右腕を上げた。手には何ももっていない。
(……あの時と同じ!)
 反射的にアンジェラを守るように抱く。あれが結局なんだったのかは判らないが、良くない事だ。それだけは判る。
 
 ――パチン

 ドゥールが指を鳴らした。その瞬間、一体何が起こったのか――すぐには理解できなかった。
 土剥き出しの地面。簡素な噴水。古びたベンチ。小さな広場――
 一瞬のうちに、その場には何もなくなっていた。
 いや、違う。泥人形が、まるで風化したかのように唐突に崩れ落ち、消えたのだ。
(え……?)
「……崩れた……」
 アンジェラが呆然と呟いている。
「崩れたのではない。崩したんだ」
 当然といわんばかりの口調でドゥールが言ってくる。こちらに向き直って、数歩近寄ってきた。
「――お前らには倒せない。だが、俺たちにとっては簡単すぎる。おそらくは、ダリードの賭けだな」
「……?」
 眉根をひそめて睨みやると、ドゥールではなくゲイルが苦笑してきた。
「よく判らないって顔をしているね」
「そりゃあね」
 アンジェラが軽い口調で頷いた。
「……聞いていいわよね?」
「答えられることならね」
「どうして、助けてくれたわけ?」
「助けたわけじゃない」
 アンジェラの問いかけを遮るようなタイミングで、ドゥールが吐き捨てた。
「どう違うって言うの? 事実じゃない」
「違う。俺たちには俺たちの、おまえらを狙う理由がある」
「……」
 アンジェラが、ドゥールを睨みつけた。鋭いアメジストの光。
 その様子をみて、ゲイルが苦笑した。
「……一時休戦、としないか。説明、するよ」

 こんなにも心落ち着かないティー・タイムははじめてかもしれない。
 内心でそんなことを思い、エリスは小さく苦笑した。手の中のカップに入ったアールグレイを飲み干す。
 茶葉の香りが鼻腔をくすぐり、ほっと溜息が漏れた。
 それにしても、居心地が悪い。
 四名がけのテーブル。右隣にアンジェラが座っていて、エリスの向かいにはゲイル。その横――アンジェラの向かいにドゥールが座っている。
 あの後、ゲイルの提案をしぶしぶ飲み込んで、近くにあった喫茶店に入ったのだ。
 しかし店の人間の態度もどこかよそよそしい――というか、おそらく広場での一件を知っているのだろうが、煙たがられているというか、そんな感触があったし、何よりもこうやって向かい合わせに座ってからすでにずいぶん経つのに、向こう側の動きが皆無なのだ。
 時計がないので正確な時間は判らないが、この硬直状態に入ってから、おそらくは十分を過ぎている。
 簡素な木のテーブルと、申し訳程度に敷かれた少し黄ばんだテーブルクロス。暇つぶしに店の観察もしてしまう。
 天井は低め。どうやったのかはしらないが、靴跡がある。子供がいたずらで靴を投げ飛ばしたのかもしれないが、奇妙といえば奇妙だ。だが変わった点はそれだけで、ほかは特に何もない。取り立ててどうとあげることも出来ない喫茶店。よほど薄汚れているだとか綺麗だとかがあればまだいいのに、まるっきり絵に描いたような喫茶店だ。逆に言えば、こんな村の中でよく持っているなとすら思うが、観察対象としては一番意味がない。
(それにしても……どういうつもりなんだろうね)
 ばれないように嘆息し、エリスは視線を前の二人に戻した。
 ゲイルとドゥール。とりあえず名前だけは覚えた。だが、それ以上の情報がほぼ皆無のままだ。
 どこか余裕のあるゲイルと、周りを拒絶するような反応を示すドゥール。何者なのかもよく判らない。
「……いいかげん」
 隣のアンジェラが、低い声を発した。
「ウザいんだけど? 話すっていったわよね」
 ゲイルが苦笑を漏らした。
「うん。……どこから話そうか、ちょっと迷っていてね」
「最初からに決まっているでしょう。訳が判らないわ」
「そうなんだけれどね。――どうしようか。自己紹介からのほうがいいかな」
(自己紹介……)
 内心、うめく。どうにもこのゲイルという男は、どこかずれがある気がする。この状況でそれがでるのは、何かがずれている。確実に。
「……別にどっちでもいいけど」
 アンジェラが呆れたような口調で言う。おそらくアンジェラも、エリスと同じような事を考えているのだろう。
「――じゃ、それでいいか。えーと。おれは、ゲイル・コルトナル。年は十七。こっちが従兄弟のドゥール・バレイシスで、おれよりひとつ年上」
「……従兄弟?」
「うん」
 ゲイルが頷く。エリスはなんとなく納得した。ドゥールが黄色人種にしてはどうにも彫りが深いのは、白人の血が混じっているせいらしい。
「職業は、一応魔導師かな。もう判ってると思うけど、特殊能力者。……正確には、違うのだけど、まぁ、今は関係ない」
 意味ありげな言葉に、エリスは視線で促してみた。だが、気づかなかったのか――あるいは気づかないふりをしたのか、ゲイルはひょいと肩をすくめて、
「ちなみに、ドゥールは――月の者。エリスちゃんと同じだ」
「……ちゃん」
 再びうめく。なんだかどうにもペースを崩されている気がして仕方がない。
 ドゥールが月の者、というのはすでに判っている。だが、それでも、やはりきりきりと内臓が痛んだ。
「……特殊能力は、なに? あんた達のあれは、一体?」
 アンジェラが、言葉を選ぶようにゆっくりと訊いた。
「おかしな魔法よね?」
「魔法なんてものは、大概おかしいものだと思うけどね。君のもそうだろう? 時間の能力者」
「私のことはどうでもいいの。すでにあんた達は情報を握ってるんでしょ? 今聞いてるのは、あんた達のことよ」
 ぴしゃりとアンジェラが遮った。とん、とん、と人差し指でテーブルをたたいている。丁寧に切られた細い爪が、テーブルクロスにしわを寄せた。
「いい? もう一度言うわ。お兄さん方? 私が知りたいのは、あんた達のこと。あんた達がどうしてあんな行動をとったのか、どうして私たちを狙うのか、その理由よ!」
 どんっとアンジェラが机をたたいた。アンジェラらしくもない――相当いらいらが募っているらしい。エリスは机の下で、アンジェラの太ももを軽くたたいた。
(落ち着きなさい)
「――……」
 アンジェラが鼻から小さく息を吐いた。ゆっくりと呼吸を繰り返す。
 ちらりと横目で見ると、アンジェラはただ黙って頷いた。判っているとでも言うように。
「……おれの特殊能力は『風』だよ。ドゥールは『物質における情報の崩壊』」
 ゲイルが戸惑いながらいってきた。碧の瞳が、あいまいに揺れている。
「風に干渉する――精霊法技における風の能力。あれの特化版と考えてもらってもいいと思う。風の精霊に干渉して、事象を引き起こす。精霊法技との違いは、呪文が必要ないということと、精霊法技では無理だとされている土系列との掛け合わせもできるってこと」
「……土と風の掛け合わせ?」
 アンジェラが疑わしげな声をあげる。
「火地風水を元にした精霊法技じゃ、まず無理よね。対極にある属性同士の掛け合わせなんて」
「まあね。だから、精霊法技ではなく魔法」
(……いまいちわかんないし)
 なんとなくは判るのだが、真には理解できない。魔導音痴というのがこんなところで足を引っ張るとは思わなかった。まあ別に……ようするに『すごいらしい』と思っておいても問題はなさそうだが。
 黙したままのエリスに代わって、アンジェラがまた口を開いた。
「で。ドゥールの――なんだっけ?」
「『物質における情報の崩壊』?」
「それ。そっちは? どういう意味?」
「単純に言えば『破壊する』ってことかな。正確には違うのだけど。静物の情報を司っているものを根源的に――じゃないか。情報を組み立てている部分を崩すってことだから」
「……」
 さっぱり判らなくなってきて、エリスは思わず机に突っ伏していた。頭から煙を吹きそうだ。
「……エリスって馬鹿」
「放っておいて……」
「え、えーと。難しかったかな」
 ゲイルが困ったように頭をかいた。
「なんと言えばいいのか……その」
「――積み木だ」
 ドゥールだ。感情のない、事務的な口調で言ってくる。
「子供がよくやるだろう。あれだ。静物――無機物はその構造が単純だから、崩れやすい。俺がやるのはようするに、積み木崩しと同じだ。ただし、生きているものは構造が複雑だから、干渉できない」
「……あー……」
「今の泥人形もそうだ。人型を無理やり取らされていた情報部分を崩したから、土に戻った。それだけだ」
 あっさりと言ってのける。が、それが容易なことでないことくらいは、エリスにだって判った。つまりは、それが『特殊能力』の『特殊能力』たるところなのだろうが。
 それにしても――少しばかり、疑問が残る。
 月の者。魔女。特殊能力者。
 アンジェラにしても、目の前の二人にしても、その名を持つ人間は皆何かしらの『能力』を持っているらしい。だからこそ『特殊能力者』だと言えるのかもしれないが――だとしたら。
(……あたしは?)
 自問する。エリスには特殊能力と呼べる『何か』はない。一般的な人間よりも身体能力が高いのは自覚しているが、それは『能力』と呼べるほどのものでもない。月の者と呼ばれる存在の身体能力が高いというのは、過去の資料からも判っているが――だが、それは『おまけ』的要素でしかなかった。大抵、それ以外にちゃんと特記出来るような『能力』がある。
 なのに――エリスには、ない。
 どこかで引っ掛かりを覚える。奇妙な不安感すら、ある。そんなもの、ないにこした事はないとも思うのだが、なにか――得体の知れない奇妙な感覚。
 だが、考えても今は詮無いことだ。不安感を振り払うかのように、エリスは小さくかぶりを振った。顔を上げ、口を開く。
「……で? あんた達の狙いはなに?」
「――仕事だよ」
「ゲイル」
 あっさりと言ってのけたゲイルを咎めるように、ドゥールが声をあげる。だが、ゲイルはそれを無視して続けた。
「お嬢ちゃんたちを、とある場所につれてくるように言われている」
「ゲイル。話しすぎだ」
「そう言う約束だからね。別に問題はないだろ。話したところで、優先順位が変わるわけでもない。後で問題になるとしても、力ずくでなんとかすればいい」
 一瞬、空気の色が変わった。ドゥールが怒りをあらわにしたような目でゲイルを睨みつけたのだ。殺気じみた――と称しても変わらないほどの怒気がこもった視線。
 だが、それは一瞬のことで、ドゥールはすぐにまた元の淡々とした表情になった。
(……何なの。一体)
 どうにも、空気がわるい。エリスは僅かに身じろぎして、訊いた。
「――別に、どうでもいいけど。じゃあなんで、攻撃してきたわけ? おかしいじゃない?」
「別におかしくはないよ。ただ、連れて行くだけが目的じゃないからね。もうひとつ、目的があった」
「いらいらするな。もったいぶった喋り方はやめたら?」
「そんなつもりはないんだけどね。――ようするに、二人の力を引き出したかった。そのためには少々危険な目に合わせたほうが都合がよかったから。実際効果はあったよ。アンジェラちゃんの能力を確認できた」
 まるで実験結果を報告するかの口調に、アンジェラが毒を吐いた。
「……サイアクにむかつくわ。吐き気がする。くそったれ」
「だろうね。謝るよ。――でも、これは仕事だから、仕方がない」
「……仕事ってことは、依頼主がいると見てもいい? 誰?」
「――親」
 ゲイルの淡白な口調に、エリスは思わず口を閉ざした。聞きたくもない単語を聞いた気がする。
 アンジェラに視線をやると、彼女もまた苦虫を噛み潰したような顔をしていた。そのままアンジェラがうっすらと口を開く。
「……あんまり、深く聞いて楽しい話でもなさそうね」
「まあね。言いたくもない」
 その言葉に、ゲイルが苦笑で応えた。エリスはアンジェラと視線を交わした。肩をすくめるアンジェラに代わって、今度はエリスが訊ねる。
「……じゃあ、今からあんた達は、あたし達をそこへ連れて行くの? 敵として判断してもいい?」
「どうだろうね。味方でないことは確かだけれど、さっきも言ったとおり、おれたちの今現在の目的はダリードを止めること。君たちのことは後回しだから。現時点では明確に敵ともいえない、と思うよ」
「――あくまでも、現時点では、だ。間違えるな」
 釘をさすようにドゥールが言ってきた。
 思わず嘆息を漏らす。
「……こんがらがってきたんだけど。ダリードとあんた達の関係って?」
 バンダナの上からこめかみをもみ、エリスは低く言葉を続けた。パズルのピースはそろった感があるのだが、どうにも組み合わせ方がうまくいっていないらしい。いや、そもそもそろったようで、実は全くそろっていないせいかもしれない。よく判らない。
 ゲイルが苦笑して――というか、苦笑しっぱなしというか。そもそもこういう顔立ちなのかもしれないが――言ってきた。
「いちから整理したほうがいいかな。じゃあまず、ダリードとおれ達の関係は、家族」
「……家族」
「今は深く訊かれても答えようがないから、流しておいてほしい。ようするに弟だ。で、おれ達の目的はさっきも言ったとおり、ダリードを止めること。君たちのことに関しては、二の次だけれど――二人を捕獲し、連れて行くことも目的のひとつとしてある」
「……捕獲ねぇ。おあいにくさま。私たちは食料じゃないのよ? 知ってた?」
「え? 見れば判るよ? え。……どういう意味!?」
「……」
 アンジェラの皮肉に、ゲイルは瞬きで応えた。表情を見る限り、本当に驚いているらしい。
(やっぱどっかずれてるよこいつ……)
「……いいわ。もうどうでも。続けて」
「……? ああ、うん」
 嘆息と手のひらを差し出したアンジェラに、ゲイルはひとつ頷いた。
「それで、ダリードの目的。これは単純。推測でしかないけどね、間違ってはいないと思うよ」
 ゲイルは薄い笑みを浮かべて、告げた。
「あいつの目的は君たちを殺すこと。ただ、それだけだ。他には何もない」


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