第二章:Rebellion of Spirit――精霊の反乱


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 赤々と、炎が風に揺れる。
 ロストック地区の夜景は、いまや先ほどまでの静けさを微塵も感じさせず佇んでいた。
 燃え上がる炎に包まれて。
 何が、起きている――?
 とっさに動く事はできなかった。エリスはただ呆然と、燃え上がるロストックの夜景を見下ろしていた。
 何が、起きたというのだろう。
 音もなく、何の前触れもなく、街が一瞬で、ほんの一瞬で燃え上がるなど、あり得るのか――?
 エリスの知識では、それはノーだった。いや、ノーの筈だった。今、この瞬間までは。だが、目の前にあるこの状況は……?

 ――ばんっ!

 唐突に派手な音を立てて、背後にあった酒場の扉があけられた。
 慌てて振り向くと、ジークを先頭に、ゲイルたちが飛び出してきたところだった。
「……来なすったか」
 ジークが低い声で呟く。エリスは混乱した頭を落ち着かせるためにペンダントを握った。ひんやりとした感触が、現実だと告げている。
「何これ!?」
 甲高い、裏声った声にはっと目をやると、一番後ろについてきていたアンジェラが口を覆っていた。隣に居るプレシアの顔は、すでに青ざめている。
 ゲイルもドゥールも、理解しがたい状況に動けないようだった。
「街が……燃えてる……」
 ゲイルの呆然とした声に、ジークの表情が歪むのが目に入った。理由は判らない――問いただそうとした瞬間、プレシアが走り出した。
「おい!」
 ドゥールが慌てて彼女の腕をつかんだ。プレシアが、焦燥した顔で振り向く。エリスも数歩近寄り、混乱した頭のなかで、何とか言葉をつむいだ。
「駄目、気持ちは、わかるけど。危ないから」
「でもっ! おばあちゃん……! みんな、いるのに!」
 プレシアの顔色は、炎に照らされてなお青かった。熱い空気に身じろぎしながら、それでもこちらを見据えてくる。
「消しに、いかなきゃ!」
「……お前さんがた全員、これが見える、か」
 ジークの呟きに、僅かに眉をひそめながら振り返る。全員の、視線を――戸惑いや、疑念や、焦燥やらの視線を――受けながら、ジークはそれでも軽く肩をすくめ、黒い頬に皮肉な笑みを浮かべた。

「お前たち、特殊能力者だな?」

 その言葉に含まれる意味に、エリスは一瞬気づくことが出来なかった。特殊能力者。月の者も、確かにそうだ。だが、ジークはそれを知っていると、先ほど明言したばかりではないか――?
「……なん、で?」
 アンジェラの乾いた声が聞こえた。その時になって、ようやっと気づく。『お前たち』――複数形になっていた。全員を、さしている? 
 反射的に思考をめぐらせる。確か、この男には――
(言っていない!)
 その事に気づくと、次の瞬間さらに混乱した。何故、判ったのか、それが理解できない。
「何で判ったか、か?」
 ジークがエリスの内心を読み取ったかのように言葉を発した。否――正確には、アンジェラの言葉に答えただけなのだろうが。
 彼は燃える街を目にしても、全く慌てる素振りすら見せずに、夜景を大まかに手で示した。
「単純なこった。お前さんがたはこの炎が見えている。だからだよ」
「……どういう、意味?」
「いくら驚いたから、て言ったかって、もうちっと周りをよく見るんだね、エリスのお嬢ちゃん。ちゃんと見りゃ、答えに繋がるヒントはあるさ。問題なんてのは、常にそんなもんだ」
 言われて、多少なりとも腹が立たなかったわけではない。だが、感情は脳裏に押し込めて、ジークの言葉に従うように、エリスはもう一度燃え上がる街を視界に入れた。
 赤く、ただ、赤く燃え上がり、静かに佇む、街。
(……え?)
 微妙な違和感。引っ掛かりを覚え、鼓動が早くなる。何かが違う、そんな警鐘が心中で鳴る。
 赤い街。静かに佇む夜のロストック地区。
 ――赤く、静かに?
 その言葉を脳裏で反芻した瞬間、衝撃が口をついた。
「! おかしいよ、煙も出てないし、何の騒ぎも起きていない……!」
「あ……!」
 エリスの言葉に、アンジェラの漏らした声がかぶさった。
 そうだ。違和感の正体は、これだった。これだけ一斉に、ほぼ全ての建物が燃えていると言うのに、煙も出ていなければ、騒ぎの声すら聞こえないのだ。
 普通であるはずが、ない。
「そういうこった。――この炎は、精霊の意思だ。だもんで、一般の奴らには見えない――精霊なんてのは、いくら暴走しようが普通は目に見えないもんだからな。だが、お前さんがたは見えている。それが、俺が気づいた理由だよ」
 ジークは、いまだ燃え上がる炎に照らされながら続けた。
「エリスのお嬢ちゃんなら確実に見えると思った。だが、他のやつらまでとはな。――しかしまぁ、この酒場はちと高台になっているせいで、よく見渡せるだろ」
 数瞬の沈黙があった。
 これだけ、自分たちの予期しない状況で相手に情報を握られると言うのは心地の悪いものなのだろうか。熱気と、不快感と。その二つが交じり合った息苦しさの中で、エリスはもう一度ジークを睨みあげた。唾を飲み込もうとしたのだが、どうやらその水分すら熱気で蒸発してしまったようで、叶わなかった。
 どうにも、引っかかる。まだ、何か見落としている気がした。
「――と、言うことは……」
 ゲイルが強張った声でジークに問い掛けた。ふと見ると、いつのまにかプレシアの手を握っている。落ち着かせるためだろう。
 兄然としたゲイルの態度に、ジークは微かに笑って頷いた。
「まぁ、隠す必要はねぇようだな。そういうこった。――俺も特殊能力者さ」
(あ……)
 見落としていた引っかかりは、これだ。思わず納得した。
 これが見えるのが特殊能力者か否かの判断材料だと言うのなら、見えているジークとて、特殊能力者になる。
「……お前は、何者だ」
 低いドゥールの問いかけに、ジークはにやりとワイン色の瞳をゆがめた。
「俺様かい? 言ったろ? エゼキエル・アハシェロス。職業は流れの神官。それ以上でもそれ以下でもないさ」
 酒場のざわめきは、先ほどまでと変わらなく和やかに響いてくる。すぐ外では、街が燃え上がっているというのに、だ。
「何者か、はお前さんたちのほうだろう。特殊能力者が……ひぃ、ふぅ、みぃの……五人。まぁー、尋常な数とはいえないわなぁ? 特殊能力者のサークルでもない限り?」
「あんたに何の関係があるって言うの」
 吐き捨てると、ジークはくつくつと笑い声を漏らした。
「――放っときましょう、エリス。それより早く火を消さないと……!」
「人の話は聞くもんだぜ、お嬢ちゃん」
 駆け出そうとしていたアンジェラを、ジークは言葉で静止した。
「言っただろう、精霊の意思だと。その炎は実際にある炎じゃねえ。だがそいつがこの街の異常気象の原因だ。――もう暫らくしたら自然に炎は収まりやがる」
 その言葉に、アンジェラはゆっくり振り向いた。疑念のこもった視線が、ロストックの夜景に滑る。エリスもつられて視線を投じ――息を呑んだ。
「……炎が!」
 固まったままだったプレシアが、小さく声をあげた。
 街を覆い尽くしていた炎が、ゆっくりと――まるで溶け消えるように収まっていった。例えるなら――そう、湯気が空気に溶けるような感覚で、だ。
 そして、炎が全て消える。赤く染まった街は、もとの闇へともどり、何事もなかったかのように静かに佇んでいた。
 静かに。だが、焦げ付くような熱さだけは、倍増した暑さに昇華されて。
「……ほらな」
「……」
 どう言えばいいのかさっぱり判らず、エリスは思わずアンジェラと視線を交わした。だが、彼女の目も理解不能とだけ訴えてきている。
 ジークはこちらを順番に見据えると、
「お嬢ちゃんがたがどんな関係か、そいつは深入りしない。俺にとっちゃ関係ないことだからな。だがな、俺もお嬢ちゃんがたも、同じ依頼を受けただろう?」
「……この街の、暑さの原因?」
 静かに問うと、ジークは首肯した。
「ああ。なんのこたぁない。こいつが、その原因さ。――精霊の暴走」
 精霊。
 エリスは眉根を寄せて、必死に知識を掘り返していた。魔導師ならともかく、こういったことに関する知識は少ないのだ。
 アンジェラがそれを察したのだろう、短く言葉を切っていってきた。
「精霊。この世界の四大元素――火地風水――を主に司る存在よ。あと、四季精霊だとか光だとかも、あるけど。物質の根源を司るのは、これだって言うのが魔導師うちでの見解」
「……物質の根源は、数だとか、原子だとか、じゃなかったっけ」
「それは、ソフィストや賢者の見解。――深く考えないで、超自然的存在だと思えばいいわよ」
 言われて、確かによく判らなかったので頷いておくことにした。ジークはこちらのやり取りを見届けた後、相変わらずの口調で続けた。
「原因は、これだ。だが、止めるのは俺ひとりじゃ無理だろうな。精霊の力がでかすぎる。お前さんがたでも出来るかどうかは、判らん。勝手にしたいなら、すればいいさ。――が」
 さらさらと言った後、ジークは言葉をきった。こちらを、ゆっくりと眺め、ロストック地区の夜景を見下ろし、悠然と腕を組んで、告げた。
「お前さんがたが俺と手を組んでみるってのも、ありだ。俺には俺なりの――神官としての力もある。俺はどっちでもいい」
 熱風とも言える夜風が、エリスの赤髪を運んでいきそうになった。それを押さえつけ、片目だけを閉じて思案する。
 暑い空気に、汗が流れる。毎夜、こんなことが起きているのだろうか。その度に――街が、幻覚のようなものとはいえ、燃え、気温が上がっているのだろうか。どうにも、居た堪れない事実に思えた。
 メルクーリの表情を思い浮かべる。こけた頬に、苦労が滲んだ顔を。エリスは、一度プレシアを見た。青ざめた顔に、小刻みに震える身体。手はしっかりとゲイルと繋がっているが、そのゲイルも平常心ではいられないようで、視線が定まらずに動いている。ドゥールも、似たようなものだ。
「エリス……」
 アンジェラが細い声で言うと、こちらの上着を握ってきた。不安なのは、あの家族だけではない。アンジェラも――そしておそらく、自分も、だ。
 エリスはきゅっと一度唇を引き結ぶと、ジークの顔を見上げた。
 褐色の肌と、ワイン色の瞳。見慣れない容姿の、巨躯な男。
「――力、貸してくれる? ジーク」
「……可愛いお嬢ちゃんの頼みは、断らねぇさ」
 ジークはそう言って、エリスの頭を、バンダナごと無造作になでた。


 太陽が昇ると、またいっそう暑さは増していた。流れ出る汗を拭う。
 青い海が、陽光に照らされきらきらと輝いている。桟橋には男たちが忙しげに歩いており、鼻をつく潮風は独特の心地よさを生んでいた。
 ざわめきと、賑やかさ。
 ロストック地区の南端、港。
 朝になって、エリスたちは揃ってここに来ていた。
 ジークの提案だった。
 この精霊の暴走が起きた原因については、ジークも判らないという。だが、この街の離れにある小島――スピリット・フォレストという場所に行けば、何らかの理由が判るかもしれないと言うのだ。
 スピリット・フォレスト――精霊の聖地と呼ばれる場所に関しての情報は、この街の住民であるプレシアが多少知っていた。
 精霊が多いと一般的にいわれているのは、ルナ大陸四大国がいち、グレイージュだが、この島もまた、多いらしい。実際、研究を主にする魔導師たちがたまに立ち寄ることもあるという。
 初めて、海を目にして――エリスはなんともいえない感動を胸に抱いていた。
 ものすごい大きな湖だ、と最初は思ったのだ。無論、ジークに鼻で笑われてしまったが、アンジェラとて同じ感想だった。ようするに、大きな塩水湖なのだろう。
 その港で、メルクーリの手配してくれていた舟に乗り込む。
 舟、と言っても大きくはない。舵舟で、帆船ではないし、六人乗れば、非常に手狭だ。
「よっと。……狭いねぇ。まぁ、仕方ねぇか。島はすぐそこだしな」
「文句いわないのよ、あんたが一番幅とっているのだからね」
「はいはい」
 ジークに続き、ほぼ全員が乗り――ふと、エリスは顔を上げた。乗り込んでこない人物がいた。プレシアだ。
「……どうしたの、プレシアさん?」
「プレシア?」
 ゲイルが、舟から不安そうに声をかける。
 プレシアは、両手を身体の前で何度もこすり合わせながら、いった。
「あの、あのね。ホントは、行くのがいいと思う。でも、その。おばあちゃん、体調、崩したの」
「……メルクーリさんが?」
 エリスはきょとんと顔を見上げた。今朝、見送ってくれたときは元気に見えたのだが――
「……おばあちゃん、人に嘘つくから。自分は元気、って。いつも。でも」
「看病、したいのか」
 ドゥールが、後半の言葉を引き継ぐように言った。プレシアはうな垂れるように肯定した。
「うん。……ごめんなさい」
「謝ること、ないわよ。いいことじゃない? 大丈夫よ、あそこに見えてるのが、その島でしょう? プレシアさんがいなくても、大丈夫だから」
 アンジェラが、軽く笑いながら言った。その笑みにつられるように、プレシアもぎこちなく微笑を返す。
「まぁ、帰ってきたら診てやるからな」
 ジークの言葉に眉根を寄せたのはドゥールだった。
「……お前は神官だろう?」
「生家が医者をやってたもんでね」
 そう言うと、ジークはプレシアに手を振った。
「んじゃ、行ってくるぜい、お嬢ちゃん」
「あ、まって!」
 プレシアは慌てたように静止をかけると、肩にかけていたかばんの中から何かを取り出して、エリスに押し付けてきた。
「……なに?」
「オカリナ。ぷーと。レッツミュージック?」
「いや、見ればわかりますが。……これが、なに?」
 ぼんやりと、手の中にある見慣れない形の楽器を見下ろして、問う。
「それ、おばあちゃんが、渡しなさいって。この街の、おまもり」
「おまもり?」
「うん。昔話にあるの。むかしむかし、精霊が人間たちのあまりの身勝手さに怒って、暴走を始めたときがありました。そのとき街を救ったのは、ひとりの吟遊詩人でした。――で、その吟遊詩人さんが持っていたって言われるのが、このオカリナなの。精霊を鎮めるのに役立つかもしれないって。一応、お守りね」
「……ありがとう」
 実際、役立つとは思えなかったが――手の中にあるそれは、どう見てもただの楽器にすぎなかった――それでも、プレシアやメルクーリの気持ちをくんで、エリスはそれを受け取った。
「じゃあ、行ってきます」
「メルクーリさん、ちゃんと看ててあげろよ、プレシア」
「うん。行ってらっしゃい」
 ゲイルの言葉に、プレシアは大きくうなずいて手を振った。
「さー! 行くわよー! きゃーっ、海よ海、でっかい塩水湖! 頑張ってこぎなさい男たち!」
 アンジェラの妙に高いテンションの声に、エリスは苦笑した。判っている、おそらくは不安をごまかすためのそれだ。
 遠く見える、影のような森――島。
 舟はそこを目指して、ゆっくりと進んでいった。


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