第四章:The cave of a white dragon――白竜の住処


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 手にした剣の重みは、そのまま、人の命の重みなのかもしれない。
 少年は、陽光照らす自然の中、岩場に腰掛けたままただ黙していた。
 迷う必要があるのだろうか。
『それ』をしなければならない。その事実だけは、揺るがせ得ない。
『それ』をしなければ、犠牲になるのはいくつもの命。
 理解していた。
 顔を上げる。ただの岩壁に見えるそれが、扉だと少年は知っていた。
 進まなければならない。『それ』をするための準備をしなければならない。
 剣は――使い慣れているとは言いがたい。それでも、武器になるならば手にする必要がある。彼が対峙することになる少女は、見た目とは裏腹の強さを持っているから。
 ゆっくりと立ち上がる。小さく吐息を吐く。かすかに白く空気中に溶ける。
 それから、右手の重みを確認する。
 その逆の手で――少年は、ほんの少しだけ胸元に触れた。
 服の下に、かさり、と違和のある感触。それが心地良いのか悪いのか――それすらも、よく判らなかった。
 それでも、少年は顔を上げると、ゆっくりと歩き始めた。
『それ』をしなければならなかった。


 肌を刺し貫くような空気の冷たさに、耳がちぎれそうに痛い。
 ミユナの言う通り、確かに白竜の洞窟、と呼ばれている場所にはたどり着く事が出来た。
 ただの岩壁に見えたその場所には、常駐らしき見張りがいたが、ミユナの一言で場所を開けてくれ、そのまま――導かれるまま、エリスたちは中に足を踏み入れることになった。
 そう。導かれるまま。
 ただの岩壁に見えたそこは、扉であったらしい。
 岩壁の前にたどり着いたエリスとドゥールの紅の石は、待ちわびていたといわんばかりに紅く輝きをはなち、岩壁を扉と化した。淀んだ暗闇を、まるで腕(かいな)を広げるかのようにエリスたちの前に示したのだ。
 寒風吹き抜ける洞窟は、広さだけは充分にあったが、だからといってなにが良いというわけでもなかった。
(っていうか……寒い)
 ミユナに貸してもらった防寒着を前でぴっちりとあわせたまま、エリスは肩を震わせた。
 洞窟内は広いとはいえ、やはりなにがあるか判らない。
 先頭にジーク。その後ろにエリス、アンジェラ、ミユナと続き、最後尾をゲイルとドゥールが務めている。
 今のところ、罠らしきものもなく、ミユナの案内どおり、洞窟の最奥部へ向けて足を進めていた。時折、魔物が現れたりもするが、さほど力が強いわけでもない。苦戦もせず、進めた。
 が――案の定というかなんというか、まぁこんな場所にいるのならば、彼女が黙っているはずもなく。
「っていうかね!? 寒すぎるわよね! 自然に対する冒涜よね! 世界に対して抗議するわよいいかげん! エリス何とかしなさいよ! もーやだ。私動かないから」
「……だから。ホンキでいらいらするから、黙ってなさいよアンジェラ」
「いーやー! なんとかしてよっ!」
「するためにここ来てんでしょうが! 座り込むな騒ぐな黙って歩きなさい!」
「エリス、か弱い乙女を怒鳴るなんて反則よ」
 ああもう――と、エリスは頭を振った。相手にするべきではない、とは判っていながらも、どうしてもこうなってしまう。
 それでも、どことなく安堵感が生まれるのは認めざるを得なかった。
 いつも通りのアンジェラとの口論は、悩みすぎた頭には気楽で心地良くさえある。もしかしたら――アンジェラもその辺りを考慮してくれているのかもしれないが、まぁ、そんなものはどっちだって良いだろう。
「お前ら、面白いなぁ」
「見世物じゃないですよ、姫さま……」
 とりあえず、座り込んでいたアンジェラの腕を引き上げながら、笑っているミユナに向けてエリスは呟いた。存外素直に立ち上がったアンジェラが、小さく苦笑を浮かべている。
「いやぁ、いいもの見せてもらったよ」
「いや、あのね。ミユナ……」
「あたしって、歳の近い女友達っていないからさ。こういうもんなのかなーと関心をもったんだよ」
「……エリスちゃんとアンジェラちゃんは、特別だと思うよ」
 いきなり割り込んできたゲイルを振り返り、半眼を向ける。いったいどういう目でみているのだろう――とは思う。
「あ……そうだ。ドゥール」
「なんだ?」
 軽く肩越しにドゥールの方を向いてから、エリスは視線を前方に戻した。洞窟内の薄闇は、アンジェラの作った魔導の灯火で若干その色合いを淡く変化させている。すぐ目の前にある高いジークの頭を見上げながら、呟く。
「どうせ、もう少しあるんでしょ。白竜さんの所まで。この機会だから聞いておこうと思ってさ」
「何をだ」
「ダリードのこと」
 その瞬間、さっと空気の色合いが変化したのを、エリスは肌で感じた。振り返ってはこないが、ジークの肩の筋肉にも力が入ったのを視覚で確認する。思わず浮かぶ皮肉な苦笑を飲み込みながら、気付いていないふりをして続けた。
「ほら――あんたたちとの『協定』? あたしたちはダリードくんに命を狙われていて、あんたたちは、ダリードくんを止めたい。だから、あたしたちが囮になって、あんたたちがあたしたちに戦力を貸す。そうよね」
「今さら確認するまでもないだろう」
「そうね」
 淡白なドゥールの言葉に、こちらも淡白に頷き返す。アンジェラが眉をひそめたまま、疑問符を投げかけてきていたが、それを無視してエリスは足をとめた。振り返る。
「囮になったのはいいけれど――あんた達、自覚している? 彼とあたしが遭遇したとき、あんたたちは二度ともその場にいなかった。まぁ、あたしの自業自得とはいえね。そしてあんたたちは、あたしたちに『戦力』を貸してはいない。これって、立派な『違反』だと思わない?」
 背後で、ジークが振り返る気配がした。目の前のドゥールとゲイル、二人の顔には主だった表情の変化はない。いつもの通りに。
「それはつまり」
 少しの沈黙のあと、ゆっくりとゲイルが呟いてきた。
「『協定』を、違えたから――すぐにでも、もとの関係に戻ろうということかい? おれたちは、君たちのほうの『仕事』をしたほうがいい。そういうことかな?」
「まさか」
 若干滲んできた殺気を振り払うかのように、笑う。
「はっきり言わせて頂くけれど。あたし『ラボ』の仕事? 気に喰わないわ。正直言って、付いて行く気はない。けどまぁ、これも協定のうちでしょ。信用出来なさそうなら逃げるっていうのは、最初から言ってたはず」
「そうだね。それで?」
「だから、それはダリードのことがひと段落ついてからになる。で、よ。あんた達の戦力は、実を言うとあてに出来ないんじゃないかって思ってね。もちろん、あたしとアンジェラだけじゃどうしようもないでしょうから、今までどおり『協定』は続行でいい。でも、自己防衛の対策くらいしなきゃってね」
「つまり、なにが言いたい」
 淡白なドゥールの声に、エリスは視線を彼へと合わせた。乾いた唇を一度なめてから、告げる。息が白く漏れた。
「手の内を、見せられるだけでいいから、見せて。あいつの能力の詳細くらいは教えて。でないと、対応の仕様もない」
「それは、こっちもそうだ」
 思いがけないドゥールの言葉に、エリスは思わず目を瞬かせた。
「こっち? って、あたしたち? アンジェラなら、時の能力――って、言ったじゃん」
「アンジェラではない。お前だ。エリス」
 その言葉に、エリスははっと息を呑んだ。そうくるとは、思っていなかった。というより考えていなかった。――しかし、少し考えれば当然だ。自分がその疑問を抱いたのと同様に、彼らがその疑問を抱くのは当然の摂理だろう。
 だが――ゆっくりとエリスは首を振った。
「おあいにく。提示できる手の内がないんだよね」
「お前がそう出るなら、こちらとて――」
「じゃ、なくて」
 ドゥールの言葉を遮り、小さな苦笑を浮かべる。
「ないの。本当に。さっぱり」
「ない……?」
 眉根をひそめてくる男二人に、肩をすくめて見せる。
「隠してるとかそういうんじゃなくてね。これは本当に。そう言う能力はない。まぁ人より若干、身体能力は高いけどね」
 言うと、ゲイルたちは互いに視線をかみ合わせた。ふと、背後がかげり、背中越しに見やると、ジークが歩み寄ってきていた。
「未覚醒ってことかい、お嬢ちゃん?」
「さあ? 誰にでもあるもんだとしたら、そうなるのかな?」
「誰にでも――というか、むしろそれがあるからこそ月の者なんだ。ないということはありえないよ」
 戸惑ったようなゲイルの言葉に、首をかしげる。
「じゃ、未覚醒ってことになるんじゃない? まぁどっちにしろ、別に構わないけどね。あたしは。――そういえば、ジークも特殊能力者だっけ。能力は?」
「男の秘密は夜になって二人きりのときに訊ねてくれよ。たっぷり教えてあげ――げふっ」
 無言でジークの腹を肘打ちしたアンジェラは、そのまま手袋に包まれた両手をこすり合わせて、あっけらかんとした口調で言ってきた。
「で。よ? いいわ。エリスの言うことが事実だっていうのは、私が保証するわ。で。ダリードくんの能力は?」
「あ。ああ……」
 戸惑い気味にゲイルが頷く。
「あいつは、魔法に関して特化した訓練をさせられていて、能力が強いんだ。二つ扱える」
「ひとつは、無機物に干渉して一時的な仮の生命を与えること。ひとつは、空間を少しゆがめることだ」
 ドゥールの補足に、歩みを再会しながら言葉を続けた。
「最初のは判る気はする――あれでしょ。泥人形。後のは? 空間?」
「空間の一点と一点を、結びつける。それによって、そうだな――判りやすく言えば、空間移動を可能とする。距離的に長いのは不可だがな」
「ふーん……」
 よく判らなかったので、とりあえず頷いておく。
「つまり、あれ? Aの地点からBの地点へ一瞬で移動出来ちゃうってこと? アンジェラの能力の空間版?」
「に、近いだろうな」
「やっかいだね」
 思わず呟く。それだと、何処から攻撃がくるのかさっぱり判らない――それは、ひどくやっかいだ。
「まぁ、ややこしー話してるところ悪いけど」
 ふと、会話に割り込んできたのはミユナだった。
「あたしはさーっぱり判らないんだけども。とりあえず、ついたぞ。ここを抜ければ白竜の間のはずだ」


 その『間』は、広く開けた氷の間のようだった。
 吐息が凍りつくほどに白い。
 しかし、それらを確認するよりもはやく、エリスの耳にアンジェラの甲高い声が突き刺さった。
「エリス、危ない! 下がって!」
「――っ!?」
 ほぼ反射だけで、地面を蹴った。ずるっと靴底が滑る――凍りついた地面は、素直に体を動かしてはくれない。だが、無理やり体をそらし後方へ飛び退る。世界が斜線に変わり、次の瞬間。
 ――ごうっ!
「くっ……」
 顔面に、いや、身体全体に、寒風が叩きつけられる。風に押される形で、後方へ飛ぶ距離が長くなる。バンダナが吹き飛ばされた。凍りついた地面では着地もままならず、エリスはそのまま地面に叩きつけられた。
 激痛に、一瞬息が止まる。
「エリス!」
「お嬢ちゃん!」
 痛みにうめく合間に聞こえたのは、アンジェラの悲鳴とジークの声だった。幾度か咳き込みながら、身を起こす。何が起きたのか判らない。
「エリスちゃん、大丈夫かい?」
 たまたまそこにいたゲイルが、身を起こすのを手伝ってくれた。彼の腕につかまると、一瞬あの夜のことが既視感として呼び起こされる。その記憶を振り払ってから、エリスは膝を立てた。
「大丈夫。……いったい、何が?」
 うめきながら、顔を上げる。そのエリスの視界の中に――白いものが映った。


 羽毛によく似ていたかもしれない。ふぁさり、と目の前に一羽おちてくる。左右対称の鳥の羽は、飛べない鳥の羽だとどこかで聞いたことがあった。だとすれば、この羽の持ち主は飛べないのだろうか。
 いや――それはそもそも、根源から間違っているとしかいいようがない。
 それは、鳥ではなかった。その羽を持つ生物は、鳥とカテゴライズするには無理があった。鳥ではない。だが、だからといって他の生物にカテゴライズするのも、それもまた無理があった。
 生物以上の生物。
 見開かれた、血色の眼。
 禍々しい、爪。
 開かれた両翼は、どのくらいの大きさになるのか。
 羽に覆われた体躯。
 エリスは、視界に収めきれないほどのそれを見上げ、ぽつりと言葉を漏らした。
「白竜……」


 その瞬間、アンジェラの悲鳴が飛ぶ。
「横によけて!」
 言われるがまま、左に跳ぶ。とっさの行動だったためだろう、ゲイルは右に跳んでいた。
(正面からの攻撃に、ゲイルは右に跳ぶ癖がある……?)
 反射的な行動は、無自覚の癖を浮き彫りにすることがある。これが、そうとは限らないが、その可能性も無きにしも非ずだ。
 自分の癖は自覚している。ゲイルのそれとは逆だ。しかし、こんなときにまでゲイルの――言ってしまえば弱点を手にしようとしている自分に嫌気がさす。無論それは、後々の切り札になりえるかもしれないからなのだが。
 だが、そんなのんびりとした思考を許してくれる状況ではなかった。
 たった今自分達がいた空間を、風が凪いだ。凪ぐ――いや、そんな生易しいものではない。凍りついた、ごつごつとした地面にくっきりと、裂けられた線がのびている。
 かまいたちのような――圧縮された空気が、刃のような鋭さを生んだのだろう。
 もし、避けなかったらどうなっていたか。
 背筋に、ぞっと悪寒が走った。
 剣を引き抜き、腰を落とす。邪魔だった防寒具は脱ぎ捨て、放り投げた。冷気が肌に刺さるが、動けないよりはずっとましだ。足を引き、純粋な戦闘体勢をとる。
「待ってくれ! どういうことだ!」
 困惑したような叫びは、ミユナの声だった。顔は動かさずに、視線だけで見る。彼女は蒼白気味の顔で、両手を開いたまま叫んでいた。
「四竜は――守護聖獣だ! 人間に友好的なはず――!」
 彼女の台詞の後半は、だが、その友好的なはずの生物――『白竜』の咆哮によってかき消された。
 視線を、前方に据えた。
 エリスの前方、数メートル先。一段高くなっていた岩場に、その生物の枠を越えた生物は鎮座していた。
 血色の視線が、交差する。エリスのものと、白竜のそれと。
 背後に人の気配を感じた。皆が走りよってきていた。
「ちょいと、シャレになんねぇ状況っぽいねぇ。お嬢ちゃん? どうする?」
「さぁね。死にたくはないから、それ相応の行動をとるしかないんじゃない?」
「肝の据わったお嬢ちゃんだなぁ」
 くっくっ、と隣に立ったジークが低い笑いを漏らしている。ミユナに借りた、大ぶりのバスタードソードを引き抜いていた。エリスにはまず間違っても使用できない類の剣なので――重量もそうだが、そもそも剣の長さだ――多少の羨ましさはあった。
 そのジークの構えに、さほどの違和感はない。手馴れているといったほどでもないが、それなりに使えるようだ。訓練された、というよりは実戦で培った、に近そうだが。
(……って。ジーク……『神官』じゃなかったっけ……)
 剣を扱える神官――と、内心でうめいたが、今はどうでもよかった。
 気付くと、アンジェラもエリスの後ろに陣取っていた。ジークとは反対側のエリスの隣には、ゲイルが剣を抜いて立っている。その後ろには、ドゥールの姿もあった。
「何があったかは判らないけれど……まぁ、あまりいい状況でもなさそうだね」
 ゲイルが、苦笑気味に漏らした。アンジェラが、淡い光を放っていた魔導の灯火を、洞窟の天井高くまで跳ね上げさせた。
 何か呪文らしき声をアンジェラがあげると、とたんに光は強くなった。薄闇ははがされ、空間がはっきりと広がる。
 
 ウォオオォオォン……ッ

 低い地鳴りにも似た声。白竜が吼えた。
「ゲイル。おまけしてくれない?」
「おまけ?」
 唐突なこちらの言葉に、ゲイルがおうむ返しに聞いてきた。頷く。
「戦力を貸すって奴。ダリード以外だけど、今貸して。――まぁ、今さらって気はするけど」
「ああ……構わないよ。何をすればいい?」
「あんたの『風』の能力を貸して。少しでいい。あたしから、風を遠ざけて」
 言い終えると同時に、ゲイルの返事を聞かずエリスは地面を強く蹴った。
 視界が、斜線に変わる。


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