第五章:Kiss is the color of blood――血色の口付け


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 土葬なんてものは、悪趣味だ。
 アンジェラは、そう思わずにいられなかった。
 粘りつくような闇の中で、月は知らぬ顔をして輝いている。
 今はもう、赤味は射していない。ただ白々とした光輝を降らせている。
 安らぎの丘の――全く、この名前は皮肉にしか思えない――一本の木の下に掘られた穴。その中に横たわる少年に、土がかけられていく。
 土と同化してしまいそうな濃い肌の色。きつく閉ざされたまぶたと、もう血の気のない唇。少年だったその入れ物に、無造作に土がかけられていく。
 ざっ、ざっ。
 まぶたに、唇の上に、髪に、次々と土がかけられていく。
「……土葬なんて、東部の人間は悪趣味だわ」
 低く呟きを漏らすと、剣を使って土をかけていたゲイルの手が止まった。ダリードの亡骸を見下ろしていたこちらに一度目を止めて、またゆっくりと土をかけ始める。
「普段は」
 ゲイルが、どこか空虚な音で答えてくる。
「普段はちゃんと棺桶に入れるし、死に化粧もするんだよ。――パパス(司祭)も呼んで、儀礼も――」
「そんなものはどうでもいいわ」
 アンジェラは、ゲイルのほうは見ないままに遮った。すでに身体のほとんどを大地に同化させているダリードを見下ろしながら、言う。
「ただ」
 知らず、唇が震えた。馬鹿げている、と首を振って、続ける。
「ただ、悪趣味よ。……土葬なんて」
「東部には東部なりの宗教的価値観がある。一概に否定するのは良くねぇよ、お嬢ちゃん」
 ふいに、頭の上にかけられた手の重みに、アンジェラは唇を引き結んだ。ジークだ。
 彼はグローブに包まれた右手で無造作にこちらの頭をなでると、いかにも神官らしく埋められていく亡骸の傍らに膝をついた。胸にぶら下がっていたクロスのペンダントを自らの額につけ、何かを呟く。それから、顔を上げ、ゲイルと交互に土をかけていたドゥールに目をやった。
「――この坊ちゃんの宗教と宗派は?」
「洗礼として受けているのはルナ神教だ」
 ドゥールの感情のない声に、アンジェラは眉根をひそめて疑問符を投げた。ジークも同じ疑問を持ったのだろう、ばりばりと頭をかき、
「ルナ神教の葬儀は、火葬だろ? 西部的なもんだが」
「洗礼はさせられている。俺もゲイルも、ラボの人間ならな。だが、だからといって信仰しているわけではない」
 そう言葉を交わす間も、土の量は増えていく。もうほとんど、少年の姿は土に埋もれていた。僅かに、銀色の髪の毛と、変色した指先の爪が見えるだけだった。
 埋められた死体。そこだけは、土の色が違った。掘り返された、濃い土色になっている。
「――洗礼は、強制的なものなのか?」
 苦笑のように、ジークが呟く。ドゥールは、土をかける手を止めて頷いた。もう、ダリードの姿は完全に見えなくなっていた。髪の毛の一筋も見えない。全ては、濃い土の下に隠れた。
「死んでからできる、反宗教的行為……か。だから、土葬か?」
「それも、あるかな。もっと単純な理由として、東部だから――基本的に葬儀自体土葬だからさ、やりやすいってこともある。習慣的なもんだよ」
 感情のない音で、ゲイルが答えた。彼もまた、手を止めている。
 アンジェラは、苦りきった表情で真新しい、埋めたての跡を見下ろしていた。
 その下に、親友が殺した少年が埋まっている。
 東部の信仰は、基本となる創神教に、それ以外の神話が混ざり合ったりしていてややこしいと言う事は知っていた。その中で、土葬という――土に還るという発想の葬儀になったことも。だが、それでも心情的なものとして納得がいかなかった。
 西部の、取り立ててセイドゥールの国教として上げられているルナ神教は、火葬だ。死者の魂は、焼かれた煙とともに、女神ルナの待つ天に行くといわれている。そのこと自体はあまり良いとも思っていなかったが、だが、土葬よりはずっと良いと思えた。――理屈ではなく、ただ、感情的に。それもまた、育った環境のせいなのかもしれない。
 確かに、この少年にすれば、女神ルナのもとへ魂が召されるなんて物は皮肉にしかならないだろう。そう考えれば、土葬は妥当なものなのかもしれない。だが――
「……遺骨は、どうするの?」
 ぽつりと訊ねると、ゲイルは手についたらしい土を払いながら、
「三年したら掘り返すんだ。それで、骨壷にいれて墓室へ安置する。……普段は、ね」
 最後の台詞は、今回はそうは行かないことを告げているのだろう。棺にも入れずに土に埋めれば、遺骨を掘り出すのなど無謀になってくる。
 アンジェラはじっと、埋められたばかりの土の色を睨みながら、呟いた。
「やっぱり、悪趣味よ。土葬なんて」
「ったく。頑固な譲ちゃんだ」
 苦笑を含んだ言葉が頭上から降ってくる。頭をなでられて、不快感とともにその手を払いのけた。
「触らないで」
「悪かったよ。とりあえず、エリスのお嬢ちゃんのところへ行くかい? 診てやらねぇとな」
 ジークの言葉に、少しだけ顎を引いて肯定する。親友は、あの後すぐに気を失ったままだ。ジークの診たてでは、疲労だそうだが、放っておいてよいとも思えなかった。
 ショート・ブーツを引き摺り、夜の闇を掻き分けて歩き出す。と、背中に声がかかる。
「アンジェラちゃん。おれも行くよ。エリスちゃん、まだ目を覚まして――」
 アンジェラはかっと頬が赤くなるのを自覚した。一瞬にして膨れ上がる拒絶に身を任せたまま、振り返る。
 戸惑ったような顔をしたゲイルが、こちらに歩き出そうとしていた。
「こないでっ!」
 怒鳴りつける。
 それだけで、ゲイルの足は止まった。
 アンジェラはゲイルを睨みつけたまま、続けた。
「――こないで。ゲイルも、ドゥールもよ。近づかないで。あの子に……私の親友に近づいたら、今度は私があんたたちを殺してやるわ! 一緒に埋めてやるわよ、そいつとね! それが嫌なら近づかないで!」
「アンジェラ!」
 ジークが、強張った声をあげてこちらの手首を強く掴んできた。
「――殺すなんて、簡単に口に出すもんじゃねえよ」
「うるさい!」
 再度その手を振り払い、アンジェラはゲイルとドゥールに指を突きつけた。
「忘れてないでしょうね。あんたたちとの協定は、ダリードが死んだその瞬間に途切れたことになるのよ。今までは敵じゃなかったわ。けど、今は敵よ。あんたたちは、私とエリスを狙ってる。そうでしょう?」
 強く告げると、ゲイルは視線を足元に――ダリードの埋まっているその場所へと落とした。ドゥールはもとから、こちらを見てはいない。
 アンジェラは、吐き捨てた。
「あの子が動けない今、あの子を守るのは私の役目よ。そのためだったら、あんたたちだって殺してやるわ。――近づかないで」
 足早にその場を去る。ジークだけが、苦笑を携えたままついてきた。
 ゲイルもドゥールも、動かなかい。
 ただ――歩き出した、その後ろで、呟きだけが聞こえてきた。


「ゲイル」
「……なんだ?」
「俺は……家族を守ったつもりで……一体、誰を守ってたんだ?」


(知ったことじゃないわ、そんなの)
 アンジェラは内心で毒づいて、歩くスピードを速めた。


 ――何を、斬った――?
「……っ」
 ふいに脳裏にこだましたその声に、エリスは冷水をかけられたかのような思いで目を覚ました。
 身体が、震える。
「エリス?」
 さらりと視界の中に銀の光が入ってきて、小さく悲鳴を呑み込んだ。
「……っ!」
「エリス、落ち着けって! あたしだよ」
 がくんっと強く肩を揺さぶられて、エリスは意識を覚醒させた。ぼやけていた焦点があい、覗き込んできている人物が誰か理解する。
 荒い息の合間から、言葉を漏らした。
「……ミユナ」
「ああ。あたしだ。大丈夫か?」
「うん……」
 差し出してきてくれた彼女の手をつかみ、身を起こす。軽い頭痛と嘔吐感が襲ってきたが、緩やかに息を吐くことで何とかそれを逃す。
「あたし……?」
「あの後、気ぃ失ったんだよ。覚えてねぇか?」
「あのあと……」
 呟いてから、ふいに鉄の味を思い出し、鼓動がまた早まる。胃から何かが逆流してきそうになり、慌てて手で口を抑えた。
 うめく。
「……ダリード、は……?」
 ミユナが、背をさすってくれていた手を一瞬とめた。低い呟きが、耳に残る。
「死んだよ。今、墓を作ってた」
 その言葉が、遠く脳に響いていく。
 口元を抑えていた手が、彼を殺めたその手だと思い出し、反射的に振り払った。
「ぐっ……」
 今度は、抑えがきかなかった。身を屈め、吐き出す。だが、数日物を口にしていなかったせいか、でてきたのは胃液の黄色い水分だけだった。酸い臭いが鼻につく。
「エリス」
 ミユナがそっと背をなでてくれた。良く判らない感情が、内部で渦巻いていた。胃液を吐き、悶える。
「不躾な事、聞くが……人を斬ったの、初めてか?」
 ミユナの言葉に、弱く首を左右に振った。そこまで、甘い生き方をしてきたつもりはない。
「そうか。じゃあ、人を殺したことは?」
「……」
 きつく唇を噛んだ。意味もなく早まる鼓動をもてあまし気味に、小さくうめく。
「判らない」
 ほとんどの場合、結果を見ずにその場を立ち去ったのだ。あの者たちは――死んだのだろうか。彼と同じように?
「――っ」
 再度こみ上げてきた嘔吐感に、身体を縮こまらせる。
「エリス。落ち着け」
 ミユナが、囁きを発しながら繰り返し背をなでてくる。
「仕方なかっただろ、あの場合は」
「仕方ないって、なに」
 涙に揺らぐ視界の中で、ミユナを見上げる。彼女の顔は困惑に歪んだ。それを睨みあげ、言葉を吐く――不当だとは、判ってはいた。だが、感情がそうすることを強要していた。
「仕方なくなんかなかった……だって、そうでしょ。ダリードは剣なんて使い慣れてなかった。だったら、やり方だってあった。あったはずなんだよ、絶対に! 殺さないですむような、そんなやり方が!」
「エリ――」
 何かを言いかけたミユナを遮り、エリスはふらつく足で立ち上がった。感情が、理性を超えている。そんな自覚は、どこかであった。だが、どうすることもできなかった。
「あったはずなのに、あたしは、それを見つけられないで殺した! 偶然なんかじゃない、事故でもない、仕方なくもない! 故意にだ! 自分の意思で、あたしは、彼を殺――」
「いいかげんにしてっ!」
 その声に、横面を叩(はた)かれたのかと感じた。実際、その声音は、それだけの衝撃をエリスにもたらした。
 エリスはしゃっくりを呑み込んだかのような面持ちで、声の方向を見やった。
 アンジェラが――親友が、細い肩をいからせ、頬を紅潮させたまま立っている。ジークがその後に立っていたが、彼もまた、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 月光の中で、アメジストの瞳がきらきらと輝いている。
「アン……ジェ……」
 唇が、知らずに慣れた音を転がそうとしたらしい。だが、まともな音にはならなかった。
 アンジェラはこちらを見据えたまま、続けてきた。
「いいかげんにして、エリス。さっきから聞いてれば、うだうだうだうだ。そうよ、あんたは彼を殺した。あんた自身の意思でね。――それの何が悪いのよ」
「な……にが……って」
 思わず絶句して、呆然とアンジェラを見つめる。
「何が悪いのよ。何がいけないの? 答えなさいよエリス!」
 アンジェラの後に立っていたジークが、諌めるように彼女の肩を揺さぶっている。
「お嬢ちゃん。今は」
「黙ってなさいよジーク!」
 アンジェラはジークの手を振り払うと、つかつかとこちらに歩み寄ってきた。触れられるほど近くに来ると、そこで足をとめる。
 彼女の目は揺らぎなく、こちらを見据えてくる。強く光をたたえたその瞳の中に、赤い――血と同じ色の――自らの姿を見とめ、エリスは思わず顔を逸らした。
「ねぇ。何が悪いのよ! あんたはあんたの意思で殺したんでしょ! だったらそれの何が悪いのよ!」
「あ――」
 さっと血の気が上った。アンジェラの手首をつかみ、エリスは思わず怒鳴っていた。
「あんたは、あたしが彼を殺してよかったとでも言うわけ!?」
「いいわよ、かまわない!」
 こちらの手を乱暴に振り払い、あらん限りの声量でアンジェラが叫んできた。
「かまわないわよ! あんたが生きてれば、あんたが誰を殺そうがかまわないわ!」
 ぎっと、アメジストの瞳でこちらを睨み据えながら、アンジェラは続けてくる。
「あんたが死ななければ、私はそれでいいの。ダリードが何よ。知らないわよそんなの。所詮敵じゃない! 知らない子じゃない! 私には、あんな子の命よりもあんたの命のほうがずっと大切よ。あんたが自分を守るためにあいつを殺したのなら、私には何の文句もないもの」
 そこで、彼女は言葉を切った。一度深呼吸をして、ゆっくりと手を振り上げる。
 そのアンジェラの小さな手が、エリスの頬に打ち付けられた。
 鈍い音が、響く。
「……ヒューマニズムもいいかげんにして」
 頬の熱い痛みを感じながら、ただ、エリスは地面を見つめていた。
「どっちにしろ、同じことよエリス。エリスが殺さなきゃ、私が殺していたわ。あんたを守るためにね」
 アンジェラの声が、降って来る。だが、何を言えば良いのか判らず、エリスはただ黙していた。
 幾度か、唇を開け、噤む。
 血の味が、唇に残っている。
「エリス。いつかあんた言ったわよね。生きるためならどんな条件でも呑むって。私を守るために私から批難されるなら、それでもいいって」
 背中に、誰かの手が触れた。ミユナだろう。だが、見上げることも出来ず、エリスはぎゅっとまぶたを閉じた。
 ゲイルと、ドゥールと会った時の事だ。確かに、そう言った。その考えは今でも持っている。持っている――はずだ。
「同じことよ、エリス。あんたが生きるためにあんたが誰かを殺すのが条件なら、私はそれを呑むわ。そうでしょう? 殺して何が悪いっての?」
 ふいに、手首をきつく捕まれた。引っ張られる。抵抗することも出来ず、エリスはアンジェラのほうを向いていた。
 怒りに頬を染めたアンジェラが、吐き捨てる。
「――答えなさいよ、エリス!」
 それが悲鳴だと感じたのは、何故だったのだろうか。
 その答えをはじき出すより早く、急激な嘔吐感に襲われて、エリスはしゃがみ込んだ。
 胃液だけは、吐いても途切れることはなかった。
「答えなさいっていってるのよ、エリス!」
「アンジェラ!」
 厳しい声は、ジークのものだった。
 揺らぐ視界の中で顔を上げる。
 こちらを睨み据えていたアンジェラが、ふいにきびすを返し、駆け出していくのが判った。
 月明かりの中、アンジェラの黒髪は、左右に揺れて遠ざかっていった。


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