第十章:The message from the past――過去からの言葉


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 彼女は人ではなく、魔でもなく、神でもなく、また、神の使者でもなかった。
 彼女自身は、他に類を見ない奇形種だと言われた。
 特殊たる存在。
 死者を呼ぶ能力。そして、死を呼ぶ能力。それは魔女でもない能力者とされた。宗教的な禁忌に触れるものは、国が魔女として認めることはない。
 両親がどんなものだったか覚えては居ない。
 ただ酷く怯えていたのは覚えている。
 閉鎖的な村では、奇形種を許容できるはずなどなかった。殺されかけ、住んでいた村を追われ、放浪をはじめたのは、いつ頃だったのだろうか。まだ一人立ちもおぼつかない幼子だった頃だ。
 生きてこられたのは、奇跡に近かったろう。
 十五の夜に、それは起きた。
 彼女は神の声を聞いた。
 それこそが、神の声だった。比喩の意味でも、本当の意味でも。
 彼女自身を救ってくれるのは、その声だけだった。
 額に押された刻印。
 女神のためにこの生を捧げるという誓いのための証。
 全ては、救いのその声のために。
 全ては、女神のために。

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「アザレル!」
 部屋の戸を乱暴に開けて怒鳴り込んできたその息子に、彼女は静かな目を向けた。
「あら。どうかしたのドゥール?」
 部屋の扉を開けてすぐ立ち尽くしているドゥールは、蒼白に変じた顔色で、肩で息をしながら立っている。
 薄暗い自室の中で、アザレルは吐息をついた。
「わたくしも疲れています。何か御用?」
「約束を……違えたな」
 低い声に、アザレルは思わず微笑を零した。
「何を仰ってるのです、ドゥール。私は一度も約束を違えてませんわ」
「アーロンとケイレブだ!」
 叫んでくる言葉に、くすくすと溜まらず声がもれる。
「ご存知でしたの?」
「……」
 実の所、アザレルは気付いていた。魔術文字による転移装置は、研究施設内にある。そこをドゥールが無許可で使用していたことも、使用した場所が蒼竜遺跡だったことも、知っている。
 その後、ミユナと話していたことも『見』ていた。
「ミユナさんに、聞いたのかしら」
 ドゥールが渋面を作る。微笑んで、アザレルは続けた。
「気になるんですの? 彼女のことが?」
「誰があんな奴のこと……」
 彼は吐き捨てると、ゆっくり首を振った。
「そんなことはどうでもいい。どうでもいいんだ。だが……貴様――」
「勘違いして貰っては困りますよ、ドゥール」
 言いかけたドゥールの唇に、アザレルは人差し指を添えた。一瞬で間合いを詰め、彼の瞳を覗き込む。血色の唇が歪んだ。
「アーロンとケイレブを殺したのは、ゲイル。貴方の弟でしょう。勘違いはしてはいけませんよ」
「……っ」
 息を呑んだドゥールが、きびすを返し部屋を出て行く。
 その黒い背中を見つめ、アザレルは満足そうに微笑んだ。
「迷いなさい、ドゥール。感情の揺らぎと波こそが、力の原理になり得るわ」


 白すぎる部屋の中で、アンジェラは腕を組み目を閉じていた。そうでもしていないと、苛立ちが溢れ出すからだ。
 きち、きち、と耳障りな小さな音が、自分が発しているものだと気づいてさらに苛立ちが増す。爪と爪をこすり合わせていた。
「あのさ」
 呆れたような響きを持つ声に、アンジェラはうっすらと瞼を押し上げた。アメジストの光が白い部屋に生まれる。
 アンジェラはその両の目を、部屋の対角線上に座っている一人の少女に向けた。アンジェラが目覚めたとき、すでに彼女はこの部屋にいた。スージーは居なくなっていたが、その代わりのようなものなのだろうとアンジェラは一言も口を利かなかったのだ。
 金色の肩口まで伸びた髪。空の色をした瞳。大人しそうな顔立ちだが、どことなく憂いを含んだ表情と、それでいて落ち着いた態度が不思議な雰囲気をかもし出していた。
「何」
 アンジェラが意識して硬い口調で受けると、その少女はありありと苦笑を浮かべる。
「そんな、警戒しないでよ。立場的には、多分わたしも貴女も、似たようなものだからさ。アンジェラさん」
 その言葉に、アンジェラの眉がぴくりと跳ねる。長い睫毛が揺れ、唇が歪んだ。
「どういう意味?」
「イヴ・バージニア」
 少女がさらりと告げたその音は、白い部屋に静かに染みた。少女が、色のない笑顔を浮かべる。
「ジークから、聞いてない? わたしの名前」
 アンジェラは目を見開いたまま動きを止めざるを得なかった。そのアンジェラを見て、イヴが口に手を当てて軽い笑い声を漏らす。
「ゆうれい、みたいなものかな」
 ルナ大陸で一般的に『幽霊』というと、それは幻想的なイメージが付きまとう。その場所が覚えている記憶。その空間が見ている過去の夢――それが、幽霊と言う言葉になる。その事を彼女自身思ったのだろう、再び自嘲気味な苦笑を浮かべ、
「ま、そんな綺麗なものじゃないだろうけどね」
「意味が判らないわ」
 アンジェラの言葉に、イヴは困ったように首を傾げる。
「ま、ね。今全部話したところで、判って貰えるとも思ってないしね」
 そのイヴの言葉が全て終わるか否かと言うときに、部屋の扉が開かれた。アンジェラはほぼ反射的にきつい視線をそちらに投げ、イヴは驚いたかのように視線をそちらに投じた。
 扉を開けたその人物は、投じられた二つの視線に驚いて固まったようだった。
「ドゥール、何しに来たの」
 アンジェラの冷ややかな声に、だがドゥールは答えなかった。視線は小刻みに揺れ、蒼白の色をした顔を強張らせている。
(……?)
 その様子が尋常ではないことに気づき、アンジェラは眉をしかめた。
 その隣で、イヴが弱々しく微笑む。
「ドゥール」
「イ……ヴ?」
(……本物?)
 ドゥールの声音に、アンジェラは思わず胸中で呟いた。アンジェラ自身、幽霊といったものの類はあまり信じていない。そんなものは弱い人間の作り出した幻想に過ぎないと思っている。だからこそ、彼女がイヴと名乗ったところでまさか本物とは思わなかったのだ。
 だが、ドゥールの反応はその考えを決定的に打ち砕きかねないものだった。
「大きくなったね、ドゥール」
 イヴが目を細めた。
 その様子に、ドゥールが二歩ほど後退し、どんとその背を壁にぶつける。
「何故――」
「アザレルが、ね」
 イヴはほとんど動じることなくそう返す。ドゥールは一度視線を落とすと、うめいた。
「俺は……」
「ぐだぐだ言ってんじゃないわよ!」
 気付くとアンジェラはドゥールとの間合いを詰め、そう怒鳴っていた。
 顔を突き合わせて、吐き捨てる。
「いいかげんにしなさいよ! 鬱陶しいったらありゃしないわ。自分で決めた事でしょう? 貴方が自分でこの道を選んだんでしょう!」
「俺はこんな事を望んでいたんじゃない!」
 血を吐くような叫びに、アンジェラは勢いで彼を殴りつけていた。
 どぅと音を立てて倒れるドゥールを見下ろして、苛立つ気持ちのままさらに手を振り上げようとする。と、その腕を隣から掴まれる。
「っ、やめて!」
「何するのよ!」
 アンジェラは叫んでイヴを振り返る。アンジェラの腕を掴んだイヴは、静かに首を左右に振った。
「やめて。ドゥールは、わたしの兄よ。彼が何をしたのか、アザレルからの話もあって、だいたいは知ってるけれど。貴女の気持ちも判るけれど。でも、やめて。ドゥールはわたしの兄よ」
「私は、親友を彼に刺されたわ。誰よりも大切な親友をね。このぐらい、何よ」
「貴女の言い分はもっともだと思うし、否定したいわけじゃない。けれど、わたしが見ている前では、わたしの家族に乱暴はさせないわ」
 空色の瞳に宿るのは、真摯な感情だけだった。アンジェラはただ静かに睨みつけるだけで、何も言えなかった。
 ふと、イヴが薄く唇を開く。
「だから――」
 次の瞬間、イヴはこちらの手を解きドゥールに向かい合っていた。
 そして、その繊細な手で、彼の頬を叩きつける。
 鋭い音が、白い部屋に響いた。
「殴るなら、わたしが代わりにするから」
 イヴは静かに告げ、口の端を吊り上げた。
「馬鹿よ、ドゥール」
「……」
 ドゥールは俯いたまま何も言わなかった。
「アンジェラさんが怒るの、判ってて来たんでしょ? 馬鹿ね。考えが纏まるまで、来るべきじゃないわ。貴方自身が迷っているうちに来るべきじゃない」
 イヴは細く長く、息を吐いた。
「死んだわたしに、こんな説教されたくないでしょ? あんな原因で死んだわたしに」
「イヴ」
「考えておいでよ。自分の頭でちゃんと考えて、どうしたいか、本当はどうするべきなのか。それが判ってから、行動して。それができないほど、お兄ちゃんは馬鹿じゃないでしょ」
 その言葉に、ドゥールの瞳が歪む。ふっ、とイヴが微かな笑みを零した。
「貴方はちゃんと生きてるんだから。生きてるんだから、楽しまなきゃ損だよ。楽しめるように、精一杯生きなきゃ」
「……」
「だから、考えてきて。お兄ちゃん」
 その瞬間、ドゥールはきびすを返して、まるで逃げるように部屋から出て行った。
 床を叩くブーツの音が、遠くなる。
 沈黙が落ちた部屋の中で、アンジェラは足元をふらつかせ、壁にもたれかかった。
 自覚はあった。過度の緊張を強いられるこの状況に、体が悲鳴を上げ始めている。
 その様子を見て取ったイヴが、困ったような口調で問うて来る。
「大丈夫?」
 だが、それには答えず、アンジェラは視線をイヴに合わせた。
「本物なのね?」
「記憶は、ね」
「――聞いていい?」
 イヴが肩を竦める。
「答えられることなら」
「さっき、言ったわよね。『あんな』原因って。何?」
 イヴの顔が、一瞬にして凍りついた。だが、それはゆるゆると解けていき、自嘲気味な笑みがその顔を彩る。
「単純なことよ」
「ジークは、イヴはラボに殺されたって、言ってたわ」
「……あの馬鹿」
 イヴが顔を顰めた。すぐに苦笑を浮かべる。
「ある意味では、間違いじゃないのかもしれないけど。でも、大きな間違いね。ラボは誰も殺しはしないもの」
「殺したじゃない! ダリードも、貴女も、子供たちも!」
 アンジェラの叫びに、イヴは表情を崩さなかった。アザレルから聞いているのかもしれない。
「ダリードを殺したのは、エリスさん。アーロンとケイレブを殺したのは、ゲイルでしょ?」
 彼女は、そこで大きく息をついた。
 微笑む。
「わたしは、殺されたんじゃない。自殺したのよ」
 耳鳴りがするような感触を、アンジェラは覚えた。
 部屋に落ちた沈黙を破るように――再び、扉が開いた。


 実の所、エリスはあまり高いところが得意ではない。高所恐怖症の気があるのは昔からだ。
 よって、蒼竜の背に乗ったあとも、必死になってしがみ付いていた。
『……それほどまでにきつく握らんとも、振り落としはせんよ』
 蒼竜の呆れたような声音に、エリスははっと顔を上げた。その瞬間、青い空の中で白い霧を抜ける。エリスは思わず首を竦めた。
「だ、だって、耳なんか痛いし。って、か、高い」
 蒼竜の周りには何らかの壁が張ってあるらしく、特別風圧もうけなければ、息苦しいということもない。が、耳鳴りはした。白い霧を時折抜ける――のは、雲を突っ切っているということだろう。雲が気体だと言う事は書物で読んでなんとなく知ってはいたが、しかし目の前に来るとぶつかりそうで怖い。
 縮こまっているエリスの肩を、ゲイルが苦笑と共に撫でた。
「大丈夫だよ」
「ん……」
 少し前までは下の風景も見られたのだ。豆粒のようになった街並みが、視界を去っていくその様が。だが今は、ただ青が一色広がるばかりだ。
 一番前にエリスが、その後ろにゲイルが、少し間を開けて、ミユナ、ジークと座っている。そうしても問題ないほど、蒼竜の背は巨大だった。
 ミユナが、ふいに高い声を出した。
「ラボまで、どのくらいだ?」
『一刻ほどもかからんよ』
「そうか」
 その声音が、いつもとどこか違う気がしてエリスは首を廻した。
「どしたの、ミユナ?」
「なんでもねぇ。――早くつきたいと思ってな」
「……? うん」
 ミユナが静かに微笑んだ。


 白い部屋の中、アンジェラはイヴの言葉に耳を貸していた。
「実験が、あったの」
 そう呟く声は、やわらかく、薄い。
「わたしの能力は『視線を媒介とする傀儡』――でね。能力の実験は、誰でもやるものなんだけど。わたしの場合は、特に。弟や妹を使ってね」
 実験がどんなものか、アンジェラは知らなかった。エリスもそうだろう。知りたくなかった、というのが本音でもある。
 だが、イヴは語った。 
「弟たちを、操るの。片方を操って、戦わせたり、そんなの」
「……そう」
 アンジェラの声音に、イヴが苦笑を向けてくる。
「やな話でしょ」
「まぁね。吐き気がするくらいにはね」
「それが正常だと思うよ」
 イヴはあっさりと告げ、続けた。
「で、まぁ――わたしの、能力が上手く操れなかったせいで、ひとり死んじゃってね」
 アンジェラは静かにまぶたを閉じた。
「そのことで、わたし、相当きちゃったらしくて。その頃丁度、ジークの世話係でもあったんだけど。耐えられなくなったの。いつか、今度は彼を殺しちゃうんじゃないかって」
 窓も何もない、ただ白いだけの部屋。
 だが、彼女の瞳だけは空を模していた。
「そうなる前に、自分の命を絶ったの。馬鹿みたいでしょう」
 アンジェラは言葉を紡がず、ただ静かに天井をにらみあげた。


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