最終章:The rose moon――女神の祈り


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 赤黒い闇の中、丸い月がただ、浮かんでいた。血色に染めかえられた月が。
 アンジェラの手を強く強く握る。それだけで、不安も恐怖も怯えも、消し去ることができる。彼女の細い指が絡まっている限り、何があっても、大丈夫だと――そう、信じられた。
『何故だ……』
 搾り出すような呻きが聞こえた。
 視界をこらすと、ぼんやりと光が灯った。白い柔肌が、光っている。
 女神ルナ。
『何故だ……? 何故、我はまた負ける……?』
 意思がそのまま、脳に入ってくるような、そんな言葉だった。
 その言葉は疲れていた。疲労と失望に彩られていた。
『――ディスティ――……』
 その言葉の響きに、エリスは目を細めた。
 金色の髪と、白い肌。紅い瞳。呆然とした様子で闇の中に存在している女神を見ても、何の感慨もわかなかった。
 ただ――哀れにすら、思っただけだ。
 女神が放つ光でか、隣のアンジェラの顔が見えた。柔らかく、それでいてどこか硬質的でもある紫の瞳が、何よりも美しいと思えた。女神より、ずっと。
「もう……こっちの世界に干渉するだけの力なんて、残ってないんでしょう?」
 静かに、エリスは唇を割った。
 本来なら手順を踏んで、人の世界に具現化する。その力そのものをエリスが斬った今となっては、女神はこの世界に具現化することはかなわないはずだった。数百年――あるいは数千年すれば、力も回復するのかもしれないが、すぐには無理なはずだった。エリスにはそれが判っていた。
 だが、そうであっても、女神は無理矢理こちらに干渉してきた。人の世に、神の世の闇を展開させるという方法で。だがそれは――あまりに、無茶だった。
「なのに、なんでそこまでするの……?」
 そうまでして、このルナ大陸を変えたいというのだろうか。女神がそこまで躍起になるほど、この大陸は駄目なのだろうか。
 胸の中に、ちくりとした痛みが広がった。焦燥感にも似た、絶望にも似た、哀しい想い。セレネ自身が感じていたそれを、エリスは体感している。
 あの瞬間、確かにエリスはセレネと――ルナと、同化していたのだ。
 エリスは破壊の能力を人の身で制御できたのは、何も祈りの力だけではなかった。あの瞬間、セレネ自身と同化したことによる作用でも――あった。
 セレネの記憶を、ルナの過去を、覗いた結果でもあったのだ。
「ねぇ。ルナ……?」
 言いかけて、エリスは唇を舐めた。もう一度、呟く。その女神の、本来の名を。
「――セレネ?」
『我をその名で呼んで良いのはディスティだけだ!』
 叩きつけられた言葉に、エリスは思わず息を呑んだ。
 こちらを睨み据える女神の紅い目が、憤怒で燃え上がるようだった。
 その、瞳を見て――

 エリスは、ふうっと全てを理解した。

「そっか……」
 呟きが、唇から知らずに漏れた。
 女神は白い腕で頭を抱えるようにして、小さくかぶりを振っている。酷く人間じみたその行動に、理解する。
 人も神も――結局は、同じだ。想いある生き物として。
『この世界は……我の世界だ……この、ルナ大陸は。我の世界だ。我の思うように……なれば……ディスティは――我を、我を見てくれる……』
「……ル、ナ……あん……た」
 呆然としたように、アンジェラが呟いた。ちらりと視線をやると、震える唇を片手で抑えながら、ルナを凝視している。
 アンジェラもまた、気付いたのだろう。
 その、事実に。
 あまりに単純で、あまりに馬鹿馬鹿しく、けれどそれでいて――とても強い、その事実に。
 エリスはゆっくりと、アンジェラの手を解いた。不安げに見返してくる瞳に、こくりとひとつ頷きを返す。大丈夫だと、その意思を込めて。
 手が離れ、エリスはゆっくりと深呼吸をした。――した、つもりになっただけかもしれない。この空間に空気があるのかどうか、そんなものは判らなかった。ただ、意識を落ち着かせる。
 そして、ゆっくりと足を踏み出した。不安定ながらも、前へと進んでいく。
 女神が、叫ぶように言葉を投げてくる。
『我とともに、来い! この世界をやりなおす! 月の者よ!』
「出来ないよ」
 静かに告げ――エリスは、右腕を伸ばした。
 ふわりと、柔らかい感触が返って来る。
 ぬくもりはない。けれどたしかに、感触はあった。
 エリスは女神を片腕で、抱きしめていた。
『っ……!』
 身じろぎする女神の肩に顔を埋めるようにして、エリスは囁いた。
「寂しかったんだね?」
 胸が痛んだ。ぬくもりも何もない女神を抱きしめ、それでも、感情が触れ合った箇所から内部へと流れ込んでくる。
「寂しかったんだよね、ルナ? ずっと寂しくて、祈ってたんだね……? いつか、誰かがあんたの元へくるのを」
 世界から断絶され、大陸の中に閉じ込められ。
 敬愛していた創造主からも見限られ。
 そうしている間に、自身を見てもらいたくなった。創造主に。けれどそれは叶わず――ならば、と、振り向かざるをえない状況にしようと、大陸を操ろうとして。
 けれどそれは、やはり寂しくて。
 寂しくて。
 祈るべき対象も何もなかったはずだ。女神は、祈られる存在だから。
 それでも――祈らずにはいられなかったのだろう。
 月を紅く染めかえるほどに、強い想いで、何に対しても祈ることが出来ず、だけど――祈った。
 ――誰かを、呼んでいた。
 それがたまたま、エリスと言う月の者が受け取っただけで。
 きっと、誰でも良かったのかも――しれない。
 女神が震えた。その震えを抑えるように強く抱き返し、エリスは呟きを続けた。
「あたしも……そうだったのかも、しれない。誰にも見てもらえなくて、誰にも見て欲しくなくて、けど、誰かに見て欲しかった。エリスっていう、あたし自身を。でも、でもね。判ったんだ」
 月の者として、それだけの目で見られるのが嫌で、住み慣れた故郷を離れた。
 けれど、どこかで――誰かに、見てもらいたかったのかもしれない。月の者ではないエリスという少女を。それでいて――月の者として、それでもやはり存在している、エリスという少女を。エリス・マグナータという名前の、ただちっぽけな少女を。
「みんな、見てくれてるんだよ。見てくれていないって思ってるのは、たぶん、自分だけで。確かめる術なんてないから、不安だし、怖いけど、信じていればちゃんと見てくれているのが判るよ。自分をバラバラにして考えなくても、いいんだよ。あたしは、ただのエリスで、月の者で、マグナータ家の長女で、それ全部でやっぱりあたしなんだ。あんたも、そうだよ」
 声が震えないようにするのが精一杯だった。どうしても真っ直ぐに、ルナに届けたかった。
「セレネで、ルナなの。ディスティだって、きっといつかわかってくれる。独りなんかじゃないんだよ。寂しくなんかないんだよ。もう……だから」
 女神の体を放して、その瞳を覗き込んだ。
 紅い瞳は――不思議と、色だけでなく形までも、自分と酷似しているように見えた。
「――おやすみ」
 女神の端正な顔が、くしゃりとゆがんだ。瞳を閉じ、ふうと力を抜く。
 その様子が、酷く幼くさえ、見えた。
 女神は――セレネであり、ルナである女神は、ゆっくりと、呟いた。
 狂おしいほどの憎しみと――愛を、込めて。
『ディスティ――……』

 赤い闇が、薄れていく。
 眩しさに目を細めながら、その闇が晴れていくのを体中で感じた。
 紅い輝きが、人型となり――白い闇に、溶けて消える。
「エリス」
 ふいに聞きなれた声を聞き、エリスは微笑んで振り向いた。
 いつものように、手を繋ぎあう。
 アンジェラもまた、小さく微笑んでいた。
「完全な存在なんて、いない。竜も、神も、人間も――……か」
 それはいつか、赤竜が言った言葉だった。
 女神もただの、想いを――矛盾さえ抱え込んだ、ただの存在でしか過ぎなかったのだ。ただ、女神として生れ落ちた、それだけだった。それだけの――女だった。
 ひとりの存在を愛して、其れ故に矛盾を抱え込んだ、ただの女にしか、過ぎなかった。
「エリス」
 微笑みが零れるような柔らかい声音が、自分の名を呼んだ。
 何よりも大好きなアメジストの瞳を見返す。
「あんたも、独りじゃないからね。私だけは、何があっても、ずっと――エリスの傍にいるわ」
 ずっと、一緒だから。
 言葉にしなくても、約束は伝わってきた。
 白い闇が、広がっていく。


 塔が崩れるのは、一瞬で事足りた。
 ひずみがひずみを生み、自重を支えきれなくなり――一瞬停滞したかのように見えたあとは、すぐだった。
 凄まじい音と土埃を巻き上げ、塔は崩れ落ちていった。誰かの死体と、記憶と、想いを全て内部に抱え込んだまま、崩れ落ちた。
 その様子を見据え――エゼキエル・アハシェロスは腹腔に溜まった息を全て吐き出した。
 二人の少女は、戻ってこない。
「爺さん」
 額に皺が寄るのをどうすることも出来ないまま、黒竜の背中の上でジークは口火を切った。前に浮遊していた蒼竜が、長い首をもたげて振り返ってくる。
『なんじゃ?』
「……何か――見えねえのかよ。あいつ等が、帰ってくるとか、そういうのが」
 それが願望に過ぎないことを、ジーク自身よく判っていた。その様子を見て取ったのだろう、蒼竜は一瞬目を細め、前方を見据えて、告げた。
『赤が見えるよ』
 眉をひそめる。
 その『赤』が何を指すかによって、大きく変わってくる。既に傾き、色を失いつつあるあの月か、それとも、あの赤い少女のことか。
『――朝焼けの、赤がな』
 赤竜の背に顔を埋めたままだったミユナが、弾かれるように顔を上げた。
「ど……したん、だい?」
 驚いたようなゲイルの声に、ミユナは答えずに首を小さく左右に振った。
 その蒼白かった頬に、赤みが差していく。彼女の周りで、ふいに小さな光が瞬き始めた。灯精霊――そう呼ばれるものが、ふわりと舞い踊っている。
 ミユナの顔に、満面の笑みが浮かんだ。
 歓喜に溢れる声が、弾けるように名前を呼んだ。
「エリス! アンジェラ!」


 白い闇に飲み込まれ、次に視界が晴れたとき、最初に見えたのは青染めの空に浮かぶ、白い月だった。
 西に大きく傾いた、白い月。
 体が大きく沈み、エリスは地に手をついた。重力を、初めて感じるような――そんな不思議な違和感を覚えていた。
「エリスちゃん、アンジェラちゃん!」
 声に顔を上げると、すぐ傍にその主はいた。白竜の――風を司る四竜の背に乗り、風を操る少年は、泣き出しそうに瞳をゆがめてこちらを見据えていた。
 それを見返し、視界を広げる。黒竜に乗ったジークがいた。赤竜に乗ったミユナがいた。そして――隣にはもちろん、アンジェラがいた。手を握り合ったまま、傍にいる。少し視線を下げると、自分がどこにいるかを理解する。
 蒼竜――未来を司る、四竜の背にいた。
(帰って――来た……)
 どうやったのかは、判らない。けれどもしかしたら――ルナ、だろうか。そんな事を、ふと思う。
 何を言うべきか迷い、結局、エリスは自然とこう口にしていた。
「ただいま」
 ミユナが破顔した。ゲイルも、ジークも、四竜も。微笑みを返してくる。
「――おかえり」
 東の空が白ばみ始めていた。哀しみを抱えた夜は、明けようとしている。
「女神がね」
 エリスの小さな囁きに、その場にいた全てのものが耳を傾けた。
 そのことを感じ取りながら、エリスは呟く。
「女神が……まだ、辛そうに、してたから。だから。――眠らせて、来たよ」
 落ちた沈黙は、ほんの一瞬だった。
 ゲイルが、小さく頷く。
「そっか……」
 その様子を見てから、エリスは深呼吸した。今度はきちんと、肺に空気が入ってくる。目の醒めるような空気の冷たさに、生きているんだと今更ながらに実感が湧き上がってくる。
「――おじーちゃん!」
『なんじゃい?』
「飛んで! もっと、高く! 結界が見えるところまで! 高く飛んで!」
 蒼竜は一瞬で全てを判断したようだった。翼が大きくはためき、冷たい風が耳を切る。
 高く、高く、空へ。
 夜明けを迎え始めた空に――舞い上がる。
「結界、壊すの?」
 風に髪をはためかせ、アンジェラが訊ねてきた。エリスは彼女の手をしっかり握りながら、頷く。
 地上はぐんぐんと遠ざかり、今まで見た事もないように透き通った藍色の空が、視界を埋め尽くす。吐く息は白く、空気は冷たかった。東の空は眩しく光り、太陽が顔を覗かせ始めている。赤い線が幾重にも、雲の筋を引いている。藍色、橙、紫、そして――赤。いろんな色彩が、一瞬一瞬表情を変え、空を象っている。
 朝焼けが広がる。
 夜明けが――やってくる。
 蒼竜の背に乗って天高く舞い上がりながら、エリスはアンジェラに言った。
「たぶん、そのほうがいいよ。ルナも――この結界の中でずっと独りでいるのは、嫌だろうからさ」
「そうね」
 エリスの能力なら、それが可能だった。
 破壊すれば、いい。
 やがて、蒼竜とその周りにいた四竜が動きを止めた。
『この辺りで良いか? これ以上昇ると、人の身ではきつかろう』
「うん、充分。ありがとう」
 白く言葉を吐いて、エリスは目を凝らした。
 朝焼けに照らされ、海が煌いている。その煌きに、セイドゥール・シティの様子が重なった。縦横に走る水路が建物に作る光の格子を思い出す。
 その向こうは、蜃気楼のように景色が揺らいでいた。空と海が口づけする点で、陽炎のように空気が揺らいで見える。
 女神ルナの結界。
 寂しさによって出来た、結界。
 ゆっくりと腕を持ち上げ、エリスは声を張り上げた。

「――本来あるべき姿に、戻れ――!」


 そして――
 金色の光が、大陸を覆う。
 その、光を――大陸中の誰もが、見上げていた。
 安らぎを笑みに変えて、見上げていた。
 誰もが言葉を聞かずとも、本能で理解していた。不安の夜が終わったことを。
 それが、封鎖世界魔導大陸ルナが、封鎖世界でなくなった瞬間だった。
 朝焼けが――世界を塗り替える。
 夜明けが、やって来た。
 この大陸の、夜明けをつれて。


 四竜の背を降りた瞬間、甲高い声が駆け寄ってきた。
 ゲイルの家族たちが、各々なにやらぼろぼろの様子で、ラボの施設から飛び出してきたのだ。
 ゲイルが彼らを抱きしめる。
「おまえたち……」
 家族を全て失ったわけではない。ゲイルは彼らを強く抱きしめ、彼の家族もまた、ゲイルを強く抱きしめ返した。
 生きている限り絶望は、ない。
 何かを失っても、哀しみが覆い尽くしても、歩き出す限りは。
 歩き出す、限りは。だから、歩き出さなければならない。
 きっとそれを、亡くなった家族はみんな、願っている。


 その様子を見ながら、アンジェラが小さく笑みを浮かべた。
 と、ふいに何かを思い出したようにジークに顔を向ける。
「そーだ。頼まれごとしてたのよ」
「は?」
 眉を寄せる大男に、アンジェラは肩を竦めた。
「なんだっけ。あんたが馬鹿な真似したら、怒っといてねって言われたの」
 その言葉に、ジークのワインレッドの瞳が見開かれた。驚愕の表情を浮かべ、ぽつりと震える言葉を漏らす。
「……だれ……に」
「え?」
 問われて――アンジェラはきょとんと目を瞬かせた。すぐに顔を顰め、こめかみに手を当てる。
「……えと……あれ……? なんだろ、そんな気がしたん、だけど……誰……?」
 自身でも良く判らずに、言葉を吐いたらしい。その瞬間、ジークは思わずアンジェラの体を抱きしめていた。驚いたように小さな悲鳴を上げるアンジェラを、強く一瞬抱きしめる。
「ちょっ、ジーク!?」
 それが誰の言葉なのか、ジークには判っていた。覚えていない、筈なのに――アンジェラは、目の前の少女は、彼女の言葉を運んできてくれたのだ。
 彼女の言葉を。イヴ・バージニアの言葉を。
 存在していなかったことになんて、なっていない。
 彼女は確かに、生きていた。
 生きていたのだ。
「……ありがとな」
 搾り出すように、ジークは言葉を発した。
 腕の中の少女は困惑の表情を見せていたが、やがてふうと力を抜いた。その小さな手が、ジークの背中を撫でるように軽く叩いた。


「エリス」
 ミユナの声に、エリスは顔をそちらに向けた。
「……ありがとうな。お前についてきて、良かったよ」
「ミユナ……」
 彼女は、長い銀色の髪を朝日に晒しながら、微笑んだ。
「あたし、考えてたんだ。両親のことを知って、どうするつもりなんだろうって。今、判ったよ」
 眩しげに東の空を見やり、言葉を紡ぐ。
「歩き出すためだったんだ。何も判らないままじゃ、歩き出せなかった。真実を知って、だからこそ今、歩き始めることができる。そのために、お前についてきたんだって、そう思う」
「……そっか」
「失ったものは、でかいけどな」
 そう呟くミユナの横顔は、淡い愁いを帯びていた。その横顔に、ふいにゲイルの声がかけられる。
「ミユナ」
「ん?」
 振り向いたミユナの手を、ゲイルは何も言わずにとった。瞳を瞬かせるミユナの手に、彼はもう片方の手を重ねた。
(あ……)
 その様子に、エリスはふと既視感を覚えた。ダリードが死んだ夜と同じだと、気付く。
 予想は大方当たりだったようだ。自らの手を見下ろして、呆然とミユナが呟く。
「……これ」
「二つに、割れちゃったからね。片方は……君が、持ってたほうがいいんじゃないかって、思って」
 二つにはぜ割れたドゥールの月の石、その片方を握り締め――ミユナは戦慄いた唇を強く引き結んだ。そのままこくりと、無言で頷く。
 その様子を見届けると、ゲイルは碧の瞳をゆっくりと歪めた。今度はエリスに視線を合わせてくる。
「エリスちゃん」
 彼の小さな弟や妹たちは、少しだけゲイルから距離をとっていた。
「ぼくも、ミユナと同じだよ。失ったものは、確かに大きかったけど……でも」
 淡く微笑んで、ゲイルが手を伸ばしてきた。抵抗することも忘れ、エリスはその腕に抱かれた。
 血の臭いがする。だけど――もっと柔らかい、風の匂いが、する。
「エリスちゃんに逢えて、良かった」
 緩みかけた涙腺を何とか抑え、エリスは顔を上げた。
 笑みを、向ける。
「うん……」
「それで――お前らはこれから、どうするんだ?」
 苦笑を含んだジークの声に、ゲイルが手を放した。家族を眺め、苦笑を返しながら呟く。
「おれは、みんなが過ごせる場所を探すよ。ラボは実質壊滅したことになるから――これだけの人数、一緒に暮らすには少し、厳しいだろうから。バラバラにはなるだろうけれど、みんなが過ごせる場所を探すよ。ひとりずつね」
「……バラバラに、なっちゃうね。ゲイルの家族」
 プレシアのように、ひとりずつになってしまうだろう。その寂しさを覚え、エリスは声をかけた。だが、ゲイルは笑った。
「大丈夫だよ。離れても、家族だから。繋がっていられる」
「……そっか」
 柔らかく、エリスは頷いた。
「ジークは?」
「俺か?」
 ジークは少し考える素振りを見せてから、大きく伸びをした。
「今まで通り流れの神官かね。そんで気が向いたら――パンドラにでも帰ってみるさ」
「帰れる?」
「帰れるさ。この大陸の結界は崩れた。推測だが、相互干渉でユアファースとパンドラの結界も崩れてるはずだ。世界はもう、どこも区切られちゃいない。行きたい放題だ」
 力強く、ジークは空を見上げた。その空に何を思っているのかは、聞かずとも判る。
「あたしは――宮殿へ戻るよ。姉さんたちが待ってる」
「うん」
 石を握り締めたまま継げたミユナの言葉に、エリスは強く頷いた。きっと、あの年若き女王は、妹の帰りを待ちわびている。
「それで、お前らは?」
 ミユナのその問いに、エリスは一瞬口をつぐんだ。
 空に溶けていく、白い月を見上げる。
 柔らかな朝日を帯びて――エリスは、思いっきり笑った。
 一番最初に思い浮かんだ答えは、何より単純で、何より温かかったから。

「セイドゥールに、帰ろっか。アンジェラ!」

 アンジェラの顔に、笑顔が広がる。

「――そうね!」


 四竜が空を舞った。
 新しい夜明けを迎えた、ルナ大陸の空を。
 空は何より蒼く澄んで、そしてとても――美しかった。
 けれどそれよりも、その空よりも。
 親友の笑顔は、すぐ隣にある親友の笑顔は――朝日より、何よりも美しく、輝いてみえた。 



 ――プトネッド新暦一二〇五年に起きたこれら一連の出来事は、後に女神聖戦と称され後世に語り継がれることとなる。
 紅の月の者、剣士、エリス・マグナータの名と共に。


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