バ会長からの挑戦状




『挑戦状  放課後 部室棟 第二の花壇 赤紫』


 半紙に薄墨で書かれた筆文字を見つめ、あたしは瞼がとろんと落ちてくるのを自覚した。
「……相変わらずだね、生徒会長」
 向かいの机でお弁当をつついているユキが、お箸をくわえたままでぼそりと呟く。購買で買ってきたばかりのパンを噛み締めて、あたしは一時瞼を素直に閉じてみた。
 差出人の名前はない。けれど半紙の左端に描かれた眼鏡マークで、誰の仕業かすぐ判る。つーかこんなアホな真似をするやつが、あいつ以外にこの校内にいてほしくない。
「ユキちゃん」
「何でしょうチイちゃん」
「これは、いつ、あたしの机の上に置かれたのかな?」
「チイがパン買いに行ってるとき」
「見てたんかい」
「もちろん」
 玉子焼きを口に放り込んで、ユキがこくっと頷いた。クリームパンを頬張ったまま、あたしは半紙をくしゃりと丸める。ああ。頭が痛い。
「見てたんなら止めてよね、あのバ会長の奇行をさあ!」
「だってあたし実害ないもん。面白そうだし。がんばって、チイ」
 裏切りものめ。友達甲斐のないやつだ。半ば睨みつけてやっても、ユキは反応しない。にこにこ笑顔で見つめてくる。このやろう。あたしは口中で呟いて、にっこり笑って見せてやった。
「親友を売っちゃうんだ、ユキちゃんってば」
「チイちゃん、売るほどの価値あったっけ?」
「……ダーンナー! 助けてユキがいじめるー!」
「ちょっ、チイ!」
 ユキの片思いの相手のダンナ――クラスメイトなんだけど、無駄におっさんくさいからこのあだ名がついている――に助けを求めて声を張り上げると、ユキは面白いように反応する。クラスメイトの大半がダンナとユキに視線をやって笑い声を上げる。
「木戸、ユキのいじめなんていつものことだろ」
「ダンナ殴るよ!」
「人が嫌がることはするもんじゃないぞユキー」
「ダンナ! もーっ、チイー!」
 むきになって顔を赤くするユキに笑いながら、あたしは頭の中で考えていた。

『挑戦状  放課後 部室棟 第二の花壇 赤紫』

 意味不明な単語の羅列は、そのままあいつからの挑戦ってことだ。
 あたし、木戸知里。通称チイ。二年三組。生徒会副会長。
 最近の日課。
 バ会長の相手をすること。

 ……頭が痛い。





 放課後になると、校内がにわかに活気付く。それってどうよと思わなくもないけれど、この学校じゃ仕方ない。みんな銘々に、部活に走っていったり、課題のために実習棟に向かったり、バイトなのかダッシュで下校したり。バスケ部員の寺田は猛ダッシュで出て行った。県大会二位まで行ったらしいからなぁ、去年。うちの学校、結構この辺優秀だ。テニス部は県大会の四位入賞だし、水泳部も過去に三度、関東大会まで行っている。
 ユキは、今日は五月にあった体育祭の事後処理ってことで会議室に呼び出されているらしい。体育祭実行委員はユキとダンナの二人だ。ま、いい機会だろうとは思うんだけど。
「じゃ、あたし行くから見届けてあげられないけど、チイ頑張ってねー?」
「あー、むかつくわその爽やかな笑顔。いいさ。ユキもダンナと頑張れよ」
「何をよ!?」
「だからナニを?」
「チイちゃん不潔。死ね?」
 おー。素敵な笑顔だこと。同じような笑顔を返して、あたしはユキの背中を蹴っ飛ばして教室から追い出した。
 まだざわめきが残る教室内で、机の中から丸めた半紙を取り出す。もう一度、見る。
『挑戦状  放課後 部室棟 第二花壇 赤紫』
 ……。眼鏡マーク以外には、これだけしか書いていない。思わず深い深いため息が出る。
 至極まっとうな疑問が頭の中を駆け巡る。

 何故、あたしは、こんなバカな真似に付き合わなきゃならんのだ。

 ……今更だけれども。一年のときは生徒会の書記だった。そのときから、当時副会長をやっていた現バ会長の本庄あきらにはこうして毎度遊ばれている。
 何故だ。何故なんだ。
 一度だけ本人に訊ねたことがあるが『だってチイだし』という答えになってない答えを返された。
 それでも付き合ってしまうあたしは、お人好し以外の何者でもないんだろうけれど。
 ふぅとため息をついて顎を上げると、黒板の右端、日付と日直欄が目に入る。六月六日。むむの日。むむってなんだ。誰が書いたあんなの。日直は風岡さんと春日。
 むむの日、ね。
 ――しゃーない。むむの日だ。すっごくどうでもいいけど、部活も入ってないチイさんは暇なので、今日もバ会長の相手をしてあげますか。
 半紙と机に引っ掛けてあった紙袋を持って、あたしは教室をあとにした。





 『挑戦状  放課後 部室棟 第二の花壇 赤紫』


 全力で意味は判らんが、とりあえず解読してみようと思う。
 放課後。今だからいいでしょう。部室棟。そのまま。部室棟に行けばいいのかなぁ。第二の花壇。花壇に第一も第二もあるかい。赤紫。色がどうした。意味が判らない。
 まぁいいやとばかりに投げやりに、とりあえず部室棟まで行ってみる。部活をやってないあたしにはほとほと縁のない場所だけど。
 部室棟は中庭に建っていて、クリーム色の二階建て。プレハブ小屋だ。野球のボールが転がっていて、あたしはそれを拾い上げてみた。あ、結構重い。ボールをもてあそびながら観察する。花壇は確かに周りにあるが第二ってなんだ第二って。そして花壇がどうしたというのだ。
 花壇は全部で五つ。それぞれ、紫陽花が咲いている。赤紫ってこれかー? 土壌の性質が違うのか、青いのも赤いのもあるけれど。
 で。第二って何だ。
 右からふたつ目。左からふたつ目。そんな単純ならいいんだけれど、何せあのバ会長だ。そんな単純なんだろうか。
 花壇はそれぞれ、右からバスケ部、野球部、バトミントン部、テニス部、卓球部と社会科部の相部屋(どんな組み合わせなんだろうこれ)、の部室の前にある。右からふたつ目なら野球部。このボール返すついでに訊けばいいけど。左からふたつ目ならテニス部。さて、それ以外なら?
 赤紫の紫陽花が咲いているのはバスケ部の前、野球部の前、卓球部と社会科部の前。テニス部とバトミントン部の前のは青い。ってことは、テニス部は除外かな。
 ――野球部か。
 ま、いいや。あたしはあっさり推理をあきらめて(する意味がない)、とっとと終わらせようと野球部の部室の扉を叩く。
 出てきたのはマネージャーらしき二年生。見たことある顔だけど、クラスも名前もしらねえや。
「あれ、副会長?」
 こっちは知られてるらしい。まぁいいけど。
「ども。副会長です」
「何か御用ー?」
「いや、これ、落ちてたんで」
 と、とりあえず野球のボールを返す。口実万歳。マネージャーさんは笑って「ありがとう」と受け取る。いい子だなぁ。
「あ、つかぬ事お聞きしますが」
「はい?」
「うちのバ会長、なんかしでかしてません?」
「? 今日は何も」
 今日はかよ。
 どんな認識だよバ会長。軽く頭を痛めながらもお礼を言って扉を閉める。
 ……ふむ。
 野球部が違うなら、第二の花壇ってどれだ?
 一応野球部前の花壇を覗くが、何もない。あたりまえ。
 と、すると?
 第二の。第二の花壇? 二つ部が入っているという意味では、卓球部&社会科部の部室前。でもきっと、そう単純でもない。第二ってのは、一があってその次ってこと。二つって意味じゃない。意味をつけるとしたら、二つ目、あるいは二番目か。
 バスケ部、野球部、バトミントン部、テニス部、卓球部と社会科部。
 口の中でもう一度呟いて、ああ、なるほど、とあっさり当たりをつけてしまった。
 バスケ部だね。
 花壇を覗き込むと、やっぱりね。手元にあるのと同じ半紙が一枚。やっぱり眼鏡のマークつき。
 書いてあるのは、一文だけ。

『体育館裏 6』


 悪魔の数字かよ。
 手に持った紙袋を揺らして、あたしは小さく笑った。
 バ会長め。





 体育館裏に行くと、バ会長が拗ねた顔で立っていた。
「……おそい」
「あんな阿呆に手の込んだことするからでしょうが」
 長身、眼鏡、頭はいいけど使い方を間違っている、全校生徒も認識のバ会長本庄あきらは全身で不機嫌だった。
「素直に言ったらチイ来ないだろうが」
「どんな認識ですかそれは」
「前にやられた」
 やったことがあるのは確かだ。だって、退屈なのはしょうにあわないし。
 ……ただの『呼び出し』じゃ、生徒会長と副会長じゃなく、彼氏と彼女みたいじゃないか。
 二人きりの体育館裏は、なんとなく静かだ。空は少しだけ曇っていて、空気に埃のにおいが混じっている。もしかしたら一雨来るかもしれない。
 体育館裏に放置されたままの古い机に腰をかけて、会長が口元だけでにやりと笑う。うす曇の間からさす夕焼けに、眼鏡がきらりと反射する。
「花壇、お手つきした?」
「一回」
「野球部か」
「です」
「一回ですんだんだ?」
「バ会長の思考くらい読めるようになりました。さすがに一年以上付き合ってますからね」
 半紙をつき返してやると、バ会長がくくっとひくく笑った。
「さすが。副会長のチイさんだ」
「バスケ部って、県大会二位だから、第二の花壇、ですよね」
「そのとおり」
 ――ひねくれてんなぁ。バ会長。
 そのひねくれ思考を読めるようになったあたしもどうかと思うけど。
「じゃ、その後も判る?」
「六ですか?」
「そう」
 紙袋を後ろ手に持って、あたしは体育館壁に背を付けた。
「むむの日」
「……むむって何だ」
「さあ」
「むむって何だー!?」
「声でかいですよバ会長」
 あたしの呟きに、バ会長がさらに不機嫌になる。判りやすいな。この男。
「不正解」
「知ってます」
「チイ」
 拗ねた様子で、バ会長が名前を呼んでくる。
 そんな様子が、少しだけおかしくて、あたしは小さく微笑んでいた。
「ホントに判らないか?」
「嘘ですよ」
 これ以上やるとあとが大変そうなので、判らないふりを切り上げた。
 教室から持ってきた紙袋を、バ会長の胸に押し付ける。
 バ会長は眼鏡越しに瞬きした。
「チイ?」
「むむの日。バ会長、誕生日でしょう? 十八歳、おめでとうございます」
 紙袋の中身は、手作りのパウンドケーキだ。
 バ会長の顔に満面の笑みが広がっていく。
「チイー! 好きだぞー」
「黙りやがってくださいバ会長」
 抱きついてくる鬱陶しいバ会長をあしらおうと腕を振り上げる。いつもなら簡単に解ける腕は、今日は開放してくれなかった。
「バ会長。鬱陶しいです」
「チイ」
 静かな声で、囁かれる。耳元の低い声は、いつものふざけた様子よりずっとどきりとする。心臓がばくばくいいだした。
「チイ」
「……なん、ですか」
「一年、待ったんだ。そろそろ、答え、くれないか?」
「誕生日プレゼントなら、パウンドケーキで我慢してください」
「チイ」
 あたしの軽口に、会長は取り合ってこなかった。
 見上げると、真面目な目がそこにある。
 一年前、むむの日に告白された。付き合ってはいない。男女の関係じゃなくて、バ会長と副会長のノリで、付き合ってきた。
 一年、か。
 腕の中で、あたしは微笑む。
 バ会長。バカだなぁ。
「――あのね、バ会長」
「ん?」
「あたし、嫌いな男の腕に抱かれたまま、じっとしてるタイプじゃないっすよ」
 バ会長の目がもう一度瞬く。
 一年越しの、答え。頭はいいのに、こういうことには鈍いらしい。
 しかた、ないか。
 鈍いバ会長へ、一年お待たせした分の誕生日プレゼント、ということで。



 抱きしめられたまま、あたしはそっとかかとを上げた。
 背伸びをすれば、案外近い、バ会長の顔。
 近くで見て、それから静かに、目を閉じた。


――Fin.

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「学園モノ縛り」お題バトル参戦作品。
テーマ「放課後」/お題:「二人きり」「体育館」「机」「花壇」「ボール」「部活」「下校」から任意で四つ選択。全使用。 
制限時間一時間半、延長戦十五分。