何で俺、ここにいるんだ?
 その場で彼に出来ることは、ただそう自問を繰り返すことだけだった。


 放課後メリー・クリスマス


「ジュース買ってきったぞー!」
 派手な声と同時に派手な音を立てて戸が開かれて派手に歓声が上がる。人数はそう多くないはずなのに、教室はひたすらに騒々しかった。
 二年の使用している本校舎四階にある空き教室。一から六組と教室が並んだあとにぽこんとあるそこは、まぁ普段から鍵もかかっていないせいで自由部屋になっているのは確かだ。昼休みはここで食事をとる面子も少なくない。大体は今この教室に集まっている連中が使っていることも知っていた。彼自身、何度か昼休みに連れてこられてここで食事をとったりもしている。
 それはいい。別に構わない。誰が使おうが知ったことじゃない。大体総合学科などという少々特殊な制度を用いている学校のせいか、この学校の連中には中学のとき散々見ていた『グループ』という感覚が妙に希薄だ。男子は別に驚くことでもないが、中学のときはあちこちであった女子グループなるものも正直ほとんどみない。大まかに、ふたつだと彼は思っていた。とにかく流行を追う……いわゆる『ギャル』傾向の女子連中と、そうでない連中。ここに集まっているのはほとんどが後者で、昼休みにここを使うのも後者の連中だ。まぁそれも大雑把なもので、なかには両方を行き来している女子もいるらしい。そのせいでこうして集まると、『グループ』とするには少々多すぎる人数になる。それもまぁいい。どうでもいい。
 問題は、だ。
 彼は教室の隅で顔を顰めながらもう一度自問した。
 ――何で俺、ここにいるんだ?
「おぅ、ミキケン! おまえ何にする? コーラ? オレンジ? 紅茶とかもあるみたいだけど」
「浅木」
 何をトチ狂ったのかぺかぺかしている三角帽子を被っている中学時代からの悪友に、彼――ミキケンこと三木健二は軽く呻いた。
「コーヒー? ビールとかはさすがに学校内だとまずいだろ?」
「浅木」
 そうじゃない、と言葉に強く意思だけを込めて名前を繰り返す。少年然とした浅木の顔がきょとんとした表情を浮かべる。
「不機嫌だなー、おまえ」
「あのな」
 彼を無理やりここに引っ張ってきたのは浅木だった。二学期終業式が終わり、さあ帰宅しようかと鞄を抱えたとき浅木がやってきた。理由も話さず「おまえ今日暇?」と問われ、「用事はない」と答えたらここに連れて来られた。何がなんだか判らない。
 問い詰めてもいいだろうし、そうするのが道理だとは思う。ただ、何をどこから切り出せばいいのかも判らなければ、それでこの場の空気を悪くするのも多少気が引けて、結局健二は口を噤んで小さく息を吐いた。
「……コーラ」
「オッケ」
 ひらり、と手を振って浅木が教室の真ん中へ戻っていく。その背中を視線で追いながら、何となく教室を見渡してみた。
 人はそれほど多くはない。が、やっぱりただただ『グループ』とするには多すぎる程度にはいる。十数人、だろうか。
 女子がほとんどで、男子は自分を含めて四人だけだ。男子だけは全員判った。自分と浅木。それから学年でも有名なお祭り人間、一組の『ダンナ』こと柳慎吾。そして――これが何故だか解せなかったが――三年の生徒会長。名前は知らないが。
 女子に関しては正直ほとんど判らなかった。知っているのは浅木を通じて知り合った、元同じクラスの風岡風子。現在同じクラスの田辺佳代。それから、生徒会副会長――やっぱり名前は知らないが。後数人、顔だけは知っている。人数的には男子と同じ程度知っているのだが、女子は知っているのよりも知らないのが倍以上いる。
 その人数が放課後に集まって――何をしているのやら。もう一度こっそり息を吐く。
 教室の中央には机が集められて、ケーキやらお菓子やらジュースやらが大量に載っている。一体どこから調達してきたのか、教卓には小さなツリーも飾ってあって、柳と浅木、それから小さい女子が三角帽子を被っている。その上音楽プレイヤーからはクリスマスソングの大音声が吐き出されている。
(……何なんだこれ)
 正直なところ何が行われようとしているのかは判っていた。が、それと自分がどう頑張っても似合わないということも知っていた。おかげでため息しかもうでてこない。
「へい、コーラおまちっ」
「……浅木」
 浅木が紙コップに入ったコーラを手渡してくる。受け取りながら、軽くもう一度呻いた。騒々しさに一瞬顔を顰め、声を潜める。
「何の真似だ、これ」
「え? 見て判らん? クリスマス・パーティー」
「そうじゃなくて。何で俺が」
「暇なんだろ? いいじゃん」
 にっと笑いかけられる。健二はそれで問い詰めるのを諦めた。浅木の目的は考えるまでもなく写真だろう――こういう日常を撮ることを彼はモットーとしているし、であるならこんな被写体として美味しい場面を見逃すはずもない。そしてたぶん、自分を誘ったのは単なる気まぐれだ。
 諦めて、コーラをすする。部屋の中はストーブで暖められていて冷えたコーラが美味しい。白い紙コップの中でぱちぱちとはじけるコーラを一度何とはなしに見下ろしてから、もう一度、教室を見やる。
「わあっ、すっごい美味しそう! これユキが作ったの?」
「へっへっへーっ、だてに食物選択してませんからっ! かざかざもいっぱい食べてねっ」
「なに? ユキの手作り? どれどれ、俺が毒見をして差し上げよう。……うっ!」
「ちょっとダンナ何つまみ食いして……こらーっ、死んだふりすんなー!」
「毒殺ッ!? 犯人は誰だ!?」
「黙ってくださいバ会長」
「よしっ、誰かダンナのでこに何か書け、俺撮ってやっから!」
「あ、じゃあたし書く。梨花、おさえて」
「あやちゃんのためならっ」
「げっ、こらっ何考え……前田ーッ!? おまえ力つよっ!? ちょ、ちょっとまじやめっ、ぎゃーっ!?」
「にーくっ、にーくっ、にーくっ!」
「ユキぃいいいっ!」
 ……騒がしい。
 少々哀れな目にあっている柳から目を逸らして苦笑する。別にこういうのが嫌いなわけじゃない。ただ、口下手なのは自覚していて、こういう場所に馴染みづらいのも自覚している。こうしていると、うっかり楽しんでいる空気を壊してしまわないかと不安があるのだ。だから普段は、こういったところに出来れば近づかないようにしている。自分がいて場の空気を壊してしまうなら、最初からいないほうがいいと思う。健二は、こういうのが嫌いなわけじゃない。むしろいいものだとも思っている。だから、逆に近づかない。そのほうが守れると思うから。
「三木くん?」
 ふいに目の前の騒ぎとは反対から声を掛けられ、健二は振り返った。ペットボトルをもった田辺佳代が笑って立っていた。
 田辺佳代は、すこしふっくらとした女子だ。丸みを帯びた頬とおっとりした目つきのせいでいつ見ても子犬のようだと健二は思っている。さすがに、口に出すことはないが。
「おかわりいる?」
「あ。いや、いい。……田辺はあっち行かないのか?」
 いいながら、視線で教室の真ん中を示す。「ぎゃー」だの「たすけてー」だのと笑い声と一緒になって聞こえてくる場所に眼をやって、田辺は軽く声を上げて笑った。
「みんなに任せたほうがおもしろいの出来上がりそうだし」
 その一言に、柳の悲鳴が聞こえてくる。
「田辺ー!? さり気にひどいことが聞こえてきてるけどー!?」
 健二は軽く苦笑した。なんとなく、似ている気がした。もしかしたら、と思う。田辺は自分と似たり寄ったりのことを考えているのではないだろうか。
 こうして騒がしい空間を、実のところ愛しいとさえ思う。思うからこそ、近づけない。そんな気持ちを――抱いているのではないだろうか。
 思っていると、柳の顔にサインペンを近づけていた背の高い女子がぱっとこっちを振り向いた。
「佳代、なんか書くのリクエストあるっ?」
「え。あ、あ、えっと、じゃあ『安全第一』!」
 田辺の一言にどっと笑い声が上がる。田辺本人はきょとんとして「そんな、笑うようなこといったかな」と呟いてきたので健二は軽く頷いた。田辺は軽く照れたように笑って、ペットボトルを置くと教室の扉へと向かう。
「田辺?」
「あ。先生呼びに行くの。準備できたら来るって行ってたから」
「先生?」
「上様と、松もっちゃんと、井伊先生と、椿ちゃん」
 上げられた四人の教師陣の名前になんとなく頷いて、健二も椅子から立ち上がった。
「俺も行く」

 ◇

 別に意味があって申し出たわけじゃない。あるとすれば、あの場に自分だけ残されるのも何となくいやだったから、だろうか。
 廊下を並んで歩くと教室の騒がしさが遠ざかって、少しばかり落ち着きを取り戻す。
「帰ったら、柳くんかわいそうなことになってるかもね」
「確実だろうな」
 頷くと、田辺は声を立てて笑う。ちゃんと言葉を交わすようになったのは二年に入ってからだが、実のところ一年のときから田辺のことは知っていた。知っていただけで、まともに話したこともほとんどなかったけれど。
「三木くん?」
「何?」
「ああいうとこ、苦手?」
 唐突に問いかけられ――健二に出来たことはとりあえず眼をぱちくりと瞬くくらいだった。
「何、いきなり」
「あ、ごめん。ああいう……パーティーとかそういうの、苦手なのかなぁっておもって」
 しどろもどろになって俯いてしまった田辺の横顔を見て、ふっと息を吐いた。そんなに判りやすかったのだろうか、と少し苦く思う。
「得意、ではない。別に嫌いじゃないんだけど」
「そっか」
 ほんのりと微笑んで田辺がうなずく。どうにも困らせてしまった気がして、逆に健二も困って天井を仰いだ。こんなとき、少し遠い教師のいる教室が恨めしく思う。
「俺がいると」
 沈黙が気まずくて、気付くと言葉を漏らしていた。
「俺がいると盛りさげないかな、って思うから」
 言ってから後悔した。ぐしゃりと頭をかく。これもまた、気を使わすだけの発言だろう。そう思ったのに、帰ってきたのは控えめな笑い声だった。驚いて見やる。
 笑っていた。軽く口に手を当てて、田辺が笑っている。
「……笑う、か?」
「あっ、ごめん。ううん、あのね」
 そこで言葉を切ると、田辺はととと、と足をはやめた。健二の数歩前に出て、くる、とこっちを振り返る。なんとなく、健二も足を止めた。
 冷えた廊下で向かい合う。喧騒は遠かった。
「びっくりしちゃったから」
「なんで?」
「わたし、そういう風に思うことよくあるんだ。皆みたいにぽんぽん喋れないし」
「うん」
 頷く。その気持ちは良く判る。
「ただそれって、わたし自分に自信ないからなんだ。三木くんみたいな人がおんなじ風に思ってるの、びっくりしちゃった」
「……なんで?」
「三木くん、かっこいいし」
 思わず顔を顰めてしまった。直接言われてもどう反応すればいいのか判らないし、自分が他人にどう見られているのかは正直知らないから判らない。
「三木くんみたいなひとでも、そんな風に感じるんだぁ、って」
「……俺、浅木とか柳みたいに喋れないし」
 別に自分が嫌いなわけでもない。ただ、どういう性格なのかは理解していて得意不得意分野は判っている。それだけだ。
「でも、田辺は楽しそうだったけど」
「うん、楽しいよ」
 ぱっと晴れやかな笑顔が返ってきた。そのまま、こちらに背を向けて歩き出してしまう。止まっていた歩を再開させて、健二は軽く首をかしげた。
「楽しいのに、そんなこと思うのか?」
「うーん、逆、かな。そんな風に思うけど、皆といるのは楽しいの。わたし、皆の前だったら無理しないでも疎外感あんまないんだぁ」
 すごく嬉しそうに田辺が言う。足取りも軽い。
「三木くんも、嫌いじゃないなら楽しめばいいとおもうな」
 言われてもどうすればいいのかは判らなかった。思っているうちに教室について先生たちを呼んだ。教師がいる教室はあちこちに離れているのだが、ひとり呼び出すと田辺との会話もそこで途切れたままだった。

 ◇

 空き教室に戻ると案の定悲惨なことになっていた。
 額に『安全第一』とかかれた柳に、それを囲って大笑いしている他の皆。田辺も見るなり笑っていたし、連れて来た教師陣も笑っている。
「おー、おつかれ!」
 浅木が笑いながら肩に手を回してくる。いつも。ぼんやり、思う。
 いつもふしぎだなと思う。浅木のように騒いでいるのが似合う奴が、自分と一緒にいることがふしぎだと思う。
「浅木」
「ん?」
「おまえ、俺と一緒にいてつまらなくないのか?」
 問いかけはやっぱりこれもまた唐突だったろう――それだけは判った。浅木がきょとんと眼を瞬かせた。
「全然?」
 即答に、思わず苦笑する。隣で田辺も小さく笑っていた。なら、まぁ、いい。そう思うことにする。
 ふっと息を吐いて、傍に立っていた女子に手を出した。
「マジック」
「え? あ、はい」
 手渡されたマジックを握る。何かを悟ったらしい浅木ががばっと身を剥がそうとするのを腕の力で押さえ込んだ。
「ミッ、ミキケンっ!?」
「許せ」
 小さく断りだけを入れて――
 ざっとマジックを走らせた。断末魔のような浅木の悲鳴。そして、次の瞬間もう一度教室に笑いがはじけた。
 額に『めりー・くりすます』と書かれた浅木を見て。
「ミキケンーっ!!」
 浅木の喚き声に比例するように笑い声も大きくなる。浅木の腕から逃れると、口を手で押さえて笑っている田辺と目が合った。
 ――悪くないかもしれない。
 ふと思った。こういう場所に馴染む性格でないのは判っている。それはそれで、判っていても楽しいなら――楽しい空気を愛しいと思えるなら、それはそれでいいんじゃないか? その場にいても別に浅木も田辺も嫌な顔をしていないのならいるのも悪くないんじゃないか?
 上手く喋れなくても。馴染めなくても。こうしてこの場にいて、楽しいと思えるならそれはそれでいいじゃないか?
 それくらいの自分勝手なら、別に構わないだろう?
 柳と浅木がそれぞれ開き直ったのか前髪をわざわざ上げてゴムで止めている。それを見て他の連中が笑っている。ケーキが切り分けられて、ストーブがしゅんしゅんと熱をあげている。終業式が終わったあとの放課後。空き教室に持ち込まれた小さなクリスマス・ツリー。蛍光灯に反射してきらきら光る安っぽい三角帽子。交わされるいろんな言葉。他愛ない雑談と笑い声。配られるお菓子に、流れるクリスマス・ソング。
 シャンメリーの入った新しい紙コップがまわってくる。
『めりー・くりすます』浅木と『安全第一』柳、そして背の小さい女子がそれぞれ紙コップを掲げた。

「それじゃ、二学期おつかれさま! メリー・クリスマス!」
『メリー・クリスマース、かんぱーい!』

 紙コップがぶつかり合う。笑い声がはじける教室で、健二は隣にいた田辺の紙コップに自分の紙コップを軽くぶつけた。
 慣れない――似合わない言葉を、言ってみる。年に一度なら構わないだろうとおもって。

「メリー・クリスマス、田辺」

 田辺のふっくらした頬に笑顔が満ちた。

「うん。メリー・クリスマス、三木くん!」


 放課後の空き教室でのシャンメリー。
 自分には似合わないだろうけれど――まぁ、こういうのも悪くはないだろう。
 喧騒の中で健二は笑った。


――Fin.


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