あした、シュークリーム日和。 第七話


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 神さまたちの後を追って、あたしと奏人は森をどんどん進んでいく。奥へ、奥へ。追いかけながら、ああもう、と毒づきたくなった。これだから、都会から来た人間は、って。このあたりの人たちは、子供の頃から耳にたこが出来るくらい聞かされている。森は入り口まで。奥へ行っちゃいけないって。森の危険さを知っているから。
 それでもあたしたちはもちろん足を止めなかった。怖くなかった。なんとなく……大丈夫だって、思っていたから。少なくとも帰り方くらいは、神様は教えてくれる。
 森の奥は、樹が多くて陽が射す部分が少ない。六時前だけど、夕焼けの赤い光がうっすらとだけ、森の影を照らしていた。
 どれだけ進んだ時だろう。さあっと視界が開けた。広い。木々がそこだけ生い茂っていない、広場みたいな場所に出た。
 その真ん中。小さなお社の前に、あの子はいた。座って、携帯電話を握り締めていた。細い肩が震えていて、泣いているって、すぐ、判った。
「――遥っ」
 叫んだ。
 遥が顔を上げた。目を丸くしている。大丈夫。怪我はなさそうだ。奏人と顔を見合わせ、少しだけ苦笑を交わしてから、あたしは駆け足で遥の傍へと寄った。
「ゆずりはちゃ」
「お〜め、ばぁかぁっ!」
 怒鳴る。
「こンげ森ン奥まで来て、なぁに考えてんてぇ! どんげあぶねぇか、わぁかってんけ!しんぺぇかけてんじゃねぇわんね!」
 大声で怒鳴りつけてから――あたしははっと息を吐いた。奏人が後ろで、小さく笑っているのが聞こえた。うん。笑いたくなるよね。だってこれ、あたしたちが小さいとき言われまくったセリフだから。
 もちろんそんなこと遥は知らない。聞き慣れない言葉と大音声で怒鳴られたのが効いたのか、涙も引っ込んだらしい。目を白黒させていた。
 その様子を見て、弾む息を整える。それから、あたしは遥に向かって大きく頭を下げた。
「――ごめん!」
「ゆずりはちゃん……」
「あたし、あんたを傷つけた。ごめん」
 奏人が、あたしの傍に立ってくれるのが判った。足元で飛び跳ねているちいさな神さまたちの存在も感じた。大丈夫、あたし、ちゃんと言える。
「周りがみんな敵意ばっかり向けてるように思えて、あんたの気持ち、信じられなかった。遥はちゃんと、あたしと向き合おうとしてくれていたのに、あたしはそれが出来なかった。信じられなくて、信じないなんていって、拒否してた。ごめん」
「ゆずりはちゃん、そんなこと……」
 遥はわたわた手を振って、それから、頬を汚していた涙をぬぐった。
「わた、わたし。学校行くの、怖くて……家を出て、でもどうしたらいいか判らなくて、あちこちふらふらしてたらこんなとこに来ちゃって。携帯、電波も通じないし、怖くて、どうしたらいいのか判んなくて……だから、来て、くれたのがうれしい、から」
 おどおどしながら、でも、遥はあたしを見据えてきていた。眼鏡の奥の、まっすぐな瞳で。泣きながら、笑って、遥はこんなあたしに、言葉を真っ直ぐ投げてくれた。
「わたし、今日ずっと考えてました。ゆずりはちゃんが昨日言っていたこと」
「はるか」
「ごめんなさい」
 ぺこっと、今度は遥が頭を下げた。びっくりして目を丸くしたあたしに、照れたように笑顔を見せる。
「わたし、やっぱり出来ないです。関わらないでいること。わたし、ゆずりはちゃんと、友達になりたいです」
 ――今なら判る。あたしよりずっと、遥は強いんだ。
「遥、すごいね」
「え……?」
「周りが悪意に満ちてる中で、その相手に好意を示すってすごいよ。あたしは出来ない。出来なかった。示されても、返すことさえ出来なかった」
 何も信じられなくなっていたから。母さんも。奏人も。神さまも。だれかの『気持ち』でさえも。
 怖かった。ちょっとでも自分の扉を開けたら、そこから悪意が流れ込んできて呑まれてしまいそうだったから。がっちりきっちり鍵閉めて、それで自分を守っていた。悪意と一緒に、誰かの想いまでシャットアウトしていたんだ。それでも、遥は、奏人は、扉を叩いてくれていたんだ。
「だから、ごめん。それから、ありがとう。無事でよかった」
 笑う。今度は、ちゃんと普通に笑えた気がした。
「よかったね、ゆずちゃん」
 ほっとしたように、奏人が囁く。頷いて、あたしは奏人にも笑って見せた。
「ん、ありがと、奏人」
 それから、目をぱちくりさせている遥に奏人を指してみる。
「森繁奏人。あたしの幼なじみ」
「あ……、はい……」
「奏人、さっき話したけどうちの学級委員長。柏木遥」
 その続きを言うのは、ちょっとだけ気恥ずかしかったけど。
 軽く唇を舐めてから、あたしは思い切って告げた。
「あたしの、ともだち」
 ――風が、鳴る。足元で水神さまや森神さまがぱたぱた嬉しそうに走り回っている。さすがに、遥には見えないらしい。でも、なんでもよかった。
 嬉しくて、やさしくて、ほっとして。
 あたしはその場に、座り込んだ。



 三人で並んで、たくさん、いろんな話をした。学校のこと。昔のこと。この辺りのこと。神さまのこと。自分のこと。好きなこと。キライなこと。いろんな、くだらないような、他愛もない話を。
 神さまのこと。遥は、笑わなかった。ただ、興奮した顔であっちこっちぎょろぎょろ見回していて、ビクついた神さまたちがわらわらかくれんぼみたいに走り出すのが、何となくおかしくてかわいくて笑えてしまった。
 そうしているうちに、いつの間にかあたりはすっかり薄暗くなっていた。
「ゆずちゃん、柏木さん、そろそろ帰ろう? きっとみんな心配してる」
「あ……そうだね。行こう、遥」
 いつも、奏人がしてくれてるみたいに。あたしは遥に手を差し伸べた。遥はちょっと戸惑った表情のままその手を重ねてきてくれた。小さくて、柔らかい手。
「ゆずちゃん。鞄貸して」
 奏人が手を差し出してきた。
「なんで?」
「いーから。ね」
 言いながら、鞄を取り上げられてしまった。なんだ? と思っていると、その手に今度は奏人の手が重なった。握られる。
 右手に奏人。左手に遥。なんだこれ。
「……なんか、これ、子供みたい」
「いいじゃない」
「いいじゃないですか」
 ハモんなそこふたり。にこにこしている二人に挟まれて、何となく毒気が抜ける。……ま、いっか。
 三人で並んで手を繋いで、ゆっくり山道を進んでいく。先導は、ちいさなちいさな神さまたちだ。ぴょんぴょん跳ねて、踊るように進んでいる。
「ゆずちゃん、見える?」
「うん。楽しそうだね」
「え、え? いるんですか? どこどこ?」
「目の前、先導してくれてるよ。……見守ってくれているんだ、いつも」
 水神さまが振り向いて、にこにこ笑ってきた。微笑み返す。そして、いつもの川のほとりまで来たときだった。
 ふいに周囲がほのかに明るくなった。淡い、ちいさな光源があちらこちらを、行きかっている。
「ホタル……?」
 呆然と、遥が呟く。そっか。都会じゃあんま見れないよね。
「だね。そいえばそんな時期だったね」
「うん。今年は多いね、ゆずちゃん」
 ほのかに緑色をした明滅するひかりが、すうっと空中を飛んでいく。顔を上げると、星のようにさえ見えた。いくつも、いくつも。やわらかい光に包まれて、ちいさな先導たちについて歩いていく。
「あー……おなかすいた」
「ゆずりはちゃん、こんなキレイなのに」
 遥がくすくす笑い声を立てた。
「だって、あたし昼抜き」
「わたしもです」
「僕も」
「あー……奏人はそっか。付き合わせちゃったから」
「うん。今度郷屋おごってね」
「この野郎ー」
 軽く蹴る真似をすると、奏人もまた笑い声を上げた。それから、飛んでいるホタルに手をかざす。奏人の手が淡く緑に色づいた。
「ゆずちゃん、柏木さん」
「うん?」
「はい?」
「あしたから、大丈夫?」
 心配そうな声。あたしは遥と顔を見合わせて、それからくすっと笑った。遥も、笑っていた。
「――大丈夫」
「はい。大丈夫です」
 独りじゃない。独りじゃないから、きっと、強くなれる。あたしは、決して独りじゃないから。
「――みんなも、見ていてくれるよね?」
 前を行く神様たちに声をかけると、ちいさな天狗が振り返ってきた。小さくて、いびつな親指を立ててくる。モチロン、というように。胸がぽかぽかした。
 大丈夫。頼もしい味方がいっぱいいる。
「うん、よかった」
 ほっとしたような奏人に頷いて、あたしは「あ」と声を上げた。
「ねぇ奏人。あんたんとこも明日午前?」
「うん。あさってからテスト」
「じゃさ、明日郷屋おごるよ」
「やった」
「郷屋?」
 遥がきょとんとした顔をしている。
「あ、そっか。遥は知らないか。商店街にね、あるんだ。郷屋って洋菓子店。そこのシュークリームがすっごい美味しいんだ。あした、食べよう?」
 あたしの言葉に、遥はふわっと満面の笑みを浮かべた。
「うん、食べたい」
 なんとなく、確信がある。あした、三人で並んで食べる郷屋のシュークリームは、今まで食べた中で、きっと一番甘くって、やさしくって、美味しいはずだって。
 風が吹いた。神さまたちが大きく跳ねた。ホタルがふわっと飛び立つ。いつの間にかあたしたちは神社の前まで来ていた。
 少し離れたところで懐中電灯の明かりが見えた。大人たちが数人、集まっている。その中の一人が、あたしたちを見つけたようだった。いた! と、叫ばれた。あたしたちは三人で顔を見合わせ、大騒ぎになりかけていたことに気付いて苦笑した。
 息を吸った。夏の暑い空気が、肺いっぱいに滑り込んできた。

「――ただいま!」

 ホタルが一匹、星のように空へと溶けていった。

 ――Fin.



ひとこと

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