勇者えんぴつくん〜散らない桜の小さな話〜


突発性企画第五弾
『桜』参加作品



 私が生まれた日、早咲きの桜が満開を迎えていたらしい。
 母さんは小さい頃から何度もその話をしてくれて、私は物心付いたときから、好きな花の一番に桜をあげるようになっていた。
 彼と出逢ったのも、桜の綺麗な日だった。
 その年は春が遅く、桜が咲くのも遅かった。
 ちょうど高校の入学式の日になって、ようやく満開を迎えていた。
 中学卒業と同時にこっちに越してきた私は、このあたりの土地勘がなくて、入学式そうそう、迷子になっていた。
 彼は、そんな私を助けてくれた。
 引っ越してきたばかりの私に、彼は何かと優しくしてくれた。
 同じ学校だった。ひとつ上の先輩だった。嬉しいことに、家も近かった。
 彼は『これも何かの縁だから』と言って、毎日のように一緒に帰ってくれた。
 ある帰り道には、薄ピンクの小さな花弁が、ひらりと私の頭にのり、彼はそれを笑いながらとってくれた。
 そのとき私は、桜にとても感謝した。
 そのとき私は、気付いてしまった。
 多分、彼が好きなのだと。

 ようするに私は、桜と彼が、大好きなのだ。



「美代ねーちゃん!」
 幼い少年声で呼ばれ、私は反射的にスカートのしわを手のひらで伸ばした。この声の主そのものには関係ないけれど、この声の主の横には、彼がいる可能性が高い。とくんとくんと心臓が高鳴っているのを自覚する。ああ、もう、恥ずかしいったらありゃしない。これじゃひとり少女漫画の世界だ。
 大きく一つ深呼吸。振り返る。
 秋の高い空の下、人影が二つ。
 小さな男の子が、一人。背の高い男性が一人。
 年のだいぶ離れた双子というものがもし存在したら、これがそうかもしれない。手足が細くて長くて、むしろがりがりの棒みたい。色白で、今時めったに見ない真っ黒な坊ちゃんヘア。サイズ合ってますかそれ、と訊ねたくなること請け合いの、顔からはみ出た大きなめがね。
 そんなおんなじ造作が、二つ。スモール・サイズとラージ・サイズ。
 彼――新井路(にいろ)純先輩と、その弟の真ちゃんだ。
 ちなみに二人合わせると『純真』。先輩はその名前がひどく恥ずかしいらしく、私がからかう度に赤くなる(可愛いのでよくやってしまうのだけれど)。
 だもんで、最近の先輩は弟の真ちゃんを呼ぶとき、ほとんど、とあるあだ名でよんでいる。
 その先輩が、にっこり笑っていってきた。
「お、片岡。今帰りなん?」
「ええ、部活です。……先輩は?」
「えんぴつの付き添い」
「おれ、しごとやってん!」
 ちっちゃい先輩――じゃない。先輩の弟、真ちゃんがへらへらって笑って手を上げた。
 手足のがりがり度からつけられたあだ名がこれ。『えんぴつくん』。
 なんと言うか的を射すぎていて笑えるので、私も最近はそう呼ぶことが多い。クラスメイトにつけられたといっていたが、つけたクラスメイトのネーミングセンスに花マルをあげたい気分。
 ちなみに先輩にも、小学校時代似たようなあだ名があったという。
『箒』
 聞いたときに吹きだしたら、力いっぱい拗ねられた。ちなみにそのあだ名は本人が断固として拒否するので、現在は使用禁止となっている(可愛いのに)。
 私はえんぴつくんの目線にまでしゃがみこんで、
「おしごとですか、勇者さま?」
「おう!」
 めがねの奥の、キラキラした目に訊いてみる。
「本日はどんなおしごとだったのですか?」
「おつかい!」
 いや勇者じゃねえよそれ。
 思わず内心突っ込んでしまったが、とりあえず口には出さないでおく。
 えんぴつ君が最近はまっているのが、これだ。『勇者ごっこ』。絶対ゲームのしすぎだと思う、この子。とりあえず、右手に持ってるゲームボーイアドバンスは証拠品だ。
「夕ご飯の買いだしいっててん。冷シャブ」
 先輩が付け足すように言う。先輩を見上げて、軽く苦笑してみた。
「ちょーっと、時期遅くないですか、それ?」
「おかんに言うて。ラクやからーってこればっかりや」
「みどりさんらしいですね」
「おれ、冷シャブすきやで!」
 そういう問題じゃないよえんぴつくん。
「えんぴつー。今俺が片岡と話しててんから、ちびは引っ込んでろ」
「兄ちゃんばっかりずるいー! がっこうでいっぱい話してんねやろ!」
「おう。高校という神秘に守られた場所でな。小学生にはわかるまい」
「すぐわかるようになるわ!」
「いつやねんいつ。何時何分何十秒。地球が何回まわった日」
 頼むから、小学校二年生の弟と同レベルで喧嘩しないでください先輩。
 まるまる九つも離れているというのに、この兄弟は本当に仲がいい。そして、とても面白くて、とても真っ直ぐで――
 とりあえず、私はこの兄弟がとてもとても大好きだ。
 くすくすと笑いながら、私は顎を上げた。
 段重ねの生クリームみたいなウロコ雲。薄い水色の空。西のほうはほんのり赤く染まり始めて、紅玉林檎のような色。
 引っ越してきてからまる半年。まだまだ寂しさは残るけれど、それでも引っ越して来て良かったなと思える。
「もーええわ。片岡、一緒に帰ろうか。帰るんやろ?」
「あ、はい」
「美代ねーちゃん、手ぇつなごー!」
 えんぴつくんが有無を言わさず手を握ってきた。
「あ、えんぴつ。おまえそれセクハラやぞ」
「……いや先輩。小学校二年生にその概念は当てはめちゃダメかと」
「そーや兄ちゃんがへんやねんー! おれのはセクハラとかちゃうもん。おれ勇者やから、お姫さまのエスコートやねんで!」
 えんぴつくんが、さも当然といわんばかりに胸を張った。小さく苦笑がもれる。
「片岡がお姫さまゆうんは、ちょっと無理あるんちゃう?」
「……せーんーぱーいー?」
「いやうそうそうそうそん。素敵やでー美代姫」
「うわぁ、うそ臭い」
「うそちゃうで! おれ美代ねーちゃんすきやで?」
 えんぴつくんがそう言って、私は先輩と顔を見合わせて、またくすくす笑った。
 ――本当に、一緒にいてすごく楽しいとそう思う。
 引っ越してきて、出会えてよかったな。最近すごく、そう思う。


「あ、なぁ片岡」
 帰り道、えんぴつくんに手を引かれながら歩いていた私は、先輩の呼びかけに首を傾げた。
「なんですか?」
「あさっての土曜ってあいてる?」
「土曜?」
 言われて、ほんの少しドキドキとした。どうしよう。これ、もしかしてデートのお誘いだったり――いやするわけはないんだけれど、もしも、そうもしも、もしもの仮定のもしもの話として!――するのかな? 
 うわぁ……
 思わず頬が緩むのを自覚して、あえて考え込むふりをする。
 すぐにオーケイを出すよりは、じらしてみたほうがいい、のかもしれない。いやどうだろう。どうなのかな。すぐに返事をするべきなのかな。ああ、経験値不足。
 でも、あながち全く期待なしって事もないはず――ええと、希望的観測。
 だってこの間、夏休みには、二人でえんぴつくんの誕生日プレゼントを買いに遊びに行ったし! いつもは三人一緒だけれど、あのときはえんぴつくんいなかったし、あれはほら、考えようによっては立派なデートだったはず。
 だったらこれも、私の力いっぱいの暴走、ということもない、はず。
「……あかんかな?」
 少し沈んだ声で、先輩。
 こ、これは――手ごたえ、あると見ていいのかな。いかん。顔が火照ってきやがった。ああ、もう。再び一人少女漫画の世界へ突入してしまっているよ私。
「あかんかったら、ええねんけど……」
「え!? いや! あかんことないです!」
 思わずうつった。
「いやえーと。大丈夫です。土曜ですよね? 部活もないですし、あいてます」
「ほんまっ?」
 先輩の目が、めがねの奥できらきらっと輝いた。子供みたいに。
 かっ……可愛い……!
 内心思わず叫んでしまう。ああ、もう、いろいろ馬鹿だ私。
 先輩はにこっとまるっきり子供の笑顔を顔面に張り付かせて、しゃがみこんだ。
 ああ、十七歳男子の笑顔じゃないよそれ。ああもう、もう。そんなに私を悶えさせたいんですか先輩――って、え? しゃがみ……?
「良かったなあ! えんぴつ! 一緒に行けるで!」
「おう! 兄ちゃんおてがらやな!」
 ……いやあの。さっぱり話が見えませんがそこの似非双子。
 何でそんなおんなじ顔でキラキラしているんですか。
「これで弁当持ってきてもらえんで!」
「おれ、おかかおにぎりが欲しい!」
 だから待て。説明してくれ。箒とえんぴつ。
 内心でうめく。
 ……デートは?
「あんなぁ、今度の土曜にな、えんぴつと俺と一緒にピクニックいかへん?」
「……ぴくにっく。」
「おう! 三人で行こうや!」
「……さんにん。」
「弁当頼むなー」
「……べんとう。」
 デートは。二人っきりのデートは何処へ消えたんだろう……?
 ……ていうか。軽くはめられてないか、私。いつのまにか拒否権なくなってるみたいだし。弁当って。おかかおにぎりって。
「楽しみやな、片岡!」
「……そうですねぇ」
 まぁ、どっちにしろ。何の予定もない土曜日に先輩といられるのだから喜ぶべきことではあるんだろうけど。
 ……ていうか、それなりに楽しそう、かも。
「あんな! おれそんとき美代ねーちゃんのためにおたから、さがしたるわ!」
「……おたから?」
 勇者ごっこはまだ続いているのかいえんぴつくん。
「おう! なんでもええで! 欲しいのゆーてみ?」
「……」
 先輩が欲しい。
 脳が勝手にそんな単語をはじき出して、軽く自己嫌悪。あほですか私。そんなのえんぴつくんに頼むつもりですか。
 ……わかっちゃいないんだろうなぁ、先輩は。
「片岡は桜がええんちゃう?」
「へ?」
 急に先輩がそう言ったので、私はきょとんと目を瞬いた。
「さくら?」
「うん。片岡、桜すきやろ?」
「……好きです」
 こくん、と頷く。声が少し小さくなっていた。
 ……覚えていてくれたんだ。そんなこと。ああ、どうしよう。顔がにやける。
「……って兄ちゃんあほー。今秋やでー? むりにきまってんやん」
「そこを何とかするんが勇者やろ」
「むりやし!」
 ごもっとも。自然現象をどうにかされたら、それはそれでたまったもんじゃない。むしろ怖い。
 けれど先輩はいたずらっ子のような笑みを浮かべて、
「あるやん。桜。秋」
「……あー」
 なんとなく先輩の言わんとすることがわかって、軽く声を漏らしていた。えんぴつくんはめがねの奥の丸い目を、白黒させているけれど。
「ピクニック行こうゆうてるところな、コスモス畑があるんやって。な? あれ『秋の桜』やろ」
「……そーですねー」
 実を言うと、とりたててコスモスは好きじゃなかったりする。いや別に、嫌いでもないのだけれど。なんか釈然としないのだ。
 コスモス。漢字で書いたら秋桜。
 ……それがどうも、なんというか。地味に気に食わなかったりする。
 私の大好きな桜の居場所を取られているような、そんな気になるのだ。
 でもまぁ……ああ、だめだ。また顔がにやけている。
 先輩が私にその秋の桜を見せてくれるというのなら、両手をあげてコスモスを歓迎しよう。えらいコスモス。素敵だコスモス。ビバコスモス。レッツゴーコスモス。ちびっこが一人くっついてくるとはいえ、退屈な土曜日に刺激をくれてアリガトウ。愛しているよコスモス。
「コスモスが、何で桜なん?」
 ずっと首をかしげていたえんぴつくんが訊いて来た。
「あー、コスモスってな、秋って漢字と桜って漢字を二つ続けてかくねん」
「なんでなん?」
「しらんわ。似てるからちゃうん?」
 先輩の言葉に、えんぴつくんはぐうっと倒せる限り首を右に倒した。
「なんか変なん! 桜ちゃうのに! 美代ねーちゃんそれでええん?」
「うーん、仕方ないんじゃない? だって、秋だし。楽しみだね、ピクニック」
「……うーん……」
 えんぴつくんはなんだかまだよく判らないというような顔で頷いた。それからポツリと、言葉を漏らした。
「そやけどおれ、やっぱおたからは、ほんまもんがええなぁ」
 

 細い茎の上に、ひらひらとしたピンクの花びら。秋風に吹かれて、どこか儚げに揺れている。いくつも、いくつも。視界の端から端まで――違う、視界に収まりきらないほど遠くまで。
 茎の緑と艶やかなピンクのコントラスト。少し顎を上げれば、金色の柔らかい陽射しが淡い色の空から降ってきている。
「どうやー? めっさ綺麗やろ!」
「……うん」
 素直に頷く。確かに綺麗。
「大阪にもこんなところあったんですね」
「人情の街やからな」
 先輩が得意げに頷くけれど、それはさっぱり関係ないと思います。はい。
「なー! 美代ねーちゃん美代ねーちゃん、ぼうけんごっこしよーやー!」
 少し離れたところから、えんぴつくんが手を振ってくる。
 私は先輩と顔を見合わせて軽く吹きだした。
「いこか、片岡。遊んだらな、また拗ねるわ」
 そう言って先輩が、軽く私の頭を小突いた。
 ……思わず嬉しくて、心臓がまたうるさくなった。
 ……コスモス。本当に好きになるかもしれない。


 昼時になって、持参したお弁当箱を広げ三人で昼食タイム。
 暑すぎも寒すぎもしないこの時期、一番外ごはんが似合うのかもしれない。
 からあげ。たまごやき。たこさんウインナ―にうさぎのリンゴ。おかかおにぎり梅おにぎり。いっぱいつまったお弁当箱は、びっくりするくらい短い時間で、綺麗に空っぽになった。
 ちょっとだけ、誇らしく思えた。
「あー! おいしかった! ごちそーさん!」
「どういたしまして」
 ぺこりと頭を下げると、先輩とえんぴつくんはおんなじ顔でにっこり笑った。
「あ。おれトイレー! 兄ちゃん、どこかなぁ?」
「あっち」
 先輩が駐車場のほうをさすと、えんぴつくんは細い足でてけてけと走っていった。その後姿が見えなくなると、先輩と二人っきりになって。
 あー……だめだ。また心臓が。
「なあ片岡」
「はい?」
 先輩はふとこちらを見てきてから、さっと顔を赤くした。やや俯いて、
「あんなぁ……あー。どうしよ。やっぱ照れくさいわ」
 …………え?
 ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って! それってそれって!?
 これってあれですかもしかしてもしかしなくても、古きよき告白の前触れって奴では!?
 どくどくどくと、ありえない速さで心臓が脈打っている。
「な……なんですかぁ? 気になるじゃないですか」
 死ぬほど。
「……うーん。片岡にやから言うんやけどな。えんぴつにもナイショやで?」
「はい!」
 大きく頷くと、先輩は柔らかく笑った。
「片岡、ほんまにここ綺麗やと思う?」
「ええ。すごく」
「よかったー。見せてよかったわぁ」
 安堵したように、先輩。それから、ふっとまじめな顔をした。
「俺なぁ、女の子がどんなんが好きかよう判らへんからさ。片岡に見てもらいたかってん」
 ……どういう意味だろう? よく判らなくて、私は先輩の顔をじっと見てしまった。
 先輩は子供みたいに照れた顔で、こう、言った。








「あんなぁ。……俺、こないだ彼女できてん。それでな、今度初デート、どこにしようかと思って。
 ほんまにあいつが喜んでくれるかどうか、不安でな。それで、女の子がここどう思うか、見てもらいたかってん」





 一瞬、目の前が真っ暗になった。






「そやから……ほんま、ありがとな。片岡」

 それなのに、先輩の嬉しそうな顔だけは見えた。

「ああ、えんぴつには、ナイショやで?」

 先輩はそう笑った。けど。
















 そりゃ、ないですよ。先輩。















「……きっと、喜んでくれますよ。彼女」


 この、コスモス畑を。
 けれど――私は内心で毒づいた。















 コスモスなんて、大っ嫌いだ。

 

















 さらさらと秋雨が降る。
 安いビニール傘にはねて、水音がする。
 ローファーは雨の日に履くものじゃない。わかっていたが、スニーカーを出す元気もなくて、結局このままだった。
 水溜りを避ける元気もなくて、そのまま突っ込んでいく。
 じゃばじゃばと水を割って歩く。
 あれから……二週間。先輩ともえんぴつくんとも、会っていない。
 近所といっても、会おうとしなければ会わないものなのだろう。そんなことを実感した。
 なかなかに、ダメージはでかくて、たちなおれない。
 会いたくない。
 笑えるほど、まだ立ち直れていないから。
 引きずるように歩いていた足を、ふと止めた。
 顔を上げる。

 桜の大木。

 紅葉といえるほど美しい色合いでもなく、けれどしっかりと秋色に色づいた葉っぱ。
 雨に濡れて、どこか哀しげに涙を流している。
 ああ、まるで私みたいに。
 あの日には、とても艶やかにピンクの花を咲かせていたのに。
 私はコスモスなんかより、桜がずっと大好きなのに。
 秋になっても、桜は桜なのに。ここにあるのに。
 どうして、秋の桜は誰にも見られないのだろうね。そばにいるのに、見てもらえない。
 どうして、コスモスに取って代わられてしまうのだろう。
 それが、どうにも解せない。
 ――どうして?

「美代ねーちゃん!」
 ふいに聞こえた甲高い少年の声。ほとんど反射的にスカートのしわを伸ばそうと手が動いて――ぎゅっとこぶしを握った。そんなことする必要はないから。言い聞かせる。そんなことする必要は、ないんだ。
 私はすでに、コスモスに場所を取られた、秋の桜と同じなのだから。
 そばにいるのに、見てもらえないのだから。
 ゆっくり振り返ると、青い傘を持ったえんぴつくんが一人、走ってきていた。
「……えんぴつくん」
「美代ねーちゃん! ひさびさやな!」
 会わないように、してたからね。
「……うん」
 小さく頷くと、えんぴつくんは私を見上げてきた。めがねの奥の真ん丸い目が、心配そうに揺れていた。
「どないしたん、美代ねーちゃん。泣いてたん?」
「……泣いてないよ?」
 もう涙は、とっくに枯れた。
「嘘やん。なんでそんな目なん? どないしたん? なんかあったん? おれ、いやや。そんな美代ねーちゃんの顔、みたない」
 私だって……好きでこんな顔、しているんじゃないのに。
「……あ。これ、桜?」
 ふいにえんぴつくんが訊いて来た。
「……わかるんだ」
「そりゃ判るに決まってるやん。いっしょに春みたやん」
「……うん」
 小さく頷く。
 そう、桜。秋になっても、桜は桜。
 誰かに、判って欲しいんだ。私は、きっと。
「美代ねーちゃん、ほんまに桜好きやねんなぁ」
「……」
 答えられずにいると、えんぴつくんがその場に傘を放り捨てた。
「ちょっ……濡れるよ」
「ええねん。ちょうまってな! おれな、ちゃんとおたから、さがしてんで!」
 えんぴつくんはいいながら、ランドセルを開けた。がさがさと探して――呆然としている私の目の前に、なんだかちゃちな物を差し出してきた。
「ほら! これ! 美代ねーちゃんにあげる!」
 そう言ってえんぴつくんが差し出してきていたのは――
「……なふだ?」
「うん。おれの幼稚園のときのなふだ! おれな、さくら組やってん!」
 ピンク色の、薄いビニール製の、小さなさくら型の名札。
 えんぴつくんは、それを私の手のひらに無理やり押し付けると、にっこり笑った。
 びしゃびしゃに、濡れながら、それでもにっこり笑った。
「ほんまはな、ちゃんとほんまもんがよかってんけど。これしかなかってん、許してな。そやけどな、これもちゃんと桜やろ? だから、もらったって!」
「……なんで、こんなことしてくれるの?」
「おれ、勇者やもん! お姫様がかなしいかおしてるの、いややし! それに、約束したもん! おたから、あげるって。おれ、約束は守りたいほうやから! それにおれ、美代ねーちゃんも桜も大好きやから!」
「……」
 真っ直ぐなえんぴつくんの言葉が、なんだかおかしな具合に涙腺を緩めてしまったらしい。視界がゆらゆら、揺れた。
「……ありがとう」
 ぎゅっと手の中の桜を握る。ビニールの、薄汚れた小さな桜。
「おれな、ずっと美代ねーちゃんのこと守ったるわ! おれ、勇者やねん! そやからずっと守ったる! それな、やくそくのあかし、やねん!」
「……やくそく?」
「うん!」
 えんぴつくんは大きく頷いて、頷いたひょうしにずれたメガネを直しながら、いった。
「その桜は、絶対散れへんやろ。だからな。それが咲いているあいだは、おれはずっと美代ねーちゃんの勇者でおりつづけるから! 美代ねーちゃんのこと、ずっとずっと守ったる! もう、美代ねーちゃんが、なかんでええようにしたる!」
 それから、細い細い腕を伸ばして、私の手を取った。
 偽物で、本物の、ビニールの桜といっしょに、私の手を握った。
「いっしょにかえろ、美代ねーちゃん。送ってったるから! そやからもう、泣いたらあかんで」
「……私でいいの?」

 コスモスじゃなくて、桜でいいの?

「なにゆーてるん? 美代ねーちゃんは美代ねーちゃんやん。へんなの!」

 けらけらってえんぴつくんが笑う。
 雨に濡れながら、眩しいくらいきらきら笑う。
 気づいたら、雨雲は切れていて。
 秋の夕日が、ほんのり空を色付けていて。
 

「……ありがとう。一緒に帰ろう」


 小さな小さな勇者さまと私は手を繋いで、秋の桜並木を歩いていった。
 秋色の桜は頭上で次の開花日を待っている。
 けれど、この手の中には、永遠に咲きつづけている桜がある。
 永遠に散らない桜がある。

 秋になっても、桜は桜。
 コスモスに場所を取られることはない、そんな桜が手の中にある。
 それがなんだか嬉しくて。
 それがとっても嬉しくて。


 ほんの少し元気になって。


 私と小さな勇者えんぴつくんは、秋の桜の並木道を二人で歩いていった。
 

 笑おう。

 ちゃんと、笑おう。



 桜のように、艶やかに。
 永遠に、笑いつづけよう。

 この手のひらの中に、散らない桜がある限り。


















「ねぇ、えんぴつくん。今日先輩いるかな?」
「おるよー? どないしたん?」
「『おめでとう』って言ってあげなきゃって思ってね」



















 ちゃんと笑おう。
 秋の桜の誇りを持って。
 コスモスを選んだ彼に、笑いかけてあげたいから。


 きっといつか私にも。
 秋でも桜を選んでくれる、そんな誰かが現れてくれるはずだから。



 ――Fin






突発性企画第五弾『桜』参加作品