双子月と魔法使い

 お月様はいつでもひとりぼっちでした。
 真っ黒いカーテンのお空の中、ひとりぼっちでした。
 キラキラ光る星たちには、たくさんの兄弟がいるのに、お月様には家族がいません。
 だから、お月様は泣いていたのです。
 静かにこっそり、泣いていたのです。
 それを見ていたのは一人の魔法使い。
 魔法使いはお月様に声をかけました。

『かわいそうな寂しい月よ。一つだけおまえの望みをかなえよう。おまえは一体何を望む?』

 お月様は答えました。

『兄弟が欲しい。いつでもそばにいてくれる、家族が欲しい』

 魔法使いはお月様の願いをかなえました。
 そうしてその夜から、お空にはもう一つ、お月様が浮かぶことになったのです。
 そうしてその夜から、人間たちはお月様をこう呼びました。
『双子月』と……。
  
  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

「それで、それで? ねぇおじいちゃん、続きは?」
 ベッドに横になったまま、赤毛の少女が訊く。艶やかな青い瞳が、好奇心に彩られきらきらと輝いていた。
 ベッド脇の椅子に座っていた老人が、少々困ったように微笑む。
「これで、おしまいだよ。さあリネッタ。もう遅いよ、おやすみなさい」
「えーっ」
 赤毛の少女が明らかに不満げな声をあげた。しかし老人は小さく笑みを浮かべて、彼女の非難の声を流す。少女の柔らかな巻き毛をなで、もう一度だけ『おやすみ』と言い残すと、部屋を出ていった。

 ……パタン。

 扉が閉じられ、廊下から射していた明かりがなくなる。それでも部屋は真っ暗にはならない。窓の外に、明るい二つの月があるから。
 少女一人だけになった子供部屋に、愛らしい声が静かに響いた。
「……魔法使いかぁ」
 小さな子供部屋にある、一つの窓。赤毛の少女――リネッタはその窓をベッドから見上げていた。いや、正確には窓の外を。夜空に浮かぶ二つの月を。
「いいなぁ……」
 夢見るような心地で呟く。
 空には双子月。
 もうさびしくないお月様。
 魔法使いが与えた家族とともに夜空に浮かんでいる。
「あたしも魔法使いになりたいなぁ」
 魔法使いになりたい。不思議な力で、誰かの望みをかなえることができれば、きっとそれはとてもとても幸せなことだから。
 でも、どうしたら魔法使いになれるのだろうか。
 少なくともリネッタはその方法を知らなかった。
(ああ、悔しいな。方法さえわかれば、すぐにだって魔法使いになりたいのに)
 ベッドの中でリネッタは寝返りをうつ。眠れない。気になって仕方ない。
(本に載っているかな。……きっと載ってないよね。ああ、どうしたらいいのかな)
 ごろん、ごろんと寝返りを何度も何度もうつ。そして。
「あっ!」
 思わずリネッタは声をあげ、ベッドの上で起き上がった。
 窓の外には双子月。
 そう、魔法使いに家族をもらった双子月。
 何故、気づかなかったのだろう。こんなにも簡単なことなのに。
(そうよ――)
 リネッタは即座にベッドから飛び降りた。パジャマを脱いで、クロゼットから洋服を引っ張り出す。
 どうすればいいか。それは実はとっても簡単なことだった。
(双子月さまに訊けばいいんじゃない!)

 街中が眠る真夜中。リネッタはベッドから抜け出した。
 魔法使いになる方法を双子月に訊く為に。
 
 夜、街は水蒸気に煙る。蒸気が濃い夜は、双子月さえ見えなくなるほどだ。リネッタはそれが不安だったが、今夜は気持ち良いほど晴れていた。嬉しくて、つい足取りが軽くなる。
 ラン ラン ラン
 スキップを踏んで、歌を口ずさみ、夜の街を進んでいく。
 いつもは人がたくさんいる大通りも、今だけはリネッタの貸しきり舞台だ。
 スカートを翻し、ブーツの音を立てて、くるりくるりと舞う。
(あたし、まるでミュージカルのスターみたい!)
 煉瓦の道を踊りながら進んで、リネッタはずっとワクワクしていた。胸も、息も、大きく弾む。顔を上げると、双子月が優しく微笑んでいた。
(待っていてね、双子月さま。今訊きにいくからね)
 でも、どこに行けばいいのだろう。
 きっと高いところがいい。すこしでも双子月に近い場所がいい。
(どこへいけば、双子月さまとお話できるのかな)
 この街で一番高い場所はどこだろう? そう考えて真っ先に思いついたのは時計塔だ。けれどあそこに登るのは許可が必要だった。鍵がないとは入れない。
 じゃあ、どこがいいのだろう。
 リネッタは少し立ち止まって考えた。そして結局、リネッタが今行くことのできる一番高い場所――街の中心にある、市民公園。そこにあるモニュメントへと足を向けた。

「双子月さま」
 公園にあるモニュメントは、月の形を模している。鼻の高い、擬人化された月だ。そのモニュメントによじ登る。
 モニュメントのぽっこりでた頬に足をかけ、できる限り背伸びをする。
「双子月さま」
 声が少し震えた。空に向かって、二つ浮かんでいる月に向かって、リネッタは言葉を投げる。
「ねえ、双子月さまってば!」
 三度目の呼びかけで、少し声を大きくした。早く答えて、と祈る。
 と、その時だった。

『どうしたんだい、リネッタ?』
 深い深い大人の声が、どこからか降ってきた。
 リネッタは空を見上げ、声をあげる。
「双子月さま!」
『――ああ、そうだよ』
 リネッタの言葉に、その声は頷いた。リネッタはうわぁ――と歓声をあげ、早口でまくし立てた。
「双子月さま! あたし、あなたに訊きたい事があるの!」
『なんだい?』
 降ってくる声に、リネッタは間をおかず叫んだ。
「魔法使いになる方法!」

 お月様に家族を与えた、魔法使いみたいになりたいの!

 リネッタの言葉に、少しだけ声は沈黙した。やがて、やんわりと優しく言う。
『おや、気づいていないのかい、リネッタ?』
「……? 気づいていないって、何が?」
 きょとんとして問いかけると、それは微笑を含んだ声で言った。
『私と話しているということは、もうリネッタは魔法使いなんだよ』

“もう、リネッタは魔法使いなんだよ”

「――ホントに!?」
 リネッタは思わず叫んだ。月が白い煙に揺れる。まるで笑っているかのように。
『本当さ。それに魔法使いになるのはとっても簡単なんだよ』
「そうなの? でもどんな本にも載ってないわ」
『載るはずがないさ、だって誰でも知っていることなんだからね』
「あたしは知らない!」
 リネッタが声を荒げる。すると、『いいや』と優しい声がかえってきた。
『知ってるさ。魔法の正体を、リネッタはもう持っている』
「正体って何……?」
『それはね』
「それは!?』
『――信じることさ』
 そうして。声はその言葉を最後に聞こえなくなる。
 夜の街に、沈黙が落ちる。
 聞こえるのはただ、木々のざわめきと、髪をなでていく風の音だけで。
「双子月さま」
 ――呼びかけても、答えはない。
「ねぇ、双子月さまってば」
 もう二度と返事はない。
 それが悔しくて……
 リネッタは結局、双子月が朝日に溶ける時まで、そのモニュメントの上にいた。

 ――目覚めると、いつもの子供部屋だった。
(あれぇ……?)
 きょとんと、周りを見る。昨日、双子月に逢いに行ったはずなのに、どうしてベッドに眠っているんだろう?
「おや、起きたのかい、リネッタ」
「おじいちゃん!」
 部屋に入って来た祖父に、リネッタは双子月の話をする。
 興奮したように語るリネッタの言葉は、とても判りにくいものだった。だが、祖父は頷きながら聞きつづける。そして、全てを聞き終えた最後に、彼は微笑みながらこう言った。
「それは凄い体験だね、リネッタ。もう立派な魔法使いだ」
 祖父のその言葉に、リネッタは嬉しくなり――
「うんっ! あたし、今日から魔法使いなのよ、おじいちゃん!」
 大きく、頷いた。
 顔中に満面の笑顔を貼り付けて。


 ――パタン。


 部屋を出た老人が、こっそり小さく微笑んだ。深い深い大人の声で、でもどこか子供のような悪戯っぽさを含んだ声で、呟く。

「寂しがり屋のお月様。今は寂しくない双子月……とな」

 閉じた扉の向こうから聞こえる、孫の歓声。
 老人は微笑んだまま、ゆっくりと歩き出した






  +++おしまい+++