ここは花街<チャムチャック・シィム>

 空から舞うのは小さな花弁。
 ひとひらふたひら花びら舞いて、街はほんのり花化粧。
 赤に黄色にピンクに青。煉瓦の道も色華やかに、花日和を彩っています。
 花曇の空の向こう、うっすら霧のその向こう、逆さまわりの時計の塔が、なにやら眠たげにゆっくりのんびり針動かして。
 縦に横に綺麗に区切られた街並みに、やむことのない花雨が降り注ぐそんな午後。
 ひとりの少女が硝子の瞳で、ぼんやり街を見下ろしていました。
 十を過ぎて二つか三つ、誕生日を迎えたそんな年頃の女の子。お日さま集めた金の髪はふわふわ風になびかせて。シーグラスの青の目に、色は何にも映してなくて。
 頭に積もる花びらも、払おうとすらしていなくて。
 お日さまの髪にうっすらピンクの花化粧。
 大きくもなくて小さくもない、そんなあたりまえの家の屋根に腰掛けて。
 花雨が降る街を見下ろし、女の子はゆっくりぽつり、呟きました。
 遠く見えるあの時計塔みたいに、ちょっぴり眠たげに呟きました。

「死にたいな」

 ――と。

ここは花街<チャムチャック・シィム>



「リリカ!」
 ふいに彼女を呼んだのは、花雨の日に相応しくない、元気活発そんな声で。
 女の子はシーグラスの瞳をぼんやりそちらに向けたのでした。
 屋根に腰掛けていたリリカの目の前に、ひとりの少年がぽっかり空に浮かんでいました。
 年の頃なら同じくらい。晴れた空の髪の色に、おんなじ色の空の瞳。
 支えも何もない状態で、にっこり満面の笑みを浮かべて。
 リリカはふうとため息ひとつ。少年の名を呼びました。
「パウダ」
「うん。何やってるの、リリカ?」
「別に何も」
 あっさりリリカは答えると、ぐうっと背伸びをして見せました。
 この少年はパウダ。飛翔師<スカイ>の少年です。
 この花街<チャムチャック・シィム>では、誰もが何かの能力をひとつだけもっていて。
 パウダは空を飛ぶのがその能力でした。
 花雨降る街を見下ろして、リリカはシーグラスの目をパウダに向けたのでした。
「ただ――」
「ただ?」
 唇の端を、ほんの少しだけ持ち上げて。
 浮かべた笑みは、氷のようで。
「死にたいって思ってただけ」
 そうあっさり告げたのでした。
 しんしん静かに花雨が降り、視界を花びら横切って。
 しばらくぼんやりしていたパウダは、こてんと首を傾げました。
「死って――なあに?」
 リリカはふっと笑みを消し、
「誰も知らないことよ」
 そう言って指を空に向けました。
 すうっと指が弧をかけば、花雨すっきり晴れ渡り。
 空には七色の虹が顔をだしたのでありました。
「いこっか、パウダ」
 ぼんやりシーグラスの瞳を向けて、リリカはパウダの手を取ります。
 そして――
 虹師<レインボウ>の少女リリカは、静かに深く空を睨み上げたのでした。


 ここは花街<チャムチャック・シィム>
 終わりがなくて始まりがない
 どこにもなくてどこにでもある

 ここは花街<チャムチャック・シィム>
 店には何でも売っていて
 だけど明日は売り切れていて
 
 ここは花街<チャムチャック・シィム>
 花びら降る街<チャムチャック・シィム>
 それだけの街<チャムチャック・シィム>


 パウダに手を引かれて空を飛び、リリカはふと眼下を見下ろしました。
 耳を濡らす歌声は、この街を歌う童謡で。
 花曇の空も晴れ、青空覗かせるその中で、リリカはパウダに訊きました。
「ねぇ、パウダ?」
「なぁに、リリカ」
「忘れ物、していない?」
「わすれもの?」
 パウダは首を傾げてみせて。
 ぐうっと空を見上げてみせて。
 それからようやく答えます。
「特にないと思うよ?」
「すごく大切なことを、私たちは忘れているのよ、パウダ」
 リリカはパウダに言い募りました。
 空の上で動きを止めて、パウダはリリカと向かい合います。
 小さな両手を握り合って。
 それを離してしまったら、飛翔師<スカイ>ではないリリカは下にまっさかさまに落ちていっちゃうものですから。
 もっとも――
 そうなってしまったところで、どうということもないのでしょうけれど。
 だってここは、花街<チャムチャック・シィム>ですから。
「私たちは、空みたいなのよ、パウダ」
「そうなの? 素敵だね」
「素敵じゃないわ、全然!」
 突然、唐突、いきなりに、リリカは声を荒らげて。
 ビックリしたのか少年は、青空の目を見開いて。
 そんなパウダの両の手を、しっかり握ってリリカは言います。
「終わりもなくて、始まりもない! 変わることもずっとなくて、そこにずっとただあるだけ! 空みたいなのよ、私たち!」
「それがどうして、悪いのさ?」
「空だっておかしいの!」
 リリカは叫んで――
 それからふっと微笑んだのでした。
 泣きそうに瞳をゆがめて、全てを諦めたような、そんな笑みを浮かべて。


 神さま。
 どうして私だけ、全てを知っているのでしょう?
 神さま。
 どうして私にだけ、全ての記憶を残しているのでしょう?
 神さま。
 私たち、この街の住民はみんな、死を選んだのに。
 神さま。
 どうして私たちは、死ぬこともないこの街に来ているのでしょう?


「この空は、おかしいのよ、パウダ」
「何が?」
「太陽が飛んで、いきなり夜になって。夜が夕焼けに染めかえられて、朝になる」
「普通じゃないの?」
「違うわ」
 リリカはふわふわお日さまの髪を、静かに左右に振ったのでした。
「朝焼けがきて、朝になって。お日様は天頂に昇って、ゆっくり西に傾いて。夕焼けがきて、夜になるの。月はそれから昇るのよ。それが毎日おこるのよ。花なんて、降らないのよ」
 リリカの言葉に、パウダはぷっと小さく吹き出しました。
「そんなの、つまらないよ。そんなの、おかしい」
 そう言って、パウダはけらけら大声で笑ったのでした。リリカがかけた虹を見上げ、そこに届けといわんばかりに大声で笑ったのでした。
 そして――
 リリカは静かに、パウダの手を離しました。

「――死にたい――」

 小さな呟きだけを残して、リリカの体は支えを失い、花が積もるチャムチャック・シィムへと一直線に落ちて行きます。
 その小さな体を見下ろして、パウダは首をかしげて頭をかいたのでした。
「……リリカ、変なの」
 リリカの体は、花びらの上、ふんわり柔らかに着地して。
 リリカは静かに静かに、涙を零したのでありました。
 そしてその体は一瞬にして消えうせて――
 けれど、明日の夜明けが来る頃には、リリカはまたあの屋根の上、虹をかけて呟くのです。
 そうすることしか出来ないから。
 この街には、終わりなんて存在しないから。
 この街には、救いなんて存在しないから。

















 ここは花街<チャムチャック・シィム>
 終わりがなくて始まりがない
 どこにもなくてどこにでもある

 ここは花街<チャムチャック・シィム>
 店には何でも売っていて
 だけど明日は売り切れていて
 
 ここは花街<チャムチャック・シィム>
 花びら降る街<チャムチャック・シィム>
 それだけの街<チャムチャック・シィム>

 ここは花街<チャムチャック・シィム>
 終わりのない街<チャムチャック・シィム>
 救いのない街<チャムチャック・シィム>
 空と同じの<チャムチャック・シィム>


 ――End.

素材はこちらから頂きました。


お題バトル参戦作品
テーマは「空」 お題は「虹」「夜明け」「救い」「歌」
制限時間は一時間。