光の中で願いごと。
ぼくの妹の沙織は、少しばかり『普通』のカテゴライズには難しい人間だ。
身長百六十ジャストで、ぼくと同じ。少し高めだね。癖のない真っ黒な髪も、ぼくと同じ。髪型も同じで、前髪を下ろさないセンターわけのショートヘア。顔立ちも、男女の違いはあるとはいえほとんど同じ。でもぼくはあそこまで目つき悪くないと思うけど。年齢も十二で小六。もちろん同じ。クラスは違うけどね。誕生日と血液型は、言うまでもなく同じで、ようするに沙織とぼくは双子の兄妹だったりする。
ただ、沙織とぼくの決定的な違いがある。
沙織にはぼくに見えないものが見える。ぼくだけじゃないな。ようするに『見えざるもの』を見ちゃう能力。さらに、そういった人たちを浄化しちゃったりもできちゃう能力。
そう、沙織は『ご近所おばけハンター』だ。
光の中で願いごと。
「敬太」
名前を呼ばれた、と思った瞬間、背中に打撃を受けてぼくは前のめりに倒れていた。
毎度毎度思うのだけれど、土って何でこんなにまずいんだろう。いや、美味しくても倒れるのはいやだけどさ。
「何するかな、沙織……」
「つかおまえ邪魔なんだもん」
立ち上がって恨みがましくいってみせても、沙織はあっけらかんとした表情で答えてくる。
いや、いいんだけど。知ってるんだけど、沙織のこういう性格。でもちょっと治してくれたら、ぼくはたぶん今よりずっと幸せになれると思うんだ。どうだろう。
学校の裏庭で、ただぼんやり空を眺めていて何が邪魔なんだろう。別に沙織には迷惑かけてないと思うんだけどなぁ。いいじゃん。この間ちょっぴり怪我したから、遊ぶのも面倒でさ。
「さおちゃん。ぼく、怪我人なんだけどな……もうちょっと、優しくしようとか思えない?」
「なんか文句あんのかよ」
「いっぱいある」
「聞いてやんね」
「だよね」
諦め心地でため息ひとつ。すると何を思ったのか沙織はぼくの襟首をひっつかんでずるずると校門の方に歩き出した。
あっさり引き摺られるあたりぼくもどうだろうとは思うんだけど、沙織はバスケ部員で力も強いから敵わなかったりする。……家庭科部に入ったぼくと比べないで、そのあたりはさ。負けても仕方ないと思って。
「さおちゃん。ぼくは仔猫じゃなかったと思うんだけどな」
「こんなうぜえ仔猫がいたら、はったおす」
「いやそうじゃなくてね。何でこんな真似をされてるのかなぁと」
「呼ばれたの」
あっさり告げる沙織。引き摺られながら見上げると、どことなくむっとした様子できつい眼差しを正面に据えていた。
沙織の真正面、視線の先には校門があって、更にその向こう、車道をはさんだ向かいにはひとつの大きなお屋敷がある。
ひきっ、と顔が引きつるのが自分でも判った。
半分朽ちかけているその洋館は、学校内でも有名、ご近所さんでもまた有名、そんな場所。
「……ぼーれーやしき……」
「声が聞こえたんだよ。いくぞ」
「聞かないで!? てかぼく拒否権なし!?」
「あたりまえだろ」
あ……あたりまえなんだそうなんだ。お母さん、妹は間違った方向にすすんでるみたいですよ。
「あ、あのね、さおちゃん。取引きいかが?」
ずるずるずる。
引き摺られながら聞いてみた。
「とりひき?」
「今日宿題に出た算数のプリント、ぼくが全部やるから、見逃して?」
「無理」
即答だ。残念。
……残念、じゃないよおっ! マジでいやなんだけどおっ!?
内心のぼくの悲鳴には一切構わない様子で、沙織はずるずるとぼくを引き摺っていった。
さてはてこの『亡霊屋敷』、なんで『亡霊屋敷』って名前になったのかは誰も知らない。過去にここで何かあったとか、そういううわさもあるけれど、本当かどうかは誰も知らない。
沙織は知ってるようなことを、前にちらっと洩らしてたけど。――もしかしたら、幽霊さんだか亡霊さんだかに聞いたのかもしれない。前にも何度か、沙織はここにぼくを連れてきている。
一番最近だと、あれだ。隣のクラスの俊平のお父さんが、交通事故で亡くなった時。
なんでなのかは知らないし、ぼくには何も見えないから判断のしようもないのだけど。沙織は亡霊屋敷の真ん中の、なんだかむやみやたらにでっかいリビングの中心に立って、天井に開いた穴から青い空をぐっと睨みあげていた。
それから何度かよく判らない言葉を呟いて――もしかしたら、誰かと会話してるのかもしれないけど、ぼくにはその誰かの姿も声も聞こえないから、判るはずもなくて――そうしたら、その洋館は真っ白い光に包まれる。
ビバ怪奇現象。
……全然ビバでもなんでもないけど……
沙織のこれがあるから、亡霊屋敷の評判がたえないんじゃないかと思うよ、実際。
まぁそんなわけで、いやいやながらもぼくは毎度毎度ここに連れてこられる。
だけど――どうしたんだろ、沙織。
いつもみたいにきつい眼差しだし、それは変わらないのだけど。なんだか唇をかんでいて、少しだけ辛そうに見えた。
亡霊屋敷の門には、もちろん鍵が掛かってあった。――昔は、ね。今は沙織が随分前にぶち壊したおかげで、何もついちゃいないんだけど。我が妹ながら、けっこう無茶苦茶。お父さん、なんとかしてね。さおちゃんを……
鍵の掛かってない門を抜けて、沙織はすたすたと歩いていく。その足取りには不安もためらいも何もない。ぼくも覚悟を決めて、沙織の後を追っていった。
大きな扉を無理やり開けると、ふわっと中の空気が流れ出てきた。なま暖かい空気にぼくは顔をしかめる。沙織は僅かに肩を震わせて、ため息をついた。
「沙織?」
「なんだよ」
「なんか今日、変じゃない? どうしたんだよ」
「……敬太、へんなとこ勘いいな」
隠そうともせず、またため息。やっぱり変だ。
同じ身長の沙織の頭を軽く小突いてみた。
「そりゃま、判るけど。どうしたのさ」
「敬太」
ぼくの名前をまた呟いて、沙織はふっとこっちをふり返って来た。
同じ顔が、間近にある。少しだけ視線が揺れている。
「怪我、ヘイキ?」
「……? う、うん」
曖昧に頷いてみせると、沙織は顔をくしゃりとゆがめた。
「さお?」
「だったら、帰れよ」
…………
「はぁ!?」
あまりに脈絡のない台詞に、ぼくは思わず素っ頓狂な声をあげていた。
その声に反応もせず、沙織はうつむいてスカートをにぎっている。白い手が、小さく震えていた。顔は落ちてきた髪に隠されて見えなくて、ぼくはそんな様子の沙織を見たのは初めてで。
「どーしたんだよ、沙織。顔、上げろよ。何があった?」
肩を掴んで揺さぶってみた。揺さぶられるだけで、沙織は顔を上げない。
「さお!」
「今から帰ればまだ間に合うから!」
叩きつけるように叫ばれて、ぼくは思わず息を呑みこんだ。
「さお……り?」
「まだ間に合うから! いつまでも幽体離脱なんてしてんじゃねえよ馬鹿やろう!」
そう叫んだ沙織の頬には、ひとつぶ、ふたつぶ、次から次へ、涙がぽろぽろ落ちてきていた。
何かに頭を強打されたみたいで、ぼくは沙織の顔をじっと見つめることしか、出来なかった。
沙織の言葉が、がんがんと頭の中でこだましていた。
ゆうたいりだつ。
――幽体離脱?
床板のまくれあがった、洋館の中に沙織の声がずっと響いているような錯覚。
蜘蛛の巣が、天井の穴から降り注ぐ秋の太陽光にきらりと輝いて見えた。
「わかんねえのかよ馬鹿! 何でお前怪我したか、覚えてないのかよ!」
泣きながら。
いつも気の強い沙織が泣きながら、そう叫んでくる。
叫んだと思った瞬間、ぼくにしがみついてきた。
かたかたと、細い体を震わせてる。
「おにいちゃ……」
沙織が、ぼくのことを『敬太』じゃなくて『お兄ちゃん』なんて呼ぶなんて、もう何年もなかったことだった。
ぼくは、ますます混乱していた。
判らない。何がなんだか、判らないよ。
何故、怪我した?
そんなの――
そのとき、ふっとぼくの中で何かのパーツが全て組み合わさった音がした。
「ごめん、沙織」
ぼくがそう呟くと、沙織の体がまたびくんっと震えた。涙に濡れた目で、ぼくを見てくる。
ぼくは小さく苦笑を浮かべた。
「ぼく、病院から抜け出してきたみたいだね」
「……そーだよこの馬鹿! とっとと戻れ!」
交通事故にあったのは、三日前。
学校帰り、そう、さっき渡ってきたあの車道でぼくは車にはねとばされた。
そうか。だから、怪我してたんだ。
ぼくの『体』はまだ、病院なんだ。意識だけ、学校に通ってた。
早く、帰らなきゃ。
そう、沙織の言う通り、いつまでもこんな状態じゃだめだ。そんなことは判っている。
だけど。
それがもう間に合わないってことも、ぼくは『知って』いる。
たぶん――沙織も。
「無理だよ、さお」
「無理じゃない!」
即答で、否定する。判ってるから、たぶん、沙織は判ってるからこうするんだ。
「だって、判ったんだ。沙織」
ぼくがもっと小さいころ、沙織がもっと小さいころ――そうしたように。ぼくは沙織の頭をくしゃりとなでた。
沙織の顔が、ティッシュを握りつぶしたみたいにくしゃくしゃになる。
「ここは亡霊屋敷なんかじゃないんだろ? 導きの場所――っていったら、いいのかな」
ぼくの言葉に、沙織は答えてこなかった。
ただ、ずっと小さい子みたいに泣きじゃくっている。
「さお」
「そーだよっ」
半分泣きながら、怒ったみたいに答えてくる。
「この亡霊屋敷は、亡霊屋敷じゃない。亡霊にならないように、浄化するための屋敷。そうすることができる場所なんだ。ずっとふらふらして、死んだってこと判らない奴は亡霊になっちゃうから、だから屋敷が呼ぶんだ。ここなら道が見つかりやすいからって!」
空に行くための道――だ。
天井に開いた穴を見上げる。真っ青な空は、高くて気持ちいい。
「だったらさ、沙織も気付いてるんだろ?」
ぼくの言葉に、何も言わずにただ沙織は強く首を左右に振った。
判ってるからこその、行動だ。
双子の兄に、ごまかしが通ると思うんじゃないよ、沙織。
「呼んだんだろ、屋敷が。だったら――」
その言葉を言うのは、やっぱり少しだけ、勇気が要ったけれど。
ぼくはすうっと深呼吸して、告げた。
「ぼくは死んだってことだよね?」
今度は何も言わず、否定の動作もせず、沙織はその場にしゃがみ込んだ。
暗い洋館。ほこりが舞う洋館。
だけど、天から降り注ぐ一筋の光が、その場を明るく照らしている。
しゃがみ込んだ沙織の肩を、軽く抱いて、ぼくは沙織に笑いかけた。
「ありがとう、沙織」
「やだ。やだやだやだっ」
「やだじゃないよ。わがまま言うな」
沙織の頬の雫を拭ってやると、沙織はぼくの顔を見上げてきた。
なのに――ああ、どうしようか。沙織の顔はもう、霞んできてしまう。
早く伝えよう。
「亡霊にならなくてよかったよ。そっちのほうが、辛すぎるだろ?」
「いやだ! 亡霊でもなんでも敬太がいたほうがいい!」
「わがまま言うんじゃないよ、さおちゃん」
苦笑して、沙織の手を握ろうとした。
だけど、もう手も握れなくて、すっと通ってしまう。
「ねえ、さお」
光がぼくの視界を染め変えていく。
「ぼく、さおの兄貴で嬉しかったな。さおがこうして、ぼくをちゃんと導きの場所へつれてきてくれて、ほんとうに嬉しいよ」
たぶん沙織にとっては、すごく、きっとすごく辛い決断だったんだろうけど。
だけど、これを選んでくれた沙織の強さに、ぼくは誇りをもてるんだ。
自慢したい気分。
天国に行ったら、胸をはって自慢できる。
ぼくの妹は強いんだぞ。って。ぼくの妹はすごく優しくて強いんだぞ。って。
「あたしも」
沙織が泣きながら、それでも笑ってきた。
「敬太の妹でよかった。ずっと妹だ」
その言葉が、とても嬉しくて。
天から降る光にぼくは安心して身を預けられた。
導きの光が降って来る。
沙織の優しい微笑が、白い光に溶けていく。
ねえ、神さま。
最期のわがまま、いいですか?
――世界で一番大切な、世界で一番大好きな、気が強くて優しくて、ぼくそっくりの妹が。
沙織が。
ずっと微笑んでいてくれますように。
――Fin.
お題バトル参戦作品。
テーマは「亡霊」、
お題は「学校」「プリント」「洋館」「幽体離脱」「なま暖かい」「過去」「声」「微笑(微笑み)」「見えざるもの」「導き」中四つ以上使用必須で、全部使用。制限時間二時間。