幸せは、舞い散る花びら
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『敦へ。

 急にこんな手紙を渡してごめん。でもそろそろ本気で時間がない事を感じているから、どうしても残しておくべきだと思ったんだ。この手紙、絶対誰にも見せないでくれ。読んだ後燃やしてくれることを希望しとく。
『幸呼びの指輪』はやっぱりどうも本物みたいだな。これが敦に渡らなくてほっとしてるよ。ジャンケンで俺が勝って良かった。
 調べたことのほかに判ったことがいくつかある。ずっと内緒にしてたけど、まぁたぶんお前なら気づいてるんだろうな。
 この指輪は『身につけたものの周囲』に幸せを呼ぶのは本当のようだ。実際、妹も両親も最近いろいろ調子がいいらしい。敦はどんな感じ? 調子がいいなら俺的には嬉しいんだけど。
 ただし、副作用有り。『身につけたもの本人』は逆に幸せを奪われるみたいだ。実際俺が最近激烈についてない状態なのは敦も知っての通りだし。ずっとごまかしててごめん。まぁ、実際それが本当に指輪のせいなのかどうかは実証できないんだけどさ。でもたぶん、これが事実。
 最近、ついてないのも相当なレベルに達しかけている。この間俺腕折っただろ? それでやばいかもなって思ったら、今日は危うく頭上から降ってきた植木鉢に潰されかけるし。後一歩ずれてたら死んでたね、あれは。それで、本気でやばいなと思ったんだ。たぶん、長くつけていることは出来ないと思う。
 俺はたぶん、近いうちに死ぬよ。
 もしそうなったとき、この指輪を捨てて欲しいんだ。
 一度つけたら、外したところで効果は変わらないらしい。たぶん『所有者』とみなされるんだろうな、指輪に。所有者でいる以上効力に変化はないらしい。ただ、たぶん……ここから先は推測だけど、俺が死んだらさすがに所有者という状態はなくなるはずだ。そうなったら、指輪を捨てて欲しい。誰にも見つからないように。もう二度と見つからないように。土に埋めてでもいいしコンクリで固めて海に沈めてもいいし方法は任せるけどさ。
 指輪が次の所有者を見つけないように。頼む。
 後、もうひとつ。
 もし、俺が死んだ後妹とか親とかが疑問を敦にぶつけたとしても、絶対言わないで欲しい。
 たぶんこれは、面白半分で指輪をつけた俺たちの罪みたいなもんだからさ。
 
 俺が死んだとしても、だから、怒らないでくれな。

 西岡正樹』


 先輩のジャケットの内側に入っていた手紙を握り締めて、あたしは声もなく泣いた。
 レッド・ツェッペリンの天国への階段が、頭の中に響き渡る。
 どうか貴婦人よ、階段を買うのはやめてくれませんか。
 お兄ちゃんが、天国へいけなくなってしまうから。

 †

 月光に浮かび上がる桜は怖いくらい艶やかで、気味が悪いほど綺麗だった。
 夜の中庭はまるで何かにとりつかれたかのように昼間とは色を変え、とてもじゃないけれどいつも見ている場所と同じとは思えなかった。
 夜の学校に外灯なんて物はなく、ただ円い月が降り注ぐ無機質な光だけが、白く紅く花びらを浮き上がらせている。木に咲いたままの桜を。そして、地面に散った無残な花びらを。
 春とはいえまだ夜風は寒い。スプリング・コートの襟元を手繰り寄せ、細く息を吐いた。月明かりに浮かび上がる花びらを、そっと靴の裏で踏みつける。音もなく花びらはよれて型を無くす。何度も踏みつけた。同じ場所を。違う花を。月明かりに晒すほどの姿さえ、なくなってしまえばいい。汚く爛れて誰にも見向きむされないような姿になってしまえばいい。ただ静かに花びらを踏みつける。月光は普段感じるよりずっと明るく、あたしの影を伸ばしている。外灯のない場所の月明かりは、これほどまでに明るいんだとあたしは初めて知った。
 影のフレアスカートが、春の夜風に踊る。月光が照らし出す桜の花びらを、あたしの影が幾度も踏む。
「楽しい?」
 笑みを含んだ声が背中にかけられて、あたしはそっと足を止めた。
 振り返ると、月光の中で穏やかな笑みが浮かんでいる。
 ――戸部敦先輩。
「楽しくないです、別に」
「じゃあ何してたの?」
「つまらないことしてたんです」
 先輩はただ小さく笑うだけだった。長袖シャツと半袖シャツを重ね着したTee on teeのスタイルに、色褪せたストレートジーンズ。寒くないんだろうかと一瞬思って、すぐにそれならそれでいいと思った。寒い思いくらいすればいい。先輩は月を一瞬だけ見上げると、視線をすぐにあたしに据えてきた。ゆっくりと歩を進めてあたしに近付いてくる。あたしの影の胸元あたりを踏んで、先輩は足を止めた。
「見た?」
 静かな口調。それが問いかけでも何でもなくて確認だということにあたしは気付いていた。あの手紙のことだ。
「――やっぱり、あたしに見せるためにジャケットを貸してくれたんですね」
「じゃなきゃなんだと思った? ただの親切だとでも?」
「……思いません」
 噛み締めた奥歯の間から漏らすように答えると、先輩はくつくつと低い笑い声を上げた。一歩、もう一歩とあたしに近付いてくる。ほんの少し恐怖を感じて、後ずさりしそうになって――けれど、靴の裏に力をこめて踏みとどまった。先輩の手が伸びてきて、一瞬心臓が痛んだ。けど先輩の手は無造作にあたしの頭を撫でるだけだった。やわらかく、そっと。くしゃりと頭をかき回されて、あたしは俯くことを必死で堪えて先輩を見上げるしか出来ない。
「風邪、ひいてない?」
「……平気です」
「そう。良かった」
 ぽんぽん、とまるで小さい子にするみたいに先輩は二度あたしの頭を叩いて、手をどかした。
「せんぱい」
「泣いてただろ?」
 あたしの声をさえぎって、先輩は小さく言葉をかけてくる。あたしに背を向けて、あのペンキが剥がれかけたベンチへと足を進めながら、背中で言葉をかけてくる。
「泣いてただろ、真衣。正樹が死んだとき」
 ――知って、いるんだ。きっとあの葬式の日に、先輩も来ていたんだろう。あたしは、泣きつかれていた記憶しか、ないけれど。
「……」
「正樹を殺したのがお前だってのに、お前はそれを知らないで泣いていた」
 先輩はそう言って、ベンチに腰を下ろした。その仕草がなんだかとても疲れているように見えた。月光をすくい上げるように手で椀の形をつくって、静かに指を見つめている。その指にはもう、銀の指輪ははまっていない――指輪は、あたしの指にある。夜風が嘲笑うように桜の花を舞い散らした。
「殺したいって思ったよ。何も知らないお前をね」
 桜吹雪をうざったそうに払いのけて、先輩はこちらに微笑みを向けてくる。その視線をうけて、あたしはただ立ち尽くすしか出来なかった。月光を受けた先輩の笑みは、それこそ夜桜と同じように綺麗で禍々しくて、気味が悪い。
「あたしが」
 震える音が唇から漏れた。自分の声が震えているのが気に食わなくて、胸の奥で息を固めた。せめて、どうか、少しでも。音が震えずに先輩に届くように。
「あたしがお兄ちゃんを殺したって、どういうことですか」
 先輩は一瞬目を丸くして、それから困ったような苦笑を向けてきた。
「何だ。判ってなかったのか。馬鹿だな、真衣は」
「先輩ほどじゃないです」
 言い返すと、先輩の笑みが濃くなった。あの、人畜無害な邪気のない幼い笑み。
「おいで」
 手招きをされて、あたしは――あたしの足は、あたしの意思とはほとんど無関係に動いていた。吸い寄せられるみたいに先輩に近付いていて、ベンチに座ってこちらを見上げてくるブラウンの瞳を正面から見返していた。夜気の冷たさに、僅かに指が震えていた。
「正樹がいた頃は、幸せだったろ?」
 先輩はあたしの手をそっと握ってきた。あたしは抵抗することもなく、ただそのブラウンの瞳を見返していた。
「幸呼びの指輪はね。所有者の周りに幸せを呼ぶ。逆に言えば、所有者の周りの不幸を代わりに担うんだ。たとえば、交通事故にあいかけた妹がいたとして、その事故を肩代わりする、とかね」
「……」
「覚えてない?」
 強く手を握られて、痛みが走った。ブラウンの瞳が静かに狂うような色に変わり始めるのを、あたしは静かに見据えていた。
 ――覚えて――いた。
 ううん、正確には思い出した。今までは忘れていた。
 モノクロームだった記憶の断片が、急に色と質量を伴って頭の中に再生され始める。怖いほど、リアルに。
 お兄ちゃんと二人で歩道を歩いていた。あのショッピングモール脇の桜並木だ。新学期のための準備を済ませて、あたしはとても嬉しくてはしゃいでいた。けれどそこに、横から自動車が突っ込んできた。何の前触れもなく、あたしに向かってきた。悲鳴を上げる暇もなく自動車はあたしを跳ね飛ばそうとした――その瞬間、急にハンドルを切ったのか、あたしとは少し離れた場所にいたはずのお兄ちゃんを跳ね飛ばした。一瞬の出来事だった。
 それから。それから。それから――
「立ちなよ」
 先輩の静かな声とともに、腕が引っ張り上げられた。気付くとあたしは先輩の前でしゃがみ込んでいた。ブラウンの瞳が嘲るみたいに笑っている。
 ベンチから立ち上がっていた先輩にひかれて、あたしはふらつきながらも立ち上がった。けれど足に力は入らなかった。
「正樹を殺したのは、誰だったか。判るよね?」
「でも、それは……」
「そう。正確にはこの指輪のせいだね」
 先輩はそう言って、掴んでいたあたしの手を持ち上げた。月光に弱く反射する銀の指輪を見て、それからそっと指輪に唇を寄せてきた。指輪ごと、あたしの指に軽い口付けを二度、三度と降らす。そしてあたしの指は、先輩の口の中にすわれていく。先輩の舌があたしの指をなぞる感触が確かに伝わってきて、背筋が震えた。指輪と指の隙間を、先輩の舌先が這うのを、確かに感じた。
「せんぱ」
「――これのせい、だね」
 思わず上ずった声をあげたあたしに、先輩は悪戯めいた笑みを作って呟いてきた。あたしの指を口からはなすと、もう一度軽い口付けを降らしてきた。先輩の唾液で濡れたあたしの指は、月光に照らされて僅かに光を反射した。夜風が濡れた指を曝け出すように吹いて、頬が朱に染まるのをあたしは自覚した。唇を引き結んで、先輩を睨み上げる。
「あたし、先輩のことが嫌いです」
「ああ、俺もだよ。真衣のことが嫌いだね。殺したいくらいに」
 だったら何で、こんな事をするんですか。
 呟きを言葉にしなかったのは、答えを何となく理解していたからだ。先輩はきっと、あたしが嫌がるから、それを知っているからこんな事をするんだ。きっと。
「指輪の所有者は正樹だった。今は、俺」
「どうして、捨てなかったんですか」
「さあ、何でだろうね。俺にも判らない」
 先輩は楽しそうに笑って、あたしの指にはめられた指輪を手でなぞっていた。薄ピンクの桜の花びらが一枚、降るように落ちて来て指に止まった。唾液のせいで、指に張り付く。
「捨てるという選択肢も確かにあった――むしろ正樹はそれを望んでいたからね。けど俺はそうしなかった。正樹を殺したはずの指輪を正樹から受け継いで、所有者になったよ」
「その指輪の所有者は……いつか死ぬん、ですか」
「正樹しか実例を知らないからはっきりとは言えないけど、たぶんそうだね」
「だったら」
 あたしの声に、先輩は優しい瞳を向けてきた。その穏やかなブラウンの瞳を見つめて、あたしは訊いた。
「お兄ちゃんが先輩を殺したんですか?」
 風が桜の花びらを吹き付けた。
 月光の中で、先輩が静かに微笑む。
「そうなるかもね」
 吐き気が――する。
 先輩のブラウンの瞳が、月光に照らされて笑っている。その瞳を睨み返して、けれど体は言う事を聞いてくれなくてふらついた。桜の樹に、背中がもたれかかる。その衝撃で、花びらがまた雪のように降ってくる。
「その指輪をどうするかは、真衣に任せるよ」
 先輩のその言葉は、深く考えるまでもなく遺言だった。お兄ちゃんの手紙と同じ。
 先輩はきっと、感じているのだろう。自分がもう長くないことを。ひと一個人が人生の中で得られる幸せの量に限りがあるのかどうかは知らないけれど、そうだと仮定して、周りに幸せを与えすぎたんだろう。自分の幸せの代わりに。生きていることが何よりも幸せだとするなら、その最後の幸せでさえ底がつきかけているのだろう。最後に待っているのは、死で。
 あたしたちはきっと、いつもそうだったんだ。あたしも。
 幸せの対価なんて考えない。幸せの裏にあるものなんて、考えようともしない。誰も、幸せに理由なんて求めない。
 桜が美しいのは散りゆくものだからだと、何かの本で読んだことがある。それが美しさの対価だとしたら、確実に幸せにだって対価はあるはずなのだ。あたしは、あたしたちはそれを、一切考えずに過ごしているだけで――
 幸呼びの子供。幸呼びの能力は時代を超えて、指輪になって。嘲笑うかのように、あたしたちに、あたしに、対価を見せ付けてきている。
 先輩の手が、あたしの首に伸びてくる。それがどういう意味かを理解する間もなく、首を締め付けられた。
 先輩の指が喉に食い込む。関節が膨れ上がった、そのくせ全体は細くてしなやかな指が。ひやりと冷たい指先が。喉に食い込んで、空気をしぼりだす。痛みを残す。揺らぎ始めた視界の中で、けれど月光に照らされた先輩のブラウンの瞳からは視線を逸らさなかった。逸らしたくなんてなかった。桜の薄ピンクの色が視界から抜け落ちても、ブラウンの瞳だけにすがりついた。指先が痺れて、肺の息がなくなって、意識が朦朧としかけても――その瞳にだけすがりついた。
 ふいに指の力が一瞬緩んだ。肺に急激に空気がなだれ込んできて悲鳴のような咳が込み上げて来る。だけど先輩はあたしのその姿を確認したあとでも手を離さなかった。
 ただ、耳に濡れた感触を覚えた。
 さっきの指と同じだった。耳の形にそって這うように、先輩の舌が動くのが判った。背筋が震えて、怖いほどだった。喉の痛みと終わらない咳と、内耳で転がる舌の感触が同時にあたしを包み込んでいた。水濡れた音が内耳にこだまするのが怖かった。ブラウンの瞳が見えなくなって、月明かりだけが目を焼いた。
「怖いんだろう?」
 ふいに低い声が耳元でした。その瞬間首にかけられていた手が外されて、あたしは支えを失って崩れ落ちた。地面が冷たかった。何度も何度も漏れでてくる咳は肺が上げる悲鳴みたいなもので、揺らいだ視界の中で必死にブラウンの瞳を探した。
 すぐに見つかったそれは、泣きだしそうな歪みと、嘲笑う歪みをひとつに携えていた。
 先輩。何でそんな目をしているんですか。
「――怖いんだろう、真衣。俺のことが」
 咳き込んでいて、あたしはとても答えられなかった。だからただ、先輩の瞳を睨み上げた。
 先輩はしゃがみ込んで、あたしの肩に手をかける。覗き込んでくるブラウンの瞳に、あたしはすがりつくように睨み返した。
「だったら何で……目を逸らさない? 何で俺のことを見てくるんだ?」
 息がかかるほど近い場所にある先輩の目。ブラウンの、瞳。
「だって」
 咳き込みながら、擦れた声であたしは訴えた。
「だって。目を逸らしたら先輩の顔、見れないじゃないですか」
 月明かりの中で、桜の花びらが待っている。先輩のブラウンの瞳の中に、その光景が映っていた。
「あたし、先輩が嫌いです。大嫌いです。だから、目に焼き付けなきゃいけないんです。先輩のことが嫌いだから。大嫌いだから。あたし馬鹿だから、目に焼き付けておかないと先輩の顔を忘れちゃうから。目を逸らしたら、先輩の顔が見れなくなるから、そうしたら、忘れちゃうじゃないですか。忘れちゃいけないんです。先輩のこと嫌いだから。頭の中で先輩のことをぐちゃぐちゃにしなきゃいけないから、目を逸らしちゃいけないんです。逸らせないんです」
 頭の中で、先輩を傷つけるために。
 あたしは彼から目を逸らすことは出来ない。
 先輩の目がまた奇妙に笑みを浮かべた。それは人畜無害な、あの笑み。
「西岡」
 真衣じゃなくて、西岡と――ただの先輩と後輩のように、彼はあたしをそう呼んだ。
「幸せのない世界で、ひとりきりで生き続ける事がどんなことか、判る?」
「……判りません」
「俺には少なくとも耐えられなかった。正樹がどうして耐えられたんだろうかと疑問に思うほどにね。理由があるとしたら、西岡、お前だったのかもしれないね」
 お兄ちゃん。
 自分でも良く判らない感情が、内部から湧きあがってきて涙になりそうだった。あたしはそれを必死で堪えながら、ただ静かに先輩を見つめつづけていた。
「真衣」
 今度は真衣と、あたしを名前で呼んできた。先輩は地面に落ちていたあたしの手を持ち上げて、指にまた軽い口付けを落としてきた。
「お前を殺したい」
「好きにすればいいです」
 静かな微笑みと同時に呟かれた言葉に、あたしは感情を動かされることもなく答えた。
 先輩は微笑んで、それから同じ口調で続けてきた。
「お前を抱きたい」
「……好きにすればいいです」
 先輩の腕が背中に回されて、抱きしめられるのが判った。硬い腕だった。
 春の夜風が桜を舞い散らせる。月明かりの中で、あたしは先輩の腕に抱きすくめられていた。それがどれくらいの時間だったのかは、判らなかったけれど。

「真衣!」

 ふいに聞き慣れたハスキー・トーンの女の子の声が耳に届いた。
 知らずに閉じていたまぶたを持ち上げても、そこにはもう先輩の姿はなかった。ただ、風に吹き付けられて踊っている桜の花びらだけが目に入った。
「真衣!」
 後ろから肩を捕まれて、振り返る。
「……薫」
「何やってんだお前、こんな夜中に……」
 長袖シャツとジーンズ。綺麗に切られたショート・ヘア。ボーイッシュなあっさりとした顔立ちが、今は困惑に彩られていた。見慣れた薫の顔が、一瞬前までの異様な空気の中庭を、いつもの中庭へと変えていた。
「薫……なんで」
「おまえんち行ったら、真衣が行方不明だって言われて……探してたんだよ」
「かおる……何で、あたしを探してたの」
「それは」
 薫が一瞬言いよどんで――それが合図にでもなったかのようだった。
 今まで張り詰めていた何かが切れたように、あたしの目からぼろぼろと涙がこぼれてきた。
「真衣。……なぁ。落ち着いて聞けよ」
 あたしの肩を掴んで、薫が静かに言う。薫が何を言い出すのか、あたしにはもう判っていた。
 幸せのない世界で生きていくことには耐えられなくなったと先輩は言った。
 この指輪をどうするかはあたしに任せると先輩は言った。
 あたしを殺したいと先輩は言った。
 あたしは好きにすればいいと言った。
 お兄ちゃんが先輩を殺したのだとしたら――あたしは先輩に、殺されたのだ。
 座敷わらしの後継者。
 幸せのない生、その運命の輪に組み込まれたのだ。
 指輪の所有者はもう、先輩じゃない。

「戸部先輩が、亡くなったらしいんだ」

 ――指輪の所有者はもう、あたしなんだから。

 もう聞こえない先輩の声が、耳の奥で繰り返されていた。
 あたしを抱きしめて、呟かれた言葉。


幸せは、舞い散る花びら
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