第六章『大脱出!』


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「キィッ!」
 ぼくらは口々にキィの名前を叫んで駆け寄った。キィは困ったような、それでいて緩やかな優しげにも見える顔をしていた。
「キィ……なんでここに? 正解って、どういうこと?」
『種子』自体が〈マザー〉そのものだということが、正解。だから、わたしはここにいる。存在自体の場所を移したから
「……?」
 キィの言っている言葉はやっぱり少しはっきりしない。だけど、聞くのは後回しだ。
「とにかく、キィ、一緒に行こう。どっちかがどうにかなるのなんて、嫌だ」
 キィの白い手を握って見上げたら、キィはすごく複雑そうな顔をした。泣きそうな、笑いそうな、困っているような――そんな顔。
「キィ!」
了承した
 もどかしくて声を大きくしたら、キィは困ったその顔のままで頷いた。
「ひろと、手伝え!」
 唐突に呼ばれて、慌てて顔を向ける。こーすけが柱に手をついて、ぼくを見ていた。
「何!」
「壊すで! ここ、スイッチっぽいのあんねん。ガラスは無理でもこれ壊したら何とかなりそうや!」
「判った!」
 ぼくは頷いて、キィから手を離した。キィの白い瞳を見上げて、言う。
「――約束だからね」
 キィはまたあいまいに頷いた。ぼくは久野とたけるにキィを任せて、こーすけの元へローラー・ブレードを走らせる。
 こーすけの手元に、青いボタンみたいのがあった。押してもうんともすんともいわないらしいけれど、だったらぶっ壊せ。ぼくがそう告げると、こーすけがまた、にやっと笑う。
 たけるが背負っていた手提げかばんからたけるの筆箱を借りて、こーすけがそれをカナヅチみたいに使った。だけど他に何とかできそうなものがない。
 何かないか――と頭をかこうとして、手がヘルメットにあたる。それで気がついた。これだ。
 ヘルメットを外して、あごのパット部分を両手でにぎった。
「こーすけ、どけ!」
 ぼくの声にこーすけが場所を空けた。ぼくは思いっきり息を吸い込んでヘルメットを振り上げて――
 それを力いっぱい叩きつけた!
 ガンッ!
 鈍い音と同時に、電車の扉がひらくときみたいなぷしゅう、という音が聞こえた。
 一瞬に満たないくらいの、少しのあいだ時間が止まって――
 それから、洪水が起きた。

 どろっとした水、水、水。
 水はぼくらとぼくらがあげかけた悲鳴をいっしょに飲み込んで溢れかえった。あの柱がぶっ壊れて、中に入っていた水が溢れ出したんだ。
 巣潜り競争したときを思い出した。あの時とはいくらなんでも状況が違いすぎるけれど。
 肺に残った少しだけの空気を頼りに、ぼくは水の中で目をあけた。水圧で目が痛いけれど、今はそんなことに負けてる場合じゃない。
 ふわ……と目の前を黒い何かが横切った。
 慌てて手を伸ばす。
 ――久野だ!
 目をきつく閉じて、必死に水を手で掻いている。メガネはどこかに飛ばされたみたいだ。
 水流に流されながら、何とか久野の細い腕を掴んだ。同時にまた、目の前を何かが横切る。
 それにも反射的に手を伸ばした。息が苦しい。そろそろ、やばい。顔を上げて、呼吸をしなきゃ。
 目の前を横切ったそれを、久野を掴んでいる手とは逆の手で掴んだ。一瞬指先が滑ったけれど、何とか持ちこたえる。
 限界だ!
 ぼくは両手で久野と何かを掴んだまま、重い足で水を蹴った。ローラー・ブレードが重いんだ。砂糖水みたいなどろどろした水が、足に絡みつく。
 それでも何とか、水面に顔を出した。
 久野も一緒に浮いてくる。
「――げほっ!」
 水の勢いはまだ止まっていない。流されながら、それでも必死に呼吸をした。ああ、酸素って美味しいんだ。新発見。
 久野も隣で水と咳を吐き出しながら、呼吸をしていた。だけどすぐにおぼれかけるから、慌てて引き寄せた。久野の手が、ぼくの首にまわる。
 ……う。いや、そんな場合じゃ、ないんだけど。判ってるん、だけど。ちょっとだけ、どきっとする。
 顔にはりついた水を振り払いながら、視線を動かした。
 こーすけは――たけるは――キィは――?
 心臓がドキドキと速打ちする。だけどすぐに、見つかった。そんなに離れていない。三メートルちょっと先に、二つの黒い頭が浮かんでいる。
「こーすけ! たける!」
「ああ、こっちは無事や! そっちも大丈夫やな!」
 たけるをほとんど担ぐようにしながら泳いでいたこーすけが怒鳴ってきた。ぼくは頷いて、その時になって持っていたものが何かに気付く。
 銀色の、カプセルみたいなもの。大きさはちょうどガチャポンくらい。この〈船〉に触ったときみたいに、何となくあたたかいような不思議な感触がする。
『種子』だ。
「こーすけ! 『種子』もある! 大丈夫!」
「キィは!」
映像は一時的に消去した。問題はない
 ふいにすぐそばで声がした。首から下げている鍵からか、それとも手の中にある『種子』=〈マザー〉からかは判らないけれど、大丈夫そうだ。
「キィも無事! 逃げよう!」
 ぼくの首にしがみ付いていた久野が、ひとしきり咳き込んだあとふっと天井を見上げた。
「ひろと……」
「何?」
「揺れてる」
 その言葉を聞いてから、ようやくぼくは気がついた。〈船〉が地震にでもあったみたいに、ガタガタと揺れている。
――〈マザー〉に重大な損傷。〈船〉は急降下中
 キィの言葉とともに、どこかでかこんと小さな音がした。
 水が、ぼくらを取り囲んでいたどろどろの水が、急になくなっていく。
 ぼくはふとお風呂を思い出した。――お湯につかったまま、風呂場の栓をぬいたときによく似ている。
羊水を排出中だ
 キィの声は、落ち着いていたけれど――ぼくらの落ち着きを取っ払う要素になりかねなかった。
 またパニくりそうな心を何とか押さえつけているうちに、水は全部なくなった。足ががくがくいったまま座り込んでいたぼくらは、それでも何とか立ち上がった。ポケットに『種子』を捻じ込む。
〈船〉は揺れている。なんだか少し、気持ちが悪い。壁に手をついて、水でびしょびしょのまま、なんとか階段をよじのぼって白い部屋へと転がり出る。
 まだ揺れている。どんな原理だかは知らないけれど、ジェットコースターに乗るときのような、胃を置いていかれるあの感覚はほとんどない。全くないわけじゃないけれど。
 久野が床に四つんばいになったまま窓に近付いた。そして、叫んだ。
「落ちてる! すっごい普通に落ちてる!」
「判ってるよ!」
 ぼくは久野に叫び返した。窓のそばでしゃがみ込んだ久野によっていく。さすがに、ブレードで走ることは出来なかった。
 ふと〈マザー〉……緑色の文字がある壁を見た。文字はめちゃくちゃ不規則に光ったり消えたりを繰り返して、ぼくらにはさっぱり理解できない言葉を繰り返している。壊れた……んだろうか。少しだけ怖くなったけれど、ぼくは胸元の鍵を握り締めた。こっちが――バックアップデータの鍵さえあれば、何とかなるはずだ。
 窓を覗き込む。いつのまにか夕焼けに外は染まっていた。赤い海がぐんぐん近付いてきていた。西小の校庭じゃないのは、〈船〉が移動したんだろう。
 そのとき――部屋の明かりが、消えた。
 何だ?
 よく判らず窓から視線を剥がして後ろを振り返った。
 同時だった。
■X○@▽∞;?
 全く判らない音――〈マザー〉の言葉と同時に、こーすけとたけるの悲鳴が上がる。
 そして、二人の足元がいきなり――

 ぱっくり、割れた。

「うわあああぁぁぁッ!?」
「こーすけ! たける!?」
 穴に吸い込まれるように、二人は落ちる。だけどこーすけの手が、船の床にひっかかった。
 落ちて――ない!
 ぼくと久野は慌てて穴に近付いた。
 あつい海風がぼくらを殴りつける。覗き込むと、こーすけが汗を流しながら、左手でたけるを抱えながら、右手で自分たちを支えていた。
「こーすけ!」
 ぼくは慌ててこーすけの手をつかんだ。久野もとなりから、一緒にこーすけの手を掴む。
「くっ……」
 たけるを抱えながら、こーすけはつらそうだ。たけるはたけるで、ほとんど泣き出しそうな顔で、必死にこーすけにしがみ付いている。
「今……あげる、から! 落ちんなよ!」
 怒鳴りつけるように叫んで、ぼくと久野は息を合わせてこーすけとたけるを引っ張りあげようとした。
 だけどその瞬間――

 ガツンッ……!

 殴りつけられたような衝撃と同時に、視界がぶれた。
 手が――すべる――!
 繋がっていたこーすけの手が、離れた。
「っ!」
 息を飲んで、もう一度引っつかもうとしたけれど、遅かった。
「亜矢子……頼むで!」
 風にのってこーすけの声が聞こえた。それと同時に、こーすけとたけるは赤く染まった海へと落ちていく。
 少しの間。それからすぐ、ばっしゃんと派手な音が響いた。
「……こーすけ!」
 心臓が握りつぶされそうな痛みが走ったけれど、それを無視してぼくは叫んだ。床の割れ目を両手で握って、下を覗き込む。
 海は急速に近付いていた。だけどやっぱり、高いのは高い。
 ぞっとしながら目を凝らすと、海面で手を大きく振っている人影を見つけた。かすかに、火がついたような大泣きも聞こえてくる。こーすけと、たけるだ。
 何とか、無事は無事みたいだ。
 ほっとして顔を上げて――だけどその『ほ』はすぐに打ち消された。
 目の前に広がっていたのは、宇宙船の中なんかじゃなくて、ただだだっ広い海の姿だった。夕やけに染まった、紅い海と紅い空が、目の前に広がっている。
 目が回りそうなほど、頭がくらくらする。
 海と空が交代交代で上下入れ替わる。
 ――なんで?
 ずるっと体が後ろに滑った。久野も一緒に滑り落ちてくる。ポケットから転がりかけた『種子』を慌ててひっつかんで、逆の手で壁を掴んだ。
 何が、何で、こんなことに?
 半分以上混乱しているぼくに、久野が叫んできた。
「船が半分に割れたあー!」
 ……目が回りそうなほどくらくらしているんじゃなくて、本当に半分回転していたわけだ。
 半分になった宇宙船のかけらに乗っかったまま、ぼくらはジェットコースター顔負け、フリーフォールなんてかなわないってな勢いでぐるぐる動きながら落ちていた。


 海がどんどん迫ってくる。
 防波堤も見えてきた。
 絶え間なく動いている船のかけらにしがみつきながら、ぼくはもう一度賭けをすることに決めた。
 このままここに乗っていたら、そのまま海へぼちゃんか、わるけりゃ防波堤へ頭からつっこむことになる。
 脱出、するしかない。
 ぼくにしがみ付きながら、久野がふるふる子犬みたいに首をふっている。泣きそうだ。
 ぼくはぎゅっとくちびるを噛んで立ち上がった。久野を支えるようにしながら、船の割れ目に近付いていく。
「久野、飛び降りるよ」
 舌をかまないように囁くので精一杯だった。久野はぼくの言葉に、目を見開いた。それから、やめてというように大きく首をふる。
 防波堤が迫ってくる。一緒にこのまま落ちたら、船のかけらで押しつぶされかねない。たとえ、海に落ちたとしても――だ。
「久野、信用して。こーすけのバスケの腕なみには、ぼくだってブレードに自信は持ってる」
 きゅっと強く久野の肩を抱いたら、久野は困ったような顔でぼくを見上げてきた。
 その間にも、防波堤は迫ってきている。時間はない。
「大丈夫だから」
 久野は答えなかった。だけど代わりに、ぼくの背中にまわした手に力をこめてきた。離れない。それが、答えだ。
 ――亜矢子、頼むで。
 こーすけはそう言った。これは、こーすけから受け取ったパスだ。
 いつもパスを送る側だったぼくが、逆にこーすけから受け取ったパスだ。
 ゴール決めなきゃ、意味がない。
 ぼくは強く久野の肩を抱いて――
 思いっきり、地面を蹴った!


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