第一話

 目覚めのわたしを迎えたのは、甘酸っぱい紅茶の香りだった。
 林檎というには酸っぱさが勝る。ラズベリーか何かだろうか。まだうすぼんやりとした明け方の空のような意識の中、そんなことを考える。
 ああ――なんだろう。頭がすごく痛い。
 ぐるぐる回る視界をなんとか固定させたくて瞬きを二度、三度。そうしてようやく、天井が見えてきた。……んー。なんかやけに和風、じゃないかな。
 わたし、どっか旅行とか来てたっけ……?
 そんなはずはないけどなぁ、と呻きながら身を起こす。部屋の空気は凛と冷たかった。今、何月だっけ。夏は終わったはずだけれど。冷たい息を吐くと同時に、きしっと体のあちこちが音を立てた。何これ。ひどい筋肉痛みたいだ。思わず顔を顰めながら起き上がって――そこでわたしは、息を呑んだ。
 違う。
 心臓がきゅうっとしまっていく。同時に、耳の奥でがんがんという低い音とぴーっと甲高い音が同時に鳴り出した。汗が、吹き出す。
 ――何、これ。
 畳にしかれた布団の上。わたしの手はその敷布団の上にあった。身を起こしたんだから、あたりまえだ。でも。
 その手の甲に、見覚えなんてなかった。
 だって、すごくごつごつしてる。骨ばった細い指は、男の子の手のように見えた。何、これ。わたし寝てる間に激烈にやせでもした?
 脳が答えを弾き出すより先に、身体が動いていた。足はなぜか力が入らない。ふわふわしていて、畳が雲にでも変わったみたいだ。ただ、腕の感触は変わらずあった。その腕を頼りに、ずるずると部屋を這う。ああなんか、昔聞いた怪談に出てくるお化けみたいだ。
 部屋は広い。なんかどっかの旅館みたいだ。もちろん、わたしんちであるわけがない。その部屋の隅に姿見があった。鏡面には布がかけられてあった。そういえば、昔おばあちゃんちにあった姿見もこんな風にしていた気がする。たしか、良くないものが映らないようにするためだとか言っていたっけ。
 かたかたと震える指先で、布に触れた。こくっ、と短く喉がなる。
 良くないものが映らないように。
 そのおまじないでかけられていた布を、わたしは一気に剥いだ。そして――
 わたしの喉は、今までにない悲鳴をあげた。

◇

 人間、本当に悲鳴を上げるときというのは、きゃーとか可愛らしく叫べない。わー、とも、あー、とも、ぎゃー、とも言えるような声というよりただの音を吐き出したわたしは、あわあわとそのまま後退った。鏡の中からは『良くないもの』がこちらを見据えていた。
 同時に、ぱたぱたと足音が外からした。半分以上泣きそうな顔で振り返ると同時に、すぱんっ、と小気味良い音を立てて襖が開かれた。
 ひとー! ひとですー! ひとがいましたああ!
 誰か全く知らないけれど、和服を来た女性が立っていた。手にはお盆を持っている。朱色の昔ながらの盆の上には、似つかわしくない陶器のティーカップ。あ、そうか。甘酸っぱい匂いの正体だ、たぶん。
 女性は目をいっぱいに見開いた後、慌てた様子でお盆を傍に置いた。駆け寄ってくる。
「潤さま!」
 ――うん?

◇

 さて。ちょっと状況を整理してみようと思う。
 目が覚めた。知らない部屋にいた。どう見ても鏡に映っていたのは男だった。潤さまと言われた。
 なるほど判らん。
 ……ああ、紅茶美味しいなぁ。
 ずびび、と紅茶をすすりながら半ば以上現実逃避に走るわたしの前で、先ほどの女性他数名の大人が何やら話し合っている。先ほどの女性は手伝いの人、とか名乗ってた。なにそれメイドってやつですか。
 ちなみに今この場に集まっているのは、世話係とかいう女性と、お医者さんと名乗る男性。あと……両親、らしい。
 誰のだ誰の。潤さまのです。ご名答。はははん。じゃあわたしは誰ですか。
 ……あー、だめだ。パニクりすぎて頭おかしいわ、今。
「とにかく、今はまだ目が覚めたばかりで体力も回復していません。少々混乱もしているようですし、今はもう少し休ませましょう」
 お医者様の一声。多少周りの方々はご不満もおありのようだったけど、ぶつくさ文句言いながら出ていった。ちょっとだけ、息を吐く。
「潤くん」
「は、はぃ?」
 ああ。声が裏返った。だけどお医者様はにっこりと笑ってくれた。
「君の部屋に戻りましょうか」
 お医者さんはそう言って、まだ足がふらふらで、生まれたての子鹿みたいになっているわたしを支えながらゆっくりと歩いてくれた。さっきまで寝かされていた部屋は一階の、空き部屋だったところ、らしい。なんか、皆が見れるようにってことで自室から移されたらしい。なんかそれ、赤ちゃんみたいだよなぁ。
 エベレスト登頂か、って言いたくなるくらいの体力を使いながら二階に上がる。二階は増築なのか何なのか、わりと洋風な造りだった。自室、と言われた部屋も、ちょっとほっとする程度にはふつーだった。下はだって、旅館みたいだったしなぁ。
 部屋のベッドに横になる。
「たくさんお水を飲むといい。お腹が空いて、何か食べれそうなら食べやすいものからね」
「あ、あの」
 恐る恐る声を上げる。その声がまぁ……どうあがいてもわたしの声じゃない。なんていうかイケメンボイス。自分の口からイケボとかまじもう気持ち悪い。
「ちょっとホントに意味が判らなくて……あの」
 助けてください。
 言葉に出来ない思いは顔に出たのか、お医者様はきゅっと眉を寄せた後、部屋の鍵を確認した。閉まっているのを見て、小さく、微笑む。
「何から話しますか?」
 ――お医者様は、安里武文さんというらしい。安里さんは見た目五十代くらいのおじさまだった。ふんわりした笑顔がすごく優しい。
 おろおろしているわたしの前で、安里さんはゆっくり――たぶん必要以上にゆっくり――語り出した。
『わたし』の名前は醍醐潤。十七歳の高校二年生。醍醐家の長男。ひと月ほど前、秋の半ばに交通事故にあったらしい。怪我自体はそれほどでもなく、脳に損傷とかもなかったはずなのに何故か意識が戻らなかった。病院と協議の結果、安里さんが住み込みでこの家にいるのを条件に、うちに帰ることを許された――とのこと。
 いやもうほんと……なにそれ、というか。
「覚えてますか?」
「うぇ。え……じ、事故とか、そういうのは……その」
 覚えも何もそんな事あった気がカケラもしないんです! ていうかわたし潤さま違う気がし……ます。きっと。
 言いたいことはいっぱいあって、でも何一つ理解出来ない状態で人に話せる気もしなくておろおろしてしまう。だって、だってだよ? もしホントウにわたしが潤さまだったとしたら、いまわたしとか考えてる時点で潤さまHENTAI説濃厚になってしまう。
 暫くうー、とか唸ってみたけど、仕方ない。だって何にも判らなきゃなんとも出来ない。わたしは開き直ることにした。
「わたし、潤さまじゃないです」
 ――なんだろうなぁ、この台詞。案の定安里さんはすごく穏やかな、稀に見る優しい顔で微笑んでいる。なまあたたかい。ツライ。
「あの。わたしも信じられません」
「そうですか」
「でも信じて……」
「……はぁ」
 全力で説得力のないことを告げながら、わたしはゆっくり話しだした。
 醍醐潤さまというおひとを知らないこと。そもそもわたしの人格が、女であること。それから――
「わたしは、大庭めぐっていうんです」
 なんかこのクソな状況なせいで、どこまでわたしはわたしを信じていいのか全部夢なのか判ったもんじゃないんだけど、とりあえず説明してみる。
 茂木高校普通科の二年一組在籍なこと。住所。生年月日。家族構成も。話し終わった後、すごく痛い沈黙がながれた。もうどうしようって動けないまま思い始めた頃、安里さんがゆっくり、息を吐いた。
「潤くん――いや、めぐさん、かな?」
「……あ。はい」
「僕は内科医であって、心理士とかでもなくてね。正直なところ、普通のおじさんとしてしか、今この状況を判断できません」
「はい……」
「だからちょっと、時間をくれませんか?」
 安心させるように、なんでもないみたいに軽く――安里さんは、笑った。
「僕も僕なりに調べてみます。それまでは、君と僕の秘密にしませんか?」
 味方だ――!
 この時のわたしの気持ちは、もう言葉でなんて言い表せられなかったと思う。完全迷子になって、どうしようもなくて、おろおろするだけだったところに味方だと信じることが出来る一言がきたときの感情。たぶん一番近いのは、となりのトトロで迷子になったメイちゃんのところにサツキがやってきて「バカメイ!」ってひしって抱きしめられたところ。あんな気分。わたし今メイちゃんだわ。
「よろしくおねがいしますっ!」
 あまりの感激に涙と鼻水を一緒に垂らしながら、わたしは全力で頭を下げた。

◇

 とはいえ、ちょっと秘密とかしばらく秘密とか、そんな呑気な話じゃぁなかった。何がってアレですよ。わたし潤さま知らんしさ。大変っていうのもアホなくらいに大変だった。そもそも両親の呼び方からして判んないし一人称すら不明だし性格とかホンット判んないし!
 母さんなのか母ちゃんなのかママなのかいっそお家柄的に母上なのか。散々迷った挙句にお母様とか呼んじゃって盛大に訝しがられたし。一人称は俺で大丈夫だったみたいだけど、時々わたしって言いかけて訂正しようとするせいで我とか言っちゃうし。ていうかトイレとか泣けるし。お風呂とか辛いし。見たくないし! (ピーッ)とか(ピーッ)とか(ピーッ)とか!!
 安里さんはずっと家にいるのかと思いきやそうでもなくて、実はほとんど家にいないし。まぁ、潤さまが目覚めたんだからずっと家にいる必要もないんだろうけどさ。
 盛大に心が折れはじめて、何故か部屋の中にあったキョロちゃんの目覚まし時計と会話しそうな心境になった頃、来客があった。
「大丈夫ですか?」
 慌てて部屋にきてくれた安里さんの暖かすぎる言葉に思わずうるっときてしまう。
「あんまだいじょぶくないですう」
「……あー。うん。潤くんの顔でそう言われても、その」
 ひでえや。
「えー、と。来てるのはゆい子さんのようです」
「ゆい子さん?」
「ええ。御影ゆい子さん……潤くんのフィアンセですね」
「フィッ」
 フィアンセ、だぁ……!? え、なにそれなにそれ。現代日本で現役男子高校生にあっていいものなのかそれ! この草食系男子華やかなる時代に!?
「御影ゆい子さん。同い年のはずです。帰してしまうのはちょっと……潤くんの立場的に不自然ですので、通しますね」
「ちょ、えええ。ま、待って待って。わっ……我はどうすれば!?」
「俺、ですかね」
「俺はどうしたらいいんだよ!?」
「ああ、そんなカンジですね」
 安里さんって意外と呑気だ。
「ただ潤くんはもっと冷静ですねぇ。普段無口です」
 呑気だ。
 心のそこから湧き上がるそこじゃない感をなんとか押しこめながら、静かに呻く。
「会えばいいんですね……」
「そういうことです」
 がんばって、と無責任に言われて意気消沈している間もなく、安里さんは部屋を去っていった。そしてややもしないうちに、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
 ああああああ、なんっにも準備出来てませんけどー!
「……はい」
 わたしって役者だ。
 静かに返事をしてみる。ここ数日で、潤さまはえらいクールさんらしいとなんとなく読めてきたからだ。
 まぁ、フィアンセさんに対する態度がどんなものかは知りませんけどね……。
 出来る限りのポーカーフェイスで少し待つと、そっと静かに扉が開かれた。
「潤さま?」
 穏やかな鈴のような声音とともに、小さな頭が覗く。さらり、と滑るように入ってきたのは和服姿の一人の女の子だった。
 ……め。
 めっちゃかわいい……!
 なんだこれお人形さん!? 頭ちっちゃっ、ほっそ! 和服かーわいい!
 頭の中で一人ではしゃいでしまう。だって本当に可愛かった! 前髪ぱっつんのまっすぐ伸びた長い黒髪。陶磁器のような白い肌。ちょこんとのったさくらんぼみたいな色の唇に、丸い目。小柄な体を包む濃紺の着物には鮮やかな色の花が咲いている。
「ご無沙汰しております。お身体、いかがですか?」
 あからさまにほっとしたように微笑みながら、女の子が首を傾げる。
「普通……かな」
 動揺をひた隠しにしながら呟いてみせる。こ、この子が御影ゆい子さん……。何なの潤さまリア充すぎじゃね?
「あ……ごめん。その辺の椅子、座って」
 立ちっぱなしだったゆい子さんに向かって言うと、彼女はなぜか少し驚いた顔をしてみせた。それからこく、と頷いて素直に座った。
 そして、沈黙。……ええと。い、居た堪れないんです、けど!
「今日は」
 ぽそり、とゆい子さんが口を開いた。
「え?」
「今日はおっしゃらないんですね。何しに来た、って」
「そんなこと言うの!?」
「え」
「え」
 ……しまった。あぶない。
 ハハハハ、と曖昧に笑ってみせる。もちろんゆい子さんの顔にはありありと驚愕が浮かんでいたけれど。
「いや……えと、今日は見舞いに来てくれた……んだろ?」
 取り繕って微笑んでみたのだけれど、ゆい子さんはぽかんとした顔でこっちを見てる。な、なんだろう。潤さまらしからぬカンジでしょうか……?
「お目覚めになられたと聞いて、ゆい子はすごく嬉しく思いました」
「あ……ありがとう……」
 なんかこの子ふつーじゃないなぁ。いや潤さまの置かれている環境そのものがどうあがいてもわたしの世界と違う臭いのは確かなんだけどさ。
「お元気になられましたら、またゆい子とお話してくださいね」
「え、は、はい」
 あわあわして頷くと、ゆい子さんは口に手を当てて小さく笑った。
「今日の潤さまは、少しいつもと違いますわね」
「そっ、そうかなー? ハハハ」
 必殺・笑って誤魔化せ。
 誤魔化せてる気があまりしないのが難点な技だけどね。ゆい子さんはまた軽く小首を傾げた後、そっと立ち上がった。
「では、失礼いたします」
「え、もう帰るんだ」
「え? あ……。お医者様が、あまり長居はしないようにとおっしゃっていましたし」
 安里さんだ。さり気なくありがたい。
「そ、そか。俺の体調が治ったら、またゆっくり来ればいいよ」
「……あ、はい」
 困ったように微笑んで、ゆい子さんが頭を下げる。その時、ふと耳の脇に目が止まった。艶やかな黒髪の間に隠れるようにして咲いた、小さな梅の花。
「あ、それ可愛い」
「え?」
「それ。ヘアピン? 気付かなかった」
 ちょちょん、と自分の耳の脇を示してみると、ゆい子さんはかぁと顔を赤らめた。
 な、なにその反応。可愛すぎでしょ。
「こ、これは友人がくださって、その」
「そうなんだ。いいね、似合う」
「あ……ああり、ありがとうございま……」
 あわあわしながら言うと、そのままゆい子さんは後退って扉を開けた。「失礼しました」とぺこっと大げさに頭を下げて出ていってしまった。そして続く悲鳴と何かが落ちる音。……うん。無事、かな……どうかな。
 追いかけるべきかどうか悩んでいるうちに、また扉が開いた。安里さんだ。
「おつかれさまです」
「あ……はい。ありがとうございました」
「ゆい子さん、なんかありました? いつもの彼女らしからぬバタバタした様子で帰って行きましたけれど」
「いや……はは……」
 なんと説明すればいいのか曖昧に笑ってしまう。
「ゆい子さん、どうでした?」
 ――むかつきます。
 不意に脳裏に浮かんだその単語に、自分でぎょっとした。その様子を悟られないように、微笑んでみせる。
「綺麗な人でした。……ただちょっと、緊張して疲れました」
「そうですね。おやすみください」
 安里さんが微笑んで出ていく。それを見届けてから、わたしはベッドに横になった。
 ぽすっ、とお高そうなベッドマットがわたしの身体を包んでくれる。高い天井を睨み上げながら、
「むかつく」
 ――ぽそり、と呟いた。
 思わず苦笑いしてしまう。不意に浮かんだ言葉は、むかつく、だった。そしてそれはたぶん、まぎれもなくわたしの本心だ。
 喉の奥からせり上がってくるような不快な感覚を、なんとか嚥下しながら天井を睨みつける。
 だって、だってそうでしょ? むかつく以外に何かある?
 同い年のはずだ。だけど、わたしに持っていないものをこの潤さまを取り巻く世界は持っている。
 綺麗で可愛くて素敵なフィアンセ。大きなお部屋。やさしい両親。素敵なかかりつけ医。贅沢。贅沢。贅沢!
 わたしは――
 大庭めぐは、何も持っていない。
 立ち上がって、窓辺に向かう。窓に映るのは潤さまの姿だ。シャープな輪郭、切れ長の目。すっと通った鼻筋。まつげなんかビューラーいらないくらいくるんと上を向いていて長い。バランスのとれた身体に、きれいに切りそろえられたつややかな髪。パジャマ姿だっていうのに、色香がたつほどキレイな人。
 容姿だってこのとおりだ。潤さまとあのゆい子さんが並んだら、モデルか絵画かという気分になるに違いない。
 それに対して大庭めぐってのは、すごくすごく普通の女子高生だ。ううん――普通どころか、たぶん、普通以下の。
 ごつ、とおでこを窓にくっつけた。ひんやりとしたガラスが熱くなった顔を冷やしてくれる。
 不思議に思わないんだろうか、安里さんは。こんな訳のわからない状況で、でも、わたしが一度も『帰る』って言い出さないこと。不思議に思わないんだろうか。
 だって、帰りたくなんてないんだもの。
 違うな、帰ったって仕方ないんだもの。
 大庭めぐを待っている人なんて一人もいないから。
 大庭めぐには家族はいない。小学校に入る前に両親揃って蒸発した。それ以来、保護施設育ち。なんとか高校には入れたし、それなりに話すクラスメイトくらいはいるけれど、仲がいいとか親友とかそんな単語は似合わなすぎる。ただ単に、それらしく生活を送るためだけの、それだけの、知り合いがいるだけ。ま、演技派なんでね。普段はそんな様子欠片も出すつもりないし、出してたつもりもないけどね。
 抜け出したかった。逃げ出したかった。全部全部、ぶち壊したかった。
 ガラスに映る潤さまの顔が、ニヤリと笑みを刻む。
 潤さまの中身は、どうしたんだろうね。大庭めぐの方にはいっちゃって、今頃オロオロしてるのかな。あは、ちょっと見てみたいかもしれない。わたしって性格悪い。
 つ、とガラスに写った潤さまの唇を撫でてみた。
 ――いいじゃない? 好都合じゃない、この状況?
 何も持ってないわたしが、何でも持ってる潤さまになっちゃったんだ。くだらないほど贅沢で、馬鹿馬鹿しいほど面白い。
 いいじゃない。最高じゃない。それってつまり、わたしが全部手に入れられる状況ってことでしょ。
 だったら――

「……乗っ取ってあげるよ。醍醐潤」

 ひっそり、静かに、わたしの声は部屋に溶けていった。